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悪役令嬢転生した玄奘

悪役令嬢転生した玄奘

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 どうやら今日が私の命日になるらしい。

 半年ほど前、私は目が覚めたら知らない場所にいた。豪奢な家財に囲まれた部屋で、レースのたっぷりついたネグリジェを着ている。

「お気づきですか、ゲンジョアンナ様っ。三日も眠られていたのですよ。もうだめかと……」

 私にしがみつくように泣きついてきたのはメイド頭のギョクリュージュだ。半年たった今でも私が心を許せる相手はこのギョクリュージュしかいない。

 この半年ほどで知識を蓄えた私は、どうやら「悪役令嬢」に転生したらしいということを把握した。おそらく舞台は中世ヨーロッパだが、国情も衣装も「中世風」というだけで世界観はイマイチはっきりしない。転生前にたしか八戒が「流行りの乙女ゲームがあんだけどさ」と話をしていたはずだ。苦労人の主人公が麗しい騎士と恋を育み、いじわるな令嬢の横槍にもめげずに愛を成就させる、という物語のことを。

 この世界の物語の主人公は私ではなく、落ちぶれた貴族の娘ナターシャだ。彼女は家計のため私の屋敷でメイドとして仕えている。私は侯爵の長女ゲンジョアンナで、王国騎士コウガイジ様との婚約が決まっている。つまり私が二人の恋の障害となっているわけだ。

 コウガイジ様に特別な感情を抱いているわけではない私が身を引けばすべて丸く収まることはわかっている。婚約を破棄してしまうのが一番手っ取り早いのだが、私の父ジローシン侯爵は非常に厳格かつ野心的な男で、国一番の将軍と名高い王国騎士コウガイジ様との結婚を成就させなければ私の事を殺す、と言われている。私は結婚に興味はないものの、生きて現実世界に戻らなくてはならない。恋人の悟空はきっと私の身を案じていることだろう。まだ帰れる方法もわからないが、コウガイジ様とナターシャがめでたく結ばれて物語が終焉を迎えれば、役目を終えた私も元の世界に戻れる可能性はあるだろうと考えている。

 つまり、コウガイジ様の方から「ナターシャと結婚したいから」と婚約を破棄してもらうのが最も穏当な私の生き残る道なのだ。

 私はこの半年間の努力を思い返す。コウガイジ様とナターシャの愛を育むべく陰ながら応援していた……のだが。
 たとえば馬小屋に二人きりで閉じ込めて仲良くさせてみようとすれば、その前に私が馬糞で転んで全身藁だらけになってしまった。コウガイジ様は「ゲンジョアンナ様はいつも落ち着いているのに、可愛いところもあるんだな」と微笑みながら優しく抱き起してくれ、ナターシャは手早く髪についた藁を取り除いてくれながら「ゲンジョアンナ様、お召し物が汚れてございます。今すぐお着替えをいたしましょう」と私の身を案じてくれる始末だった。

「ナターシャが気をつけて見ていないから、ゲンジョアンナ様が転んでしまわれたんだぞ」

「私のせいではない。お前こそ騎士ならゲンジョアンナ様が転ばれる前に支えろ、この役立たずめ」

 ナターシャは私には丁寧な口をきくのに、コウガイジ様に対してはぞんざいで生意気な本性を隠さない。二人がぎりぎりと睨み合う中で私はため息をつく。この策はうまくいかなかった。

 ナターシャが他の男に言い寄られているところを見せれば、コウガイジ様も焦り出すだろうかと、屋敷の下男ハッカイを買収してナターシャを口説かせたこともある。

「ナターシャちゃん、かわいいじゃん。俺と一緒になんか美味しいもの食べに行こうよ」

 ハッカイはナターシャを壁との間に押し付けるようにして、近い距離で囁く。淑女に話しかけるにしては馴れ馴れしすぎる。これだけ体格差があれば小柄なナターシャは、はねつけることも困難だろう。コウガイジ様を呼びに行こうとしていた私であったが、口付けするかのように顔を近づけていくハッカイをさすがに見ていられなくなり
「ハッカイ、女性と話しかけるときのマナーをお忘れのようですわね」と声をかけてしまう。半年もたてばお嬢様言葉もお手の物だ。

 一瞬ぎくりと肩をこわばらせた八戒だったが、相手が私であることがわかると安心したようだった。まさか依頼人の私に止められるとは思っていないのだろう。

「ああ、ゲンジョアンナ様。ナターシャが食事に連れて行ってほしいとせがむので今日は二人で半日お休みを頂きますね」

 ハッカイはナターシャの手を離そうともせずにいけしゃあしゃあと説明する。

「許しませんわ。ナターシャはあなたとの食事を望んでいないようです」

「あれあれ?話が違うんじゃないです?それならゲンジョアンナ様も一緒にお食事どうですか?」

 ハッカイが私との距離を詰めてくる。にやついた口元がいやらしい。いざとなれば買収の件をお父様にばらされてしまうかもしれない。

 くっと奥歯をかみしめた。

 その瞬間、「何をしている」と凛々しい声が響いた。振り返れば案の定コウガイジ様だった。

 ひと睨みでハッカイを黙らせたコウガイジ様は、私の頬にそっと触れた。

「こんなに青い顔をされて。気色の悪い男に迫られ、さぞ怖かったことでしょう」

「……いえ」
 (また助けられてしまった……)と私は内心臍を噛む。

「お前っ。助けに来るならもっと早く来い。いつまで経っても役立たずがっ」

 ナターシャが勢いよくコウガイジを怒鳴る。

「助けてやったのに生意気なメイドめ」

 コウガイジも遠慮なくナターシャを罵り、二人はいつもの言い合いを始める。私は二人に隠れてため息をつく。またうまくいかなかった。

 






 というわけでこの半年間に渡る「コウガイジ様とナターシャをくっつけよう大作戦」は空振りしつづけ今日を迎えてしまったというわけだ。

「さあ、ゲンジョアンナ様っ。今日の王国舞踏会でコウガイジ様との婚約を正式発表する予定ですわ。張り切って支度しますわよ」

 ギョクリュージュが手を叩いて私を急かす。初めの頃は身支度をするたびに戸惑っていた女性の身体だったが、半年もたった今はだいぶ慣れたものだ。

 そう、今日は婚約正式発表の日。国王の前で婚約宣言をすればもうほぼ結婚したものと同義だ。私は八戒の話を思い出す。

「婚約発表の日が断罪イベントなんですよ。極悪令嬢が今までやってきた非道の数々を明らかにして、国王の前で罪を認めさせて断頭台行きにしてやるんですよ。そして迎えるトゥルーエンドです!」

 とうとう今日はその断罪イベントの日だ。いろいろ動いてはみたものの回避できなかった。

 ずんと沈んでいく心と裏腹に、豪勢なドレスを着せられ、美しく髪を結い、素敵なメイクを施されていく。

「さあ、どこからどう見てもこの国一番の令嬢はゲンジョアンナ様ですわっ。この世で一番美しいですから自信持ってくださいよ」

 私のことを頭からつま先まで自分の思い通りに整えて満足気なギョクリュージュを見る。この世界に転生して戸惑いと不安を抱えていた時も、この明るく元気なギョクリュージュが毎日傍にいてくれたから私は生きてこれたのだ。

「ギョクリュージュ、今までありがとう」

「おかしいですわ、ゲンジョアンナ様。まるで終わりの挨拶みたいですわよ」

「……そうね。終わりの挨拶なのかも。……独身のこの身も今日で最後ですものね」

 怪訝な顔をしていたギョクリュージュは、私のことばを聞いて納得したようだった。
「そういうことですか。ゲンジョアンナ様も緊張していらっしゃるのですね!このギョクリュージュ、姫様のお幸せを一番に祈っておりますわ」

 ギョクリュージュが笑ってくれる。その優しい微笑みを私は一生忘れないだろう。
 たぶん一生は今日で終わるけれど。

 





 シナリオはするすると進み、舞踏会にて私はコウガイジ様のシャンパンに毒物を入れたという疑いで糾弾されている。

 決して私は毒物混入などに手を染めてはいないのだが、ゲームシステム上、仕方のないことらしい。国王の前で衛兵に両腕を掴まれて拘束された私に向かい、遠巻きの貴族たちが「半年ほど前から挙動がおかしかった」だの「亡霊に憑りつかれているのでは」などと勝手な憶測をまくしたてている。

「そういえばゲンジョアンナ様は、婚約者コウガイジ様との仲を邪魔するメイドのナターシャを脅迫していましたわつ」

 誰かが叫んだ。脅迫などしていないし、むしろ二人がくっつくように画策していたのだが……と私は天を仰いでいる。何も言えるはずもない。

「俺はナターシャを襲うように買収されましたっ」
 次に叫んだ声はおそらくハッカイだろう。襲えとは言っていないのだが、まあ買収したのは事実だし仕方ないだろう。

 国王が口ひげを弄んだあと、口を開いた。
「ゲンジョアンナに対し、裁定を言い渡す」

 私は俯いたまま、その時を待つ。もう覚悟などできている。悟空に会えないことだけが心残りだ。死んだら元の世界に戻れるといいのだけれど。
「お待ちくださいっ」「国王様っ」
 二人の声がした。

 なんと、コウガイジ様とナターシャだった。

「私の飲み物に毒物を混ぜたのがゲンジョアンナ様であると、目撃者の証言だけで決めるのは早計ではありませんでしょうか。私には敵が多くおります。私の命を狙う輩などいくらでもいる。私の暗殺を計画し、ゲンジョアンナ様に罪を着せようとする真の黒幕がいる可能性があります。それにゲンジョアンナ様は婚約者の私を殺しても何の益もないことは明白です」

 国王の視線を遮るようにコウガイジ様は私の前に立った。その横にいるのはまさかナターシャだ。

「暴漢に襲われかけた時に私を守ってくださったのが、他でもないゲンジョアンナ様ですっ」

「コウガイジ様……。ナターシャ……」
 驚きと安堵の入り混じった感動で私の目からみるみるうちに涙が零れ出る。

「出て来るのが遅い。さっさと庇えよ、騎士のくせに。のろまだな」
「ナターシャこそメイドのくせに舞踏会に紛れ込んで国王に口をきくなど言語道断だ。自分のやっていることがわかってないんだろう」

 顔を合わせた瞬間言い合いになるコウガイジ様とナターシャの口喧嘩さえも今この時だけは微笑ましく思えた。
 






 二人のおかげで私はおとがめなしとなり、断頭台行きは免れた。

 屋敷まで私とナターシャを送ってくれたコウガイジ様は言った。

「私はゲンジョアンナ様との婚約を破棄するつもりはない。疑いも晴れたことであるし、状況が落ち着けばいずれ正式に婚約発表をしよう」

 その瞳に迷いの色はまったくなかった。私は隣のナターシャをちらりと見る。一見したところ彼女は無関心な表情を崩してはいないが……。

「あの……、私より、コウガイジ様の御心にかかっているのは別の方なのでは?」

「美しいゲンジョアンナ様に私は夢中だとどれだけ言えば、本気にしてもらえるのです?」

 コウガイジ様は私の手を取り、馬車を降りるのを手伝ってくれる。が、降りた後も手を離してはくれなかった。

 助けを求めるようにナターシャを見れば、じとーっと湿気のこもった目つきでナターシャがコウガイジを睨んでいた。

「女なら誰でもいいのか。男はみんな最低だな」
 その手を離せ、とナターシャはコウガイジ様の手を私から振り払った。顔をしかめたコウガイジ様は言う。

「誰でも良いとは言ってないだろう。お前のような女は選ばんがな」

「その失礼な物言いをやめろ。落ちぶれたとは言え、私は貴族の誇りを忘れてはいない」

「……まあその気位の高さは好みではなくもない」
 唇の端だけで笑ってコウガイジ様は言った。

 (これは二人がくっつく未来も近いかもしれない)と私が内心ガッツポーズをしたのも束の間、コウガイジ様はことばを続けた。

「しかしゲンジョアンナ様の美しさもまた真実……」

(まさか……)

「ゲンジョアンナ様のことは慕わしく守りたいと思う。……その、ナターシャのことは、えっと……、その悪くねぇっていうか、一緒にいると楽っつーか……」
 急にコウガイジ様の語彙力が低下している気がする。

(ダメ男じゃないか……)

 隣のナターシャは「その言い草はなんだ、失礼な野郎めっ」と憤慨しているが当然だろう。

「あの、もしよければ……、私とゲンジョアンナ様が結婚後も、その……ナターシャとは付き合っていきたいっつーか」
 そしてまさかの二股発言。

 コウガイジ様は私とナターシャと、それぞれ手をつないできた。離したいのだけれども力が強くて振りほどけない。

「コウガイジ様……」

「いいですよね?心の広いゲンジョアンナ様なら許してくれますよね?」
 コウガイジ様の瞳の奥にある狂気の炎が見えた気がする。おそろしくて目を逸らした。

 次の瞬間、衝撃音がして手が離された。
「玄奘、お待たせしました」

 心の底から待ち望んでいたその声は思ったよりも高かった。目に入ったのは愛すべき三白眼の瞳。

 モップの柄でコウガイジ様を突き飛ばした見慣れないメイドは、なんと悟空だった。

「悟空……、まさか、どうやってここに」

 隙のない身のこなしで悟空は私を背に庇ってから、ポケットの中の懐中時計を見せた。

「悟浄の秘密道具で転生させてもらいました。手違いで女になっちまったみたいなんですけど、玄奘も女になってたんですね」

「ここではゲンジョアンナなんだ。それで死亡エンドは回避したんだけど、今騎士様から二股を提案されたところで」

「ふっざけんなですね。さあ一緒に帰りますよ」

 悟空に腰を抱かれた私は、間近に見る女性版の悟空の顔に息を呑む。
 瞳の煌めきは変わらない。しかしいつも見ている顔よりも口元、目元が少しだけ小ぶりで線が細い。そして見慣れない大きな胸のふくらみ……。

 私はためらいながらも口にした。

「悟空……、今すぐ帰らずにもうちょっとこっちにいない?」

「いいですけど、何かやり残したことでも?あれですか?二股馬鹿野郎騎士に制裁でもしときます?」

「まあ……、それもいいけど……」

 今夜悟空と一緒のベッドで寝る口実を探しながら、私は気もそぞろに返事をした。
 
 
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