青春をリストカット

しあわせの世界に逃げ込みたい

○しあわせの世界に逃げ込みたいなあ
●どうしたの
○なんかさあ、嫌なことがたくさんあって
●嫌なこと？
○もう辛いんだ。
●辛いの
○昔撮った写真をみていたの
●うん
○楽しかった思い出も、苦い思い出もたくさんあって
●そうだね
○恥ずかしくなったり、吐きそうになったり
●いいじゃん
○ううん、でも辛かった
●ノスタルジー？
○というより、あの頃いた人たちも、いまはそうじゃなくて、結婚したり、社会に揉まれたり、してるじゃない？
●我々も然りね
○みんな離れていったなあと思って
●でもまだ付き合いがある人もいるでしょ。新しい出会いもあるわけだし
○付き合いがある人も、まだあるだけ。そのうちなくなってしまうし、続いてたとしても関係は絶えず変わっていくもの
●じゃあ過去は過去として持っておいて、今いる人を大切にするしかないんじゃない？
○新しく出会った人には、私のことなんにも知らないくせにって思っちゃうの。私のことを知ってるのは、昔のみんなだけ。そのみんなだって今のわたしのことはわからないんだろうけど。
●知ってもらおうと努力はしてるの？
○努力ったって、何から話せばいいのかわからない。
●自分の好きなものとか、今までやってきたこととかを話せばいいんじゃないの
○そんなの過去のわたしじゃない。好きなものだってその時々によって変わっていくし
●その時々のでいいんだよ
○それだけでわたしを知ったような気持ちになられるのは嫌だ
●嫌って言っても、それじゃあ誰にもわかってもらえないよ
○だからしあわせの世界に逃げ込みたいの。何も言わなくてもみんなわかってくれる世界に。
●逃げ込むってことは、引け目を感じてるんだよね
○うん
●そっか。……しあわせの世界はどんなところなの
○しあわせの世界、は、ゆったりとした時間が流れていて、ガラス越しに陽が射してる
●音は？
○静かな音楽
●だけでいいの？
○外の風の音、鳥の声、人の……
●その世界でもまた、社会があるよ
○じゃあ逃げ場なんてないってこと？死ななきゃいけないってこと？
●きっと、君はわかってもらえないことに絶望してるんじゃなくて、自分の話を急かずに聴いてくれる人がいないってことが辛いんだよ
○わかったようなこと言わないでよ
●昔大切にしてたぬいぐるみ、もう会うことはないけど、今でも思い出すし、今でも大切な思い出。なんかそんな感じなんじゃないかな。
○よくわかんない。
●あの頃同士で会いたいんでしょ。でも関係は変わる、新しい自分を知ってもらうのは億劫で、新しい相手を受け入れるのもまた体力が要る。相手の中の、自分が占める割合が当時と比べると著しく低くなっている。ないがしろにされていることに気がつく。ないがしろにしようとしてしているのではないことくらいはわかっているのに、その無自覚な、存在の消去に傷つく。
○うるさい！
●学生の頃って仕事や家族が占める割合が低く抑えられるから、友だちをメインに置きやすいんだよ。だから依存しあう。距離感にも選択肢があって、先延ばしにだってできる。でも、社会に出ると、同性なら親友、異性なら恋人、それ以外は知り合いか他人になる。友だちってカテゴリーが作れない。なぜなら友だちっていうのは選択の保留だから。淘汰されて残ったのが親友、残らなかったのが知り合い。ただの友だちがいなくなるってことが、社会人になるってことなんだねえ。

～この話・完～