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一章 全てを忘れた怨霊

15話 抑制する意志

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 私は記憶がなく、日記帳などの物以外の物がなかったから何も目的が無かった。だけどそれ以外の物が無くても、この手に持っている日記帳とラブレター、そしておそらく寺の廃墟に落としたであろうペンがある。この三つの物が、いずれは私の全てを思い出すことができると思う。
 そしてその三つの物に関係していると思われる名前、人物『木口』。その情報と特徴を私は手に入れた。今までに感じたことのないような希望に満ち溢れる高揚感が私を満たしている。

「なにか先輩。ここから出ましょう。でるっす! 」

 吉田君はそんな私を見ると、なぜか眼を見開いて凝視している。喉を一つ鳴らして顔を青くする。私は私自身に一歩進めた気がする喜びにあふれており、それ以外に気は回していなかった。つまり、吉田君の声に何も感じなくなっていた。

「なにか先輩……。やばいっす、実体化しないで――」

 私が実体化した瞬間、眠っていたはずの子供が泣き出した。そしてこの時を境に、私は徐々に睡魔に襲われた。眠たいが、同時に冷静になった。私の目線は高くなり、今まで喰らったモノたちの肉体が出てきているのが確認できる。そして私が眠りに落ちる瞬間、老夫婦の男性と目が合った。
 気が付いた時にはルーフの上で歩行の振動に揺られていた。目を開ければ夜空にはまだ星があったが、東という向きから徐々に光が刺し込めている。どうやら私は眠っていたらしい。

「なにか先輩。おはようっす! 」

 吉田君は私の後ろにいる様だ。そしてルーフはまるで戦闘時の様に素早く走ってどこかに進んでいる。振動は激しく、力を入れていない私の状態はブラブラと揺れている。
 いったいどういうことなのか。私は、また琴音達にしたように人間を襲ったのだろうか。またもや覚えていない。少し心配になって、私は仰向けの状態のまま吉田君を見て質問をした。私は、何をしたのかと。

「なにか先輩は、なんもしてないっすよ。ただ、実体化して子供とじいさんにばれたみたいっすけどね。喰ってないっすよ」

 なんだ、私は人間を喰っていないんだ。吉田君の言葉に救われた気がした。他の幽霊がどう思っているのかは知らないけど、私は人間から恨まれることは嫌だし、人間が意味なく悲しむこともしたくなかったからだ。少しほっとして、私は一つ息を深くはいた。
 私の様子を見ている吉田君は決まってこういう時は微笑んで見守ってくれる。やっぱり、吉田君は頼りになる怨霊仲間だと私は思った。その時は、私もきっと自然に微笑んでいたと思う。

「ただ、あの村からはもう出てるっす。たぶんっすけど、近々また木口ってやつがあの村にやってくるっす。なにか先輩的には会っておきたい人間だと思うっすけど、俺的にはもっと情報を集めてからの方がいいと思うっすよ」

 私は確かに、その木口という人間には会ってみたかった。あの村にずっといればいつかは会えると思っていた。だけど吉田君は今木口に会うのはまだ早いと考えているようで、それは全速力で村から離れているルーフを見ても分かる。だけどさっきまでの私のままならどうしていただろう。木口から離れるという吉田君を喰ってしまっていただろうか。
 でも眠って冷静になった今の私だからなのか、何故かこう思うんだ。あの村でやれることは全てやったと。目的は果たしたと。何故かそんなふうに考えられる。

 私があの村と廃墟になっていた寺でやったことは、私の大切な三つの物の中の一つ、『木製のペン』を失ったこと。そして木口の情報を少し知れたということだ。……あとそうだ、琴音に会い、その仲間を喰ったのだった。

「すみません。無理に連れてきちゃったっすけど、許してくれるっすか。なにか先輩」

 吉田君は少し言いにくそうに私に謝った。だけど彼の気持ちは分かるし私も目的は果たしたと思うので、彼を責めようとは全く思わなかった。むしろ、吉田君は私を私自身に導いてくれるような気さえする。
 私は逆に吉田君にお礼を言った。すると吉田君はなんとも意外そうな顔を一瞬すると、少し照れくさそうに青い顔を赤らめて笑った。

「やっぱり、なにか先輩は笑顔が可愛いっすね」

 吉田君に言われて初めて意識した。自分の顔を触ると、私はどうやら笑っていたようだ。そしてやっぱり彼の気持ちは温かい。

「もうすぐ朝っすね。新しい一日の始まりっす! 」

 樹々の隙間から刺し込めていた輝きは、その本体を徐々に昇らせていった。お日様は温かく凄く綺麗で、懐かしい気持ちにさせてくれる。
 輝きはさっそうと走るルーフの巨体を照らし、私を照らして吉田君も照らしている。例外なく照らしているが、やっぱり光は私達を透き通って、影は生まない。私も以前はこの温かな光を生きている人間の姿で浴びていたに違いない。私はそれを思い出したい。きっとその記憶は素的なことなんだから。

「俺はやっぱり臆病なんす。自分でも嫌になるくらいに意気地なしっす。だけど、やりたいことは分かってるっす」

 朝日を共に見ながら、吉田君はルーフに必死につかまりながらもそんなことを言っていた。吉田君は臆病なのか? 意気地なしなのか? 私にはとてもそうは思えない。そして、自分のやりたいことが分かっているのはとても素敵だと思う。
 私も吉田君のやりたいことに協力できることはしてあげたい。何故って、私の確証も無い目的に協力をしてくれているのだから。いや、きっとそんな事では無いんだろう。彼が幸せに感じれば、私も幸せを感じられているのかもしれないからだ。理由なんて、特にないんだ。

「ルーフも幽霊ですし、肉体的疲労は無いっす。けど何時間も走りっぱなしでは可哀想っすから休憩するっすか」

 今はもう朝になっている。ということは、確かにルーフは何時間も走り続けているということになる。ルーフの首から体を出して顔を確認すると、特に疲れている様子はなくいつもの通りだ。だけど、吉田君の言う通りなんだか可哀想になってきたので休ませることにした。
 今現在は山道の道路を走っているようなので、道を外れさせて樹々が生える山に跳び込ませる。そしてルーフを私の霊体から分離させてあげると、ルーフは嬉しそうに尻尾を振って地面に転がって涼みだした。

 ルーフが森の中でゴロゴロしているのを吉田君としばらく観察したり触って遊んだリしていたが、さらにしばらくするとルーフはお腹を下にして伏せの姿勢になり、眼を閉じて休憩をしだした。
 吉田君は気持ちよさそうにリラックスしているルーフを撫でながら私に振り向いた。

「俺、なにか先輩を観察していて分かったことがあるっす。眠気のことっす! 」

 幽霊で睡眠をとるのは初めて見たと吉田君は前に言っていた。そして私にも何故私が睡眠をとるのかが分からないし、前吉田君に聞いた時も彼は分からないと答えた。それが今ではその睡眠の謎がわかったというのだ。さすがは吉田君だ。

「なにか先輩は感情が急に昂ると眠気を感じてるみたいっす。昨日の夜だって、なにか先輩は感情が昂った瞬間に眠りに落ちていました。でも、他の睡眠はまだよく分かりません。そして、その眠気に勝る昂りがあったときには、気持ちが落ち着いた時に眠気が包みたいっす」

 私は生きている人間と同じように毎日眠くなる。その全てに感情の高ぶりがあったのかは私には分からない。睡眠の全てがわかったわけではないが、吉田君のおかげで少しわかったと思う。
 確かに、今までに感じた事の無い感情の昂りは琴音の時に感じた。その時は眠く無かったが、事が終わった後に眠くなった。そして昨日の夜は喜びの感情が昂った瞬間に眠気が襲い、完全に眠ってしまった。吉田君の言う通りの様だ。

「でも、それ以外になにか先輩は感情の昂りがない時にも眠ってるっす。たぶんっすけど、なにか先輩は死ぬ直前の感情が大きすぎて、死後の今にその特徴が表れてるんじゃないかとも思うっす」

 確信をしているわけではないが、確かにそうとも考えられる。となれば、私の死因はそれほど私の感情を大きくしたということだ。やっぱり、私は自分のことを知らなさすぎる。だから私は吉田君とルーフと一緒に、少しづつでも確実に私のことを知りたいんだ。
 ……私は吉田君ほど考えることは得意ではないようだ。だから私は、とりあえずルーフのやわらかいお腹に顔をうずめてリラックスをすることに専念した。
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