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花火大会でおしがま
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「ん、……っ」
俺は最後の一口をぐっと煽ると、空になったミルクティーのペットボトルを机の上に置いた。既にそこに置かれている2本分の空のペットボトルも、この2時間ほどで俺が飲み干したものだ。500mlの水分を短時間で3回も摂取する羽目になった俺の腹はかなりたぷたぷしていて、気を抜けば吐き気が込み上げてきそうなほどであった。
視線を上げると目の前には、さりげなく微笑みを見せる愛しの先輩の姿があった。その格好良い微笑みの奥に、満足げな、いやらしい笑みを垣間見る。
「全部飲んだ?」
「っ、はい、飲みました……」
「よし。じゃあ行こっか」
先輩はそう言うと立ち上がり、そそくさと外出の準備を始めた。いつも外出する時と同じような言いぶり。あまりにも自然なその振る舞いが逆に俺の不安と緊張を誘う。
ちらりと窓から外の景色を眺める。俺がペットボトルと格闘している間にもうすっかり日は落ちていて、薄い暗がりに点々と星が輝き始めているようであった。けれどその暗闇の中に、いつものような静けさはない。
準備万端な先輩を横目に、俺はその場から動くのをぐずぐずと躊躇っていた。
「ねえ、やっぱやめません?こんなの……」
「何で、花火大会楽しみって前から言ってたじゃん」
「言いましたけど!そうじゃなくて」
「早くしないと始まっちゃうよ」
「で、でも……」
俺たちが同棲しているアパートの近所では、毎年この時期になると大規模な花火大会が開催される。演出の規模が大きいのは勿論のこと、その派手さから年を追うごとにどんどん人気を博していき、今や交通網にすら大きなインパクトを与えるほどのビッグイベントと化していた。しかし俺も先輩も忙しさ故に毎年このイベントを他人事のように思っており、(俺に至っては地元民にもかかわらず)一度も足を運んだことが無かった。だが今年は運良く2人ともスケジュールが合い、たまには恋人らしいことをしてみたいという我ながら無垢な感情から先輩を花火大会に誘ったわけである。
ところがこの有り様。水分をたらふく取らされたということは、つまり。
「行こう?」
ね、とおねだりするような可愛い顔。そんな顔をされるともう駄目だった。俺は先輩の顔にとことん弱い。
「……はい」
大好きな顔の可愛い表情に気圧された俺は断ることなんて当然できず、最低限の荷物を持って立ち上がった。
*
「やっぱめちゃくちゃ混んでるねー。そりゃ毎年ニュースにもなるわ」
「……そーですね」
あと十数分で始まるというのに、道端に形成された特大の大行列は先程からのろのろとしか前に進んでいない。これでは会場に辿り着くことなく開始時間を迎えてしまうだろう。が、いま目の前に差し迫っている問題はそこではなかった。
Tシャツの裾をもぞもぞと弄っていると、先輩が不思議そうな「フリ」をして俺を窺う。
「どうした?」
「……」
「大丈夫? 言わなきゃわかんないよ」
分かってるくせに。あんなに大量の水分を、しかもカフェインが含まれていそうな飲み物をわざと選んで飲ませておきながら、何をとぼけたことを。そんな悪態は心の奥底でぐっと堪え、俺はぼそりと今の悩みを打ち明けた。
「トイレ、行きたい……です」
改めて自分の欲求を口に出すと頬に熱が集まる感覚がした。そんな俺を見て「そっか」と相槌を打つ先輩の表情は、ようやく本性を表したかのようにニヤニヤとしている。先輩の思惑通り、俺はこの身動きの取れない大群衆の中で尿意を催したのである。
実のところ、家を出て10分後くらいにはほんのりと尿意を覚えていた。最初に飲んだ分がやってきたのだろう。このくらいの距離だし、開始時間まではまだ時間があったのだから家に戻ってトイレに出直せば良いものを、俺はそうはしなかった。コンビニも何件も通り過ぎた。もとより花火大会中はトイレの貸出を禁止している可能性もあったが、それを確かめることもせずコンビニを無視した。この先もっとトイレに行きたくなることくらい簡単に想像がついたけれど、気付かないふりをしてこの大行列に挑んだ。理由? そんなの、先輩がそう望んでいると理解しているからに決まっているだろう。先輩の魂胆なんてわざわざ言葉にしなくても俺には分かる。
「どうしよっか、会場までトイレ無いと思うけど」
「…………大丈夫です、我慢できるんで」
分かり切ったことを改めて告げられると、現実が突き付けられている気分になる。同時に、いつ解放できるか分からない欲求がもやもやと腹の中で渦巻いて、焦りと不安がどっと増した。正直、結構もう「したい」のである。だってこれはいま芽生えた欲求ではない。ここに来るまでずっと誤魔化し続けてきた欲求なのだ。
3歩進んでは5分待機の繰り返し。前に進むわけではないのに、その場でトントンと小さく足踏みをしてしまう。無意識のうちにTシャツの裾をいじくりまわしていたようで、そこそこ気に入って着ていたのにしわくちゃになって生地が少し伸びてしまった。
とくん、とくんと膀胱の中に尿が溜まっていく感覚。あれだけの水分を自ら口にしたのだから当たり前だ。あの時自分がどれだけの水分を摂取したのか、嫌と言うほどこの目にしっかりと焼きつけてきた。だからこそ、それらがこれから全部尿に変換される未来を想像して思わず身震いを起こした。あんな大量の小便を抱えるなんて、無理に決まっている。でもここまで来てしまったやるしかない。もう物理的に戻ることができないのだから。
「道、全然進まないね」
「ん……」
先輩がまだ見ぬ遠くの目的地を眺めながら呑気なぼやきを零す。まだまだ我慢が続くことを暗示されているようで、俺はそっと目を伏せた。
こんなクソ暑い中で知らない人同士が密集している環境をこの時ばかりは感謝した。人と人との距離が近いので傍からは見えていないと思うが、もうじっと止まっていることはできなかった。動いていないと下腹部がしくしくと疼いて仕方ないので、紛らわせるために内腿に力を目いっぱい込めて擦り合わせている。まるで立っているのが疲れたとでも思わせるように無駄に脚を上げて静止してみたりするが、そういう時に限って列が動くので慌てて前に進むしかない。あいにく周囲の人間も浮足立っていて俺のことなんかまるで視界に入っていないのが幸いだった。
(駄目だ、思ったより我慢きつい……)
心なしか尿意が強まるスピードがぐんぐんと速まっているような気がする。トイレに行きたい。出来れば、今すぐに。気付けば、さりげないつもりだった足踏みは自分でも分かるほど大胆になっていて、自覚した途端急に恥ずかしくなった俺は下半身の動きをぴたりと止めた。そんな俺を見て、先輩がふっと笑う。
「誰も見てないよ」
先輩が耳元でそう囁く。空気だけのその声がこそばゆくて背中がぞくぞくすると同時に、かああと顔が熱くなった。全部見られている。誰も見ていなくても、先輩が俺のことをずっと見ている。考えを見透かされたような気分だった。誰も見ていない、そう言われるとなおさら恥も外聞もなく不格好なことをしようなんて思えず、地に目を伏せたままその場でぐっと堪えた。しかし、人の生理現象というものは意地が悪いもので、そうやって意識すればするほどこれでもかというくらいに存在を主張してくるらしい。ふいに性器がむずむずとし出して、膀胱がぎゅううっと絞られるような感覚に襲われた。
「っ、く……ッ」
また勝手に膝が曲がってしまう。内股になって情けなくもじもじとする姿は、まるでトイレを我慢できない子供さながら。少し腰を後ろに突き出して下半身をもじもじと揺らしてしまうのを、真横でしっかりと見られていると思うと最悪だった。スウェットの太腿部分をぎゅっと握り締め、気合を入れろと自分の身体を叱咤する。が、そんなことよりトイレに行きたい。
(どうしよ、やばい……)
周りを無意識に見回しても、景色は先程からほとんど変わっていない。当然、用を足せる場所なんてない。はああ、と吐いた溜息が震えているのが自分でも分かった。
トイレ、トイレ、トイレ。早く、おしっこがしたい。くの字になって尻を振って、その姿を隣で先輩が見ていて。本当ならとんでもない屈辱なはずなのに、息が荒くなるのは何故なのか。腹の中で水面が揺れる感覚。膀胱がきゅんと甘く疼く。危うく緩みそうになる下半身を必死に締め付け、細かい足踏みをぱたぱたと繰り返した。
すると突然、腹の奥底から背筋にぞくぞくぞくっ!と戦慄が走った。直後、突如ぐんと高まる尿意。
(あああっ、なんかやばい、急に……!!)
おしっこが膀胱の中でばしゃばしゃと暴れ狂っているかのような尿意の波。尻を思い切り突き出して八の字にくねくねと振って、波を打ち消そうと抗う。今までの容量が80%くらいだったとしたら、急に90%くらいに跳ね上がったくらいに突然のことだった。受け入れ態勢が整っていないところに訪れた、この打ち付けるような激しい排泄欲求。本来であれば間違いなくトイレに駆け込むレベルで高まっている尿意に、もはやトイレのことしか考えられなくなっていた。早くおしっこがしたい。トイレしたい。トイレ、早く、もう我慢できない。
そんな焦りがますます欲求を引き出す。性器の先がきゅんと震え、水門を勝手に開こうとし始める。
(やばいっ!!!!)
一瞬、小便器の前に立っているあの時のような感覚に見舞われて、解放手前独特の快感に身震いしそうになった。腰を左右に揺らし、前後に振り、膝がどんどん曲がっていく。下半身の筋肉に力を全集中してきつく締め上げても、股間のむずむずは激しさを増す一方であった。
どうしよう。もうこれだけの我慢じゃ足りない。ちんこ揉みたい。でも外で、先輩が見ている横で、そんな下品な格好したくない。でも、ちんこがむずむずって、おしっこがなだれ込んできそうで。どうしよう、ちんこ揉みたい、押さえたい、でもこんな外で堂々となんて。
(あっあっあっあっ、やばい、おしっこ、……っ!!)
悩んでいる間もますます尿意の波が容赦なく攻め立ててきて、俺はぐねぐねと腰を捩ってしまう。かと思えばばたばたと足を踏み鳴らしてしまう。心臓がどくどくと鳴るのに合わせて、焦りから尿意もどくどくと膨らんでいるような気さえする。今この場で出来る我慢の仕方を全部絞り出しながら、俺は理性と葛藤していた。あっ、あっ、あっ、もう、おしっこが、もう……!
こういう時の閃きは火事場の馬鹿力と同じなのだろう。俺はひとつの考えが思い浮かぶと、スウェットのポケットに手を突っ込み、その中で己の性器を思い切り掴み、高速でそこを揉みしだいた。
「う゛、……っ、ふうぅ……」
「……」
緩いスウェットを履いてきて本当に良かった。命拾いした、そう思う反面、自分がこんな下品なポーズをとっていることが情けなく感ぜられた。
絶対、先輩にはバレてる。怖くて確かめられないけれど、視線は絶対にこちらを向いている。又の間に手を突っ込んで、震えるちんこの先をぐにぐにと摘まんで、捏ね繰り回して、竿を握っているのをしっかり見られている。布一枚隔てて、先輩はきっと俺の一挙手一投足を全部見透かしているのだ。そう理解していても、揉むのをやめられない。
敢えて見ないようにしていた先輩の顔が、ぬっと耳元に近づく。そして何かを企んでいるような含みのある笑みを浮かべて、そっと囁いた。
「ねえ、どっかのお家でトイレさせてもらう?」
「は……?」
「あそこの家にもあそこの家にもトイレあるよ? こんな近くにトイレできる場所あるんだから貸してもらっちゃえば?」
「な、先輩、何言って……」
「おしっこ漏れそうなんでトイレ貸してくださいーって言えば貸してくれるよ。あ、そんなもじもじしてたら限界なんてわざわざ言わなくても分かるか? でもそんなの、見ず知らずの人におしっこが漏れそうですって宣言してるようなもんだよね。子供が出てきたらどうする? 若くて綺麗な女の人だったらもっと恥ずかしいね?」
「っ、や、やめ、……っ」
「しかもこんなに沢山の人が見てる中でさあ、もじもじしながら人掻き分けて、トイレ貸してくださいって人ん家に凸ってさあ。いろんな人におしっこ我慢してるのバレちゃうね。もし断られたらそこからいろんな人がお前のことずーっと見るようになって、あの人おしっこできなかったんだ、かわいそー、漏らしちゃうかなってずっとじろじろ見てくるの。てかここ地元でしょ? もしかしたら友達が見てるかもよ?」
「……っ!」
……最悪な誘惑だった。俺がその手の話に乗るわけないことくらい、先輩は分かっているはずだ。つい最近SNSで、花火大会の会場付近の民家にトイレを借りに来る観光客が後を絶たず、地元民が非常に迷惑しているという投稿を見掛けた。ついでに人の家の前で立ちションする馬鹿もいて、下手したら裁判沙汰になるだろうと鼻で笑ったのは記憶に新しかった。その投稿は先輩と一緒に見たものだ。第一、自分で言うのも悲しいがプライドの高い俺がそんな屈辱的な行動をとれるはずがないことだって、先輩は分かっている。分かっていながら、わざとそんなことを言っている。
……近くにトイレがある。周囲を見渡せば一軒家ばかり。あの家にも、あの家にも、確実にトイレは付いているだろう。すぐ目の前に確実に排泄できる場所があるのに、できない。
「ねえ、どーする?」
「そんな……、っ、するわけ、ないでしょ……っ」
「……うん、偉いね」
いま一番欲しているのを目の前で取り上げられている、そんな感覚が頭を支配して、焦りやらもどかしさやらで目頭がツンと熱くなった。尿意との攻防にいかほどの時間が経過したのか分からなかったが、少なくとも見える景色が先程と大差ないのは確かだ。目的地までは、まだまだ遠い。
*
どこで何が滞っていたのか俺の与り知ったところではないが、急に列がすいすいと動き出した。それはそれで困ったもので、先輩とはぐれないよう必死に隣を占拠して歩く。先程までポケットの中で性器を握っていた手の平は、人混みに紛れて先輩の指と絡められている。
そこから会場に辿り着いたのはあっという間だった。本当は花火がよく見えるベストポジションで場所取りをしたかったが、そんな悠長なことを言っている場合ではなかった。立ち並ぶ出店に見向きもせず、俺たちは別の場所を目指す。
が、それらしきものを見つけた瞬間。俺の顔面から、さああと血の気が引いていった。
「うそ……」
「あー、結構列長いな」
仮設トイレに続く長蛇の列。本当にこれが男子トイレかと疑うほどの人数に、後ずさりしてしまう。しかもこんな大規模なイベントなのに、たった10個しか男性用の仮設トイレは設置されていない。ここにいる人たちは果たして全員小用なのか。いや、そうとも限らない。だとしたらあと何分待たされるのか。ずくん、と腹の中身が重くなった気がして、列を眺めながら小さく地面を踏んでしまう。助けを求めるようにちらりと先輩の顔を覗くと、どこか嬉しそうに口元を緩ませているのが目に入った。
「並ぼうか」
その言葉は決して、助けでも何でもなかった。期待と真逆の発想に、俺は性器をぎゅっと握り締める。
「そんな、俺もう……っ」
「並ぼう?」
その言い方は、絶対に言うことを聞かせてやるという強い意志を持ったものだった。俺に断る権利なんか与えないという意志。いや、元からそんなもの俺にはなかった。そして案の定、俺はぐっと息が詰まる。
(こ、こんなの、間に合うわけない……)
けれど、先輩が言うから。好きな人がそう言うから。自分でも馬鹿だと分かっているけれど、俺はその列のいちばん後ろについた。
先程の道とは違ってそこまで人が密集していないエリアだ。大胆なことをすればすぐに人目に付くし、何より、トイレの列に並んで「そういう仕草」をしているとなれば「そういうこと」だって丸わかりだろう。そんなみっともない姿、みすみす晒すわけにはいかない。俺はぴたりと両脚をくっつけ、身動きを最小限にしてその時が来るのを待つ。だがそんな強がりがいつまでも続けられるわけもなく。
(~~~~~~っやばい、めっちゃおしっこしたい!!!!)
地面を見つめ、は、は、と浅い呼吸を繰り返す。呼吸に意識を向けて尿意から気を逸らそうと、一定のリズムで短い呼吸を繰り返す。しかしそんな小さな足掻きでは到底この欲求を掻き消すことなんかできず、むしろ心拍数がどんどん上昇するみたいで、ますますおしっこがしたくなる。周囲から気付かれないくらいごくわずかにもじもじと擦り合わせていた内腿が、徐々にすり、すり、と摩擦音を立ててしまう。土の地面が擦れる音が鳴る。
そして、最も恐れていた事態。こんなにも蒸し暑い夜なのに、突然、ぶわああと鳥肌が立つ。
(やばいやばいやばい、今は……!)
腹の中にたんまりと溜まった液体が、あと少しで一気に溢れ出しそうな液体が、小さい膀胱の中でじゃぼじゃぼと荒波を立てる。俺は反射的に腰を落とし、くねくねと左右に振ってしまう。
「ん、っ、……っ、はあぁ……っ!」
最初は全力で下半身にきつく力を込め、くね、くね、と小さく身を捩るだけに留めていたのに、おしっこが尿道に押し寄せる感覚がするといよいよ駄目で、膝をぐっと曲げてしまう。
(まじでやばい、まじで、これ……っ、漏れる!!!!)
(もーだめ、ちんこ揉みたい!!!!あああ、もう我慢できないっ)
俺はついにポケットの中に勢い良く手を突っ込み、おしっこがしたくて堪らないちんこを鷲掴みにした。先端をぐちゃぐちゃに摘まみ、痛くなるほど竿を握り締める。なのに尿道口が勝手に開きそうになって。ほんの少し緩んだ隙に、水圧がのしかかる。
「まって、あっ、あっ、あっ……!」
ペットボトル3本分の濁流。ちんこの先がかっと熱くなって、ひくひくと疼いて。がばがばになった括約筋ではどうにもならない。勢い良く揉みまくって、物理的に水門を塞ぐ。なのに、膀胱がきゅううん、と激しく収縮して。
(ちびる!!!!!!!)
———しょろろ……
「~~~~~~~~~~~っ、はああっ!!!」
下着にじわりと湿り気を帯びる。俺は腰を思い切り後ろに突き出し、大波を迎えた。
(うそ、出た、漏れた、うそだ、こんなっ)
(ま、まって、また、あっあっあっ、だめ、あっあっあっあっ、ちびる、~~~~~~~~~っっ!!!!)
———しょろろろ……
「あああ……っ!!!」
ポケット越しに下着の水分が手に伝わる。ついにやってしまった。こんなところで「おちびり」をしてしまった。だがそれに羞恥を覚えるほどの余裕も理性も無かった。は、は、と浅い呼吸で、これ以上零れないように耐える。
もうちんこからは手を離せない。離したら漏れる。トイレに辿り着くまで、また何回もちびってしまう。それどころか、全部出てしまう。もう限界だった。
おしっこがもう一度飛び出る感覚に全身を震わせた後、俺は「先輩……」とか細い声を上げた。
「おれ、ほんとに無理……っ」
自分でもびっくりするほど、蚊の鳴くような情けない声。でも、もう無理。
ところが先輩は、俺の言葉を聞いても、ただ「ん?」と言うだけだった。この人、聞く気がない。必死に目で訴えても、にっこりと笑い返すだけ。その間にもまたおしっこが飛び出す。
(やばい、ほんとにもう……!)
俺が小さく「あっ」と声を上げる。すると先輩は、俺の耳元に唇をそっと近づけた。
「我慢できない?」
「できない、も、だめ……、漏れる……」
先輩がくつくつと喉を鳴らす。その吐息がくすぐったくて、またちびりそうになった時だった。
「おいで」
ぐい、と腕が引っ張られる。強制的に列を抜けさせられた俺は、先輩が歩くままに引っ張られていった。
「まって、ねえっ、先輩どこに」
「おしっこできる場所連れて行ってあげるから」
人波に逆らってひたすら進む。あと数分で始まる花火大会。これから見る景色に心を躍らせる人、アルコールに馬鹿騒ぎする人、浴衣で着飾っている人、大切な人と大切な時間を過ごしている人。誰もがあと数分後の夜空に期待を寄せている中、俺ら2人だけが別の次元にいる。俺らだけ、自分たちのことしか見えていない。
「ここら辺でいっか」
「え……?」
気付いた時に辿り着いていたのは、人気のない駐車場だった。
ここで一体何を。そう思っていると、後ろからぎゅうう、ときつく抱き付かれる感覚。はっと振り返れば、先輩が俺の背中に抱き付いていた。
「っ!? え、先輩!?」
「んー……」
「ちょ、はなしてっ、ねえ!!」
いま刺激を与えられたらヤバい。もう表面張力ぎりぎりで耐えているようなもの。少しでも予想外の刺激が来たら全部溢れてしまう。俺はもはやパニック状態だった。
(も、も、もれるっ、もれる、もれる!!!!)
(おしっこおしっこおしっこ、もうがまんできないっっっ!!!!)
———じょろ、じょろろ、じょろろ……
先輩の腕の中で連続でおちびりする。いや、これはもうおちびりなんかじゃない。迸るほどのおしっこ。緩いスウェットの間で太腿に水流が垂れている。
「いやだ……っ、もれる、漏れるから!」
必死に訴えても、先輩はそこから退こうとはしない。俺は先輩の腕の中で、これまでの比ではないくらい勢い良くちんこを揉んだ。おしっこを垂らしている先端を高速で揉みしだき、握り潰し、捏ね繰り回す。それでももう、効かない。
(漏れる漏れる漏れる漏れる漏れる、漏れる!!!!!!!!!!!)
先輩が密着している背中がぞくぞくとして、堪らず腰をくねくねと捩らせる。俺のもじもじする仕草が全部先輩に伝わっているのも分かっていて、やめられない。じたばたと忙しなくコンクリートの地面を踏み鳴らす。なのに、おしっこが噴き出る間隔がどんどん狭くなっていく。
「……」
先輩はただ抱き付くだけで、それ以外は何もしてこない。俺が腕の中で足掻いているのが面白いだけなのか。それにしても不自然なまでに静かなのが、おかしい。けれどそこから抜け出せるほどの余力なんて残っていない。その時だった。
Tシャツの中にすっと入り込む、手。そして下から、脇腹をすうっとなぞり上げられる。
(~~~~~~~~~~~~~っ!!!!!!)
腰を目いっぱい突き出して、脚をクロスして静止する。なのに下半身から力が緩んで、尿道口がかっと熱くなって。性器の先が大きく、戦慄いた瞬間。それはついに訪れた。
———じょわああああああああああああああああああああああああああ…………!!!!!
「あああぁぁぁぁ……っ!!!」
下着の中で熱水が渦巻いて、手の平に当たり、落ちる。手の平からばしゃばしゃと溢れ出るおしっこ。性器を揉んでも、もう水流は止まらなかった。
好きな人の腕の中で、野外で、服を着たまま放尿している。全部が狂った状況なのに、おしっこを止めることができない。自分の意志とは関係なく噴き出ていくおしっこに、もはや身を委ねるしかなかった。
———じょおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ…………
「はあっ、はあっ、はあぁ……っ」
最悪だ。全部が最悪なのに。腰が砕けそうになるほど、気持ちいい。おもらししているというのに、無意識に腰を前に突き出している。どこかで誰かが見ているかもしれないのに、下品におしっこを垂れ流している。かくん、と膝が落ちそうになる。すると先輩がすかさず俺の背中を更に強く抱き締めた。そして、肩のあたりに顔をぐっと埋める。
(どーしよ、きもちい……)
———じょおおおおおおおお、じょおおおおおおおぉぉぉぉぉぉ…………
じょろじょろと無様に垂れるおしっこはまだ止まりそうにない。
その時、重く鈍い轟音と同時に、ぱっと辺りが明るくなった。
「あ……」
ぱらぱらと火の粉が落ちる音の次に、再び花火が打ちあがる音。俺はそれを見上げることは出来なかった。それは、俺の背中に顔を埋めている先輩も。楽しみにしていたはずの花火大会だったけれど、そんなことよりも今は、この身体に溜まっている熱で頭がおかしくなりそうな心地だった。
おわり
俺は最後の一口をぐっと煽ると、空になったミルクティーのペットボトルを机の上に置いた。既にそこに置かれている2本分の空のペットボトルも、この2時間ほどで俺が飲み干したものだ。500mlの水分を短時間で3回も摂取する羽目になった俺の腹はかなりたぷたぷしていて、気を抜けば吐き気が込み上げてきそうなほどであった。
視線を上げると目の前には、さりげなく微笑みを見せる愛しの先輩の姿があった。その格好良い微笑みの奥に、満足げな、いやらしい笑みを垣間見る。
「全部飲んだ?」
「っ、はい、飲みました……」
「よし。じゃあ行こっか」
先輩はそう言うと立ち上がり、そそくさと外出の準備を始めた。いつも外出する時と同じような言いぶり。あまりにも自然なその振る舞いが逆に俺の不安と緊張を誘う。
ちらりと窓から外の景色を眺める。俺がペットボトルと格闘している間にもうすっかり日は落ちていて、薄い暗がりに点々と星が輝き始めているようであった。けれどその暗闇の中に、いつものような静けさはない。
準備万端な先輩を横目に、俺はその場から動くのをぐずぐずと躊躇っていた。
「ねえ、やっぱやめません?こんなの……」
「何で、花火大会楽しみって前から言ってたじゃん」
「言いましたけど!そうじゃなくて」
「早くしないと始まっちゃうよ」
「で、でも……」
俺たちが同棲しているアパートの近所では、毎年この時期になると大規模な花火大会が開催される。演出の規模が大きいのは勿論のこと、その派手さから年を追うごとにどんどん人気を博していき、今や交通網にすら大きなインパクトを与えるほどのビッグイベントと化していた。しかし俺も先輩も忙しさ故に毎年このイベントを他人事のように思っており、(俺に至っては地元民にもかかわらず)一度も足を運んだことが無かった。だが今年は運良く2人ともスケジュールが合い、たまには恋人らしいことをしてみたいという我ながら無垢な感情から先輩を花火大会に誘ったわけである。
ところがこの有り様。水分をたらふく取らされたということは、つまり。
「行こう?」
ね、とおねだりするような可愛い顔。そんな顔をされるともう駄目だった。俺は先輩の顔にとことん弱い。
「……はい」
大好きな顔の可愛い表情に気圧された俺は断ることなんて当然できず、最低限の荷物を持って立ち上がった。
*
「やっぱめちゃくちゃ混んでるねー。そりゃ毎年ニュースにもなるわ」
「……そーですね」
あと十数分で始まるというのに、道端に形成された特大の大行列は先程からのろのろとしか前に進んでいない。これでは会場に辿り着くことなく開始時間を迎えてしまうだろう。が、いま目の前に差し迫っている問題はそこではなかった。
Tシャツの裾をもぞもぞと弄っていると、先輩が不思議そうな「フリ」をして俺を窺う。
「どうした?」
「……」
「大丈夫? 言わなきゃわかんないよ」
分かってるくせに。あんなに大量の水分を、しかもカフェインが含まれていそうな飲み物をわざと選んで飲ませておきながら、何をとぼけたことを。そんな悪態は心の奥底でぐっと堪え、俺はぼそりと今の悩みを打ち明けた。
「トイレ、行きたい……です」
改めて自分の欲求を口に出すと頬に熱が集まる感覚がした。そんな俺を見て「そっか」と相槌を打つ先輩の表情は、ようやく本性を表したかのようにニヤニヤとしている。先輩の思惑通り、俺はこの身動きの取れない大群衆の中で尿意を催したのである。
実のところ、家を出て10分後くらいにはほんのりと尿意を覚えていた。最初に飲んだ分がやってきたのだろう。このくらいの距離だし、開始時間まではまだ時間があったのだから家に戻ってトイレに出直せば良いものを、俺はそうはしなかった。コンビニも何件も通り過ぎた。もとより花火大会中はトイレの貸出を禁止している可能性もあったが、それを確かめることもせずコンビニを無視した。この先もっとトイレに行きたくなることくらい簡単に想像がついたけれど、気付かないふりをしてこの大行列に挑んだ。理由? そんなの、先輩がそう望んでいると理解しているからに決まっているだろう。先輩の魂胆なんてわざわざ言葉にしなくても俺には分かる。
「どうしよっか、会場までトイレ無いと思うけど」
「…………大丈夫です、我慢できるんで」
分かり切ったことを改めて告げられると、現実が突き付けられている気分になる。同時に、いつ解放できるか分からない欲求がもやもやと腹の中で渦巻いて、焦りと不安がどっと増した。正直、結構もう「したい」のである。だってこれはいま芽生えた欲求ではない。ここに来るまでずっと誤魔化し続けてきた欲求なのだ。
3歩進んでは5分待機の繰り返し。前に進むわけではないのに、その場でトントンと小さく足踏みをしてしまう。無意識のうちにTシャツの裾をいじくりまわしていたようで、そこそこ気に入って着ていたのにしわくちゃになって生地が少し伸びてしまった。
とくん、とくんと膀胱の中に尿が溜まっていく感覚。あれだけの水分を自ら口にしたのだから当たり前だ。あの時自分がどれだけの水分を摂取したのか、嫌と言うほどこの目にしっかりと焼きつけてきた。だからこそ、それらがこれから全部尿に変換される未来を想像して思わず身震いを起こした。あんな大量の小便を抱えるなんて、無理に決まっている。でもここまで来てしまったやるしかない。もう物理的に戻ることができないのだから。
「道、全然進まないね」
「ん……」
先輩がまだ見ぬ遠くの目的地を眺めながら呑気なぼやきを零す。まだまだ我慢が続くことを暗示されているようで、俺はそっと目を伏せた。
こんなクソ暑い中で知らない人同士が密集している環境をこの時ばかりは感謝した。人と人との距離が近いので傍からは見えていないと思うが、もうじっと止まっていることはできなかった。動いていないと下腹部がしくしくと疼いて仕方ないので、紛らわせるために内腿に力を目いっぱい込めて擦り合わせている。まるで立っているのが疲れたとでも思わせるように無駄に脚を上げて静止してみたりするが、そういう時に限って列が動くので慌てて前に進むしかない。あいにく周囲の人間も浮足立っていて俺のことなんかまるで視界に入っていないのが幸いだった。
(駄目だ、思ったより我慢きつい……)
心なしか尿意が強まるスピードがぐんぐんと速まっているような気がする。トイレに行きたい。出来れば、今すぐに。気付けば、さりげないつもりだった足踏みは自分でも分かるほど大胆になっていて、自覚した途端急に恥ずかしくなった俺は下半身の動きをぴたりと止めた。そんな俺を見て、先輩がふっと笑う。
「誰も見てないよ」
先輩が耳元でそう囁く。空気だけのその声がこそばゆくて背中がぞくぞくすると同時に、かああと顔が熱くなった。全部見られている。誰も見ていなくても、先輩が俺のことをずっと見ている。考えを見透かされたような気分だった。誰も見ていない、そう言われるとなおさら恥も外聞もなく不格好なことをしようなんて思えず、地に目を伏せたままその場でぐっと堪えた。しかし、人の生理現象というものは意地が悪いもので、そうやって意識すればするほどこれでもかというくらいに存在を主張してくるらしい。ふいに性器がむずむずとし出して、膀胱がぎゅううっと絞られるような感覚に襲われた。
「っ、く……ッ」
また勝手に膝が曲がってしまう。内股になって情けなくもじもじとする姿は、まるでトイレを我慢できない子供さながら。少し腰を後ろに突き出して下半身をもじもじと揺らしてしまうのを、真横でしっかりと見られていると思うと最悪だった。スウェットの太腿部分をぎゅっと握り締め、気合を入れろと自分の身体を叱咤する。が、そんなことよりトイレに行きたい。
(どうしよ、やばい……)
周りを無意識に見回しても、景色は先程からほとんど変わっていない。当然、用を足せる場所なんてない。はああ、と吐いた溜息が震えているのが自分でも分かった。
トイレ、トイレ、トイレ。早く、おしっこがしたい。くの字になって尻を振って、その姿を隣で先輩が見ていて。本当ならとんでもない屈辱なはずなのに、息が荒くなるのは何故なのか。腹の中で水面が揺れる感覚。膀胱がきゅんと甘く疼く。危うく緩みそうになる下半身を必死に締め付け、細かい足踏みをぱたぱたと繰り返した。
すると突然、腹の奥底から背筋にぞくぞくぞくっ!と戦慄が走った。直後、突如ぐんと高まる尿意。
(あああっ、なんかやばい、急に……!!)
おしっこが膀胱の中でばしゃばしゃと暴れ狂っているかのような尿意の波。尻を思い切り突き出して八の字にくねくねと振って、波を打ち消そうと抗う。今までの容量が80%くらいだったとしたら、急に90%くらいに跳ね上がったくらいに突然のことだった。受け入れ態勢が整っていないところに訪れた、この打ち付けるような激しい排泄欲求。本来であれば間違いなくトイレに駆け込むレベルで高まっている尿意に、もはやトイレのことしか考えられなくなっていた。早くおしっこがしたい。トイレしたい。トイレ、早く、もう我慢できない。
そんな焦りがますます欲求を引き出す。性器の先がきゅんと震え、水門を勝手に開こうとし始める。
(やばいっ!!!!)
一瞬、小便器の前に立っているあの時のような感覚に見舞われて、解放手前独特の快感に身震いしそうになった。腰を左右に揺らし、前後に振り、膝がどんどん曲がっていく。下半身の筋肉に力を全集中してきつく締め上げても、股間のむずむずは激しさを増す一方であった。
どうしよう。もうこれだけの我慢じゃ足りない。ちんこ揉みたい。でも外で、先輩が見ている横で、そんな下品な格好したくない。でも、ちんこがむずむずって、おしっこがなだれ込んできそうで。どうしよう、ちんこ揉みたい、押さえたい、でもこんな外で堂々となんて。
(あっあっあっあっ、やばい、おしっこ、……っ!!)
悩んでいる間もますます尿意の波が容赦なく攻め立ててきて、俺はぐねぐねと腰を捩ってしまう。かと思えばばたばたと足を踏み鳴らしてしまう。心臓がどくどくと鳴るのに合わせて、焦りから尿意もどくどくと膨らんでいるような気さえする。今この場で出来る我慢の仕方を全部絞り出しながら、俺は理性と葛藤していた。あっ、あっ、あっ、もう、おしっこが、もう……!
こういう時の閃きは火事場の馬鹿力と同じなのだろう。俺はひとつの考えが思い浮かぶと、スウェットのポケットに手を突っ込み、その中で己の性器を思い切り掴み、高速でそこを揉みしだいた。
「う゛、……っ、ふうぅ……」
「……」
緩いスウェットを履いてきて本当に良かった。命拾いした、そう思う反面、自分がこんな下品なポーズをとっていることが情けなく感ぜられた。
絶対、先輩にはバレてる。怖くて確かめられないけれど、視線は絶対にこちらを向いている。又の間に手を突っ込んで、震えるちんこの先をぐにぐにと摘まんで、捏ね繰り回して、竿を握っているのをしっかり見られている。布一枚隔てて、先輩はきっと俺の一挙手一投足を全部見透かしているのだ。そう理解していても、揉むのをやめられない。
敢えて見ないようにしていた先輩の顔が、ぬっと耳元に近づく。そして何かを企んでいるような含みのある笑みを浮かべて、そっと囁いた。
「ねえ、どっかのお家でトイレさせてもらう?」
「は……?」
「あそこの家にもあそこの家にもトイレあるよ? こんな近くにトイレできる場所あるんだから貸してもらっちゃえば?」
「な、先輩、何言って……」
「おしっこ漏れそうなんでトイレ貸してくださいーって言えば貸してくれるよ。あ、そんなもじもじしてたら限界なんてわざわざ言わなくても分かるか? でもそんなの、見ず知らずの人におしっこが漏れそうですって宣言してるようなもんだよね。子供が出てきたらどうする? 若くて綺麗な女の人だったらもっと恥ずかしいね?」
「っ、や、やめ、……っ」
「しかもこんなに沢山の人が見てる中でさあ、もじもじしながら人掻き分けて、トイレ貸してくださいって人ん家に凸ってさあ。いろんな人におしっこ我慢してるのバレちゃうね。もし断られたらそこからいろんな人がお前のことずーっと見るようになって、あの人おしっこできなかったんだ、かわいそー、漏らしちゃうかなってずっとじろじろ見てくるの。てかここ地元でしょ? もしかしたら友達が見てるかもよ?」
「……っ!」
……最悪な誘惑だった。俺がその手の話に乗るわけないことくらい、先輩は分かっているはずだ。つい最近SNSで、花火大会の会場付近の民家にトイレを借りに来る観光客が後を絶たず、地元民が非常に迷惑しているという投稿を見掛けた。ついでに人の家の前で立ちションする馬鹿もいて、下手したら裁判沙汰になるだろうと鼻で笑ったのは記憶に新しかった。その投稿は先輩と一緒に見たものだ。第一、自分で言うのも悲しいがプライドの高い俺がそんな屈辱的な行動をとれるはずがないことだって、先輩は分かっている。分かっていながら、わざとそんなことを言っている。
……近くにトイレがある。周囲を見渡せば一軒家ばかり。あの家にも、あの家にも、確実にトイレは付いているだろう。すぐ目の前に確実に排泄できる場所があるのに、できない。
「ねえ、どーする?」
「そんな……、っ、するわけ、ないでしょ……っ」
「……うん、偉いね」
いま一番欲しているのを目の前で取り上げられている、そんな感覚が頭を支配して、焦りやらもどかしさやらで目頭がツンと熱くなった。尿意との攻防にいかほどの時間が経過したのか分からなかったが、少なくとも見える景色が先程と大差ないのは確かだ。目的地までは、まだまだ遠い。
*
どこで何が滞っていたのか俺の与り知ったところではないが、急に列がすいすいと動き出した。それはそれで困ったもので、先輩とはぐれないよう必死に隣を占拠して歩く。先程までポケットの中で性器を握っていた手の平は、人混みに紛れて先輩の指と絡められている。
そこから会場に辿り着いたのはあっという間だった。本当は花火がよく見えるベストポジションで場所取りをしたかったが、そんな悠長なことを言っている場合ではなかった。立ち並ぶ出店に見向きもせず、俺たちは別の場所を目指す。
が、それらしきものを見つけた瞬間。俺の顔面から、さああと血の気が引いていった。
「うそ……」
「あー、結構列長いな」
仮設トイレに続く長蛇の列。本当にこれが男子トイレかと疑うほどの人数に、後ずさりしてしまう。しかもこんな大規模なイベントなのに、たった10個しか男性用の仮設トイレは設置されていない。ここにいる人たちは果たして全員小用なのか。いや、そうとも限らない。だとしたらあと何分待たされるのか。ずくん、と腹の中身が重くなった気がして、列を眺めながら小さく地面を踏んでしまう。助けを求めるようにちらりと先輩の顔を覗くと、どこか嬉しそうに口元を緩ませているのが目に入った。
「並ぼうか」
その言葉は決して、助けでも何でもなかった。期待と真逆の発想に、俺は性器をぎゅっと握り締める。
「そんな、俺もう……っ」
「並ぼう?」
その言い方は、絶対に言うことを聞かせてやるという強い意志を持ったものだった。俺に断る権利なんか与えないという意志。いや、元からそんなもの俺にはなかった。そして案の定、俺はぐっと息が詰まる。
(こ、こんなの、間に合うわけない……)
けれど、先輩が言うから。好きな人がそう言うから。自分でも馬鹿だと分かっているけれど、俺はその列のいちばん後ろについた。
先程の道とは違ってそこまで人が密集していないエリアだ。大胆なことをすればすぐに人目に付くし、何より、トイレの列に並んで「そういう仕草」をしているとなれば「そういうこと」だって丸わかりだろう。そんなみっともない姿、みすみす晒すわけにはいかない。俺はぴたりと両脚をくっつけ、身動きを最小限にしてその時が来るのを待つ。だがそんな強がりがいつまでも続けられるわけもなく。
(~~~~~~っやばい、めっちゃおしっこしたい!!!!)
地面を見つめ、は、は、と浅い呼吸を繰り返す。呼吸に意識を向けて尿意から気を逸らそうと、一定のリズムで短い呼吸を繰り返す。しかしそんな小さな足掻きでは到底この欲求を掻き消すことなんかできず、むしろ心拍数がどんどん上昇するみたいで、ますますおしっこがしたくなる。周囲から気付かれないくらいごくわずかにもじもじと擦り合わせていた内腿が、徐々にすり、すり、と摩擦音を立ててしまう。土の地面が擦れる音が鳴る。
そして、最も恐れていた事態。こんなにも蒸し暑い夜なのに、突然、ぶわああと鳥肌が立つ。
(やばいやばいやばい、今は……!)
腹の中にたんまりと溜まった液体が、あと少しで一気に溢れ出しそうな液体が、小さい膀胱の中でじゃぼじゃぼと荒波を立てる。俺は反射的に腰を落とし、くねくねと左右に振ってしまう。
「ん、っ、……っ、はあぁ……っ!」
最初は全力で下半身にきつく力を込め、くね、くね、と小さく身を捩るだけに留めていたのに、おしっこが尿道に押し寄せる感覚がするといよいよ駄目で、膝をぐっと曲げてしまう。
(まじでやばい、まじで、これ……っ、漏れる!!!!)
(もーだめ、ちんこ揉みたい!!!!あああ、もう我慢できないっ)
俺はついにポケットの中に勢い良く手を突っ込み、おしっこがしたくて堪らないちんこを鷲掴みにした。先端をぐちゃぐちゃに摘まみ、痛くなるほど竿を握り締める。なのに尿道口が勝手に開きそうになって。ほんの少し緩んだ隙に、水圧がのしかかる。
「まって、あっ、あっ、あっ……!」
ペットボトル3本分の濁流。ちんこの先がかっと熱くなって、ひくひくと疼いて。がばがばになった括約筋ではどうにもならない。勢い良く揉みまくって、物理的に水門を塞ぐ。なのに、膀胱がきゅううん、と激しく収縮して。
(ちびる!!!!!!!)
———しょろろ……
「~~~~~~~~~~~っ、はああっ!!!」
下着にじわりと湿り気を帯びる。俺は腰を思い切り後ろに突き出し、大波を迎えた。
(うそ、出た、漏れた、うそだ、こんなっ)
(ま、まって、また、あっあっあっ、だめ、あっあっあっあっ、ちびる、~~~~~~~~~っっ!!!!)
———しょろろろ……
「あああ……っ!!!」
ポケット越しに下着の水分が手に伝わる。ついにやってしまった。こんなところで「おちびり」をしてしまった。だがそれに羞恥を覚えるほどの余裕も理性も無かった。は、は、と浅い呼吸で、これ以上零れないように耐える。
もうちんこからは手を離せない。離したら漏れる。トイレに辿り着くまで、また何回もちびってしまう。それどころか、全部出てしまう。もう限界だった。
おしっこがもう一度飛び出る感覚に全身を震わせた後、俺は「先輩……」とか細い声を上げた。
「おれ、ほんとに無理……っ」
自分でもびっくりするほど、蚊の鳴くような情けない声。でも、もう無理。
ところが先輩は、俺の言葉を聞いても、ただ「ん?」と言うだけだった。この人、聞く気がない。必死に目で訴えても、にっこりと笑い返すだけ。その間にもまたおしっこが飛び出す。
(やばい、ほんとにもう……!)
俺が小さく「あっ」と声を上げる。すると先輩は、俺の耳元に唇をそっと近づけた。
「我慢できない?」
「できない、も、だめ……、漏れる……」
先輩がくつくつと喉を鳴らす。その吐息がくすぐったくて、またちびりそうになった時だった。
「おいで」
ぐい、と腕が引っ張られる。強制的に列を抜けさせられた俺は、先輩が歩くままに引っ張られていった。
「まって、ねえっ、先輩どこに」
「おしっこできる場所連れて行ってあげるから」
人波に逆らってひたすら進む。あと数分で始まる花火大会。これから見る景色に心を躍らせる人、アルコールに馬鹿騒ぎする人、浴衣で着飾っている人、大切な人と大切な時間を過ごしている人。誰もがあと数分後の夜空に期待を寄せている中、俺ら2人だけが別の次元にいる。俺らだけ、自分たちのことしか見えていない。
「ここら辺でいっか」
「え……?」
気付いた時に辿り着いていたのは、人気のない駐車場だった。
ここで一体何を。そう思っていると、後ろからぎゅうう、ときつく抱き付かれる感覚。はっと振り返れば、先輩が俺の背中に抱き付いていた。
「っ!? え、先輩!?」
「んー……」
「ちょ、はなしてっ、ねえ!!」
いま刺激を与えられたらヤバい。もう表面張力ぎりぎりで耐えているようなもの。少しでも予想外の刺激が来たら全部溢れてしまう。俺はもはやパニック状態だった。
(も、も、もれるっ、もれる、もれる!!!!)
(おしっこおしっこおしっこ、もうがまんできないっっっ!!!!)
———じょろ、じょろろ、じょろろ……
先輩の腕の中で連続でおちびりする。いや、これはもうおちびりなんかじゃない。迸るほどのおしっこ。緩いスウェットの間で太腿に水流が垂れている。
「いやだ……っ、もれる、漏れるから!」
必死に訴えても、先輩はそこから退こうとはしない。俺は先輩の腕の中で、これまでの比ではないくらい勢い良くちんこを揉んだ。おしっこを垂らしている先端を高速で揉みしだき、握り潰し、捏ね繰り回す。それでももう、効かない。
(漏れる漏れる漏れる漏れる漏れる、漏れる!!!!!!!!!!!)
先輩が密着している背中がぞくぞくとして、堪らず腰をくねくねと捩らせる。俺のもじもじする仕草が全部先輩に伝わっているのも分かっていて、やめられない。じたばたと忙しなくコンクリートの地面を踏み鳴らす。なのに、おしっこが噴き出る間隔がどんどん狭くなっていく。
「……」
先輩はただ抱き付くだけで、それ以外は何もしてこない。俺が腕の中で足掻いているのが面白いだけなのか。それにしても不自然なまでに静かなのが、おかしい。けれどそこから抜け出せるほどの余力なんて残っていない。その時だった。
Tシャツの中にすっと入り込む、手。そして下から、脇腹をすうっとなぞり上げられる。
(~~~~~~~~~~~~~っ!!!!!!)
腰を目いっぱい突き出して、脚をクロスして静止する。なのに下半身から力が緩んで、尿道口がかっと熱くなって。性器の先が大きく、戦慄いた瞬間。それはついに訪れた。
———じょわああああああああああああああああああああああああああ…………!!!!!
「あああぁぁぁぁ……っ!!!」
下着の中で熱水が渦巻いて、手の平に当たり、落ちる。手の平からばしゃばしゃと溢れ出るおしっこ。性器を揉んでも、もう水流は止まらなかった。
好きな人の腕の中で、野外で、服を着たまま放尿している。全部が狂った状況なのに、おしっこを止めることができない。自分の意志とは関係なく噴き出ていくおしっこに、もはや身を委ねるしかなかった。
———じょおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ…………
「はあっ、はあっ、はあぁ……っ」
最悪だ。全部が最悪なのに。腰が砕けそうになるほど、気持ちいい。おもらししているというのに、無意識に腰を前に突き出している。どこかで誰かが見ているかもしれないのに、下品におしっこを垂れ流している。かくん、と膝が落ちそうになる。すると先輩がすかさず俺の背中を更に強く抱き締めた。そして、肩のあたりに顔をぐっと埋める。
(どーしよ、きもちい……)
———じょおおおおおおおお、じょおおおおおおおぉぉぉぉぉぉ…………
じょろじょろと無様に垂れるおしっこはまだ止まりそうにない。
その時、重く鈍い轟音と同時に、ぱっと辺りが明るくなった。
「あ……」
ぱらぱらと火の粉が落ちる音の次に、再び花火が打ちあがる音。俺はそれを見上げることは出来なかった。それは、俺の背中に顔を埋めている先輩も。楽しみにしていたはずの花火大会だったけれど、そんなことよりも今は、この身体に溜まっている熱で頭がおかしくなりそうな心地だった。
おわり
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