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#14.絶望-1-
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意識が混沌とする中、琉志はずっと真っ暗闇の中にいた。
周りの音が聞こえず、目を閉じて眠っているのは確かだ。しかし、呼吸をしていてまだ生きているのだと実感することはできる、不思議な感覚。
死に直面しているはずだが、記憶やらの映像が脳内に流れることはない。
今まで何度も思い返した父の顔や言葉も、悠透との思い出、顔すらも浮かび上がることはなかった。
ただ、自分の死と向き合うしかない、生きてきた中で一番苦しい、孤独な時間に感じた。
悠透が傍にいるはずなのに、孤独を感じてしまったことに悲しくなる。
死ぬことが怖いかと聞かれたら怖いのだろう。いずれ心臓が止まり呼吸ができなくなる、それは未知の世界への道だ。恐怖心がないわけがない。
しかし琉志の中では、死より生への恐ろしさの方が遥かに大きくなっていた。
本当は悠透と一緒に明日も生きられればいいなと、そんな期待を抱えながら会いに行ったはずだ。
けれど悠透の姿を目にした時、期待をも捨てざるを得なかった。
部屋の窓の隙間を塞ぐようにテープを貼り、練炭に火を付けるまで、希望がなかったわけではない。
悠透は確かに死への躊躇いを持っていた。
それでも押し切ったのは、悠透の瞳が澱んでいたから。死に対する恐怖心はあるものの、生に対する希望は一切持っていないような目をしていた。
ふたりで死ぬことへの恐怖ではなく、琉志が死ぬことへの恐怖。
生き延びたとして、悠透の中でふたりの未来はないのだと悟った。
それなら生きる方がよっぽど怖い。
琉志にとって死ぬという選択は消去法だ。幾分かマシな方を選択したにすぎない。
最後に人生そのものを諦めていたのは悠透ではなく琉志だった。
悠透と付き合ってから八年間、ずっと無理をしていたわけではない。
誰かに気を遣うことは琉志の性分で、どこかに本音を隠してしまうことも仕方のないことだった。
とはいえ本音を言えなくとも、決してつらかったわけではない。琉志にとってはそれが当たり前で、むしろ楽だった。
しかし悠透と今以上近い存在になれないと理解した時から、徐々に苦しくなっていたと感じる。
琉志は付き合ってから、ふたりで幸せになる為の選択をしてきた。それがいつしか、悠透が苦しまない為の選択をするように変わった。
その頃からもう、"ふたりの未来"はなかったのかもしれない。そんな未来など、存在しなかったのだ。
悠透のことを愛していたのは事実だ。悠透だけが幸せになれる選択をしてしまうほどに愛していた。
しかし互いに、『愛』だけでなく、『依存』が含まれていったこともまた事実である。
昔は「悠透がいてくれれば幸せ」とよく思っていたが、「悠透がいないと幸せではない」と思うように変わっていた。
二つは同じように見えて全く異なったものだ。
前者は幸福を。後者は不幸を。
前者は悠透が隣にいることを。後者は悠透が隣にいないことを。
昔は当たり前に思い描けていたものが、思い描けなくなっていた。
おそらく悠透も同じだと感じる。
そうして無意識のうちに、"幸せになる方法"ではなく、"不幸にならない方法"を探していた。
悠透は琉志に嫌われたくなかったと言ったが、それは琉志も同じだった。
嫌われないよう、物分かりがいいフリをしたことだってある。
琉志は悠透に、悠透は琉志に嫌われることが一番の不幸であり苦痛だと思っていたのかもしれない。
故に、互いに曝け出すことを恐れ、向き合わなければいけないことから逃げてしまった。
何の変化もなければ不幸になるだけなのに、とりあえず一緒にいるためのだけに逃げてきたのだ。
自分が依存しやすいことは昔から理解していた。
もっとも、父に依存してきたからだ。
訳はない。生まれつきそういう性質を持っていたのだと思う。
父と一緒にいたい、父を守りたい、それが琉志にとっての生きがいだと言っても過言ではなかった。
『琉志がいてくれれば父さんは幸せだよ』
父は昔からそう言っていた。だから自分も父がいれば幸せで、むしろ父だけがいることが幸せだと思ってしまっていた。
そのせいで、父が番関係になった男を連れて来て、父と二人きりだった家に住み始めた時、不快感を抱いた。
父には自分だけでは駄目だったのかと、ずっと二人だけで良かったのにと…父の自分に対する愛情が減るのではないかと恐れた。
しかし父は変わらず優しかった。琉志の前では常に笑顔で、悲しい顔も怒った顔もほとんど見たことがない。
故に、あの日のことはよく覚えている。
番だという男は、いつしか父に暴言を吐くようになり、最後は暴力を振るった。父の首元に男の手がかかり、琉志は包丁を持ち出して自分も死ぬと言った。
『正しいと思っても、自分を守るために、時に我慢すること、隠すことをを覚えなさい』
男が出て行った後、父は低く冷たい声で、悲しい表情を浮かべながらそう言った。
怒りの感情があったわけではなく、琉志を思っての言葉だと理解している。
しかし初めて聞く父の声と、表情に困惑し、自分の選択は間違えていたのだと感じた。
父にも本音を打ち明けたことはないかもしれない。父に嫌われぬよう、傷つけぬよう無意識に選択していたからだ。
自分も死ぬと言ったのは、別に本心ではなかった。
本当はその男を殺したくてたまらなかった。
包丁を刺してしまえば、子供でも殺せると分かっていた。父を傷つける人間など、消えてしまえと思った。
でもできなかった。
それは、殺した後が怖かったからだ。
人を殺せば警察に捕まる、子供でも理解しているが、怖い理由には当てはまらなかった。
男が血を流して倒れた後、自分ではなく、男を優先されることが怖かった。父は男の前で涙を流し、琉志のことを責め、傍に来てくれないことを想像した。
しかし子供が大人を止める方法など限られていて、自分を犠牲にすることが最善だと考えた。
それも間違いだったと父の言葉で気づき、本音を隠しつつ、感情的にならないことを覚えた。
この日から琉志は物分かりがいい、偽りのいい子ちゃんになった。
周りの音が聞こえず、目を閉じて眠っているのは確かだ。しかし、呼吸をしていてまだ生きているのだと実感することはできる、不思議な感覚。
死に直面しているはずだが、記憶やらの映像が脳内に流れることはない。
今まで何度も思い返した父の顔や言葉も、悠透との思い出、顔すらも浮かび上がることはなかった。
ただ、自分の死と向き合うしかない、生きてきた中で一番苦しい、孤独な時間に感じた。
悠透が傍にいるはずなのに、孤独を感じてしまったことに悲しくなる。
死ぬことが怖いかと聞かれたら怖いのだろう。いずれ心臓が止まり呼吸ができなくなる、それは未知の世界への道だ。恐怖心がないわけがない。
しかし琉志の中では、死より生への恐ろしさの方が遥かに大きくなっていた。
本当は悠透と一緒に明日も生きられればいいなと、そんな期待を抱えながら会いに行ったはずだ。
けれど悠透の姿を目にした時、期待をも捨てざるを得なかった。
部屋の窓の隙間を塞ぐようにテープを貼り、練炭に火を付けるまで、希望がなかったわけではない。
悠透は確かに死への躊躇いを持っていた。
それでも押し切ったのは、悠透の瞳が澱んでいたから。死に対する恐怖心はあるものの、生に対する希望は一切持っていないような目をしていた。
ふたりで死ぬことへの恐怖ではなく、琉志が死ぬことへの恐怖。
生き延びたとして、悠透の中でふたりの未来はないのだと悟った。
それなら生きる方がよっぽど怖い。
琉志にとって死ぬという選択は消去法だ。幾分かマシな方を選択したにすぎない。
最後に人生そのものを諦めていたのは悠透ではなく琉志だった。
悠透と付き合ってから八年間、ずっと無理をしていたわけではない。
誰かに気を遣うことは琉志の性分で、どこかに本音を隠してしまうことも仕方のないことだった。
とはいえ本音を言えなくとも、決してつらかったわけではない。琉志にとってはそれが当たり前で、むしろ楽だった。
しかし悠透と今以上近い存在になれないと理解した時から、徐々に苦しくなっていたと感じる。
琉志は付き合ってから、ふたりで幸せになる為の選択をしてきた。それがいつしか、悠透が苦しまない為の選択をするように変わった。
その頃からもう、"ふたりの未来"はなかったのかもしれない。そんな未来など、存在しなかったのだ。
悠透のことを愛していたのは事実だ。悠透だけが幸せになれる選択をしてしまうほどに愛していた。
しかし互いに、『愛』だけでなく、『依存』が含まれていったこともまた事実である。
昔は「悠透がいてくれれば幸せ」とよく思っていたが、「悠透がいないと幸せではない」と思うように変わっていた。
二つは同じように見えて全く異なったものだ。
前者は幸福を。後者は不幸を。
前者は悠透が隣にいることを。後者は悠透が隣にいないことを。
昔は当たり前に思い描けていたものが、思い描けなくなっていた。
おそらく悠透も同じだと感じる。
そうして無意識のうちに、"幸せになる方法"ではなく、"不幸にならない方法"を探していた。
悠透は琉志に嫌われたくなかったと言ったが、それは琉志も同じだった。
嫌われないよう、物分かりがいいフリをしたことだってある。
琉志は悠透に、悠透は琉志に嫌われることが一番の不幸であり苦痛だと思っていたのかもしれない。
故に、互いに曝け出すことを恐れ、向き合わなければいけないことから逃げてしまった。
何の変化もなければ不幸になるだけなのに、とりあえず一緒にいるためのだけに逃げてきたのだ。
自分が依存しやすいことは昔から理解していた。
もっとも、父に依存してきたからだ。
訳はない。生まれつきそういう性質を持っていたのだと思う。
父と一緒にいたい、父を守りたい、それが琉志にとっての生きがいだと言っても過言ではなかった。
『琉志がいてくれれば父さんは幸せだよ』
父は昔からそう言っていた。だから自分も父がいれば幸せで、むしろ父だけがいることが幸せだと思ってしまっていた。
そのせいで、父が番関係になった男を連れて来て、父と二人きりだった家に住み始めた時、不快感を抱いた。
父には自分だけでは駄目だったのかと、ずっと二人だけで良かったのにと…父の自分に対する愛情が減るのではないかと恐れた。
しかし父は変わらず優しかった。琉志の前では常に笑顔で、悲しい顔も怒った顔もほとんど見たことがない。
故に、あの日のことはよく覚えている。
番だという男は、いつしか父に暴言を吐くようになり、最後は暴力を振るった。父の首元に男の手がかかり、琉志は包丁を持ち出して自分も死ぬと言った。
『正しいと思っても、自分を守るために、時に我慢すること、隠すことをを覚えなさい』
男が出て行った後、父は低く冷たい声で、悲しい表情を浮かべながらそう言った。
怒りの感情があったわけではなく、琉志を思っての言葉だと理解している。
しかし初めて聞く父の声と、表情に困惑し、自分の選択は間違えていたのだと感じた。
父にも本音を打ち明けたことはないかもしれない。父に嫌われぬよう、傷つけぬよう無意識に選択していたからだ。
自分も死ぬと言ったのは、別に本心ではなかった。
本当はその男を殺したくてたまらなかった。
包丁を刺してしまえば、子供でも殺せると分かっていた。父を傷つける人間など、消えてしまえと思った。
でもできなかった。
それは、殺した後が怖かったからだ。
人を殺せば警察に捕まる、子供でも理解しているが、怖い理由には当てはまらなかった。
男が血を流して倒れた後、自分ではなく、男を優先されることが怖かった。父は男の前で涙を流し、琉志のことを責め、傍に来てくれないことを想像した。
しかし子供が大人を止める方法など限られていて、自分を犠牲にすることが最善だと考えた。
それも間違いだったと父の言葉で気づき、本音を隠しつつ、感情的にならないことを覚えた。
この日から琉志は物分かりがいい、偽りのいい子ちゃんになった。
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