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最終章 この愛が全て
おまけ6 ちょっと前の話。
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「えっ、アデレードが婚約破棄された?」
マイヤール家の広い書斎の中に2人の男性がいた。どちらも銀髪で背の高さも同じくらいだったが、片方は50代、もう片方は40代と年齢には差があった。2人は兄弟で、年嵩の方がアデレードの父であるマイヤール公爵、若い方が弟のハロルドだった。
「ふーん、でも婚約破棄なんて珍しいことじゃないだろう、兄上? 可愛い姪っ子のアデレードが傷つくのは心が痛むけど」
「……婚約破棄だけなら、な」
公爵が怒りを抑えながら言う。
「だけなら?」
「……」
自分の娘がしでかしたことを兄は弟に話した。恐喝、買収、舞踏会での大暴れを、である。
「あはははっ、やるねぇ。流石、僕の一番のお気に入り!」
アデレードの所業を聞いたハロルドは豪快に笑った。公爵とハロルドの間には他にも兄弟がいて、それぞれに子どもがいるが、その中でもアデレードはハロルドのお気に入りだった。
「笑い事かっ! 妻は余りのことに寝込んだんだぞ!」
青筋を立てて公爵が書斎のデスクを叩く。
「だって、まだ15,6の女の子だよ。良いじゃないか、別にそれぐらい」
「仮にもマイヤール公爵家の令嬢だぞ! 良いわけがあるかっ。あの恥さらしめ」
「自分の娘にそこまで言わなくても……」
ハロルドが呆れたように肩を竦める。
「それに兄上だって、あの王子のことは嫌っていただろう。何だったか、そう、優柔不断だの、頼りないだの」
「それでも、王族は王族だ。大人しくしていれば、やり様もあったものを」
アデレードが下手に暴れ回ってしまった所為で、却って工作がし辛くなってしまった。
「あれはもう私の娘などではない。公爵家にとって何の役にも立たんからな」
兄の言い草に弟は眉を顰める。兄は大貴族の長として幼い頃より厳しく育てられただけに、他人にも厳しさを求めるところがあった。
「それで、あの子をどうするっていうんだい?」
「本来なら今すぐ捨て置きたいところだが……どこかの屋敷にでも閉じ込めておけば良い」
「若い娘を一生監禁するのかい? それはちょっとやり過ぎじゃないか」
「足元を見て、娘を貰ってやっても良いという、貧乏貴族や胡散臭い金持ちが湧いて出てきているんだぞ!」
なるほど、プライドの高い兄にはそれも耐えられないってわけか。
そんなところに目を付けられたこと自体屈辱的なのだ。
「そんな連中にくれてやるくらいなら、死んでくれた方がマシだ」
「そこまで言うかね……」
兄の怒りは解けそうにないな。だからって、一生あの子が飼い殺しなんて可哀想だ。何とか立ち直る機会だけでも作ってあげたい。
そこでハロルドは考えた。
「私が建てた別荘の一つがリーフェンシュタール領にあるんだ。そこへあの子を連れて行ったらどうだろう?」
「リーフェンシュタール領だと? お前そんなところにも別荘を持ってたいたのか……」
呆れ気味に公爵がため息を吐く。ハロルドは正真正銘の遊び人で、舞台女優や踊り子と浮名を流すこと数えきれない。それにふらふらと旅に出ることもしばしば。当然結婚もしていないし、マイヤール家の豊富な財力をバックに放蕩三昧の日々である。
「あれは麗しのスカーレットに振られた時だったなぁ。ちょっと感傷的に田舎で過ごしてみようと思って……」
ま、リーフェンシュタール領のやつは実質1年も居なかったけどね。
娘のことでただでさえ頭に血が昇っているのに、弟の無駄遣いを聞いたら兄の血管が切れそうなので、ハロルドは余計な事は言わないでおくことにした。
「まぁとりあえず、冬に寒さと雪で閉ざされる以外は良いところだよ。山の景色は綺麗だし、食べ物は旨いし。今のリーフェンシュタール伯も顔が怖いとか言われてるけど、人柄については悪い噂は聞かない。山賊だの野蛮だの言われるのは、リーフェンシュタール家を揶揄する常套句みたいなものだし。だから、多分死なない程度にはアデレードのこと気に掛けてくれると思うよ」
冗談なのか本気なのか分からない口調で喋った後、ハロルドは真顔になった。
「それに今回の強引な婚約破棄、サウザー家の坊ちゃんが妙に乗り気だったのが気になる」
「あの小僧が……」
マイヤール公爵の眉間の皺がより深くなる。
「それは確かか?」
「あぁ。おそらく何らかの形で関わっていると思うね」
ハロルドが放蕩を許されているのも、その交友関係の広さからマイヤール家にとって有用な情報を齎しているからだ。公爵家の密偵のような役割を彼は請け負っていた。
「あの男は厄介だから、全然関りのないところにあの子を置いてあげるのが良いよ。その点リーフェンシュタールなら問題ない。家風なのか、権力の中枢からは常に一定の距離を保っているからね」
「……」
「どうせ、兄上にとって居ないも同然なら、アデレードに新しい人生を生きる機会を与えてやったらどうだい? 生きるか死ぬか、一つあの子の強さに掛けてみようじゃないか、兄上」
何者をも恐れぬ行動力が姪っ子にはある。きっと面白いことになるだろうな。何せ、僕の一番のお気に入りだから。
公爵は弟の言葉をしばし吟味し答えた。
「……良かろう。敗北者として死ぬか、新しい人生を生きるのか、娘に選ばせてやる」
こうしてアデレードはリーフェンシュタール領に送られることになった。
その後、娘から幾度か手紙が来たので、何も言わず金だけ送った。少なくとも生きていく上で邪魔になることはない。
父として本心から娘の死を望んでいる訳ではなかったが、ただマイヤール家とは関係ない、新しい人生を歩むなら、変な情は却って邪魔になるだけだ。
どんな道を歩むのも、娘の自由なのだから。
……だから、結婚でも何でも勝手にすれば良い。
マイヤール家の広い書斎の中に2人の男性がいた。どちらも銀髪で背の高さも同じくらいだったが、片方は50代、もう片方は40代と年齢には差があった。2人は兄弟で、年嵩の方がアデレードの父であるマイヤール公爵、若い方が弟のハロルドだった。
「ふーん、でも婚約破棄なんて珍しいことじゃないだろう、兄上? 可愛い姪っ子のアデレードが傷つくのは心が痛むけど」
「……婚約破棄だけなら、な」
公爵が怒りを抑えながら言う。
「だけなら?」
「……」
自分の娘がしでかしたことを兄は弟に話した。恐喝、買収、舞踏会での大暴れを、である。
「あはははっ、やるねぇ。流石、僕の一番のお気に入り!」
アデレードの所業を聞いたハロルドは豪快に笑った。公爵とハロルドの間には他にも兄弟がいて、それぞれに子どもがいるが、その中でもアデレードはハロルドのお気に入りだった。
「笑い事かっ! 妻は余りのことに寝込んだんだぞ!」
青筋を立てて公爵が書斎のデスクを叩く。
「だって、まだ15,6の女の子だよ。良いじゃないか、別にそれぐらい」
「仮にもマイヤール公爵家の令嬢だぞ! 良いわけがあるかっ。あの恥さらしめ」
「自分の娘にそこまで言わなくても……」
ハロルドが呆れたように肩を竦める。
「それに兄上だって、あの王子のことは嫌っていただろう。何だったか、そう、優柔不断だの、頼りないだの」
「それでも、王族は王族だ。大人しくしていれば、やり様もあったものを」
アデレードが下手に暴れ回ってしまった所為で、却って工作がし辛くなってしまった。
「あれはもう私の娘などではない。公爵家にとって何の役にも立たんからな」
兄の言い草に弟は眉を顰める。兄は大貴族の長として幼い頃より厳しく育てられただけに、他人にも厳しさを求めるところがあった。
「それで、あの子をどうするっていうんだい?」
「本来なら今すぐ捨て置きたいところだが……どこかの屋敷にでも閉じ込めておけば良い」
「若い娘を一生監禁するのかい? それはちょっとやり過ぎじゃないか」
「足元を見て、娘を貰ってやっても良いという、貧乏貴族や胡散臭い金持ちが湧いて出てきているんだぞ!」
なるほど、プライドの高い兄にはそれも耐えられないってわけか。
そんなところに目を付けられたこと自体屈辱的なのだ。
「そんな連中にくれてやるくらいなら、死んでくれた方がマシだ」
「そこまで言うかね……」
兄の怒りは解けそうにないな。だからって、一生あの子が飼い殺しなんて可哀想だ。何とか立ち直る機会だけでも作ってあげたい。
そこでハロルドは考えた。
「私が建てた別荘の一つがリーフェンシュタール領にあるんだ。そこへあの子を連れて行ったらどうだろう?」
「リーフェンシュタール領だと? お前そんなところにも別荘を持ってたいたのか……」
呆れ気味に公爵がため息を吐く。ハロルドは正真正銘の遊び人で、舞台女優や踊り子と浮名を流すこと数えきれない。それにふらふらと旅に出ることもしばしば。当然結婚もしていないし、マイヤール家の豊富な財力をバックに放蕩三昧の日々である。
「あれは麗しのスカーレットに振られた時だったなぁ。ちょっと感傷的に田舎で過ごしてみようと思って……」
ま、リーフェンシュタール領のやつは実質1年も居なかったけどね。
娘のことでただでさえ頭に血が昇っているのに、弟の無駄遣いを聞いたら兄の血管が切れそうなので、ハロルドは余計な事は言わないでおくことにした。
「まぁとりあえず、冬に寒さと雪で閉ざされる以外は良いところだよ。山の景色は綺麗だし、食べ物は旨いし。今のリーフェンシュタール伯も顔が怖いとか言われてるけど、人柄については悪い噂は聞かない。山賊だの野蛮だの言われるのは、リーフェンシュタール家を揶揄する常套句みたいなものだし。だから、多分死なない程度にはアデレードのこと気に掛けてくれると思うよ」
冗談なのか本気なのか分からない口調で喋った後、ハロルドは真顔になった。
「それに今回の強引な婚約破棄、サウザー家の坊ちゃんが妙に乗り気だったのが気になる」
「あの小僧が……」
マイヤール公爵の眉間の皺がより深くなる。
「それは確かか?」
「あぁ。おそらく何らかの形で関わっていると思うね」
ハロルドが放蕩を許されているのも、その交友関係の広さからマイヤール家にとって有用な情報を齎しているからだ。公爵家の密偵のような役割を彼は請け負っていた。
「あの男は厄介だから、全然関りのないところにあの子を置いてあげるのが良いよ。その点リーフェンシュタールなら問題ない。家風なのか、権力の中枢からは常に一定の距離を保っているからね」
「……」
「どうせ、兄上にとって居ないも同然なら、アデレードに新しい人生を生きる機会を与えてやったらどうだい? 生きるか死ぬか、一つあの子の強さに掛けてみようじゃないか、兄上」
何者をも恐れぬ行動力が姪っ子にはある。きっと面白いことになるだろうな。何せ、僕の一番のお気に入りだから。
公爵は弟の言葉をしばし吟味し答えた。
「……良かろう。敗北者として死ぬか、新しい人生を生きるのか、娘に選ばせてやる」
こうしてアデレードはリーフェンシュタール領に送られることになった。
その後、娘から幾度か手紙が来たので、何も言わず金だけ送った。少なくとも生きていく上で邪魔になることはない。
父として本心から娘の死を望んでいる訳ではなかったが、ただマイヤール家とは関係ない、新しい人生を歩むなら、変な情は却って邪魔になるだけだ。
どんな道を歩むのも、娘の自由なのだから。
……だから、結婚でも何でも勝手にすれば良い。
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