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第四章

接吻鑑賞会

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 ここは朱紫国。狩りの帰りに立ち寄った顕聖二郎真君たっての希望で、二郎真君と悟空は酒を酌み交わしていた。場所は一行の泊まっている宿屋の張り出した屋根の上である。悟空が三蔵にもしものことがあっては、とそばを離れることを嫌がったのである。

「相変わらず、念のいったことだ。この地の災厄はすでに解決したのだろう。」

「おれが離れている間にお師匠様に何かあれば後悔してもしきれねえからな。」

「相変わらず、見上げた忠義心だな。」

 二郎真君は肩を揺らして笑った後、さらに付け加えた。

「いや、忠義心だけでもないことはよく存じておる。大聖殿は鉄心石腸の思いで唐僧を愛しておるのだからな。ところで、この前私が贈った『接吻をしないと出られない部屋』は役立っただろうか。首尾を聞かせて欲しい。」

 悟空はぶすくれて腕組みをした。

「どうせ八戒や悟浄から聞いてんだろ。」

「いや、接吻をした本人からの報告はまた格別であるゆえ。」

「……接吻……したよ。」

「知っておる知っておる。いやあ、我が贈り物が役立ったようで重畳何より。して、心から望んでおった唐僧との史上初の接吻であったのだろう。いかがであった。」

「……良かった。」

「なあんと、他にもっとないものか。いつも舌先三寸で途方もない話を吹かす斉天大聖がそんなに口籠るのはおかしい。かなり熱烈な接吻であったと聞いておるぞ。」

「うるせえなあ。あんまり覚えてねえんだよ。……無我夢中でさ。」

 二郎真君は手を叩いて喜んだ。彼は基本的には邪気のなく気立ての良い男である。言わずもがなのことを口にする悪癖さえなければ。

「いいぞいいぞ、それだけ発奮しておったということだな。めでたいめでたい。ちなみに、唐僧の反応はいかがであった。」

「わかんねえよ。」

「唐僧は舌を絡めかえしてはくれたのか。首に手を回してくれたのか。もっと、と可愛い声でねだってくれたか。大聖は熱意を込めた心からの口づけを行ったのであろう。その想いの半分でも彼は返してはくれたのか。」

「……覚えてねえよ。」

「なんぞ、もっとこう!大聖!もう少し委細を説明してくれても良いだろう。何といっても私は『部屋』を贈った功労者なのだから。ああ、返す返すもその場で接吻を見届けられなかったのが口惜しいな。」

「おれ達の接吻は見世物じゃねえっつの。」

「しかし、釈迦如来より取経の命を受けて旅路にある聖僧三蔵法師と、五百年前に天界を騒がせたあの斉天大聖孫悟空の接吻だぞ。おそらく天界で見物チケットを売れば即完売するだろうな。」

「やめろ。」

「私も別に金に困っているわけではないからやめておこう。ところで、ここにこんなものがある。」

 二郎真君は得意気に懐から光る水晶を取り出した。彼がふんと力を込めると、水晶から強い光が出現し、抱き合う悟空と三蔵が宙空に現れた。

「こ……これは。」

「あの部屋での二人の様子だな。残念ながら音声はついていないのだが。」

「こんなものがあるんなら、おれから事細かに聞く必要なかっただろう!」 

 思わず声を荒らげた悟空だったが、二郎真君は蛙の面に水である。

「映像と本人の感想はまた別物ではないか。ちなみに私はまだこれを一度も見ていない。ぜひとも大聖殿と共に鑑賞したいと思ってな。後生大事に持ってきたというわけだ。」

「お前も大概良い趣味してるよな。」 

「いや、褒めるにも及ばん。」

 二郎真君に嫌味は通じない。

 水晶が映し出す中空の映像では悟空が三蔵を抱きかかえ、ゆっくりと顔を近づけていく。二人は手を握り合い、ついに唇を合わせた。

 映像を見守る悟空は自分の頬がかあっと熱くなるのを止められない。こんなに恥ずかしいものを見たくない、見たくないが目を離すことができない。

「何を遠慮することがある。自分の接吻だ。とくと見ろ。」

 二郎真君が悟空の頬を両手でがっちりと押さえ、強引に映像の正面で固定した。

「なんだ、頬が熱いな。照れているのか。」

「うるせー。」

 映像の悟空は既に三蔵の腰と後頭部をしっかと抱き寄せ、首を傾けて深い角度を探しながら何度も口づけを落としている。こんなに何度も何度も口付けていたとは自分でも知らなかった。一方の三蔵も悟空の袖をぎゅっと握り、目を瞑っておずおずと舌を絡めている。 

「唐僧も嫌がってはおらぬな。」 

「そっ、そうかっ。真君にもそう見えるか。」

 悟空は喜色と安堵を隠せないが、二郎真君の次の言葉にやや肩を落とした。

「しかし、初めての接吻にしては、……やや荒々しいな。」 

「……だよな。そうだよな。」

 映像の二人はまだ接吻を続けている。俯仰之間だったような気がするが、思っていたよりも時間をかけて行為を行っていたらしい。映像の悟空はついに三蔵の首筋にも唇を這わせ始めた。三蔵は身もだえしながら悟空の首筋に腕を回している。そんなことまでしていたのか、と悟空は頭を抱える。まるで覚えていない。明らかにやりすぎだ。 




    
                      ・・・
 思い返せばあの時のおれは「これがお師匠様との最初で最後の接吻」と切羽詰まっていたのだった。

 一度唇を合わせてしまえばもう次はないのだから、唇を離すことなどできなかった。そのまま時が止まればいいとさえ思っていた。一瀉千里の勢いでがっつきすぎたのだ。密室の扉を開けるための方便としての接吻であったのに、ここぞとばかりに唇も舐めたし、舌も入れたし、なんとか誘いだしたお師匠様の舌も吸ってやった。

 なんていう気色悪いことをしてくるのか、とお師匠様に引かれてしまったのでは、と今更になって不安になってくる。

「悟空……悟空……。」
 と頭頂部まで真っ赤に染めて、おれの接吻を止めようとしていたお師匠様の顔を思い出すだけで身体が熱ってくる。そして、八戒と悟浄に接吻を見られたことを知って、おれを睨んでくる熱のこもった眼差しも。

 いや、しかしお師匠様だって接吻の間中、おれの袖を縋るように握って身体を預けてきていたし、震えながら切ない喘ぎ声を出していたし、嫌がってはいなかったとは思う。しかし、あの映像を見るにさすがにやりすぎたのは否めない。お師匠様にとっては初めての接吻だったのだから。

 そうか、あの接吻の後、お師匠様が妙に物言いたげに見つめてくることが増えた。おれが理由を尋ねようとすると、ふいと視線を逸らされてしまう。

 あれはもしかしておれの接吻が重かったと文句を言いたかったのではないか。一回の軽い接吻で済んだはずのところをおれがしつこくしたから、破廉恥なやつめとお叱りになりたいのかもしれない。理由が理由だけにお師匠様も恥ずかしがって、なかなか話題にしにくいのだろう。



 この前、玉竜に乗る時だってそうだった。鞍に乗るのを手助けしようとするのに、お師匠様がほんの指先でしかおれの手を握らなかったのだ。 

「危ないからちゃんと手を握ってください。」

「握っておる。」

「もっとしっかりおれの手を握って、体重掛けてください。」

「掛けておる。」

「なんで今更遠慮してるんですか。」

「遠慮なんかしておらん。」 

 言い捨てるようにしたお師匠様がそのまま玉竜に跨ろうとした。案の定、うまく昇れずに平衡を崩し倒れそうになって慌てて俺が抱きかかえた。

 お師匠様の首元からかすかに甘い匂いがして、おれは接吻した時の胸の疼きを一瞬で思い出した。しかし、もうおれとお師匠様が接吻を交わすことは二度とない。甘さが一欠けらも混じらないように注意して、おれはお師匠様から腕を離し、そして指摘する。 

「お師匠様、だから言わんこっちゃないんです。おれの手にちゃんと掴まらないからですよ。」 

「……うむ。」

 ふてくされたようなお師匠様はやはりおれと目を合わせてくださらない。

「聞いてますか。」

「……悟空の手が熱いのがいけない。」

「はぁ?どういう訳ですか。」

「……そなたの手を掴むと、胸がぎゅっと苦しくなるのだ……。」

 小さな声でお師匠様は言った。どんな物音でも聞き逃すことのない地獄耳のおれでなければ聞こえない声量ではあった。その時は意味が分からず聞き流したが、それはつまりあんな接吻をしてきたおれのことを汚らわしいと思っているから、触れることを拒むのでは……、とおれは思い至った。





              ・・・
「天地がひっくり返りそうな顔をしてどうした。大聖殿の思考を読んでもいいか。」

 すでに映像は終わっており、二郎真君が悟空を覗き込んでいた。 

「だめだっ。……いや、二郎真君はそんなこともできるのか。」

「この視根鏡を使えば考えていることが筒抜けになるのだ。」

 二郎真君の懐からまた妙な鏡が出てきた。周囲に妙な刺繍を施されたただの硝子片に見えるが、よく見れば刺繍ではなく色とりどりの呪符が書いてある。

「ものは試しだ。私を見てみるがいい。」  

 硝子を通して二郎真君の顔を見てみると、『接吻は尊い』『成就する見込みの薄い大聖の恋路を応援したい』『弱きを助ける者こそが真の漢である』となどの文字が書いて見える。悟空は盛大なため息をついた。

「お前が裏表のない野郎だってことはよくわかったよ。」

「だろうだろう。それを使えばどんなに本音を取り繕うとしても、考えていることが手に取るようにわかる。少し貸してやろう。想い人の心を読んでみたいだろう。」

 二郎真君が強引に悟空の手に視根鏡を押し付けた。もし、三蔵に直接「おれを汚らわしいと思っていますか。あの接吻が重かったですか。」と聞いたところで、三蔵は礼を失しないように決して本当のことは言わないに違いない。

 しかしこの鏡があれば、三蔵の本音を聞くことができるかもしれない。酔いが回ってきた悟空は、ついに視根鏡を返せなかった。

「そういえば昔、変化対決をしたときに、大聖殿は野雁に化けたことがあっただろう。」

 突然、話題が変わり悟空は戸惑った。悟空が天界を荒らし回って二郎真君が成敗にきた時の対決の話である。

「そんなこともあったな。」

「野雁はどの鳥類とも交合する卑猥な鳥であるからして、私は変化を解き遠くから射たのだが、もしやあれは私を野合に誘っていたのか。」

 悟空は呑んでいた酒を吹き出した。

「ちょっと待て、なんでそんなことになる。あれはお前なんかヤッちまうぞ、とかそういう挑発であって全然そんな意図はこれっぽっちもねえよ。」

「そうなのか。大聖殿は見目が良く清廉な男性が好みのようだから、てっきり私のことも好いていたのかと思ってな。好意に気づかずに矢を射たのであれば申し訳ないと思って聞いてみたのだ。」

 二郎真君でもなければ、自惚れるなと怒鳴りつけたいところだが、見目が良いのは事実なので悟空も怒るわけにもいかない。

「大聖殿、少し借りるぞ。」

 言い置いて二郎真君は視根鏡で悟空を見た。さすがに悟空と互角に渡り合う天界の将である。身のこなしが素早い。悟空が身を捩るよりも先に用を済ませ、悟空の手元に再び鏡を滑り込ませた。

「『真君は顔は良いが中身は全く好みではない』『お師匠様に敵う人なんていやしない』か、結構結構。大聖殿の唐僧への気持ちの強さを改めて思い知ったぞ。さあ、この視根鏡、役立てて下されよ。」

 二郎真君は大きく笑いながら去っていった。

 悟空は一人ため息をついた。屋根の上に座ったまま、一面の夜空を見上げ大きく伸びをした。
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