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第一部 第二章 推しが炎上する

推しが炎上する3

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 配信が始まった。おれの目の前には薄暗い寺の本堂に玄奘が座っているが、玉竜の前にあるモニターにはきらきら光る泉を背景に無表情で竜が喋る映像が映っている。

 おれは画面を見ずに、生の玄奘を見る。だってこっちの方がいい。竜なんかより玄奘の顔のまま語ってもらった方が同じ内容でも納得感が違う。

 おれの声をマイクが拾ってしまわないように小声で横にいる玉竜に話しかける。

「あのさあ、なんでkonzenのアバターは竜なんだ?」

 推しであるとはいえ、konzenの配信は竜が無表情でかなり良い声で経典を読み上げる画面が延々続き、動きはほとんどない。かなりシュールだ。推している立場として見ても、一般受けするとはまるで思えない。

 挨拶もそこそこに早速、竜の読経が始まった。玄奘の声が良いから聞いていられるが、一度、生の玄奘の読経を聞いてしまった身としては、アバターの竜が読経する映像では我慢ならなくなってくる。玄奘の姿をそのまま出した方が絶対良いはずだ。

「竜が神々しく経典を読み上げるなんて荘厳で最強でしょ?」

「玄奘のアイディアじゃなくて、お前の趣味なんだな」

 おれは一応ふむふむと形だけ頷いてから、玉竜の肘をつついた。

「あのさあ、玄奘をそのまま出した方がファン増えるんじゃね?」

「はぁ?玄奘が読んだってただの若い坊主が読むだけで何の感動もないじゃん。読経ライブはなかなか人が集まらないんだから、インパクトが必要なんだよ。まったく素人は困るなあ。」

 鼻であしらうような玉竜の態度に腹が立ち、おれは思わず立ち上がった。

「玄奘の姿を出した方がインパクトあるに決まってんだろ?あんなに綺麗なんだぞっ」

 玉竜は聞く耳を持たない。

「配信中でーす。静かにしてよ」と睨まれ、おれは仕方なく黙る。

「指向性マイクにしておいて良かったー。悟空の声が入らなくて良かったよ」と嫌味っぽく言う玉竜に、おれは腕組みして唇を突き出す。最高の提案だと思うのだが。

 すると突然、玉竜が「なんだこれ」と身を乗り出すようにしてモニターを覗き込んだ。

「どうした」

 玉竜が指したのはコメント欄だった。急に流れる速度が速くなり、しかもそのほとんどが否定的なコメントばかりだ。荒れだしている。

 一体、何が起こったのか。玄奘はいつも通り読経をしているだけだ。炎上するような発言をしたわけでもない。

 「仏教を金儲けに使うな」「結局有名になりたいだけやろ。」「読経で注目されると思ってんのか生臭坊主」「声が変」などというアンチコメントがどんどん流れていく。

 おれは一つ一つ反論してコメ主を一発ずつ殴ってやりたいところであるが、相手がわからない以上手が出せない。

 アカウント名「まんぷくぷく」を名乗る八戒を初めとして、常連ファンは変わらずに「気にすることないよ」「konzen頑張って」などとコメントをくれていることに心は少し和むが、いかんせんアンチコメントの勢いに押されている。

 おれのスマホが震え、悟浄からのメッセージが表示された。

「コメントを送っているパソコンのIPアドレスの特定にかかっているが、少し時間がかかりそうだ」

 仕事が早くて助かるな、と思い、おれはおれの仕事をしなくてはと決意する。

 玉竜は青ざめた顔で
「どうしよう。一旦、今日は配信を終了した方がいいかな」と唇を震わせている。

 こんな事態は初めてなのだろう。一方の玄奘はまだ事態に気付かずに安寧な表情で読経を続けている。

 おれは玉竜を落ち着かせるように肩を叩いてやる。

「とりあえず事態を収拾しよう。この場の仕切りをおれに任せてくれ。」

 玉竜の付けているヘッドセットマイクを寄こせと指さす。

「……で、でも……悟空にそんなことできるわけ?」

「コンビニ店員舐めんなよ。モンスタークレイマーも強盗も相手にしてきたベテラン店員だぞ」

 玉竜はマイクを頭から外しておれに渡した。これで玄奘に指示を出すことができる。

 おれは一つ深呼吸をついてから、始めた。

「玄奘、読経は続けたまま、落ち着いて聞いてください」

 玄奘はおれが話しかけても指一つ動かすことなく、流れるような読経を続けている。

 コメント欄を見ればはらわたが煮えくり返るような暴言があふれているが、そんな毒のようなコメントを玄奘の目にはさらしたくない。おれが防波堤になる。
 はらわたの熱に蓋をし、冷静な声でおれは続ける。

「今、コメント欄が急に荒れています。今から事態を収めるための方法を提案します。玄奘、顔出し配信に切り替えましょう」

 経を唱え続ける玄奘の声が一瞬だけ揺れた。

「おれは玄奘の読経している姿を見て、美しいと思いました。おれの求めていたものがここにあると思いました。玄奘の姿を見たら心の曇りが晴れる人がきっといるはずです。玄奘は仏教の貴さを皆に広めたいから配信をしているって決意を聞かせてくれたじゃないですか。それならまず認知度を上げるために使えるモンは何でも使わないと。いいですか、玄奘の武器はその顔ですよ。顔を出せばその美しさに驚いて衆目は集まります。きっとアンチも驚いてコメントする気さえ起こらなくなりますよ」

 舌はもうもつれなかった。心の内で思っていることをそのまま玄奘に伝えられたのはこれが初めてだ。距離を取ったマイク越しだからかもしれない。

「玄奘、無理にとは言いません。嫌なら片手を挙げてください」

 玄奘は合掌したままだった。目を開けた玄奘はおれをまっすぐ見つめ、わずかに頷いた。

「玉竜、玄奘の姿を映せ」

 玉竜は逆らわずにパソコンを操作した。モニターに映る竜が消え、美しい僧が現れた。

 今この時、玄奘の美しさが全世界に向けて公開された。ぼんやりとした灯りに照らされた玄奘は幽玄だった。経の調べが更なる妙音を深めた気さえする。

 おれは息を呑んだ。想像以上だった。こんなに美しくて尊い存在がこの地に存在して良いのか。

 玉竜は再び指さした。最初の配信トラブル以外で玄奘が顔を出したのは初めてだ。視聴者数が驚くような回転数で伸びている。それに伴い、コメント欄も「初見です」「マジ美坊主」「こんなクールな読経初めて聞いた」などと好意的なものが増え始める。

 玉竜は
「すごい……こんな視聴者数、今まで見たことないや」と思わず漏らしてしまったように言った。






 配信は多数の新規ファンを獲得して無事に終了した。

「悟空、ありがとう。悟空のおかげです」

「い、……や、あの、別にこれくらい普通ですよ。玄奘の役に立ちたかっただけです」

 玄奘に傍に寄られ合掌されながら見つめられると、嬉しさのあまり腹がもぞもぞして挙動不審になってしまう。

「これからは顔出し配信もしていった方がいいのかも。僕の作ったアバターが活躍できないのは残念だけど」

 玉竜がさらさらとした髪をかきあげながら偉そうに言った。

「おれの言った通りだろう?玄奘は顔を出した方がいいんだって」

「そだねー。オタクの求めているものを知るためにはオタクに聞くのが一番早いんだね。今回よくわかったよ」

「テメーは本当に口が減らねえなあ」

 配信の危機を乗り越えた安堵と達成感から軽口を叩き合いながら機材を片付けていると、一人の僧が近付いてきた。玄奘が合掌して出迎え、玉竜も深いお辞儀をする。

「住職様、本日もありがとうございました」

 この中年僧がこの寺の責任者らしい。

「玄奘さん、大変申し上げにくいのですが、配信の際にこの寺を使うのはこれを最後にしてほしいのです」

 玄奘の眉が曇った。

「どういうことですか」

「あなたは我が寺の僧でもなく、まだ正式な僧の修行を受けたわけでもない。しかもVtuberとしての活動に寺が協力しているのも檀家からの理解を得られにくいのです。どうか……、これきりということで、機材もお持ち帰りください」

「そんな急に……ちゃんと使用料も払っているのに」

 反論しようとする玉竜を制して、玄奘は言った。

「わかりました。今までお世話になりました。配信場所として協力してくださったこと、深く感謝しております」

 踵を返す中年僧の道を塞ぐようにおれが立った。

「すぐに機材は片付けてやるし、今後も一切連絡取らねえから安心しな。ただな、今までずっと配信場所として使わせていたのに、急に退けってのはおかしいだろ。どっかから圧力かかったな」

 決めつけるようにして言うと、僧はほっとしたように頷いた。

「檀家からkonzenへの協力をやめろと……」

「どこのどいつだ」

花園かえん建設です」

 花園建設と言えば、暴力団牛王牛王ぎゅうおう組の息がかかった会社である。

「……オメーら、ヤクザとつきあいあんのかよ」

「口を慎めっ。つきあいなどない。向こうが勝手に領分を主張してくるだけだ」

「へいへい」

 ヤクザの言いなりになって玄奘を追い出している身で何を言うと心の中であきれ果てるが、おれはため息をつくだけにしてやる。

 しかし、なぜ暴力団がただの一般人でしかないkonzenを潰そうとしてくるのか。このストーカー騒動は思ったより根が深いのかもしれねえ。

「とにかくっ。すぐにそこを片付けてほしい。ではなっ」

 僧は言い捨てると小走りに去った。よっぽど後ろ暗いらしい。

「配信場所……これっからどうしよっか。配信、続けられるかなあ」

 玉竜が頼りなく言い、玄奘は何も言わずに合掌した。

 すっかり暗くなった冬の空はちらちらと頼りない星の光が瞬いていた。
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