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第二部 第一章 恋人のふり
恋人のふり4
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新曲に紅害嗣が参加し、さらに悟空がメインボーカルをとるという方針をジャニ西のメンバーを驚きをもって受け入れた。
悟空は玄奘に囁いた。
「玄奘、嫌なら嫌と言ってください。あなたが嫌ならおれは社長に直談判しにいきます」
事務所シャカシャカの社長は仮の名を「環野」と名乗る観世音菩薩である。前世の孫悟空なら既に筋斗雲に飛び乗り観世音菩薩に抗議しにいくタイミングであるが、人間として生まれ育った今世の悟空は最低限の社会的ルールは身につけているようである。
「いや……、プロデューサーが仰ることに従おう」
言葉少なに頷く玄奘を悟空は心配そうに見つめた。
と、ここでジャニ西メンバーとマネージャー磁路に頭を下げる男がいる。その背筋はぴんとして臆することはない。彼こそ紅害嗣のマネージャー納多である。
「この度はうちの紅害嗣が非常に迷惑をかける可能性が高い。先に謝っておく。申し訳ない」
少年のような容姿で納多が颯爽と叩頭すると、芳しい風が吹いた気さえした。磁路は納多の肩を叩き、朗らかに笑った。
「納多殿。騒がしいのはうちのジャニ西もさほど変わらぬ。あの御仁を統制しておくのは非常に難儀だ。三人寄れば文殊の知恵。皆で知恵を出し合って、玄奘を守る策を考えようぞ」
口を挟んだのは悟空だ。
「おれは玄奘からずっと離れる気はねえけど」
「しかし、大聖殿だって一人で行かねばならぬ仕事があろう」
「その時は八戒と悟浄をそばにつけておくさ」
「あまりあからさまに紅害嗣から玄奘殿を遠ざけると、奴は怒り狂う可能性もある」
紅害嗣不在の場で、対紅害嗣防衛策について真剣な表情で話し合う三人を遮ったのは、のんびりとした八戒の声だった。
「あのさぁ、兄貴と玄奘はもうつきあってるってことにしたらいいんじゃねえの?」
はぁ?と顔をしかめる悟空と対照的に、納多の瞳は輝いた。
「その手があったか!もう二人は恋人同士ということにすれば紅害嗣も簡単には手が出せまい。大聖殿と玄奘殿が始終一緒にいることへの説明もつく。そうしてもらえると、ありがたい。玄奘殿、いかがだろうか?」
すがるような瞳で納多に両手を握られた玄奘は、
「はぁ……まあ……別に、恋人のふりだけなら、……問題はないと思いますけど……」と、頬を赤らめて答えた。
「最近、兄貴にさわってもらえなくて寂しかったでしょう?恋人のふりをしてる間に本当につきあいたくなるように兄貴のことをけしかけてやりましょう」
にやけながら小声でそそのかしてくる八戒に、玄奘は曖昧に頷いた。
焦ったのは悟空の方である。まさか玄奘がそんな提案を受け入れるとは思わなかったのだ。昨今の自分は、玄奘に少し近づいただけでどっきんどっきんとした動悸が止まらなくなっているのに、恋人のふりなどすれば本心がだだ漏れしてしまうに決まっている。
悟空はアイコンタクトで磁路に助けを求めながら、反論を試みる。
「いや……、でも同じグループ内で交際ネタが出たりすると、ファンにとっても衝撃が大きいんじゃないスかねぇ?ここでファンを掴まなきゃってタイミングで、ファンが離れていくかもしれないネタをぶっこむのはちょっとグループ戦略上いかがなもんですかねぇ?なあ、磁路?」
磁路が口を開く前に八戒が一蹴した。
「何言ってんだよ、兄貴。うちのグループにとっちゃ、兄貴と玄奘がつきあってるってなれば待ってましたってなもんだろ。Gokujyo殉教者殉教者が狂喜乱舞するから話題にもなって逆に盛り上がっちまうよ」
殉教者とは、ジャニ西のファンの総称である。その中でもGokujyo殉教者とは悟空と玄奘のカップル推しで応援しているファンのことである。彼らは「極上極上」「御苦情御苦情」などの隠語を用いてSNS上で二人の関係を妄想しており、殉教者の中でも一大勢力を誇っているのだ。
磁路は鷹揚に構えながら悟空の肩を持った。
「いやいや、二人の交際について週刊誌などに勝手に記事を書かれた場合、あることないこと吹聴されたあげくイメージダウンになる可能性もあるから、慎重に検討した方が良いかもしれぬな」
「そ、そうだよな。こんなこと、簡単に決められねーよなっ。慎重に検討して考えた方がいいな」
冷や汗をかきながら言い募る様子の悟空を見て、それまで黙っていた悟浄が口を開いた。それはまるで地の底から這い出てくるような不吉ささえ感じる重低音で、誰もが耳をそばだてた。
「悟空、血迷うたか。推しを守るためにオタクが役に立てるというのに何を迷っておる。否、という選択肢などオタクにはないものと心得よ」
悟浄の曇りなき眼の真剣さに心を打たれない者はいなかった。ここにいる者は多かれ少なかれ人格的特徴としてオタク要素を持つ者ばかりである。
「おうおう悟浄よ、オタクと推しが恋人のふりするなんて不届きだとかなんとか反対するかと思ったのに俺の案に賛成してくれるんだな。けっこう見る目があるじゃん、お前」
八戒は我が意を得たり、と悟浄を誉めそやした。悟浄は宣言した。
「推しを守るためならどんな手も厭わぬ、それこそがオタクの鑑)。手段など選んでいる場合ではない。今、最優先すべきは玄奘の安全だ。社会的名声や評判などを気にしている場合ではない」
悟空は思わず息を呑む。悟浄の演説に目を開かされた気分である。自らの余裕のなさで大事なことを見落としていた。玄奘の安全を確保する重要さに比べれば、自分の恋情がもれ出てしまうことなど些細な問題だ。
思い直した悟空が口を開こうとすると、玄奘がそれを押しとどめた。
「無理をすることはない。それほど悟空は私と恋人のふりなどしたくないのだ。よくわかった」
「えっと……はぁ?」
この場にいる玄奘以外の全員が、悟空が玄奘に惚れていることを知っている。全員の目が点になったが、玄奘本人はいたって真剣な顔であった。
「私だって別にそなたと恋人ごっこがしたいわけではない。しかし他に手がないなら仕方ない、と思っていた。ただ、悟空が恋人のふりでさえもしたくないほど、私に近寄りたくないのであれば、他の方法を考えるしかないだろう。私だって進んで恋人ごっこがしたいわけではない」
玄奘は怒りと羞恥のせいか、頬を赤らめている。
(恋人ごっこがしたいわけではないって二回言った……よっぽどしたかったんだな……)と察した八戒は、玄奘をなだめた。
「そんなことないですよ、兄貴はただ照れくさいだけですよ。それかオタクは推しにふれちゃならねえという、いつものめんどくさい病気がでてきただけです」
ここまで来てしまっては磁路も八戒に同意するしかない。
「そ、そうであるっ。大聖殿だって、玄奘と恋人ごっこをしたいに決まっておる。いつも玄奘の隣を譲らないのに、誰よりも一番近くにいられるチャンスを逃すはないであろう、な?大聖殿?」
ぶんぶんと力強く頷く悟空に、玄奘は尋ねた。
「そうなのか?悟空は、私と……恋人ごっこしたいのか?」
「……したいです」
うつむき加減の玄奘から上目遣いに尋ねられ、悟空は唇を噛みしめながら言うしかない。つられて余計なことを言わないようぐっと堪える。
もはや紅害嗣対策のための恋人のふりではなく、「恋人ごっこ」という、ほのかに卑猥な匂いのする単語にすり替わってしまっているが、だれも指摘できる者はいなかった。
「ではよろしく頼む。紅害嗣はああ見えてかなり鋭い。生半可な演技では見抜かれてしまうだろう。しばらくの間、二人には本気で恋人だという想定で過ごしていただく事をお願いしたい」
納多が引き締まった表情で告げ、散会となった。面白えことになってきたと、にやついているのは八戒ただ一人、あとの面々はそれぞれの思惑を抱え一様に唇を引き結んでいた。
悟空は玄奘に囁いた。
「玄奘、嫌なら嫌と言ってください。あなたが嫌ならおれは社長に直談判しにいきます」
事務所シャカシャカの社長は仮の名を「環野」と名乗る観世音菩薩である。前世の孫悟空なら既に筋斗雲に飛び乗り観世音菩薩に抗議しにいくタイミングであるが、人間として生まれ育った今世の悟空は最低限の社会的ルールは身につけているようである。
「いや……、プロデューサーが仰ることに従おう」
言葉少なに頷く玄奘を悟空は心配そうに見つめた。
と、ここでジャニ西メンバーとマネージャー磁路に頭を下げる男がいる。その背筋はぴんとして臆することはない。彼こそ紅害嗣のマネージャー納多である。
「この度はうちの紅害嗣が非常に迷惑をかける可能性が高い。先に謝っておく。申し訳ない」
少年のような容姿で納多が颯爽と叩頭すると、芳しい風が吹いた気さえした。磁路は納多の肩を叩き、朗らかに笑った。
「納多殿。騒がしいのはうちのジャニ西もさほど変わらぬ。あの御仁を統制しておくのは非常に難儀だ。三人寄れば文殊の知恵。皆で知恵を出し合って、玄奘を守る策を考えようぞ」
口を挟んだのは悟空だ。
「おれは玄奘からずっと離れる気はねえけど」
「しかし、大聖殿だって一人で行かねばならぬ仕事があろう」
「その時は八戒と悟浄をそばにつけておくさ」
「あまりあからさまに紅害嗣から玄奘殿を遠ざけると、奴は怒り狂う可能性もある」
紅害嗣不在の場で、対紅害嗣防衛策について真剣な表情で話し合う三人を遮ったのは、のんびりとした八戒の声だった。
「あのさぁ、兄貴と玄奘はもうつきあってるってことにしたらいいんじゃねえの?」
はぁ?と顔をしかめる悟空と対照的に、納多の瞳は輝いた。
「その手があったか!もう二人は恋人同士ということにすれば紅害嗣も簡単には手が出せまい。大聖殿と玄奘殿が始終一緒にいることへの説明もつく。そうしてもらえると、ありがたい。玄奘殿、いかがだろうか?」
すがるような瞳で納多に両手を握られた玄奘は、
「はぁ……まあ……別に、恋人のふりだけなら、……問題はないと思いますけど……」と、頬を赤らめて答えた。
「最近、兄貴にさわってもらえなくて寂しかったでしょう?恋人のふりをしてる間に本当につきあいたくなるように兄貴のことをけしかけてやりましょう」
にやけながら小声でそそのかしてくる八戒に、玄奘は曖昧に頷いた。
焦ったのは悟空の方である。まさか玄奘がそんな提案を受け入れるとは思わなかったのだ。昨今の自分は、玄奘に少し近づいただけでどっきんどっきんとした動悸が止まらなくなっているのに、恋人のふりなどすれば本心がだだ漏れしてしまうに決まっている。
悟空はアイコンタクトで磁路に助けを求めながら、反論を試みる。
「いや……、でも同じグループ内で交際ネタが出たりすると、ファンにとっても衝撃が大きいんじゃないスかねぇ?ここでファンを掴まなきゃってタイミングで、ファンが離れていくかもしれないネタをぶっこむのはちょっとグループ戦略上いかがなもんですかねぇ?なあ、磁路?」
磁路が口を開く前に八戒が一蹴した。
「何言ってんだよ、兄貴。うちのグループにとっちゃ、兄貴と玄奘がつきあってるってなれば待ってましたってなもんだろ。Gokujyo殉教者殉教者が狂喜乱舞するから話題にもなって逆に盛り上がっちまうよ」
殉教者とは、ジャニ西のファンの総称である。その中でもGokujyo殉教者とは悟空と玄奘のカップル推しで応援しているファンのことである。彼らは「極上極上」「御苦情御苦情」などの隠語を用いてSNS上で二人の関係を妄想しており、殉教者の中でも一大勢力を誇っているのだ。
磁路は鷹揚に構えながら悟空の肩を持った。
「いやいや、二人の交際について週刊誌などに勝手に記事を書かれた場合、あることないこと吹聴されたあげくイメージダウンになる可能性もあるから、慎重に検討した方が良いかもしれぬな」
「そ、そうだよな。こんなこと、簡単に決められねーよなっ。慎重に検討して考えた方がいいな」
冷や汗をかきながら言い募る様子の悟空を見て、それまで黙っていた悟浄が口を開いた。それはまるで地の底から這い出てくるような不吉ささえ感じる重低音で、誰もが耳をそばだてた。
「悟空、血迷うたか。推しを守るためにオタクが役に立てるというのに何を迷っておる。否、という選択肢などオタクにはないものと心得よ」
悟浄の曇りなき眼の真剣さに心を打たれない者はいなかった。ここにいる者は多かれ少なかれ人格的特徴としてオタク要素を持つ者ばかりである。
「おうおう悟浄よ、オタクと推しが恋人のふりするなんて不届きだとかなんとか反対するかと思ったのに俺の案に賛成してくれるんだな。けっこう見る目があるじゃん、お前」
八戒は我が意を得たり、と悟浄を誉めそやした。悟浄は宣言した。
「推しを守るためならどんな手も厭わぬ、それこそがオタクの鑑)。手段など選んでいる場合ではない。今、最優先すべきは玄奘の安全だ。社会的名声や評判などを気にしている場合ではない」
悟空は思わず息を呑む。悟浄の演説に目を開かされた気分である。自らの余裕のなさで大事なことを見落としていた。玄奘の安全を確保する重要さに比べれば、自分の恋情がもれ出てしまうことなど些細な問題だ。
思い直した悟空が口を開こうとすると、玄奘がそれを押しとどめた。
「無理をすることはない。それほど悟空は私と恋人のふりなどしたくないのだ。よくわかった」
「えっと……はぁ?」
この場にいる玄奘以外の全員が、悟空が玄奘に惚れていることを知っている。全員の目が点になったが、玄奘本人はいたって真剣な顔であった。
「私だって別にそなたと恋人ごっこがしたいわけではない。しかし他に手がないなら仕方ない、と思っていた。ただ、悟空が恋人のふりでさえもしたくないほど、私に近寄りたくないのであれば、他の方法を考えるしかないだろう。私だって進んで恋人ごっこがしたいわけではない」
玄奘は怒りと羞恥のせいか、頬を赤らめている。
(恋人ごっこがしたいわけではないって二回言った……よっぽどしたかったんだな……)と察した八戒は、玄奘をなだめた。
「そんなことないですよ、兄貴はただ照れくさいだけですよ。それかオタクは推しにふれちゃならねえという、いつものめんどくさい病気がでてきただけです」
ここまで来てしまっては磁路も八戒に同意するしかない。
「そ、そうであるっ。大聖殿だって、玄奘と恋人ごっこをしたいに決まっておる。いつも玄奘の隣を譲らないのに、誰よりも一番近くにいられるチャンスを逃すはないであろう、な?大聖殿?」
ぶんぶんと力強く頷く悟空に、玄奘は尋ねた。
「そうなのか?悟空は、私と……恋人ごっこしたいのか?」
「……したいです」
うつむき加減の玄奘から上目遣いに尋ねられ、悟空は唇を噛みしめながら言うしかない。つられて余計なことを言わないようぐっと堪える。
もはや紅害嗣対策のための恋人のふりではなく、「恋人ごっこ」という、ほのかに卑猥な匂いのする単語にすり替わってしまっているが、だれも指摘できる者はいなかった。
「ではよろしく頼む。紅害嗣はああ見えてかなり鋭い。生半可な演技では見抜かれてしまうだろう。しばらくの間、二人には本気で恋人だという想定で過ごしていただく事をお願いしたい」
納多が引き締まった表情で告げ、散会となった。面白えことになってきたと、にやついているのは八戒ただ一人、あとの面々はそれぞれの思惑を抱え一様に唇を引き結んでいた。
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