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第二部 第七章 対峙

対峙2

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 環野の巧みな運転は旭日昇天の勢いで玄奘の実家まで到達した。

「速いけどよぉ、社長の運転する車には俺もう二度と乗りたくねえよ」

 足元をふらつかせながら八戒が車から降りる。

「危険な目になど遭わせなかったろうに」

 環野が心底不思議そうに言う。

「そうだけど、あれだけ頻回に車線変更して爆走してたらさすがの俺も何にも食べられないですよ」

「余計な口をきくな。向こうの監視カメラでは既に拙者たちの姿を見ているだろう。盗聴器も仕掛けられていてもおかしくない。下手に喋って情報を与えてやることはない。情報には価値がある」

 悟浄は門に取りつけれた監視カメラの位置を既に特定している。ハッキングしようと試みているらしい。

 玄奘の実家はまさに大屋敷そのものだった。道路よりも家の敷地は高台になっていて、大きな門以外は外から見ることができない。磁路の身長よりもはるかに高くに塀囲いがあり、家そのものは屋根の片鱗すら窺えなかった。

「たのもー」

 磁路がインターホンを鳴らしてみるが反応はない。

「どうする?」

「門を蹴破るか」

「一応芸能人だから荒事は避けねば」などと相談していると、大きな門がぎぎぎ、と鈍い音を立てて開いた。門の先には気の遠くなりそうな長さの階段が現れた。

「待ってろ、玄奘」と、悟空は階段を飛ぶように駆け上がった。






 全ての階段を駆け上がると、さすがの悟空も息が上がり、額には汗をかいた。
 
 ちーん、という音がして、隙なく横目で伺えばエレベーターの扉が開き、中から八戒と環野が降りてきた。二人とも涼しい顔をしている。

「決戦の前に無駄な体力を使うな、阿呆たちめ」

「おっまえらな……エレベーターあるなら早く言えっつの」

 悟空が睨みつける。磁路も流石に青筋を立てている。

「俺が言う前にみんな駆けあがっちゃったんじゃねえか。仕方ねえから社長だけお連れしたんだよ」

 八戒は例のごとくまったく悪びれない。

「さ、話し合いだ。行くぞ」

 先陣を切る社長について行かないわけにもいかず、磁路は励ますように悟空の背を叩いた。




  
 玄関ポーチまで煉瓦造の道がつながるモダンな外観の邸宅である。家の周りには芝生と背の低い広葉樹が配置されている。

 一行ががしがしと歩いていくと自動ドアのように玄関扉が開いた。白い大理石の上り框はまるで氷の宮殿のようだ。先程までかいていた汗が急にひいていくのを感じる。

「アポイントメントもなしに来られるとは大した傲慢さですわ。それとも芸能界の方はどこでも優遇されるとでも思っていらっしゃるのかしら。不遜で高慢な態度は慎んだ方がよろしくてよ」

 美しい髪を結い上げた女性が立っている。シックな黒いワンピースは喪服のようでいて、しかし彼女の妖艶さを引き立たせていた。冷ややかな視線とぽってりとした唇のギャップが色気を漂わせる。

「俺、好きなタイプ」

 八戒はさっそく涎をたらす。

「面談の通告はしておいたはずだ」

 環野は冷ややかさでは負けていない。

「一方的な通告ではアポイントメントにならなくてよ」

 女は唇を歪ませて笑う。

「いくら連絡を試みてもそちらが応じぬというのであれば、直接乗り込む他に手はあるまい。私は事務所シャカシャカの社長、環野音太郎。後ろにいるものは弊社所属のJourney to the Westのメンバーとそのマネージャーである。Journey to the WestのメンバーGenjyoの進退の件で火急の話し合いを行いたい。早急に当人と責任者を出していただこうか。我々がここに来ることはとうに予測がついていたはずだ」

「まあ、抜け目のない口ぶりだこと。いいわ、ついてらっしゃい」

 くるっと向きを変えると、女はしゃなりしゃなりと歩いた。

「あれが玄奘の母親だ。この広い家に玄奘の両親は二人暮らし、そして玄奘は一人息子だ」 

 悟浄がどこをハッキングしているものか、スマホを操作しながら囁く。

「母親は玄奘と似てないな」

 八戒の言葉に悟空も思わず頷く。玄奘の母はもっと温かみのある優し気な女性を想像していた。想像よりも若くて、冷淡な印象である。

「社長についてきていただいてよかった。あの失礼千万の言い回し、皮肉った態度。私一人であれば我慢できず、玄関ガラスを殴り壊していたな」

 磁路は腕まくりをしながらのしのしと歩く。

「おいおい、なんとか穏便に収めようぜ。俺、面倒事はごめんだよ」と八戒は喧嘩っ早いマネージャーの腕を引きながら言う。





 長い廊下を歩いて通されたのは、応接間だった。ベルベットの絨毯が敷かれ、壁には大きな角のある鹿の頭が飾られていた。まだ午前中だというのに薄暗いのは、窓のない部屋だからだ。

「この部屋は電波が届かぬようになっておる。密談の際の盗聴防止用だろうな」

「部屋の中で普段めちゃくちゃえっちなことやってんだぞ、きっと」

 悟浄のつぶやきに、八戒が緊張感の薄い予想を立てる。

 部屋の中央にはごてごてとした装飾のあるソファが置かれ、家の主が座っていた。

 三蔵慧みくらさとし。閣僚経験もある有力衆議院議員である。

 左手のソファには玄奘も座っている。肩を縮こまらせて小さくなっている。悟空が入っていっても、目を合わせようとしなかった。

 玄奘の父親は玄奘と瓜二つだった。しかし同じ顔のパーツを使用して全体の印象がかくも変わるかというほど、彼らの雰囲気は対照的であった。線が細く清廉な印象の玄奘と異なり、玄奘の父は胆力に溢れ、獰猛な鷲を想像させる。

「座ってくださいな」

 玄奘の母が言い、自分は父の右隣りのソファにかけた。

 環野はまったく怯まず、テーブルを挟んで玄奘の父の正面に座り足を組んだ。磁路は立ったままでいる。いざというときにとびかかれるようにだろう。

 悟空たち三人は顔を見合せてから、立ったままでいることにした。話し合いは社長に任せておいた方が良さそうだ。

「何の用向きだ、と聞いた方がいいのか?」

 玄奘の父が口を開いた。彼の響き深い声は玄奘のそれとよく似ていることに悟空は気付いた。 

 環野は余裕綽々の態度で言った。

「うちのGenjyoを返してもらいに来た。彼は正当な契約を結んで、わが社の所属アーティストとなっている。そもそも彼は未成年者でもない故、親と言えども契約を一方的に破棄する権利はない」

「玄奘自身が選んだのだ。歌手を辞めることを」

「そんなわけねーだろっ」

 悟空は思わず口を挟んだ。悟空の一片の曇りのない信頼に、玄奘は思わず顔を上げた。

 この部屋に入って初めて二人の目が合った。おれの知っている玄奘はそんなこと言うわけがない。

 しかし玄奘はすぐにまた俯いてしまった。玄奘の心の内がわからず、悟空は内心歯がみする。

 玄奘の父は悟空をちらりと見てから特に何の反応もせずに口を開いた。完全に小者に対する態度である。

「うちの不肖息子は音楽などという浮かれたものを生業にすると言って家を出た。ゆくゆくは議員になるのだから知名度のために芸能界で活躍するのも良いかもしれぬと大目に見ていたが、ついにメインボーカルも下ろされるという話ではないか。鳴かず飛ばずの芸能活動ではかえって家名に傷がつく。それであの頭の悪そうなバンドマンとの色恋沙汰をでっちあげて記事にさせ、解散を目論んだのだがな」

「あの紅害嗣との捏造報道は、父上の差金というわけかっ。あの記事のせいでどれだけ私たちが苦労したことかっ」

 記事の実質的な尻ぬぐいをさせられた磁路が、玄奘の父に掴みかかろうとし八戒と悟浄に「どうどう」と押さえつけられる。

 悟空はじっと動かずにいる。しかし、はらわたは煮えくりかえっている。

 あの捏造報道のせいで、玄奘がどれだけ精神を疲弊させられたか。ホテルで力なく笑う顔、ライブで声が出なくなり焦っている顔、歌いきってほっとしている顔。おれはずっと隣で見てきた。玄奘が歌えなくなるほど追い詰められたことをこの男はわかっているのだろうか。

 悟空の拳は震えている。

 環野の唇はまだ微笑みを浮かべている。

「今回の玄奘の引退記事も捏造して書かせたというわけか。記者を使う手管はお得意のようだ」

「退路を断とうと記事を先行させたが、ゆくゆくは事実となる。問題はない」

「玄奘に議員の座をお譲りになるにはまだお若いのでは?」

「私の選挙区を譲るつもりはしばらくない。まずは私の鞄持ちをさせて経験を積ませてから、比例代表での当選を目指し、ゆくゆくはこの地から候補として立てるよう研鑽してもらうつもりだが、早いに越したことはないだろう」

「お主の考えはわかった。では、今度は玄奘の話を聞こう」

 環野は玄奘に目を向けた。玄奘は涙をぽろぽろと流しながら言った。

「明日が新曲発表であるのに……こんな日に辞めるなど多大な迷惑をかけること……お許しください」

「玄奘っ」

 悟空は叫んだが、玄奘は悲しそうに首を振るだけだった。

「ほら、辞めると言っておる」

 玄奘の父は片眉を上げて言った。

 環野はまったく動じない。落ち着いて質問を投げかけた。

「玄奘、どんな条件を出された?言ってごらん?」

 玄奘は父親をちらりと見たが、父が何も言わないことがわかるとそっと口を開いた。

「私がジャニ西を辞めないのであれば、事務所シャカシャカを潰す……と。せめて、この新曲プロジェクトが終わるまではと頼んだのですが、それも許さないと」

 玄奘の父はにたりと笑った。自分の権力の強大さをひけらかすまいとしながらも、優越的な笑みがこぼれるのを禁じ得ない。

 とうとう我慢できなくなった磁路は腕まくりをする。

「はぁ?社長、もう殴っていいですか?」

「だめだ、磁路。じっとしておれ」

 環野はゆっくりと息を吸い込んだ。そして金色に輝く息を吐き出した。部屋に輝きが満ちていく。
 
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