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第6話 新生活には子猫が必要

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 「まあ、奥方がそんなこと為さらなくても……」
 メイド長のジュリーが弱った顔でエレインに声を掛ける。次の日の朝からエレインは、ハタキを手に腕まくりして窓の埃を払っていたのだった。
「人手が居ないのですもの、やれる人間がやるのは当然よ」
 そう言いながら、エレインは廊下の窓を開け、埃を外へ出す。
「そんな……」
「気にしないで、ジュリ―。私がやりたいからやってるんだもの。だいたい私、部屋でのんびり過ごすって性に合わないの。貴族の令嬢ってわけでもないし」
「奥様……」
「さあ、ガンガンやるわよ。目指せ、幽霊屋敷返上よ」
 エレインが腕まくりをしてやる気を見せると、ジュリーが突然涙ぐみ目頭を両手で押さえた。
「うう~」
 嗚咽を漏らすジュリーにエレインは戸惑う。
「どうしたの?」
「うう、ようやくぼっちゃん、いえ、侯爵がこんな素晴らしい奥様を貰うことが出来たなんて……」
「素晴らしいなんて大袈裟よ」
 ジュリーの背中を優しく撫でて、エレインが宥める。
「別に自分がしたいことをしているだけなんだし」
「そんなことはございません。侯爵はそりゃあ、感じの良い人で穏やかで優しいのに、誰にも理解されなくて……ううっ、可哀そうな坊ちゃん……」
 ハイラムが生まれる前から侯爵家に仕えているジュリーにとって彼は息子同然のような気持ちを持っているようだ。

 ……まあ、見掛けよりずっと良い人なのは事実よね。ただ、確かに侯爵を詳しく知ろうと思う前にあの不気味な仮面を見たら、皆近寄りたがらないだけで。

 エレインだってあんなアクシデントが無ければ、話し掛けようとも思わなかっただろう。
「さあ、泣かないでジュリー。侯爵のことは分かったから」
「はい。そうですね……」
 涙を吹いたジュリーが何度も頷いて、洗濯に戻って行った。エレインは掃除を再開して、窓の埃を叩き、空気を入れ替えるべく窓を開ける。すると、下から草の擦れる音がしてエレインは何だろう、と窓から顔を出す。好き勝手に生い茂る雑草の中で何かが動いているかのように、一部だけガサガサと揺れている。
「何か居るのかしら……これだけ草が伸び放題なら、鼠とか狐とか蛇とか居てもおかしくないわね……」
 恐々注視していると、茂みの中から二―二―と鳴き声がした。
「……もしかして、猫かしら?」
 エレインは階段を降りて庭へ出て、鳴き声のする方へ草を掻き分けて進むと、小さな体を震わせる黒い子猫がいた。
「あら……どこかから迷い込んだのかしら? 他にも子猫がいるかも?」
 辺りをきょろきょろと見回すが、親猫や他の子猫がいる気配はない。迷い込んで来たのか、誰かに捨てられたのか。
「どうしたら良いのかしら?」
 とりあえず侯爵に相談しようと子猫を抱き上げた。子猫は特に暴れたりせず、エレインの腕に捕まっている。ここに置いておいても烏や猛禽類の餌になるだけだ。
「侯爵が飼っても良いと言って下されば良いけど」
 子猫を撫でながら屋敷に入ると、丁度部屋から出てきたハイラムと出くわす。
「きゃっ」
 エレインは驚いて小さく叫んでしまった。まだ慣れないせいか、断末魔の叫びを上げる仮面をいきなり見せられるとびっくりしてしまう。

「驚かせてしまってすみません」
 ハイラムは衝動的に謝る。こういうことには慣れっこのようだった。
「あ、いえこちらこそごめんなさい。それで、侯爵、あの……」
「どうしました、エレインさん?」
「これ、なんですけど……」
 そう言って、エレインは黒い子猫をハイラムの目の前に掲げる。
「猫?」
「そうなんです。さっき、庭で鳴いてるのを見つけて、放っておくことも出来なくて……」
「飼いたい、ということですか?」
「はい。駄目でしょうか?」
 子猫と一緒になって、エレインはハイラムを見上げる。その様子が何ともおかしい。ハイラムは仮面の下で少し笑ってしまった。
「良いですよ。子猫の一匹くらいなら我が家でも養えますからね」
 ハイラムが子猫を撫でようと身を屈め手を伸ばすと、子猫は驚いてシャーっと牙を見せ威嚇の表情をし、彼の手を引っ搔こうと爪を出して前足をバタつかせた。
「こらこらっ」
 エレインが宥めるように子猫の背中を撫でてつつ、ハイラムから離れる。
「やっぱり、動物にも嫌われるんですね……」
 ハイラムは手を引っ込め、悲しそうに呟いた。エレインは焦った顔で取り繕う。
「だ、大丈夫ですよっ。ちょっと怖かっただけだと思いますしっ……きっと、慣れたら懐いてくれますよっ」
「気を遣わなくても良いんです、エレインさん。どうせ私は誰にも好かれませんから……」
 ずーんと沈んだ空気を醸し出すハイラムにエレインはどうしようっと苦し紛れに咄嗟にある提案をする。
「そ、そうだっ。この子に名前を付けてみたらどうでしょう? きっと仲良くなれますよ」
「名前ですか……」
 ちょっと気を取り直して、ハイラムはうーんと考え始めた。
「そうですね……アローネ、なんてどうでしょう?」
「アローネ?」
「はい。100年以上生きた伝説上の猫の名前です。他に名前が思い付かなくて……」

 100年以上生きた猫って、化け猫か何かかしら? そんな猫の名前を付けるなんて、侯爵は変わってるわ。

「でも、そのくらい長生きしてくれたら良いですね」
 エレインが笑って、子猫の顔を覗き込むと、青い目がキョトンとエレインを見つめ返す。
「あなたは今日から、アローネよ」
 子猫は分かっているのかいないのか、ニャーと鳴いた。



 ***



 子猫のアローネは元気いっぱいだ。侯爵家の屋敷を毎日走り回り、カーテンや柱を引っ掻き、本や置物を床に落とし、好きなところで寝る。

 猫ってこんな元気なのね。知らなかったわ。なんかもっとのんびりしてるイメージだったけど。これではさらに荒屋敷化が進んでしまうわ。

 などと危惧しているが、エレインもハイラムも屋敷の者達も猫の可愛さに全部許してしまうのだった。そして今日もエレインは屋敷の中で行方不明になっているアローネを探していた。
「アローネ、どこにいるの? ミルクの時間よー」
 エレインが広い屋敷の廊下を歩いていると、近くの部屋からニャーと鳴き声がする。扉が少し開いていたので、その隙間から部屋に入ったようだ。
「駄目じゃない。勝手に部屋に入ったら……ぎゃっ!」
 子猫に言ってもしょうがないことを口にしてエレインは中に入ろうと扉を開けた瞬間、思わず叫んだ。カーテンが閉め切られた薄暗い部屋には髑髏や骸骨、不気味な仮面や人形、何に使うのかよく分からない器具の数々や、不可思議な紋様が刻まれた護符らしき物、ガラスの瓶に入った植物……等々おどろおどろしい品々が籠った空気の中、所狭しと並んでいた。

 なに、この部屋? 呪いのグッズみたいなものばっかりじゃない? はっきり言って、リード侯爵の仮面ぐらい薄気味悪いわ。やっぱり呪われるんじゃ……。

「エレインさん、アローネは見つかりました?」
「きゃー!やっぱり呪われるっ!」
 アローネを探すエレインの声を聞いてやって来たハイラムがひょこっと扉から顔を出す。それを振り返ってみたエレインは驚いて再び叫んだ。
「エレインさん、落ち着いて下さい。これには訳が……」
「こんな怖い物集めるのに、呪術いを行う以外にどんな訳があるって言うんですかぁっ」
 エレインは涙目でハイラムの両腕を掴んで揺さぶる。
「落ち着いて……これは呪いを解こうと色々集めた物なんですよ」
「え?」
 とりあえず動きが止まったので、ハイラムはほっと息を吐いた。
「以前話したと思いますが、私の父は私に掛けられた呪いを解こうと、効果かありそうなものは何でも試したり、買い込んだりしていたんです」
「それが、これですか……」
 ハイラムから手を離し、改めてエレインが周囲を見回すがやはりどう考えても不気味な呪物にしか見えない。
「何だかもっと呪いが強くなりそうですけど……」
「これらには何の効果もありませんよ。安心して下さい。とりあえず空いてる部屋に仕舞っているだけですから」
 ハイラムの仮面が外れていない、ということはつまりそういうことなのだ。
「なるほど……」
「父が見境なくこれらを集めたのも、我が家の財政を圧迫した要因ですね」
 つまり適当に言い包めれば何でも買ってくれると知った悪徳商人から偽物を色々掴まされた、ということだろう。
「それだけ父も必死だったと思いますが」
「それは……大変でしたね。でも、これだけ揃っていると、まさに”ヴンダーカンマー”ですね」
「ヴンダーカンマー?」
 聞き慣れない言葉にハイラムが聞き返した。
「はい。何でも驚異の部屋って意味らしいです。貴族が自分の集めた珍しい古美術とか芸術品のコレクションを人々に見せる為の部屋のことです」
「なるほど」

 まあ、この部屋は驚異の部屋、というよりは恐怖の部屋というか、お化け屋敷みたいな感じですけど。

 心の中でそう思ったが、エレインは口には出さなかった。
「しかし、この部屋はしばらく閉めてたはずなんですが……アローネはどうやって入ったのでしょうか?」
「誰かが掃除の為に開けたかもしれませんね。あら、アローネ」
 足元じゃれついてきたアローネをエレインが抱き上げる。
「勝手に入って悪い子ね。さあさあ、ごはんの時間よ」
 子猫を抱いたエレインとハイラムが部屋を出ていく。
「そう言えば、侯爵に呪いを掛けた占い師に謝って呪いを解いてもらうことは出来ないんですか?」
 廊下を並んで歩きながら、エレインがふと気になったことを聞いた。
「私を呪った次の日にはもう居なくなっていました」
「まあ……」
「勿論行方を探しましたが、未だ噂すら聞いたことがありません」
「そうだったんですね。あまり期待は出来ませんけど、実家にも聞いてみます。商人ですから色々噂も入って来ますし、人伝に情報を集めるのも何かと便利ですから」
 ただ、エレインの実家カールソン商会は大きな会社だが、魔法や魔術については門外漢なので、正確な情報が得られるかは正直不透明だ。
「ありがとうございます」
「その人の名前とか特徴とか何かありますか?」
「父の話では、名前はマリア。正確な年齢は分かりませんが、20代半ばくらいだそうです」
「これと言って特徴はありませんね……」
 別段珍しくないマリアという名前に20代女性なら当てはまる人は多いだろう。
「見た目は、真っ直ぐな黒髪に、それはそれは透き通るような青い目で、吸い込まれそうだったと」
「なるほど……それでも厳しいですね」
 エレインは難しい顔になった。黒髪に青い目も決して珍しい色ではない。探すのはさぞ難儀したに違いない。
「はい。それに相手は力量のある魔女のようですし、見た目も果たして本当かどうか……」
「侯爵に解けない呪いを施すような力のある魔女なら、見た目を変えるくらい朝飯前ってことですよね……」
 うーん、とエレインが考え込んでいると、腕にいるアローネが欠伸をした。抱きながら運ばれているので、眠くなってきたようだ。
「そう言えば、あなたも黒い毛に青い目ね。同じ特徴の誼であなたがその魔女を連れて来てくれたら良いんだけど」

 勿論無理なことは分かっているので、茶化すようにエレインは笑ってアローネを撫でると、子猫は気持ち良さそうに目を閉じた。
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