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[-00:21:11]青以上、春未満

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 コンビニで買った差し入れは、スナック菓子とチョコレートと栄養ドリンクを数本。それらを引っ提げて、律はスマホの道案内アプリを起動させた。

 徒歩であと9分ほどの距離に目的地である『アリスの家』はあった。
 名の通り、絵本に出てくるような可愛らしいモダンな家だ。律は数秒悩んで、玄関のインターホンを押すと、「はいはーい」とまったりした男性の声とともにドアが開く。
 柔和な笑みを浮かべた眼鏡の男性は、律を見やると何度か瞬きをした後に、さらに笑みを深くする。
「いらっしゃい」
「あの、纏……くんに用事があるんですが」
「うんうん、纏から聞いてるよ。どうぞ上がって」
「ありがとうございます」
 律を家に招き入れてくれた男性は、纏たちのいるアトリエまで案内をしてくれる。そしていざ目的の部屋につくと、眼鏡の男性は律の方を振り返り、何やら決まりの悪い顔で頬を掻いた。
「なんだか纏も透花ちゃんもすごーく熱くなってるみたいだから、気をつけてね」
「は、はあ……?」
 それだけを言い残して、立ち去っていた彼の背中を見送る。
 そしてアトリエのドアを開けると、そこには、この世の終末みたいな光景が広がっていた。

「やだやだやだ!! 纏くんの嘘つきぃぃいい!! わたしの好きに描いていいって言ったのに!!」
「だあアホか! 常識の範囲で、締め切りに間に合うならって枕詞があるに決まってんだろうが!!」
「だ、大丈夫やれるから!! わたしちゃんとやれるから!! 心配いらないからぁ!!」
「創作バカのやれる、大丈夫、心配ないは信じねーよ!」
「……どういう状況?」
 律の目の前に広がっていたのは、纏の腰にしがみ付くように強く腕を回して駄々をこねる透花と、その透花を引き剝がそうと頭を押さえつけている纏の姿だった。

 暗転。
「まずこれを見て」
 すすり泣く透花をその辺に放置して、纏は机の上にノートパソコンを置いた。律がそのパソコンを覗き込むと、マウスが編集途中の動画の再生ボタンをクリックした。
 律の作曲した音楽とともに、動画が再生されていく。
「ええっ、すご! やば、めっちゃ動いてる!!」
 思わず律は感嘆の声を漏らしてしまった。まだ色付けもしていない原画のみの動画だったが、それでも律は興奮した。絵コンテと打ち合わせで大まかな内容を知ってはいたもののいざ動画にすると迫力が全然違う。
 しかし、纏は冷めきった瞳で舌打ちした後、動画を止める。
「そこじゃねえよバカ律」
「はあ? なんか問題がある? めちゃいいと思うけど」
「照れるなぁ、えへへ」
「称えあってんじゃねえ創作バカコンビ」
 いつもの三倍ほど口の悪い纏に、律は怪訝に眉を寄せた。その原因は見るからにカルシウム不足というわけでもなさそうだ。
「よく見ろ! 問題大有りだわ!!」
 そうして纏が指さしたものは───アニメーションの方、ではなくその外。何も描かれていない真っ白な背景だった。
 ふむ、と律は頷く。
「白いな」
「真っ白だね」
「……つまりどういうこと?」
 纏はくいっと顎を上げ、いつも以上の低い唸るような声で言った。
「このままだと締め切りに確実に間に合わない」

 *

 七夕祭りの一件から、火のついた律は猶予1日を残し、1分30秒程度の音楽を完成させた。が、それで終わりというわけではなく、あくまでMV賞の締め切りに間に合わせるためで合って、後日フル尺で楽曲を動画サイトにアップする予定なので仕事は続いている。
 さて、律が曲を完成させたことで透花たち動画班が本格的に始動し始め、約1週間。
 進捗状況は、というと。
「普通に間に合わない。背景が」
 三者面談のような重い雰囲気の中、纏が額に手を当てため息交じりに言う。その台詞に透花の細い肩がぴくりと跳ねて、顔が伏せられる。
「なんせ、透花は背景描くの苦手だからね」
「そうなの?」
 律が透花の方を見ると、透花はさらに身を小さくして頷く。
「構図はもう考えてあるんだけど……は、背景だけはっ! どうにもこうにも全然進まなくて! 極力、背景に割く時間が少なくて済むようにやってはいたけど、その……はい」
「だから今回は妥協案として、背景を諦めてフリー素材に全差し替えにするって話をした結果」
「あの惨事か……」
 一周回って名画みたいな構図だったな、と律は遠い目をする。
 それまで縮こまっていた透花は立ち上がり、両腕を何度も振り下ろしながら抗議する。
「だ、だって、フリー素材を今から探していいものが見つかるわけじゃないしっ、動画の趣旨だって変わっちゃうし! 何よりそんな中途半端なもの作りたくない!」
「作りたい作りたくない、の次元の話はしてないから。締め切りに間に合わなきゃ意味がいないんだよ! それとも、寝ずにぶっ続けで描けば間に合うとでも?」
「そ、それはそうだけど……! やる、寝ずにやるから!」
「はあ、そんなの無理に決まってんじゃん。今から誰かに外注頼もうにも、納期的に短すぎる上に打ち合わせの時間もないから無理でしょ。ほら、実現不可能だよ。運よく、都合のいい協力者がその辺にでもいない……限り……」
 徐々に語尾の薄れていった纏は、そのまま目を大きく見開いて固まった。そして絵空事でも述べるような口調で言う。
「いた」
「え?」
「いたわ!! 都合のいい協力者が近くに!!」

 ───その緊急会議の一時間後、緒方佐都子が招集された。

 *

 緒方佐都子は、透花の幼馴染であり、中学までは同じ学校に通った級友だ。
 そして、『アリスの家』でアルバイトとして小学生たちに教える先生兼生徒でもある。透花とは間逆に、繊細で緻密な風景画を得意としている。
 つまり『ITSUKA』の背景美術の担当として、これほど適任な人物はいなかった。

「……そういうことね」
 休日に透花からの急な呼び出し応じ、『アリスの家』に出向いた佐都子へ、纏から一通りの説明がなされる。佐都子は、特に驚きもせず冷静だった。
「納得した。あの時、私に雨宮先輩がUSB渡してきた理由がようやく分かったよ。あと、透花と纏がここ最近、みょーにこそこそ何かしてるなー、とは思ってたけど」
「えっ、気づいてたの?」
「当たり前でしょ? 何年一緒にいると思ってんのよ? お見通しよ、お見通し」
 隠してきたつもりだった透花と纏は、互いに顔を見合わせあって苦笑する。
 佐都子は「それでコンテは?」と、透花に向かって手を差し出した。脇腹を纏につつかれたことで、はっと我に返った透花は持ってきた鞄の中から、絵コンテを取り出しそれを佐都子に手渡す。
 かさり、と紙が擦れる音だけがアトリエに響く。
 3人が息を呑んでその光景を見守る。あいにく、紙に顔が隠れて上手く表情は汲み取れない。そうして全てのコンテに目を通し終えた佐都子は、紙越しに透花に問いかける。
「……これ、全部透花が?」
「えっ、う、うん。一応」
 しどろもどろに透花が首を縦に振ると、佐都子はただ一言「そっか」と呟いた。
 しばしの沈黙。いよいよ透花たちの背中に冷たい汗が流れ落ちるころ、佐都子は勢いよく顔を上げると、満面の笑みで宣言する。
「いいね! 面白そう。私も協力するよ!」
「さっ、佐都子~~~!!」
 感動のあまり透花が佐都子にまたしても飛び掛かったのは、言うまでもなく。

 斯くして、『ITSUKA』に背景美術が新しく加わったことで、直面している問題が解決すると透花たちは安堵していた。改めて製作中の動画を見て、佐都子が放った一言が現場を凍り付かせるとも知らずに。

「うん、これを締め切りまでに描き上げるのは無理だね」
「サ、サトコサン?」
 しれっと放った佐都子の、聞き捨てならない一言に佐都子以外の全員が壊れかけのロボットのようにぎこちなく振り返った。その威圧に半ば引きながら佐都子は人差し指を立てる。
「だってこれフルカラーでしょ? あと2週間で仕上げるには無理があるよ。どんだけ頑張ってもあと1週間は必要」
「無理じゃん」
「無理だね」
「どっ、どうしよおおおーーーーーー!?」
 ようやく見えた突破口が塞がれ、お先真っ暗になった透花が頭を抱える。やっぱり、フリー素材で誤魔化さなければいけないのか。けれど、それは。どうしても許せなかった。妥協した創作に人の心が震わせられるわけがないと、透花は知っていたから。
 唇を噛み締めて顔を伏せる透花に、ぽんと優しく手のひらが乗る。見上げると、佐都子がにやりと口角を上げて笑っていた。
「まあ、でも間に合う方法はなくもない」
「まじか!」
 纏が食って掛かる勢いで身を乗り出す。佐都子がノートパソコンに表示された動画のバーを動かし、サビ前の部分を指を差した。
「イントロからサビの手前まで全部モノクロにしちゃえばいい」
 透花は大きく目を見開いた。全く思いも寄らない提案だったからだ。
「サビ前の一小節に余白入れて、その瞬間にフルカラーになったら、最高にエモいと思わない?」
「───いい! めちゃくちゃいい!」
 興奮のあまり佐都子の手を握って、透花は頬を桜色に染めながら半ば叫ぶように肯定した。高ぶる心が抑えきれない。想像しただけで心を奪われるに違いない、と確信した。
「さすが佐都子! わたしだけだったら、全然そんなの思いつかなかったよ!!」
「……そんなことないよ」
 モノクロの作画ならフルカラーより時間も労力も抑えられる。締め切りに間に合うルートがようやく切り開かれたのだ。
「よし。その案、採用でいこう。何としてでも締め切りに間に合わせるんだ。……ファイトォ!」
 ぐっと拳を握りしめた纏に合わせ、4人全員が拳を天井に振り上げる。
「「「「オー!!」」」」

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