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[-00:11:56]創作

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 有栖川纏は、夕焼けの赤を知らない。
 信号が赤く点滅することも、熟れた林檎が赤いことも、秋の紅葉の葉が赤いことも、澄んだ冬の朝焼けが赤いことも、知らない。

 纏の世界が、どうやら他の人間よりも色褪せていることに気付いたのは、纏がまだ6つのころ。
 纏の視界から奪われた赤を一番に憂いたのは、画家でもある父、有栖川優一だった。
 纏にとって父は、憧れだった。
 描くことが好きだった纏が、いの一番に完成したスケッチブックを見せに行くのは父だ。そうして、よくできてるね、と頭を撫でられるのが好きだった。いつか、父のようになりたいと幼い纏は漠然とした夢を抱いていた。
 しかし、次第に纏は色鉛筆を握ることが、無くなっていった。
 自分の網膜が映し出す陳腐でくすんだ世界に、うんざりし始めていたからだ。誰もが美しいと思うものを、尊いと思うものを、纏は同じように美しいとは思えなかった。似たような色ばかりを映し出す纏の瞳に、何一つ美しいと思えるものがなかった。
 ───彼女に出会うまでは。

「今から一番綺麗な青を探しに行こう!」

 きっかけは、忘れてしまった。
 まだ夜も明けないような早朝にチャイムが鳴った。纏がパジャマ姿で眠たい目を擦りながら外に出ると、厚手のコートにマフラーを首に巻いた透花がそう言った。
 渋る纏を無理やりに引っ張って、透花は強引に外へ連れ出した。
 たぶん、透花に深い理由は無かったのだと思う。本当に、ただ純粋に、纏が見る世界で一番綺麗な青が、知りたかっただけなのだろう。
 透花は出会ったころから、周りの人間とは少し違っていた。
 彼女は、青が好きだった。彼女がスケッチブックに描く青だけは、纏の目を通した陳腐な世界をほんの少しだけ彩ってくれた。
 透花に手を引かれ、たどり着いたのは、纏たちが住む町を一望できる高台だ。当然、人の影は無く、纏と透花のふたりだけ。ペンキが剥がれた錆ついたベンチに腰を下し、透花はスケッチブックを広げた。悴む手で透花の好きな青色のアクリル絵の具たちが並べられる。
 そうしているうち、立ち昇る太陽が纏たちが住む町を照らし始めた。

「纏くんにはどんな青が見える?」

 透花がパレットで混ぜ合わせた色を、目の前に広がる光景と重なるように翳す。
 纏は訝しみながら、視界に広がる色をひとつひとつ拾い上げる。透花は小さく頷きながら、迷いのない動きでスケッチブックに筆を走らせた。
 目の覚めるような青、薄く灰色かかった青、煌々と光る黄色。
 地上を離れ、朝の知らせを町中に知らせるほど太陽が昇ったころ、彼女が筆を止め、満足げに顔を上げて、「できた!」と声を上げた。
 隣に座る纏に見えるよう、両手で持ったスケッチブックを高く広がった空へと掲げる。
 そこに描かれたのは、纏がいつも見ている、つまらない日常の一部だ。
 それなのに、透花は丸い瞳を細めて柔く微笑んだ。まるでそれが、何にも代えがたい宝物だとでも言うように。


「今まで見た朝焼けで、一番きれい」


 纏は、赤を知らない。
 彼女が見ている世界の美しさを何一つ共有できない。きっと生涯、この青い朝焼けを綺麗だと思うこともないだろう。

 けれど、ただ、ひとつ。
 纏は一等惹かれる青を、知っている。
 有り触れた青に呑まれた世界の中で、彼女の深い青の瞳だけが、綺麗だと思った。
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