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第4章 ホテルの個性的な客達
第66話 新たな客人
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マックスが帰ってから一週間ほど経ったある日の午後、アデレードとメグは庭に生えている雑草を刈り取り、マックスは薪を割っていた。
「ディマ、元に戻るのが大変だから、その辺りを掘り返さないで頂戴」
アデレードは隣で土を掻き出している愛犬に言った。すると、主人の言葉が分かったのか、穴を掘っていた前足を停めて行儀よく座った。そして村へ続く道の方を見つめている。
「どうしたの、ディマ?」
不審に思って、アデレードが顔を上げると、2頭立ての深緑色の車体の馬車が1台こちらに向かって来ていた。
「えっ……」
思わずアデレードは固まった。マックス以外の客が来ることなど、少なくとも今年は無いだろうと思っていたからだ。その馬車は悠然と道を進んで、ホテルの前庭に停まった。従者と思われる若い男性がするりと出てきてステップを出し車のドアを開けると、ゆっくりと一人の女性が降りてきた。その女性は深いバーガンディー色のドレスを着た黒髪の、20代後半と思しき美しい淑女だった。
着ているドレスも、着けている小物も、乗ってきた馬車も全部一級品だわ。どこかの貴族かしら? でも、貴族の女性にしては少し雰囲気が違うような……。
アデレードも貴族社会で暮らしていたので、貴族女性がどういうものかよく知っていた。だが、馬車から降りてきた女性は、優雅にお茶会や夜会を楽しむ人々よりも鋭い目をしている気がした。
それに貴族の女性が一人でこんなところまで来るなんて、普通はありえないわ。一体、どうして? どなたかしら? それに、ここでホテルをやっているなんて、領民以外で知っているのはマックスさんくらいなものですけれど……。
だが彼は1週間前に帰ったばかりだ。この女性がマックスから聞いて、ここへやって来るには期間が短か過ぎる気がする。アデレードの頭は疑問符でいっぱいになった。その横でディマが女性に向かって歩いていく。
「ディマッ……」
「あら、大きなワンちゃん」
アデレードは愛犬を制したが、女性は気分を害することもなく、ディマの頭を撫でた。悪い人ではなさそうだ。そして、アデレードに気付き、話し掛けてきた。
「ここはホテルと聞いたのだけれど、やっているのかしら?」
「え、えぇ、はい。もちろん!」
アデレードは急いで立ち上がり、エプロンに付着した土や草を払って、ホテルのドアを開ける。その女性は艶やかに微笑んで中へ入って来た。
「あら、中も素敵ね」
「あ、ありがとうございます」
続いて馬車の御者と先ほどの従者が荷物も持って入って来た。どちらも若く見目の整った男性だった。唖然とするアデレードに女性が悪戯っぽく笑う。
「それで、お部屋に案内して頂けるかしら?」
「っ、失礼致しました。お部屋はいくつ使用されますか?」
「そうね、私の分と部下の分、2部屋で良いわ」
「かしこまりました。部屋1階と2階があり、1階の2部屋は2人で使用タイプ、2階はメゾネット型で、4人まで使用出来る部屋となっております」
「じゃ、2階の部屋2部屋使っても大丈夫かしら?」
「はい。ではこちらに記帳お願いします」
アデレードはカウンター内に入り、宿帳を取り出して広げる。女性がそこへさらさらと名前を書く、カミール・シュミットと。
シュミットってどこかで聞いたような……あっ!
「あの、もしかしてリーフェンシュタール伯爵のお知り合いの……」
アデレードはその名前を思い出し、恐る恐る尋ねてみた。
「えぇ、そうよ。王都の夜会で会った際、彼とロイド家のお坊ちゃんが面白いことを言っていたのを思い出して、休養がてら来てみたのよ」
「そう、でしたか。それで……」
アデレードの疑問が氷解した。だから、シュミット夫人がここのことを知っていたのだ。
「それではお部屋にご案内致します。夕食の時間になりましたら、またお呼びしますね」
シュミット夫人とその部下達を部屋に案内し終えて、アデレードは音を立てないようにしながらも早足でカウンターまで戻った。そこには同じように緊張した面持ちでメグとクリスが待っていた。
「まずいわ。私達しか居ないと思ったから食材が足りないわね。クリス、今からゲンさんのところへ行って、何か仕留めてもらってきて頂戴。あとは明日に備えて、川の漁師に魚も届けてもらえるようにお願いしてきて」
「はい!」
「メグは……」
「私は野菜なんかを揃えてきますっ」
「えぇ、よろしく頼むわ」
アデレードは2人にお金を渡すと、互いに頷き合い走りだした。残ったアデレードは風呂に水を貯める為、裏庭の井戸に向かう。マックスのときは片方の浴室しか使わなかったので、それほど水汲みも大変では無かったが、今回は違う。
「本当に、あなたが手伝ってくれれば良かったのだけど……」
何度も井戸と浴室を行き来しながら、のほほんと庭で虫を追いかけているディマにアデレードは不満を零した。
「ディマ、元に戻るのが大変だから、その辺りを掘り返さないで頂戴」
アデレードは隣で土を掻き出している愛犬に言った。すると、主人の言葉が分かったのか、穴を掘っていた前足を停めて行儀よく座った。そして村へ続く道の方を見つめている。
「どうしたの、ディマ?」
不審に思って、アデレードが顔を上げると、2頭立ての深緑色の車体の馬車が1台こちらに向かって来ていた。
「えっ……」
思わずアデレードは固まった。マックス以外の客が来ることなど、少なくとも今年は無いだろうと思っていたからだ。その馬車は悠然と道を進んで、ホテルの前庭に停まった。従者と思われる若い男性がするりと出てきてステップを出し車のドアを開けると、ゆっくりと一人の女性が降りてきた。その女性は深いバーガンディー色のドレスを着た黒髪の、20代後半と思しき美しい淑女だった。
着ているドレスも、着けている小物も、乗ってきた馬車も全部一級品だわ。どこかの貴族かしら? でも、貴族の女性にしては少し雰囲気が違うような……。
アデレードも貴族社会で暮らしていたので、貴族女性がどういうものかよく知っていた。だが、馬車から降りてきた女性は、優雅にお茶会や夜会を楽しむ人々よりも鋭い目をしている気がした。
それに貴族の女性が一人でこんなところまで来るなんて、普通はありえないわ。一体、どうして? どなたかしら? それに、ここでホテルをやっているなんて、領民以外で知っているのはマックスさんくらいなものですけれど……。
だが彼は1週間前に帰ったばかりだ。この女性がマックスから聞いて、ここへやって来るには期間が短か過ぎる気がする。アデレードの頭は疑問符でいっぱいになった。その横でディマが女性に向かって歩いていく。
「ディマッ……」
「あら、大きなワンちゃん」
アデレードは愛犬を制したが、女性は気分を害することもなく、ディマの頭を撫でた。悪い人ではなさそうだ。そして、アデレードに気付き、話し掛けてきた。
「ここはホテルと聞いたのだけれど、やっているのかしら?」
「え、えぇ、はい。もちろん!」
アデレードは急いで立ち上がり、エプロンに付着した土や草を払って、ホテルのドアを開ける。その女性は艶やかに微笑んで中へ入って来た。
「あら、中も素敵ね」
「あ、ありがとうございます」
続いて馬車の御者と先ほどの従者が荷物も持って入って来た。どちらも若く見目の整った男性だった。唖然とするアデレードに女性が悪戯っぽく笑う。
「それで、お部屋に案内して頂けるかしら?」
「っ、失礼致しました。お部屋はいくつ使用されますか?」
「そうね、私の分と部下の分、2部屋で良いわ」
「かしこまりました。部屋1階と2階があり、1階の2部屋は2人で使用タイプ、2階はメゾネット型で、4人まで使用出来る部屋となっております」
「じゃ、2階の部屋2部屋使っても大丈夫かしら?」
「はい。ではこちらに記帳お願いします」
アデレードはカウンター内に入り、宿帳を取り出して広げる。女性がそこへさらさらと名前を書く、カミール・シュミットと。
シュミットってどこかで聞いたような……あっ!
「あの、もしかしてリーフェンシュタール伯爵のお知り合いの……」
アデレードはその名前を思い出し、恐る恐る尋ねてみた。
「えぇ、そうよ。王都の夜会で会った際、彼とロイド家のお坊ちゃんが面白いことを言っていたのを思い出して、休養がてら来てみたのよ」
「そう、でしたか。それで……」
アデレードの疑問が氷解した。だから、シュミット夫人がここのことを知っていたのだ。
「それではお部屋にご案内致します。夕食の時間になりましたら、またお呼びしますね」
シュミット夫人とその部下達を部屋に案内し終えて、アデレードは音を立てないようにしながらも早足でカウンターまで戻った。そこには同じように緊張した面持ちでメグとクリスが待っていた。
「まずいわ。私達しか居ないと思ったから食材が足りないわね。クリス、今からゲンさんのところへ行って、何か仕留めてもらってきて頂戴。あとは明日に備えて、川の漁師に魚も届けてもらえるようにお願いしてきて」
「はい!」
「メグは……」
「私は野菜なんかを揃えてきますっ」
「えぇ、よろしく頼むわ」
アデレードは2人にお金を渡すと、互いに頷き合い走りだした。残ったアデレードは風呂に水を貯める為、裏庭の井戸に向かう。マックスのときは片方の浴室しか使わなかったので、それほど水汲みも大変では無かったが、今回は違う。
「本当に、あなたが手伝ってくれれば良かったのだけど……」
何度も井戸と浴室を行き来しながら、のほほんと庭で虫を追いかけているディマにアデレードは不満を零した。
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