世界よ優しく微笑んで

えくれあ

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ep.052 皇帝陛下と皇后陛下

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「あ、いらっしゃい、待ってたよ」

 ジーク様に連れられて、誰にも会わないように控室まで来たのだけれど。
 扉をあけると、誰もいないと思っていたその部屋には、皇太子殿下がいらっしゃった。

「あ、あの、この前はお菓子たくさん、ありがとうございました。それから、その、デザイナーさんも……」

 いらっしゃるとは思っていなかったので、ちょっと慌ててしまって、くすっと笑われてしまった。

「それが、そのドレス?」
「は、はいっ」
「うんうん、よく似合っててかわいいね」

 ジーク様が褒めてくださった時と違って、さらっとしてて軽い感じがした。
 失礼かもしれないが、なんだかすごく言い慣れていらっしゃるような感じがして、本心ではなく社交辞令なのかなと思った。

「ほら、入って入って」

 扉付近で呆然としていた私を、皇太子殿下が室内へと招き入れる。
 すると、お料理がたくさん並べられているのが目に入った。

「せっかくここまで来てもらったから、パーティー会場と同じ食事をここにも用意させたんだ」
「ほう、至れり尽くせりだな」
「結構待たせちゃうことになるからね」

 本当にジーク様の言う通り、至れり尽くせりだ。
 とても1人分だなんて思えない量だし、種類もたくさんある。
 もしかしたら、後でジーク様たちと合流した時、皆で食べられるように、かもしれないけれど、それにしたって多すぎる。

「ここにある料理は、待ってる間、好きなだけ食べてもらって大丈夫だからね」
「は、はいっ、ありがとうございます」

 どれも本当に美味しそうだし、見たことのないような料理もあってとても興味をそそられる。
 けれど、今はとっても緊張していて、とても食べられるような気がしないのが、ただただ残念だ。

「新年の宴がはじまると、まず皇帝陛下と皇后陛下のお言葉があるんだ」

 皇太子に対して殿下、と敬称をつけるのに対し、皇帝と皇后に対しては陛下とつける、というのも実はつい最近知ったことである。
 思い返せば、ジーク様や他の人たちがそう呼んでいたかもしれないが、ちゃんと意識したことがなかった。
 これも、ここに来るまでに、何度もパパとママのところに通って身につけた知識の1つだった。

「それから、今年はジークの功績を皇帝陛下が皆の前で公表し、ジークには勲章なんかが授与される予定になってる」
「わぁ、すごい」

 ジーク様はあまり乗り気ではないのか、うんざりとした表情をされていらっしゃるし、もしそれが自分だったら私もできれば逃げたいと思ってしまうだろうけれど、ジーク様が皆の前で褒められるのだと思うと自分のことのように嬉しい気がした。

「それが終わったら、両陛下は特にやらなければならないことはなくなるから、そのまま3人でこっちに移動してくることになると思う。ちょっと時間かかるかもしれないけれど、それまでここで待っててもらえる?」
「はい、大丈夫です」
「本当は2人が来るまで、俺がここに居てあげれられたよかったんだけど、俺もさすがに立場上両陛下のお言葉がある時に会場を離れてるわけにもいかなくてね」
「ここで待てるようにしていただいただけで、十分ですので……」

 本来なら貴族の人がたくさん集まっているという会場に、入らなければならなかった。
 それを思えば、ここで待つことができるだけで十分すぎる、それなのに、お食事までたくさん用意してもらって、これ以上何か望んだら、むしろ罰が当たりそうだ。

「じゃあ、俺たちはそろそろ行くね」
「一人で大丈夫か?」
「はい」

 ジーク様が、とても心配そうに私を見つめている。
 大丈夫だと伝わるように笑って見せると、ジーク様もほっとしたように笑ってくださった。

「すぐ戻る」

 ジーク様は私の頭を撫でようとしたみたいだったけれど、その手は一瞬止まってから、ぽんっと肩に置かれた。
 今日はママが髪型にもすごく拘っていたから、崩してしまわないように、と思ったのかもしれない。
 パタンと扉が閉じる音が響いて、しんと静まり返ったお部屋に私1人だけになった。



 とりあえず飲み物を貰おう、と飲み物が置いてあるテーブルに近づくと、飲み物だけでも温かいものから冷たいものまで、さまざまな種類のものが並んであった。
 ジュースもとてもおいしそう、と思ったけれど、迷った末に私が選んだのはお水だった。

『お水でいいの?』
「う、うん。他のものだと、間違ってこぼしちゃったら怖いし」

 1人になったので、今はフィーネに話し相手になってもらっている。
 こういう時、フィーネの存在は本当にありがたいと思う。

『座らないの?』
「だって、ドレスが皴になりそう……」
『さっき、馬車で座ってたのに』

 そうなのだけれど、あの時だってできれば立っていたかった。
 ただ、馬車の構造上、不可能で、座るしかなかっただけである。

『どうせ、あとで座ることになるんでしょ?』

 確かにフィーネの言う通りだ。
 ジーク様が皇帝陛下、皇后陛下とともに戻って来られたら、きっと立ち話、とはならないだろう。
 みんな座っている中で、私だけ立っているわけにはいかないから、たぶん座ることになるはずだ。
 そうは思っても、今はやっぱり座る気にはなれなくて、ジーク様がお戻りになるまで、私はお水をちびちび飲みながら、部屋をうろうろしながら待った。



「お、お初にお目にかかります、リディア・エルロードと申します」

 スカートを持ち上げた手も、後ろに引いた片足も、膝を曲げたもう片方の足も、ぷるぷると震えているのを感じる。
 きっと、声もすごく震えていただろうと思う。

 扉が開く音がした瞬間、フィーネはあっという間に姿を消してしまった。
 開いた扉の向こうに最初に見えたのは、ジーク様ではなくて知らない女性だった。
 一目で高貴な人だとわかるような、穏やかで品のある女性だった。
 次いで、威厳のある男性が見えて、その後ようやくジーク様の姿が見えた。
 ジーク様に教えてもらう前から予想はしていたけれど、やっぱりお二人は皇帝陛下と皇后陛下で慌ててママに教わった通りにお辞儀をして、名前を名乗った。
 はじめての事が多すぎて、緊張で心臓がおかしくなりそうだ。

「ふふ、楽にして大丈夫よ」
「は、はいっ」

 慌てて返事した声は、おもいっきり裏返ってしまった。
 けれど、皇帝陛下も皇后陛下も非常に穏やかな笑みを浮かべるだけだった。

「あら、お料理は食べていないの?」
「あ、その……」
「気に入るものは、なかったのかな?」
「いえ、そういうわけでは……」

 緊張で食べられなかったけれど、食べないことはもしかするととても失礼だったのかもしれない。
 そう思うと、全身から血の気が引いていくような気がした。

「ちょうどよかったわ」
「え?」

 なぜか皇后陛下の楽し気な声が聞こえてびっくりする。

「私たちもまだ食べていなかったのよ、すぐこっちに来たから。ここの方が落ち着いて食べられるし、みんなで食事しながらお話にしましょう」
「ああ、それはいいな」
「待っていてくれたのね、ありがとう」
「あ、あの……」

 皇后陛下も皇帝陛下も、とても楽しそうにしていらっしゃる。
 決してそういうわけではなかったのだけれど、そう思いながら視線を彷徨わせるとジーク様と目があった。
 すると、ジーク様が左右に首を振った。
 何も言うな、ということなのかもしれない、と思って私はそのまま口を噤んだ。





 ***

 リディアが恐縮しまくっているのをひしひしと感じるが、正直なところ現在の状況は俺にとっても想定外のもので助け船を出してやれそうにない。
 この場に使用人がいないとはいえ、まさか皇后陛下自ら料理を取り分けはじめるとは思わなかった。
 自分でやると申し出てはみたが、男性や子どもにそんなことをさせないと、ぴしゃりと言い切られてしまっては、それ以上どうすることもできなかった。

「これ、私の好きな料理なの、是非食べてみて」

 そう言って料理の乗った皿を差し出されたリディアは、びくっと肩を揺らした。
 もしかすると、テーブルマナーまでは今回は叔母上に教わっていないのかもしれない。
 うちで食べる時は基本的に好きにさせているし、それを知っているアレクもマナーについては一切触れることはなかった。
 しかしながら、だからといって皇帝陛下と皇后陛下の前でも同様でいい、とはさすがの俺も自信を持っては言えない。

「あら、これは好みじゃないかしら?他のものにしましょうか?」
「い、いえ、あの……」

 リディアは真っ青な顔で、声を震わせている。
 これは無礼を覚悟で、多少テーブルマナーが悪くとも許容してもらえるよう進言すべきかもしれない。
 フォークとナイフが使えない、というほどではないから、見るに堪えないほど酷いものではないはずだ。
 そう思っていた時、皇后陛下がリディアの目の前にあった皿を入れ替えた。
 そこには先ほどの皿と同じ料理が、ナイフで細かくカットされた状態で乗っている。

「おせっかいかと思ったのだけれど、こちらの方が食べやすいかと思って」
「え……?」

 確かに、多少のマナーの悪さを許容してもらったとて、今のリディアでは手が震えていてナイフなどまともに扱えなかったかもしれない。
 ありがたいことであるはずなのだが、これでいよいよ食べないという選択肢がなくなったためか、リディアはどこか追い詰められているように見える。

「マナーなら気にしなくて大丈夫よ。国が違うだけでも、違っていたりするんだもの。知らないところから来たなら、わからなくて当然だわ」

 マナーを気にして手が出せないことは、皇后陛下もお気づきだったようだ。

「陛下ももちろん、そんなことは気になさりませんわよね?」
「ああ、もちろんだ」

 なぜだろう、先ほどまで穏やかで柔らかい雰囲気しか見せていなかった皇后陛下が、皇帝陛下にだけは少し当たりがきついような気がする。
 言葉が強くなったわけではないから、あくまで俺の気のせいかもしれないが。

「さ、食べてみて、おいしいのよ?侯爵もね」
「はい、いただきます」

 俺が先に食べた方が、リディアが食べやすいだろうと思い、先に料理を口にする。
 もしかしたら皇后陛下も同じ考えで、俺にも薦めてきたのかもしれない。
 リディアは俺が一口食べる様子を見て、ようやくフォークを手に持った。

「とても、おいしいです……」

 ようやく一口食べて、リディアがぽつりと呟いた。
 それを見て、両陛下が顔を見合わせて笑みを浮かべ、そしてようやくお二人もまた料理を口にした。

「お酒はないのかな?」
「そんなもの、あるわけないでしょう。元々ここのお料理は全て、リディア嬢のためにアレクが用意したのだから」

 やはり皇后陛下は、どことなく皇帝陛下にだけ少し当たりがきついような気がする。
 だが、リディアと目が合うとすぐに、ふわりと柔らかな笑みを浮かべているからやっぱり気のせいかもしれない。





 ***

 お食事の最初の一口は、緊張で正直味なんてよくわからなかった。
 ただ震える手を動かして、食べ物を口に運び、必死に噛んで飲み込む、最初のうちはただそんな動作を繰り返しているだけに過ぎなかった。
 けれど、皇帝陛下も皇后陛下も私がおいしいと言うたびによかったと笑い、他のお料理を薦めてくる。
 そしてお料理がきっかけで、お二人がたわいもない会話をはじめたりして。
 だんだんそれにジーク様が加わって、聞いているだけだった私も、ちょっとずつお話に参加できるようになってきて。
 そうすると徐々に緊張が解けてきたのか、手の震えも治まってきて、お料理が本当においしく感じるようになった。
 皇帝陛下がナイフとフォークを置き、真っ直ぐとこちらを見つめてきたのは、そんな時だった。

「君にはこの帝国の皇帝として、きちんと礼をしなければならないと思っていた」

 先ほどの柔らかな笑みは消えてしまっていて、とても真剣な表情だった。
 私はどうしていいかわからなくなって、とりあえずフォークを置いてみた。

「君の協力がなければ、この帝国は危機を乗り越えることができなかっただろう。強大な力を持つ魔獣があちこちに出現し、帝国は壊滅状態に陥っていたかもしれない」
「わ、私は何も……」
「全て皇太子から報告は受けている。先ほど侯爵からも話を聞いたところだ」

 本当に私は何もしていないのだけれど。
 何かできるような魔力も、残念ながらなかった。
 恐ろしい魔獣を倒したのは、お父様の使い魔に込められていたお父様の魔法で。
 瘴気の吹き出す場所を見つけたのは、フィーネだ。
 そして、それを封印したのはジーク様で、封印方法を教えたもフィーネ。
 私はただ、見ていただけだ。

「本当に、私は何もしてないんです。今は魔法も使えなくて、見ていることしかできなくて……」
「君の存在がなければ、我々は魔獣によって侯爵を失っていたかもしれない。そして君がいなければ、瘴気の出る場所を封印するという方法になど、たどり着けなかったはずだ。その使い魔も精霊も、君がいたからこそ力を貸してもらえたのだろう」
「本当に。あなたがこの帝国に居てくれてよかったわ。たくさん怖い思いをさせてしまったみたいで、そこは非常に申し訳なかったけれど」
「あ、その、それは自分で決めた、ことなので……」

 特に何かしたわけではないのに、今の私は得意なはずの魔法さえ使うことができないのに。
 ただ、ここに居るだけで、存在しているだけで役に立った、そう言ってもらえているような気がして、救われたような気がする。
 本来であれば、この世界にとって異物でしかなかった私の存在が、この世界で必要としてもらえた気がした。

「本当にありがとう、感謝している」

 皇帝陛下が深々と頭を下げ、皇后陛下までもそれに続く。
 そもそも皇帝陛下と呼ばれるような方にも、皇后陛下と呼ばれるような方にもお会いするのはこれがはじめてだ。
 通常、そのような立場の方がこんな風に頭を下げたりするものなのか、私にはわからない。
 けれど、勝手なイメージだけれど、国のトップに立つような人は、そんなに簡単に頭を下げたりしないようなイメージがあった。
 それなのに、お2人ともこんな風に頭を下げるから、どうしていいかわからなくなった。
 困って思わずジーク様を見たけれど、ジーク様もまた、この光景に驚いていらっしゃるようだった。

「お、お役に立てたなら、その、嬉しいです……」

 私は、結局、そう返答するのが精一杯だった。
 けれど、お二人ににこやかな表情が戻ってきたような気がするので、返答を間違えてはいないかもしれないと思うことができた。
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