誇らしい私の娘

Atokobuta

文字の大きさ
上 下
1 / 3

1

しおりを挟む

 今日の仕事はアヴァさんとのペアだからすぐに終わるだろう。

 扉の右上に愛想なく表記された部屋番号を確認してから、ドアハンドルに手をかける。指紋認証の働く音はしない。既に鍵もかかっていないのだ。

 部屋の主は、つい最近矯正所ゲダンケンエクスぺリメンに収容されたらしい。脱いだままの靴下や少し水が残ったままのコップが残されている。数か月以上無人の部屋になると、何とも言えない濁った空気が部屋に充満しているからすぐにわかる。

 特に今日のような上層階特有のはめ殺し窓ばかりの部屋は無人になるとすぐに空き家臭がしてくる。



 部屋の家具はベッドと小さなビューローのみだ。個人情報がわかる物や貴重品は情報部トラッチェンが既に持っていったとは言え、物の少ない部屋はすぐに片付いた。

 耳たぶのスイッチでコンタクトアイカメラ機能を起動させ、部屋の様子を撮影して会社に送ろうとしたところで、アヴァさんに止められた。

「報告あげるのは少し休憩してからでいいよ」

「なんでです?」

「我々は仕事が早い。しかし仕事を早く片付けたからと言って、報酬が増えるわけじゃないし、場合によっては今日の課題タスクを増やされるだけだ。それなら仕事に時間がかかったふりをして、仕事完了の報告をしても何も変わらない、だろ?」

 人民の行動を把握する監視ドローンにサボタージュを見つかったら面倒だと思うが、こんな高層まで登ってくるドローンもそういないだろう。

「まあ、そうですね」

 アヴァさんにつられるように私も床に腰を下ろした。薄いカーテンの隙間から射してくる日差しが心地よい。高層階は日当たりだけは最高だ。

 私達の仕事は清掃部ツールクツェッツだ。ただし清掃場所は矯正所ゲダンケンエクスぺリメンに収容された人の部屋のみ。清掃後の部屋にはまた新しく成人インスタラチオンしてきた若者が入居する。秘密保持が関わってくるだけに清掃業の中ではランクが若干高めのN5という位置づけになっている。

 コポコポと水筒からお茶を淹れてアヴァさんが手渡してくれる。

「この部屋のコップですよね」

 私が少し眉をしかめたのをアヴァさんは見逃さない。

「綺麗に洗ったのは保証するよ」

「洗ったの、私ですけどね」

「飲まないの?」

「飲みますけど」

 飲み込もうとした瞬間、想定外の甘苦さがのどを刺激し思わず咽せた。

「アヴァさん、このお茶、変な味」

「ええ?ただの緑茶だけどなあ」

 私からコップを受け取ったアヴァさんは一口飲み、そして頷いた。

「これは……だ」

 そしてコップのお茶をためらいもなくシンクに捨てた後、グラスの底に指を突っ込んだかと思うと、ぺらりと透明な丸いシールを剥がした。

「透明の情報磁気ゲタクヒスシート?見た目には位置特定機能付っぽいけど」

 ちょうどグラスの底と同じ大きさの円になるようなシールに成形していたせいで、グラスを洗った時にもまったく気づかなかった。

 アヴァさんは顎を撫でて言った。

「しかも情報部トラッチェンに見つからないように探知機隠密処理までかけてるっぽい。次にこの部屋にくる入居者がこのコップを使った時に初めて気が付いて、あわよくば助けに来てほしいってことかな」

「ヤバいじゃないですか。会社に報告しなきゃですよね」

 焦る私と対照的にアヴァさんは床にごろりと寝そべった。

「面倒くさいから放っておこう。何も気が付かなかったふりで、すべて闇に葬ろう。世界はそうやって回っているんだよ」

 あっという間にシャツを捲られ、とんとんと私の背中の素肌を叩いてくる。アヴァさんはその拍子に情報磁気ゲタクヒスシートを私の背中に貼ったらしい。

「いやだ、剥がしてくださいよ」

 ちょうど私の手の届かない背中の中央だ。

「いやだね~」

 アヴァさんは歌うように言って尻を掻いた。どうやらここで昼寝する気らしい。
 





 

 家に帰ってすぐに寝室へ向かう。レンシャリアは、私が朝家を出た時と同じ格好でベッドにいた。

「おかえり」

「ただいま」

「ごめんヴァリ……、あの」

「お尻気持ち悪い?すぐ拭くね」

 レンシャリアの陰部を拭いてオムツをあてがう。慣れた作業だ。

 天井に設置した介護用アームを操作することで、レンシャリアは自分の身体を持ち上げ、ベッドの隣のトイレで用を足すことはできる。

 の時はそれで事足りるが、介護用アームで尻を丁寧に拭くことはなかなか困難なのだ。疑う人はやってみればいい。アームが一番拭いてほしい奥まった部分まで届かないか、無理に届かせようとして強度を上げて痔になるかのどちらかになるはずだから。

「帰ってきて早々に、ごめんね」

「謝らないで」

「うん……そだね」

 レンシャリアと私は五年前にパートナー婚をした。どちらもN5の同ランク婚だから珍しくない。

 想定外だったのはレンシャリアの病気だった。結婚して数年後、彼女が何もないところで躓いたり、起きぬけに喋りにくくなったりするようになった。病院にかかったが、進行を遅らせる薬はあるが高価なためN5ランクには使用許可がないとのことだった。年齢が若いせいか進行が早く、ついにはベッドから起きることも一人ではできなくなってからもう一年以上経つ。

 それでもいい。彼女が笑ってくれれば私はそれでいい。

 レンシャリアのために作ったペースト状の夕食を食べさせながら、私はアヴァさんの話をする。

「あの人も相変わらずテキトーっていうか、仕事はデキるんだからもっと出世をめざせばいいのにね」

 レンシャリアはいたずらっぽい瞳をきらめかせて言った。この目が私は好きだ。

「ヴァリだってもっと出世を目指せばいいのに」

「所詮このランクで出世したところで、天井は見えてるし」

 私が前髪を掻きあげながら言うと、レンシャリアは笑った。

「その言い方、アヴァさんに似てる」

「え~、地味に嫌なんだけど」

 お互いに顔を見合せて笑った後、レンシャリアが咳払いしてから言った。

「あのね」

 私はレンシャリアの美しい唇が動くのを見た。

「明日、私は矯正所ゲダンケンエクスぺリメンに行くの」

 突然、世界から音が消えたような気がした。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

椿散る時

和之
歴史・時代
長州の女と新撰組隊士の恋に沖田の剣が決着をつける。

独裁者・武田信玄

いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます! 平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。 『事実は小説よりも奇なり』 この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに…… 歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。 過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。 【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い 【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形 【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人 【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある 【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。 (前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)

借金した女(SМ小説です)

浅野浩二
現代文学
ヤミ金融に借金した女のSМ小説です。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

身体交換

廣瀬純一
SF
男と女の身体を交換する話

日本列島、時震により転移す!

黄昏人
ファンタジー
2023年(現在)、日本列島が後に時震と呼ばれる現象により、500年以上の時を超え1492年(過去)の世界に転移した。移転したのは本州、四国、九州とその周辺の島々であり、現在の日本は過去の時代に飛ばされ、過去の日本は現在の世界に飛ばされた。飛ばされた現在の日本はその文明を支え、国民を食わせるためには早急に莫大な資源と食料が必要である。過去の日本は現在の世界を意識できないが、取り残された北海道と沖縄は国富の大部分を失い、戦国日本を抱え途方にくれる。人々は、政府は何を思いどうふるまうのか。

大奥~牡丹の綻び~

翔子
歴史・時代
*この話は、もしも江戸幕府が永久に続き、幕末の流血の争いが起こらず、平和な時代が続いたら……と想定して書かれたフィクションとなっております。 大正時代・昭和時代を省き、元号が「平成」になる前に候補とされてた元号を使用しています。 映像化された数ある大奥関連作品を敬愛し、踏襲して書いております。 リアルな大奥を再現するため、性的描写を用いております。苦手な方はご注意ください。 時は17代将軍の治世。 公家・鷹司家の姫宮、藤子は大奥に入り御台所となった。 京の都から、慣れない江戸での生活は驚き続きだったが、夫となった徳川家正とは仲睦まじく、百鬼繚乱な大奥において幸せな生活を送る。 ところが、時が経つにつれ、藤子に様々な困難が襲い掛かる。 祖母の死 鷹司家の断絶 実父の突然の死 嫁姑争い 姉妹間の軋轢 壮絶で波乱な人生が藤子に待ち構えていたのであった。 2023.01.13 修正加筆のため一括非公開 2023.04.20 修正加筆 完成 2023.04.23 推敲完成 再公開 2023.08.09 「小説家になろう」にも投稿開始。

処理中です...