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[-00:03:20]いつか
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季節は巡る。再び春はやってくる。
一年前、失意の底にいた一人の少女を掬い上げた曲があった。
それは、お世辞にも出来のいいと言えるようなものではなかった。しかし、少女はその音楽に心惹かれた。『未完成』と銘打たれた、たった3分19秒の音楽をきっかけにして動き出した、長い長い青春は終わりを告げる。
その曲のタイトルは───
「おいにちか! 何もたついてんだ! さっさと準備しろや!」
「だってだって全然前髪決まらないのぉ~~~!」
「前髪なんか散らしときゃいいだろうが!」
「はいアウトー! 地雷発言! 女の前髪イコール命なの! 男には分かんないでしょうけど! 良かったら私のケープ貸すよ! リップもいる? 画面映えするやつ」
「いるーーーー!!」
「ね、もうすぐお兄ちゃん着くって! 律くんの方はどう?」
「さあ、連絡全然返ってこねえから分かんない」
「ああ、それなら大丈夫大丈夫。最近まで死ぬほど反対してたから今更どの面下げて来たらいいのか分かんなくて店の近くで不審者みたいに立ち往生してるのさっき見かけたから」
「じゃあ何かしらこじつけて引き入れてきてくださいよ!」
「ええ~、叔父さんそういうの向いてないのにぃ」
「よ! 来たぜ~!」
「こんにちは~」
「お兄ちゃんと優一先生! 来てくれてありがとうございます」
「おい、律とにちか! リハーサルやるから来い!」
「へいへい」
「はあーい」
本日、3月5日。
『Midnight blue』のウッドドアには『close』のプレートが掛けられている。しかし、店内は大賑わいだった。グランドピアノが3分の1ほどを占める小ステージには、『ITSUKA』の解散ライブ用に透花が描き下ろした何十枚ものイラストが背景として彩られている。
ライブ用のマイクスタンドや、音響機材が所狭しと置かれ、透花の胸は期待感でいっぱいいっぱいになる。
配信サイトの待機所ではすでに数十万人の視聴者が、思い思いにコメントを打ち込んでいる。
「配信時間3分前! みんな準備は大丈夫?」
PCの前に立った纏が、声をかける。各々が頷いているのを確認して、纏はピアノの前に座る律へ視線をやった。
「ほら、律から一言」
「えっ? 俺? あー……えと、」
緊張しているのか少しだけぎこちなく頬を掻いて、律はちらりと透花の方を見た。透花は何も言わず小さくガッツポーズをする。
律はふっと空気のように軽く笑って、こほん、と一つ咳ばらいをした。
「最高のライブにします! 期待しといてください!」
『ITSUKA』の最初で最後のライブが、今、幕開けた。
「───お聞きいただきましたのは、『ミッドナイトブルー』でした!」
ピアノの心地よい余韻を一つ残して、曲が終わる。透花たちが観客席から小さく拍手を送ると、頬を紅潮させたにちかがありがとう、とはにかみながら小さくお辞儀をする。コメント欄の盛り上がりも最高潮を迎えている。視聴者数はライブ開始時よりも3倍ほど増えていた。
にちかが、すうっと一つ大きく深呼吸をして、隣を見る。キーボードの前に立った律が、アイコンタクトで小さく頷いた。
この夢のような時間も、もう終わりがすぐそこまでやってきていた。
「ほんっとに名残惜しい! ずっと、ずーっと歌っていたいんだけど! けど、次が最後の曲です!」
カチカチっと、纏がタイミングを見計らって右クリックする。画面上に流れるのは、この日のために透花と佐都子が死ぬ気で描き上げた描き下ろしのイラストたちだ。
「今回のために描き下ろした曲です。それでは、聴いてください」
ほんの少しだけ寂しそうに目を細めた、にちかが『ITSUKA』で最後となる曲のタイトルを告げる。
「『いつか』」
透花は、一音一音をこの先ずっと、ずっと、忘れないように、胸に刻み付けるように、静かに瞼を閉じる。瞼の裏側で、パノラマみたいにこの一年の記憶が流れていく。どこを切り取っても色褪せない青が、その一瞬一瞬が、どうしようもなく輝いている。
それは、夢のような日々だった。
『ほんの少しだけ、自分を許そうと思えました』
『あの絵は、俺の曲ですか?』
『返事を待ってる』
「透花のそういうとこ、本当に大っ嫌いだ」
「きみに、俺の曲を描いてほしい」
それは、映画館でエンドロールを眺めるような、日々だった。
「締め切りに間に合いませんーーーーーー!!!」
「───ド素人が自己満でやる分にはちょうど良くて」
「このまま埋もれさせておくには、惜しい才能だと思ったから。なんか文句ある?」
「ありがとう、わたしを見つけてくれて」
「そうしたら、俺はもう、二度と音楽はしない」
『今、現在進行形でっ! SNSでITSUKAの曲がめちゃくちゃバズってんの!!』
「───誰かを救う歌をあたしは歌いたい! 音楽で世界が救えるって証明したいの!」
「歌うのが好きだから! 好きなこととやりたいこと掛け合わせたらさ、それだけでもう、最強じゃん!」
「任せてよ。最高の歌、聴かせてあげる」
「もう、逃げるの、やめようと思う」
線香花火が次第に火花が消え、火球が落ちる瞬間のような、日々だった。
「わたしの……わたしの、せいだ」
「俺は信じるよ、透花のこと」
「僕は……こんな、最低な方法しか思いつかない」
「お前は俺に───死ねっていうのか?」
「俺の曲は、透花の心を動かすに足らない、雑音だった?」
「俺が、嫌なんだ」
「───だって、俺を一番最初に見つけてくれたのは、透花だったから!」
「透花の創作は、透花だけのものだろうが!!」
「本当は、ずっと、誰かにそう言って欲しかったの」
「私は今まで一度だって、透花を親友だと思ったことなんてない!」
「わたしだって、佐都子に嫉妬するよ」
「だから、わたしともう一度───『創作』しませんか?」
「透花が『アリスの家』に来なくなってから、ずっと待ってた」
地面に落ちた一面桜の花びらが花嵐に攫われて春が消えていくような、日々だった。
「「───はぁあああ!!?? 家出したぁあああ!!??」」
「夕爾んとこなら、家出先としては、最適でしょ」
「だから、代わりにもし……、伝えられたら、でいいから。言ってほしい。先生の漫画で、あたしは救われましたって」
「久しぶり、透花」
「───3月5日で『ITSUKA』は解散するのか、それとも続けていくのか」
「律くんにもきっと、見つかるよ。探してる答え」
「音楽のせいで、奏は死んだ。たかだか、音楽なんぞのために! 奏は俺たちを捨てて、音楽を選んだんだ。それをお前は、許せるのか!?」
「続き楽しみにしといて、って伝えといて」
「今から、駆け落ちしよう」
「俺、行くよ」
(ああ、)
透花の頬を、温かな雫が伝う。
(もう、終わっちゃう)
決して楽しいだけではなかった。辛くなることばかりだった。何度も逃げ出してしまいたくなった。でも、その痛みすらこの瞬間のために在ったのだと、そう思えた。
涙を拭って、透花は前を向く。フィナーレはもう、すぐそこだった。
(───さようなら、わたしの青春)
*
「……終わっちゃったね」
「ああ」
春めかしい風が、頬を撫でる。透花と律は、当てもなく歩く。
微かに淡い春の香りがする。人気のない桜並木は、初めて透花と律が出会った場所だ。もうすぐ来る春を待ち望むように薄く色づいた蕾が、春風で揺れる。
「ライブ、すごく良かったよ」
「ありがとう」
「泣かないって決めてたのに、やっぱり泣いちゃったなぁ」
「それは作家冥利に尽きるな」
くすくす、と律が笑う。透花もひとつ笑みを残して、立ち止まる。遅れて、律も立ち止まる。
「律くんは……いつ行っちゃうの?」
僅か数ミリほど目を見開いて、律は確かな声音で言う。
「休学届が受理されたから、明後日には行くよ」
「……そっか」
「なあに、寂しいの?」
そう冗談めかして言う律に、透花はすぐさま答えた。
「寂しい」
「即答だな」
「さみしい、よ。当たり前じゃん」
ぎゅうっと拳を握りしめて、透花は勢いよく顔を上げる。
「だって、まだ律くんと創りたいもの、いっぱいあるんだもん!」
透花は、ずっと我慢していた感情が溢れ出して止めようがなくなっていた。ストッパーが壊れたみたいに、涙が後から後から止まらない。いくら拭っても服の袖を濡らすだけだ。
「もっと、もっと、一緒にいたいよ」
声が震える。でも、今を逃したら伝えるチャンスを失う。
「ほんとは、まだ、終わりたくない」
だから、透花は必死に言葉を紡ぐ。
「だって、わたし、わたし……!」
律くんが、と言いかけて、透花は止まる。何故なら、透花の続きの言葉を遮るように、強い力が透花の腕を引き寄せたから。透花の背中に回った腕が、痛いくらいの力で搔き抱く。律の腕の中に納まった透花が状況を理解できないまま、目を白黒させた。
すると、息苦しそうな声音が降ってくる。
「……そういうの、ずるい」
切なくて、痛くて、胸が苦しくなる声だ。
「俺が透花の涙に弱いの、知ってるでしょ」
「……いっぱい泣いたら、行かない?」
「こらこら。味占めんな。ほんとに行きたくなくなったら、責任取ってくれんの?」
「取る」
「……ばぁか。そういうのは、然るべきときまで取っといてよ」
「ちぇ、駄目か」
「透花、」
透花の背中に回された腕の拘束が解かれる。徐々に、右腕から指先までを伝うように名残惜しく触れていた体温が、離れていった。
律は、笑う。一本芯の通った真っ直ぐな瞳で、笑う。
「今よりもっと、もっと! いい曲を作って透花に聴かせてやるよ! 約束だ!」
「……うん」
「だから、それまで待ってて。絶対、迎えに行くから!」
「うん。わたしも……わたしも、頑張る! 律くんに負けないように!」
律が片手を上げる。透花も同じように、手を上げた。ふたりは同時に口を開く。ハーモニーのように声が交じり合う。
「「『いつか』、また会おう!」」
一年前、失意の底にいた一人の少女を掬い上げた曲があった。
それは、お世辞にも出来のいいと言えるようなものではなかった。しかし、少女はその音楽に心惹かれた。『未完成』と銘打たれた、たった3分19秒の音楽をきっかけにして動き出した、長い長い青春は終わりを告げる。
その曲のタイトルは───
「おいにちか! 何もたついてんだ! さっさと準備しろや!」
「だってだって全然前髪決まらないのぉ~~~!」
「前髪なんか散らしときゃいいだろうが!」
「はいアウトー! 地雷発言! 女の前髪イコール命なの! 男には分かんないでしょうけど! 良かったら私のケープ貸すよ! リップもいる? 画面映えするやつ」
「いるーーーー!!」
「ね、もうすぐお兄ちゃん着くって! 律くんの方はどう?」
「さあ、連絡全然返ってこねえから分かんない」
「ああ、それなら大丈夫大丈夫。最近まで死ぬほど反対してたから今更どの面下げて来たらいいのか分かんなくて店の近くで不審者みたいに立ち往生してるのさっき見かけたから」
「じゃあ何かしらこじつけて引き入れてきてくださいよ!」
「ええ~、叔父さんそういうの向いてないのにぃ」
「よ! 来たぜ~!」
「こんにちは~」
「お兄ちゃんと優一先生! 来てくれてありがとうございます」
「おい、律とにちか! リハーサルやるから来い!」
「へいへい」
「はあーい」
本日、3月5日。
『Midnight blue』のウッドドアには『close』のプレートが掛けられている。しかし、店内は大賑わいだった。グランドピアノが3分の1ほどを占める小ステージには、『ITSUKA』の解散ライブ用に透花が描き下ろした何十枚ものイラストが背景として彩られている。
ライブ用のマイクスタンドや、音響機材が所狭しと置かれ、透花の胸は期待感でいっぱいいっぱいになる。
配信サイトの待機所ではすでに数十万人の視聴者が、思い思いにコメントを打ち込んでいる。
「配信時間3分前! みんな準備は大丈夫?」
PCの前に立った纏が、声をかける。各々が頷いているのを確認して、纏はピアノの前に座る律へ視線をやった。
「ほら、律から一言」
「えっ? 俺? あー……えと、」
緊張しているのか少しだけぎこちなく頬を掻いて、律はちらりと透花の方を見た。透花は何も言わず小さくガッツポーズをする。
律はふっと空気のように軽く笑って、こほん、と一つ咳ばらいをした。
「最高のライブにします! 期待しといてください!」
『ITSUKA』の最初で最後のライブが、今、幕開けた。
「───お聞きいただきましたのは、『ミッドナイトブルー』でした!」
ピアノの心地よい余韻を一つ残して、曲が終わる。透花たちが観客席から小さく拍手を送ると、頬を紅潮させたにちかがありがとう、とはにかみながら小さくお辞儀をする。コメント欄の盛り上がりも最高潮を迎えている。視聴者数はライブ開始時よりも3倍ほど増えていた。
にちかが、すうっと一つ大きく深呼吸をして、隣を見る。キーボードの前に立った律が、アイコンタクトで小さく頷いた。
この夢のような時間も、もう終わりがすぐそこまでやってきていた。
「ほんっとに名残惜しい! ずっと、ずーっと歌っていたいんだけど! けど、次が最後の曲です!」
カチカチっと、纏がタイミングを見計らって右クリックする。画面上に流れるのは、この日のために透花と佐都子が死ぬ気で描き上げた描き下ろしのイラストたちだ。
「今回のために描き下ろした曲です。それでは、聴いてください」
ほんの少しだけ寂しそうに目を細めた、にちかが『ITSUKA』で最後となる曲のタイトルを告げる。
「『いつか』」
透花は、一音一音をこの先ずっと、ずっと、忘れないように、胸に刻み付けるように、静かに瞼を閉じる。瞼の裏側で、パノラマみたいにこの一年の記憶が流れていく。どこを切り取っても色褪せない青が、その一瞬一瞬が、どうしようもなく輝いている。
それは、夢のような日々だった。
『ほんの少しだけ、自分を許そうと思えました』
『あの絵は、俺の曲ですか?』
『返事を待ってる』
「透花のそういうとこ、本当に大っ嫌いだ」
「きみに、俺の曲を描いてほしい」
それは、映画館でエンドロールを眺めるような、日々だった。
「締め切りに間に合いませんーーーーーー!!!」
「───ド素人が自己満でやる分にはちょうど良くて」
「このまま埋もれさせておくには、惜しい才能だと思ったから。なんか文句ある?」
「ありがとう、わたしを見つけてくれて」
「そうしたら、俺はもう、二度と音楽はしない」
『今、現在進行形でっ! SNSでITSUKAの曲がめちゃくちゃバズってんの!!』
「───誰かを救う歌をあたしは歌いたい! 音楽で世界が救えるって証明したいの!」
「歌うのが好きだから! 好きなこととやりたいこと掛け合わせたらさ、それだけでもう、最強じゃん!」
「任せてよ。最高の歌、聴かせてあげる」
「もう、逃げるの、やめようと思う」
線香花火が次第に火花が消え、火球が落ちる瞬間のような、日々だった。
「わたしの……わたしの、せいだ」
「俺は信じるよ、透花のこと」
「僕は……こんな、最低な方法しか思いつかない」
「お前は俺に───死ねっていうのか?」
「俺の曲は、透花の心を動かすに足らない、雑音だった?」
「俺が、嫌なんだ」
「───だって、俺を一番最初に見つけてくれたのは、透花だったから!」
「透花の創作は、透花だけのものだろうが!!」
「本当は、ずっと、誰かにそう言って欲しかったの」
「私は今まで一度だって、透花を親友だと思ったことなんてない!」
「わたしだって、佐都子に嫉妬するよ」
「だから、わたしともう一度───『創作』しませんか?」
「透花が『アリスの家』に来なくなってから、ずっと待ってた」
地面に落ちた一面桜の花びらが花嵐に攫われて春が消えていくような、日々だった。
「「───はぁあああ!!?? 家出したぁあああ!!??」」
「夕爾んとこなら、家出先としては、最適でしょ」
「だから、代わりにもし……、伝えられたら、でいいから。言ってほしい。先生の漫画で、あたしは救われましたって」
「久しぶり、透花」
「───3月5日で『ITSUKA』は解散するのか、それとも続けていくのか」
「律くんにもきっと、見つかるよ。探してる答え」
「音楽のせいで、奏は死んだ。たかだか、音楽なんぞのために! 奏は俺たちを捨てて、音楽を選んだんだ。それをお前は、許せるのか!?」
「続き楽しみにしといて、って伝えといて」
「今から、駆け落ちしよう」
「俺、行くよ」
(ああ、)
透花の頬を、温かな雫が伝う。
(もう、終わっちゃう)
決して楽しいだけではなかった。辛くなることばかりだった。何度も逃げ出してしまいたくなった。でも、その痛みすらこの瞬間のために在ったのだと、そう思えた。
涙を拭って、透花は前を向く。フィナーレはもう、すぐそこだった。
(───さようなら、わたしの青春)
*
「……終わっちゃったね」
「ああ」
春めかしい風が、頬を撫でる。透花と律は、当てもなく歩く。
微かに淡い春の香りがする。人気のない桜並木は、初めて透花と律が出会った場所だ。もうすぐ来る春を待ち望むように薄く色づいた蕾が、春風で揺れる。
「ライブ、すごく良かったよ」
「ありがとう」
「泣かないって決めてたのに、やっぱり泣いちゃったなぁ」
「それは作家冥利に尽きるな」
くすくす、と律が笑う。透花もひとつ笑みを残して、立ち止まる。遅れて、律も立ち止まる。
「律くんは……いつ行っちゃうの?」
僅か数ミリほど目を見開いて、律は確かな声音で言う。
「休学届が受理されたから、明後日には行くよ」
「……そっか」
「なあに、寂しいの?」
そう冗談めかして言う律に、透花はすぐさま答えた。
「寂しい」
「即答だな」
「さみしい、よ。当たり前じゃん」
ぎゅうっと拳を握りしめて、透花は勢いよく顔を上げる。
「だって、まだ律くんと創りたいもの、いっぱいあるんだもん!」
透花は、ずっと我慢していた感情が溢れ出して止めようがなくなっていた。ストッパーが壊れたみたいに、涙が後から後から止まらない。いくら拭っても服の袖を濡らすだけだ。
「もっと、もっと、一緒にいたいよ」
声が震える。でも、今を逃したら伝えるチャンスを失う。
「ほんとは、まだ、終わりたくない」
だから、透花は必死に言葉を紡ぐ。
「だって、わたし、わたし……!」
律くんが、と言いかけて、透花は止まる。何故なら、透花の続きの言葉を遮るように、強い力が透花の腕を引き寄せたから。透花の背中に回った腕が、痛いくらいの力で搔き抱く。律の腕の中に納まった透花が状況を理解できないまま、目を白黒させた。
すると、息苦しそうな声音が降ってくる。
「……そういうの、ずるい」
切なくて、痛くて、胸が苦しくなる声だ。
「俺が透花の涙に弱いの、知ってるでしょ」
「……いっぱい泣いたら、行かない?」
「こらこら。味占めんな。ほんとに行きたくなくなったら、責任取ってくれんの?」
「取る」
「……ばぁか。そういうのは、然るべきときまで取っといてよ」
「ちぇ、駄目か」
「透花、」
透花の背中に回された腕の拘束が解かれる。徐々に、右腕から指先までを伝うように名残惜しく触れていた体温が、離れていった。
律は、笑う。一本芯の通った真っ直ぐな瞳で、笑う。
「今よりもっと、もっと! いい曲を作って透花に聴かせてやるよ! 約束だ!」
「……うん」
「だから、それまで待ってて。絶対、迎えに行くから!」
「うん。わたしも……わたしも、頑張る! 律くんに負けないように!」
律が片手を上げる。透花も同じように、手を上げた。ふたりは同時に口を開く。ハーモニーのように声が交じり合う。
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