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二章 西の国
29話 『母親という憧れ』
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「皆様! おはようございます! 」
アーク双子の兄レオは、妹レイの手を引いてビンセント達のもとに駆け寄って挨拶をした。
「おはようレオ君、レイちゃん」
「おはようございます! 」
ビンセント達も双子に挨拶を返すと、喜びの為に顔が笑みで崩れていた。
双子を集会後に呼び寄せるつもりであったバルカスは、手間が省けたとばかりにハコに指示を飛ばした。
ハコはバルカスに頷き、双子を手招いた。
「はいハコさん! 」
レオはまたレイの手を引いてハコのもとに駆け寄った。
ハコは両手を腰に当て、プレゼントを貰う前の子供のような、待ち遠しい笑みを顔いっぱいに貯めていた。
「レオ君にレイちゃん! 改めて、私はハコ・コトブキだよ。宜しくね! 」
「はい! 宜しくお願いします! 」
レオは元気にそう答えると、ハコは待ちきれずに本題に入っていった。
「レオ君にレイちゃん。一つ、二人にとっても大きな報告があるんだ。よく聞いてね」
「はい! 」
「私ハコ・コトブキは、二人の保護者役に決定しました!! 決定! 」
いきなりであり、よく分からない言葉に双子は言葉を失って口をあけ放っている。
ハコはお構いなしに得意げな顔になり、不安もありながら表情からは自信が隠せないようだ。
「ハ、ハコさん、保護者って? 」
「保護者っていうのは、二人を守って導く者よ! 」
「守って、導く? 」
レイが首をかしげる姿を見て、ハコは双子に対してもう少し分かりやすいように伝えられないかと考えた。
その結果、我ながら今の自分の思う事にぴったりな伝え方があった。
ハコは二人の肩に手を置き、顔を近づけて言った。
「分かりやすく言うとね、今日から私が二人の親になるんだよ。――お母さんって呼んでいいからね! 」
アーク双子は二親を知らないが、そう言うような話を聞く度に親の存在を羨み、一緒に暮らす事に憧れを抱いていた。
妹のレイは、自分と同じ気持ちを持っている兄レオの心を理解し、自らが母親のような存在になればいいんじゃないかと思いながら、常にレオの世話をやっていた。
レオが無事であり、喜んでくれるのはとてもうれしかった。
しかし、母親が欲しかったのレイ自身も同じなのだ。
「お、レイちゃん。どしたの? 」
レイは涙が止まらなかった。
隠してきた寂しさが、甘えたかった心の壁が決壊して表に流れ出ている。
「うぇえっ、っぇ――」
レオはレイを心配して抱擁しようとしたが、もっと大きくて、もっと温かいものに包まれた。
「よしよし。やっぱり寂しかったよね、分かるよ。私のちっちゃい時とおんなじだね……」
二人はまとめてハコに抱擁され、温かいぬくもりに包まれた。
無意識に泣くのを我慢していたレオも、どうしても耐え難い感情に促されて泣き出してしまった。
「うんうん、いっぱい泣きな。……お兄ちゃんは妹を心配し過ぎかな、レイちゃんは我慢のし過ぎだね」
母親の愛のような物を、アーク双子は心情的にも物理的にも感じて必死にハコに対して抱き返した。
その様子を少し離れた所から見ているビンセント達は、ハコに感謝して三人に向かって暖かい笑みをこぼした。
正面の少し下に振り返ると、クロエ・モカに顔色を覗かれていた。
「ビンセントさん? ん? 」
「あぁいや、なんでもないですよクロエさん」
クロエはビンセントの眺めていた方向を見て、目に移った三人を見て少し羨んだ。
クロエ・モカの歳は十八であって、家族に姉がいたが、十四歳の時に貴族に買われて連れていかれてからはずっと一人だ。――姉はと言えば、悪い噂が耳に入って真実を確かめようとしたが、それが真実だったというのを察するのは少年のクロエにも容易い事だった。
寂しさのあまりに今のクロエは自覚をしていないが、姉の形を欲した為に、美少年だった自らが姉とうり二つの姿になって代わった。
その為にクロエの中では、姉は自分であって自分に在る事になっている。
姐は失っていない。別れていたのが一つに戻ったのだとクロエは今でも思い続けている。
三人の温かい家族のような姿を見ているとクロエは寂しくなり、姉と同じ形をしている自分の手を握った。
そしてビンセント達の方を振り向くと、カミラとミルを含む三人の姿もやはり家族の様に見えてくるのだ。
クロエは無意識に一歩後ずさりをしてしまったが、後ろに立っていたサッチ・オールにぶつかって止まった。
「わぁ?! ごめん! 」
驚いて後ろを振り返るクロエに返し、サッチは微笑んで支えた。
「大丈夫ですか? 確か、クロエさんですね? 」
「そうだよ。 クロエ・モカっていう名前はビンセントさんにつけてもらったんだ! 」
本当の事を言えば、クロエという名前は姉に呼ばれていた名前だ。
ビンセントと名前を決める際に、悩んでいたビンセントに対してクロエという名前を言ったところ、『モカ』という姓名を付けられて『クロエ・モカ』となっている。
クロエはこの名前を大変気に入っているが、ビンセントの事を心のどこかで父親としている自分がいる事を知ることはない。
ビンセントに名前を付けられたクロエに対して、小さな嫉妬心を抱いているのは『サッチ・オール』。
自ら名前を名乗り、解放奴隷と思えない程の気品を漂わせる男だ。
「クロエ・モカさん、とてもいい名前ですね」
「えへへ、そうでしょ! 」
笑顔が向き合っているが、二人の心情はそれぞれ違う。
「気に入ってもらえてよかったです」
ビンセントの言葉に二人は振り向く。
猫獣人だけあって、動きはとても俊敏だ。
ミルはさっきからクロエの事を猫の様だと思えて仕方が無かった。
獣人のモデルは猫なのだからそうなのだが、撫でてみたいというミルの内なる欲望はじわじわと肉体に伝わりつつある。
ミルがそうなのだから、普段ミルを撫でまくっているカミラなんかは小動物で遊びたい的な意味でクロエを愛でたくて仕方がない様子だ。――今は何とかその欲望を押さえつけている。
我慢も限界になってフルフルと震えが生じてきたミルは、そのままクロエに抱き着いてカミラはさりげなくピンと立った耳を撫で触った。
「わわっミルさんカミラさん?! 」
耳を触られるとくすぐったいあまりに手でやめさせようとするのだが、その仕草が正に猫であり、二人を余計に刺激させる。
サッチはクロエを放っておいてビンセントに対してお辞儀をした。
「ビンセント様、これから宜しくお願い致します」
この丁寧な態度に、ビンセントはどうしても首をかしげてしまう。
挨拶を返すとサッチは立膝を付いて頭を下げだすので、やはりどうしても手を差し出して起き上がらせるのだ。
「サッチさん。別に『様』なんてつけなくていいですよ」
「いえ、ビンセント様はビンセント様です」
どこかでやった事のある様なやり取りだと思い返せば、我が騎士であるサリバンが丁度そんなふうだった。
勝手に進む状況と、事の進行に自分が合っているのかが時々分からなくなる。
無知なる自分に対し失笑し、サッチには少し困った顔で微笑んで見せた。
微笑みを受けたサッチは祝福でもされたかのように優しく柔らかい顔になり、優越感に浸っていた。
バルカスはハコ達の様子を眺めて、集会の目的は完璧に達したと自らの中で頷いていた。
そんなバルカスも正面を振り返ると一人の解放奴隷が立っている。
彼女の名前は『ニッカ・メイラン』タラヒン区に住居を割り当てられており、バルカスに名前を貰った少しだけ耳の尖った人の女だが、正しく言えば人とエルフのハーフである。
「バルカス様、いかがされましたか? 」
ニッカもクロエと同じく、しかし距離を詰め過ぎない程度にバルカスの顔色を窺っていた。
バルカスはニッカの視線に気が付いて答えた。
「何でもない。いや、そうだな――、良い方向に進みつつあると思ってな」
「それは何よりです」
ニッカは微笑んで返しながら、バルカスにとっての『良い方向』というのを頭の中で考えてみたりした。
だが流石にバルカス。経験してきた道の事で、彼女の思う事はなんとなく分っていた。
笑顔と裏腹に不安と恐怖が混じっている頭に、手を置いて言った。
「心配するなニッカ。『良い方向』というのは、私の利益の事では無い。……言ってしまえば結果的に利益になるのだが、お前達が皆と同じような感覚で暮らせる日も遠くはないという事だ」
「……そう、ですか」
「あぁ。――ニッカの仕事は食糧管理だったな、明日から頼んだぞ。疲れている皆の体と心を癒してやる大事な仕事だ」
「はい! バルカス様! 」
「うむ。良い返事だな」
頭を撫でられたニッカは薄くなった不安が更に薄れ、未来に初めて日が刺し込めた思いがして素で笑みを浮かべていた。
「フフッそうだ、その笑みだ。固くなる必要は無い、今までとは別世界だからな」
「はい! 」
既に昼は過ぎている。
ニッカとサッチは先に自宅へ戻り、クロエは心を救われた為にビンセント達三人に対して大泣きしながら抱き着いた後で帰って行った。
彼女――否、彼の心である姉は既にいないが自分い在る。
いつだって二人の空間を絶対領域としてきたクロエは、初めて姉以外に心を開いたのだ。
ミルに始まってビンセント、次にカミラの順に互いを理解した。
現在残っているのはアークの双子であり、レーン城に行くまでの通過点にある家に向かって皆で双子を送る事にした。
白い瓦礫と空き家が視界を埋める道を、双子はハコを挟んで手を繋いで先頭を歩いている。
そんな姿を見ているバルカスは、少し鼻が高い思いがしてビンセント達とシュルツに尋ねた。
「どうだ、ハコは意外と母性があるだろう。よし、良かった」
「ハコは面倒見がいいですから。少しドジなとこありますけど」
「まぁ、シュルツからすればそうかもしれんが……、しかし微笑ましいじゃないか」
「それは同感ですね」
バルカスとシュルツの嬉しそうな姿を見て、ビンセント達も双子とハコの様子を再度見た。
「いい人選だなバルカス。本当に安心したよ」
「そうね。ハコちゃんとなら、あの子達も幸せそう」
「幸せそう! 」
バルカスは後ろを振り返ってビンセント達の言葉に耳を傾けながら、一つ深呼吸をした後に口を開いた。
「双子は家族に憧れてたみたいだが、一番憧れてたのはハコだからな」
「……そうみたいだな」
「昔、ハコ達に出会ってからは私が皆の姉のような存在だったらしい。私としては、ちょっとした母親の様な気分だったんだがな。ハハハッ」
「そうですね。今でも俺達からしたらバルカス姐はバルカス姐ですよ」
「へーどんな感じだったんだろう、気になってきちゃう」
「バルカス小隊の昔話は、今の私達の中では笑い話だけどな」
昔のバルカス達を気になったカミラ達に答えて、バルカスは双子の家に着く間で語って聞かせた。
バルカスは十七歳で女性機能を失い、それから最前線の奴隷兵として戦争に参加する。
二十二歳程で飼主達を皆殺しにして奴隷身分から逃走している。
シュルツ達に出会ったのはその一年後であり、ハコ達と出会ったのはそれからさらに二年後の事だ。
シュルツとハコからしたらバルカスとの出会いは突然の事で、バルカスが単身で奴隷運搬中の馬車を襲った事で出会ったのだ。
奴隷商人や用心棒を今も使っている大剣で殺し、鎖につながれていた奴隷達は全員残らず解放した。
バルカスが襲った奴隷運送馬車は七台であり、その時解放された者達が皆バルカス小隊の一員となり、それぞれが戦友だった。
戦友は戦友でも、皆はバルカスの事を『バルカス姐』と呼んだ。
理由は本当の家族がいる者がいないバルカス小隊で、戦友達がそれぞれ家族として行動している中、バルカスが全てのまとめ役であった為だ。
魔物の世界で無理やり自立した奴隷達であるから、一番困る事と言えば食糧問題となる。
バルカスは毎日皆の為に食料を確保し、皆を餓えから出来る限り守っていた。
そんな姿はバルカスが意識していた通りの母親であり、しかし小隊の者達からすれば『憧れの姐』なのだ。
小隊の中でも一番バルカスに憧れを抱いていたのは、『ハコ・コトブキ』だった。
常にたくましく、時には優しく、出来る限り皆にとって良い方向に導いていくバルカスの姿は、同性だからこそ憧れて目指し、惚れ込む存在だろう。
そんな少し昔にハコは、バルカスが何かをする時には手伝い、出来る限り真似をするようにしたのだ。
その姿は姐を必死に追う妹の様であって、小隊の皆からしてもハコはバルカスの妹の様な存在だった。
食事の準備をする時は更に率先して手伝い、いつしか自分もバルカスの様な姉に、母親になってみたいという夢を抱き続けていたのだ。
「うん。いい母親になりそうじゃないか」
バルカスは何度ハコ達の姿を見ても飽きることなく微笑んでいた。
ハコはそう、抱き続けてきた母親になる夢が今日叶ったのだ。
子は本当の子でなくとも、本能を以て子を愛することが出来れば、全く偽りなんてことはありえないだろう。
「なるほどね、良かったわねハコちゃん」
「夢が叶ったんだね! 」
「そうですね、ずっと言ってましたからハコは。――どうやったらバルカス姐みたいになれるかな? って」
「何も私を目指す必要は全く無いけどな。守る者が出来たんだから、ハコにとっては大変だが幸せで、まぁ夢が叶ったと言っていいだろうな」
バルカス達の話がちらちらと微かに聞こえていたハコは後ろに振り返って見ると、ビンセント達の眼に映るハコの顔は少し赤くなっていた。
「バ、バルカス姐! そんな話いいでしょ! 」
「なんだ、やっぱり聴こえてたんじゃないか。なかなか止めようとしないから、殆ど喋ってしまったぞ」
バルカスが笑いながら返すと、ハコは困り顔のまま前方に視線を戻した。
「――アークの双子。心配する事は無いぞ、ハコにいっぱい甘えておくといい。料理も美味いし掃除も出来る自慢出来る程の良い母親だ」
「は、はい! 」
バルカスの言葉と双子の返事を聞いては、ハコは照れながらもやっぱり間違いなく嬉しくて幸せだった。
「全部バルカス姐の真似だけど……、私頑張るからね! 」
ハコはまた双子の手を引いて、グイグイ前へ進んでいった。
そんな姿を見ているバルカス達は、ハコ達に合わせて歩行速度を上げる訳でもなく、そのまま歩きながら見つめていた。
「……バルカスの真似の料理って、まじで? 」
「あぁまじだ。それなりに美味いし、それなりに種類も多く覚えてると思うぞ」
ビンセントは双子の事が少し羨ましくなり、カミラはと言えばますますバルカスに料理を教えてもらいたいという気持ちが強くなった。
今日の朝御飯もバルカスが全て作ったのだが、三人にとっては最早、その料理は勿論美味いのだ。
調理中カミラはバルカスに付きっきりになって調理工程を見たが、下ごしらえから通して全て丁寧で、ずっと見ていられる調理だった。
そのせいもあって、気が付けば料理が完成していた。
カミラが今日覚えられた料理は一品だけで、『ムール貝と焼きトマトのサラダ』だ。
後四品出ていたが、気が付けば完成していたので覚えられていない。
「ビンセント、私ももっと頑張る」
「え? あ、いや。別にそういうわけじゃないよ。料理は一緒に覚えていこう。俺も覚えたい」
二人の話が聴こえたバルカスは振り返って、少し困った様に言った。
「別に急ぐ必要もないと思うぞ。料理なんか頭にあるレシピと経験なんだから、じっくり覚えていけばいいんだよ」
「そうね、そうよね。なんか焦っちゃった」
「レシピかぁ、無数にあるもんな、覚えるのは大変そうだ」
「もとからあるレシピもそうだが、美味いと思えばレシピに何か付け足して新しいレシピにするとか、無いレシピから全く新しい料理を作るっていうのもあるからな。料理レシピの種類数なんか数えても数えられる物じゃないから、焦っても仕方ないんだよな。自分が食いたいのか、誰かに食べさせてあげたい物を覚えることが、言ってしまえばそれが一番いいのかもしれんぞ」
「食べたい物、食べさせたい物を覚える……、分かったわバルカス! 」
カミラの頭の中では、ビンセントが好きな仔羊スネ肉の煮込みとトマトとジャガイモのスープを覚えることが第一目標として確定した。
「よし、今日の夜私も料理手伝う! 」
「うん。頼むよカミラ」
バルカスは微笑んで答え、今日の夜は酒場ではなくそれぞれが家に帰って食事をとる事に決めた。
ハコは勿論、双子と共に夕食を食べるのだ。
本人であるハコは、その事が楽しみでたまらない。
双子の家が見えた。
――いや、双子家というよりは、ハコを含めた家族を守る家だろうか。
街路を歩く中他の解放奴隷達と会うこともあり、何の躊躇いも無く皆は挨拶をしてきた。
光が刺し込む日々を送る事を受け入れつつある解放奴隷達は、バルカス達が思っているよりも早くシザの国に馴染む気すら感じる程だ。
「さぁ着いた! 私とは夕方位までお別れだね。夜ごはん楽しみにしててね! 」
「はいハコさん! 」
「外で遊んでもいいけど、戸締りはしっかりね? その時は五時位までには家に戻るんだよ? 」
「はい! 」
ハコは少し心配だが、返事の良い兄と妹の頭を撫でて抱擁した。
「じゃあちょっと行ってくるね。お昼ご飯しっかり食べてね。パンとかチーズ、バターやベーコンもあったかな。……あ、火を使う時は気を付けるんだよ。後は――」
「ハコ、それは心配し過ぎだぞ」
「そ、そうなのかなバルカス姐。うんでも、これから慣れていくって! そうね、大丈夫! ――じゃあ行ってくるねレオ君レイちゃん! 」
「行ってらっしゃい!! 」
ハコは双子に暫しの別れを告げると、手を振ってレーン城へと向かった。
双子は声を揃えて、憧れの『行ってらっしゃい』を言うことが出来た。
今日の夜はハコと双子が思い続けてきた憧れの、温かい家族の夜であり、三人はそれぞれ待ち遠しい思いであった。
双子が家に入るのを少し歩いた先で確認すると、ビンセントは境界を開いてレーン城へと皆で渡った。
アーク双子の兄レオは、妹レイの手を引いてビンセント達のもとに駆け寄って挨拶をした。
「おはようレオ君、レイちゃん」
「おはようございます! 」
ビンセント達も双子に挨拶を返すと、喜びの為に顔が笑みで崩れていた。
双子を集会後に呼び寄せるつもりであったバルカスは、手間が省けたとばかりにハコに指示を飛ばした。
ハコはバルカスに頷き、双子を手招いた。
「はいハコさん! 」
レオはまたレイの手を引いてハコのもとに駆け寄った。
ハコは両手を腰に当て、プレゼントを貰う前の子供のような、待ち遠しい笑みを顔いっぱいに貯めていた。
「レオ君にレイちゃん! 改めて、私はハコ・コトブキだよ。宜しくね! 」
「はい! 宜しくお願いします! 」
レオは元気にそう答えると、ハコは待ちきれずに本題に入っていった。
「レオ君にレイちゃん。一つ、二人にとっても大きな報告があるんだ。よく聞いてね」
「はい! 」
「私ハコ・コトブキは、二人の保護者役に決定しました!! 決定! 」
いきなりであり、よく分からない言葉に双子は言葉を失って口をあけ放っている。
ハコはお構いなしに得意げな顔になり、不安もありながら表情からは自信が隠せないようだ。
「ハ、ハコさん、保護者って? 」
「保護者っていうのは、二人を守って導く者よ! 」
「守って、導く? 」
レイが首をかしげる姿を見て、ハコは双子に対してもう少し分かりやすいように伝えられないかと考えた。
その結果、我ながら今の自分の思う事にぴったりな伝え方があった。
ハコは二人の肩に手を置き、顔を近づけて言った。
「分かりやすく言うとね、今日から私が二人の親になるんだよ。――お母さんって呼んでいいからね! 」
アーク双子は二親を知らないが、そう言うような話を聞く度に親の存在を羨み、一緒に暮らす事に憧れを抱いていた。
妹のレイは、自分と同じ気持ちを持っている兄レオの心を理解し、自らが母親のような存在になればいいんじゃないかと思いながら、常にレオの世話をやっていた。
レオが無事であり、喜んでくれるのはとてもうれしかった。
しかし、母親が欲しかったのレイ自身も同じなのだ。
「お、レイちゃん。どしたの? 」
レイは涙が止まらなかった。
隠してきた寂しさが、甘えたかった心の壁が決壊して表に流れ出ている。
「うぇえっ、っぇ――」
レオはレイを心配して抱擁しようとしたが、もっと大きくて、もっと温かいものに包まれた。
「よしよし。やっぱり寂しかったよね、分かるよ。私のちっちゃい時とおんなじだね……」
二人はまとめてハコに抱擁され、温かいぬくもりに包まれた。
無意識に泣くのを我慢していたレオも、どうしても耐え難い感情に促されて泣き出してしまった。
「うんうん、いっぱい泣きな。……お兄ちゃんは妹を心配し過ぎかな、レイちゃんは我慢のし過ぎだね」
母親の愛のような物を、アーク双子は心情的にも物理的にも感じて必死にハコに対して抱き返した。
その様子を少し離れた所から見ているビンセント達は、ハコに感謝して三人に向かって暖かい笑みをこぼした。
正面の少し下に振り返ると、クロエ・モカに顔色を覗かれていた。
「ビンセントさん? ん? 」
「あぁいや、なんでもないですよクロエさん」
クロエはビンセントの眺めていた方向を見て、目に移った三人を見て少し羨んだ。
クロエ・モカの歳は十八であって、家族に姉がいたが、十四歳の時に貴族に買われて連れていかれてからはずっと一人だ。――姉はと言えば、悪い噂が耳に入って真実を確かめようとしたが、それが真実だったというのを察するのは少年のクロエにも容易い事だった。
寂しさのあまりに今のクロエは自覚をしていないが、姉の形を欲した為に、美少年だった自らが姉とうり二つの姿になって代わった。
その為にクロエの中では、姉は自分であって自分に在る事になっている。
姐は失っていない。別れていたのが一つに戻ったのだとクロエは今でも思い続けている。
三人の温かい家族のような姿を見ているとクロエは寂しくなり、姉と同じ形をしている自分の手を握った。
そしてビンセント達の方を振り向くと、カミラとミルを含む三人の姿もやはり家族の様に見えてくるのだ。
クロエは無意識に一歩後ずさりをしてしまったが、後ろに立っていたサッチ・オールにぶつかって止まった。
「わぁ?! ごめん! 」
驚いて後ろを振り返るクロエに返し、サッチは微笑んで支えた。
「大丈夫ですか? 確か、クロエさんですね? 」
「そうだよ。 クロエ・モカっていう名前はビンセントさんにつけてもらったんだ! 」
本当の事を言えば、クロエという名前は姉に呼ばれていた名前だ。
ビンセントと名前を決める際に、悩んでいたビンセントに対してクロエという名前を言ったところ、『モカ』という姓名を付けられて『クロエ・モカ』となっている。
クロエはこの名前を大変気に入っているが、ビンセントの事を心のどこかで父親としている自分がいる事を知ることはない。
ビンセントに名前を付けられたクロエに対して、小さな嫉妬心を抱いているのは『サッチ・オール』。
自ら名前を名乗り、解放奴隷と思えない程の気品を漂わせる男だ。
「クロエ・モカさん、とてもいい名前ですね」
「えへへ、そうでしょ! 」
笑顔が向き合っているが、二人の心情はそれぞれ違う。
「気に入ってもらえてよかったです」
ビンセントの言葉に二人は振り向く。
猫獣人だけあって、動きはとても俊敏だ。
ミルはさっきからクロエの事を猫の様だと思えて仕方が無かった。
獣人のモデルは猫なのだからそうなのだが、撫でてみたいというミルの内なる欲望はじわじわと肉体に伝わりつつある。
ミルがそうなのだから、普段ミルを撫でまくっているカミラなんかは小動物で遊びたい的な意味でクロエを愛でたくて仕方がない様子だ。――今は何とかその欲望を押さえつけている。
我慢も限界になってフルフルと震えが生じてきたミルは、そのままクロエに抱き着いてカミラはさりげなくピンと立った耳を撫で触った。
「わわっミルさんカミラさん?! 」
耳を触られるとくすぐったいあまりに手でやめさせようとするのだが、その仕草が正に猫であり、二人を余計に刺激させる。
サッチはクロエを放っておいてビンセントに対してお辞儀をした。
「ビンセント様、これから宜しくお願い致します」
この丁寧な態度に、ビンセントはどうしても首をかしげてしまう。
挨拶を返すとサッチは立膝を付いて頭を下げだすので、やはりどうしても手を差し出して起き上がらせるのだ。
「サッチさん。別に『様』なんてつけなくていいですよ」
「いえ、ビンセント様はビンセント様です」
どこかでやった事のある様なやり取りだと思い返せば、我が騎士であるサリバンが丁度そんなふうだった。
勝手に進む状況と、事の進行に自分が合っているのかが時々分からなくなる。
無知なる自分に対し失笑し、サッチには少し困った顔で微笑んで見せた。
微笑みを受けたサッチは祝福でもされたかのように優しく柔らかい顔になり、優越感に浸っていた。
バルカスはハコ達の様子を眺めて、集会の目的は完璧に達したと自らの中で頷いていた。
そんなバルカスも正面を振り返ると一人の解放奴隷が立っている。
彼女の名前は『ニッカ・メイラン』タラヒン区に住居を割り当てられており、バルカスに名前を貰った少しだけ耳の尖った人の女だが、正しく言えば人とエルフのハーフである。
「バルカス様、いかがされましたか? 」
ニッカもクロエと同じく、しかし距離を詰め過ぎない程度にバルカスの顔色を窺っていた。
バルカスはニッカの視線に気が付いて答えた。
「何でもない。いや、そうだな――、良い方向に進みつつあると思ってな」
「それは何よりです」
ニッカは微笑んで返しながら、バルカスにとっての『良い方向』というのを頭の中で考えてみたりした。
だが流石にバルカス。経験してきた道の事で、彼女の思う事はなんとなく分っていた。
笑顔と裏腹に不安と恐怖が混じっている頭に、手を置いて言った。
「心配するなニッカ。『良い方向』というのは、私の利益の事では無い。……言ってしまえば結果的に利益になるのだが、お前達が皆と同じような感覚で暮らせる日も遠くはないという事だ」
「……そう、ですか」
「あぁ。――ニッカの仕事は食糧管理だったな、明日から頼んだぞ。疲れている皆の体と心を癒してやる大事な仕事だ」
「はい! バルカス様! 」
「うむ。良い返事だな」
頭を撫でられたニッカは薄くなった不安が更に薄れ、未来に初めて日が刺し込めた思いがして素で笑みを浮かべていた。
「フフッそうだ、その笑みだ。固くなる必要は無い、今までとは別世界だからな」
「はい! 」
既に昼は過ぎている。
ニッカとサッチは先に自宅へ戻り、クロエは心を救われた為にビンセント達三人に対して大泣きしながら抱き着いた後で帰って行った。
彼女――否、彼の心である姉は既にいないが自分い在る。
いつだって二人の空間を絶対領域としてきたクロエは、初めて姉以外に心を開いたのだ。
ミルに始まってビンセント、次にカミラの順に互いを理解した。
現在残っているのはアークの双子であり、レーン城に行くまでの通過点にある家に向かって皆で双子を送る事にした。
白い瓦礫と空き家が視界を埋める道を、双子はハコを挟んで手を繋いで先頭を歩いている。
そんな姿を見ているバルカスは、少し鼻が高い思いがしてビンセント達とシュルツに尋ねた。
「どうだ、ハコは意外と母性があるだろう。よし、良かった」
「ハコは面倒見がいいですから。少しドジなとこありますけど」
「まぁ、シュルツからすればそうかもしれんが……、しかし微笑ましいじゃないか」
「それは同感ですね」
バルカスとシュルツの嬉しそうな姿を見て、ビンセント達も双子とハコの様子を再度見た。
「いい人選だなバルカス。本当に安心したよ」
「そうね。ハコちゃんとなら、あの子達も幸せそう」
「幸せそう! 」
バルカスは後ろを振り返ってビンセント達の言葉に耳を傾けながら、一つ深呼吸をした後に口を開いた。
「双子は家族に憧れてたみたいだが、一番憧れてたのはハコだからな」
「……そうみたいだな」
「昔、ハコ達に出会ってからは私が皆の姉のような存在だったらしい。私としては、ちょっとした母親の様な気分だったんだがな。ハハハッ」
「そうですね。今でも俺達からしたらバルカス姐はバルカス姐ですよ」
「へーどんな感じだったんだろう、気になってきちゃう」
「バルカス小隊の昔話は、今の私達の中では笑い話だけどな」
昔のバルカス達を気になったカミラ達に答えて、バルカスは双子の家に着く間で語って聞かせた。
バルカスは十七歳で女性機能を失い、それから最前線の奴隷兵として戦争に参加する。
二十二歳程で飼主達を皆殺しにして奴隷身分から逃走している。
シュルツ達に出会ったのはその一年後であり、ハコ達と出会ったのはそれからさらに二年後の事だ。
シュルツとハコからしたらバルカスとの出会いは突然の事で、バルカスが単身で奴隷運搬中の馬車を襲った事で出会ったのだ。
奴隷商人や用心棒を今も使っている大剣で殺し、鎖につながれていた奴隷達は全員残らず解放した。
バルカスが襲った奴隷運送馬車は七台であり、その時解放された者達が皆バルカス小隊の一員となり、それぞれが戦友だった。
戦友は戦友でも、皆はバルカスの事を『バルカス姐』と呼んだ。
理由は本当の家族がいる者がいないバルカス小隊で、戦友達がそれぞれ家族として行動している中、バルカスが全てのまとめ役であった為だ。
魔物の世界で無理やり自立した奴隷達であるから、一番困る事と言えば食糧問題となる。
バルカスは毎日皆の為に食料を確保し、皆を餓えから出来る限り守っていた。
そんな姿はバルカスが意識していた通りの母親であり、しかし小隊の者達からすれば『憧れの姐』なのだ。
小隊の中でも一番バルカスに憧れを抱いていたのは、『ハコ・コトブキ』だった。
常にたくましく、時には優しく、出来る限り皆にとって良い方向に導いていくバルカスの姿は、同性だからこそ憧れて目指し、惚れ込む存在だろう。
そんな少し昔にハコは、バルカスが何かをする時には手伝い、出来る限り真似をするようにしたのだ。
その姿は姐を必死に追う妹の様であって、小隊の皆からしてもハコはバルカスの妹の様な存在だった。
食事の準備をする時は更に率先して手伝い、いつしか自分もバルカスの様な姉に、母親になってみたいという夢を抱き続けていたのだ。
「うん。いい母親になりそうじゃないか」
バルカスは何度ハコ達の姿を見ても飽きることなく微笑んでいた。
ハコはそう、抱き続けてきた母親になる夢が今日叶ったのだ。
子は本当の子でなくとも、本能を以て子を愛することが出来れば、全く偽りなんてことはありえないだろう。
「なるほどね、良かったわねハコちゃん」
「夢が叶ったんだね! 」
「そうですね、ずっと言ってましたからハコは。――どうやったらバルカス姐みたいになれるかな? って」
「何も私を目指す必要は全く無いけどな。守る者が出来たんだから、ハコにとっては大変だが幸せで、まぁ夢が叶ったと言っていいだろうな」
バルカス達の話がちらちらと微かに聞こえていたハコは後ろに振り返って見ると、ビンセント達の眼に映るハコの顔は少し赤くなっていた。
「バ、バルカス姐! そんな話いいでしょ! 」
「なんだ、やっぱり聴こえてたんじゃないか。なかなか止めようとしないから、殆ど喋ってしまったぞ」
バルカスが笑いながら返すと、ハコは困り顔のまま前方に視線を戻した。
「――アークの双子。心配する事は無いぞ、ハコにいっぱい甘えておくといい。料理も美味いし掃除も出来る自慢出来る程の良い母親だ」
「は、はい! 」
バルカスの言葉と双子の返事を聞いては、ハコは照れながらもやっぱり間違いなく嬉しくて幸せだった。
「全部バルカス姐の真似だけど……、私頑張るからね! 」
ハコはまた双子の手を引いて、グイグイ前へ進んでいった。
そんな姿を見ているバルカス達は、ハコ達に合わせて歩行速度を上げる訳でもなく、そのまま歩きながら見つめていた。
「……バルカスの真似の料理って、まじで? 」
「あぁまじだ。それなりに美味いし、それなりに種類も多く覚えてると思うぞ」
ビンセントは双子の事が少し羨ましくなり、カミラはと言えばますますバルカスに料理を教えてもらいたいという気持ちが強くなった。
今日の朝御飯もバルカスが全て作ったのだが、三人にとっては最早、その料理は勿論美味いのだ。
調理中カミラはバルカスに付きっきりになって調理工程を見たが、下ごしらえから通して全て丁寧で、ずっと見ていられる調理だった。
そのせいもあって、気が付けば料理が完成していた。
カミラが今日覚えられた料理は一品だけで、『ムール貝と焼きトマトのサラダ』だ。
後四品出ていたが、気が付けば完成していたので覚えられていない。
「ビンセント、私ももっと頑張る」
「え? あ、いや。別にそういうわけじゃないよ。料理は一緒に覚えていこう。俺も覚えたい」
二人の話が聴こえたバルカスは振り返って、少し困った様に言った。
「別に急ぐ必要もないと思うぞ。料理なんか頭にあるレシピと経験なんだから、じっくり覚えていけばいいんだよ」
「そうね、そうよね。なんか焦っちゃった」
「レシピかぁ、無数にあるもんな、覚えるのは大変そうだ」
「もとからあるレシピもそうだが、美味いと思えばレシピに何か付け足して新しいレシピにするとか、無いレシピから全く新しい料理を作るっていうのもあるからな。料理レシピの種類数なんか数えても数えられる物じゃないから、焦っても仕方ないんだよな。自分が食いたいのか、誰かに食べさせてあげたい物を覚えることが、言ってしまえばそれが一番いいのかもしれんぞ」
「食べたい物、食べさせたい物を覚える……、分かったわバルカス! 」
カミラの頭の中では、ビンセントが好きな仔羊スネ肉の煮込みとトマトとジャガイモのスープを覚えることが第一目標として確定した。
「よし、今日の夜私も料理手伝う! 」
「うん。頼むよカミラ」
バルカスは微笑んで答え、今日の夜は酒場ではなくそれぞれが家に帰って食事をとる事に決めた。
ハコは勿論、双子と共に夕食を食べるのだ。
本人であるハコは、その事が楽しみでたまらない。
双子の家が見えた。
――いや、双子家というよりは、ハコを含めた家族を守る家だろうか。
街路を歩く中他の解放奴隷達と会うこともあり、何の躊躇いも無く皆は挨拶をしてきた。
光が刺し込む日々を送る事を受け入れつつある解放奴隷達は、バルカス達が思っているよりも早くシザの国に馴染む気すら感じる程だ。
「さぁ着いた! 私とは夕方位までお別れだね。夜ごはん楽しみにしててね! 」
「はいハコさん! 」
「外で遊んでもいいけど、戸締りはしっかりね? その時は五時位までには家に戻るんだよ? 」
「はい! 」
ハコは少し心配だが、返事の良い兄と妹の頭を撫でて抱擁した。
「じゃあちょっと行ってくるね。お昼ご飯しっかり食べてね。パンとかチーズ、バターやベーコンもあったかな。……あ、火を使う時は気を付けるんだよ。後は――」
「ハコ、それは心配し過ぎだぞ」
「そ、そうなのかなバルカス姐。うんでも、これから慣れていくって! そうね、大丈夫! ――じゃあ行ってくるねレオ君レイちゃん! 」
「行ってらっしゃい!! 」
ハコは双子に暫しの別れを告げると、手を振ってレーン城へと向かった。
双子は声を揃えて、憧れの『行ってらっしゃい』を言うことが出来た。
今日の夜はハコと双子が思い続けてきた憧れの、温かい家族の夜であり、三人はそれぞれ待ち遠しい思いであった。
双子が家に入るのを少し歩いた先で確認すると、ビンセントは境界を開いてレーン城へと皆で渡った。
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