合法ブランクパワー 下記、悩める放課後に関する一切の件

ヒロヤ

文字の大きさ
上 下
47 / 49

四月二十八日(木)夜 ふじいし司法書士事務所

しおりを挟む
 有平忠志は、一瞬、司法書士の藤石宏海の意地悪い笑みを見た気がした。

 その直後、来客を告げるチャイムが夜の事務所内に鳴り響く。

「はーい」

 やけに楽しそうな藤石がドアを開けると、甘い香水の匂いが部屋に満ちていった。
 冷たい春風に押されるように入ってきた人物。

「こんばんは」

 それは敬太の母親だった。先週、土曜日の朝に見た時と同じワンピースを着ている。

 しかし、その若々しい見た目に反して、低く落ち着いた声だった。

「よろしくお願いします。先生」
「どうぞ」

 藤石は招きいれようとしたが、客人は微動だにしなかった。

 その当惑した視線がとらえているのは――。

 ――僕だ。

「あの、先生」

 敬太の母親が藤石を呼び止めた。

「はい?」
「こちらの方は?」
「ああ、そうだった」

 藤石は忠志の肩に手をやると、にこやかに言った。

「有平忠志くんです」

 客の顔は、困惑したままだ。

「あの……そうおっしゃられても……一体どういうことでしょう」

 そうだ、説明してくれ。

 僕だって、何も聞かされていないのだから。

 ――。


 藤石から突然メールが来たのは学校からの帰宅途中のことだ。
 もしも頼めるなら、仕事の手伝いをして欲しいという内容だった。
 アルバイト料の代わりに夕飯をごちそうしてくれるといわれ、忠志は喜んで了承した。家に帰っても一人で食べるだけで、買出しも面倒だったからだ。
 それに、今まで藤石に迷惑をかけた分の恩返しができると思い、忠志は張り切った。

 帰宅をして着替えると、藤石に連絡をした。
 しかし、当人に集合時間は夜の七時だと言われ、遅くなるから親の許可も取ってくるように言われた。
 忠志の自宅の一件から、藤石や白井のことは母親に話してあり、それなりに信頼を置かれているようで、母親もあっさり了承してくれた。

 ところが、乗り換えのJRが踏切事故で止まってしまい、結局は遅刻気味で藤石の事務所に着いた。

 その直後に、事務所のチャイムが鳴らされ、この客人が現れたのだった。


 意味がわからない。

 手伝いって、何をさせる気なんだ――。


「先生、あの……」

 敬太の母親の顔が強張ってきた。それに対し、藤石はにこやかな笑みを浮かべている。
「有平忠志くん、ご存じないですか?」
「おっしゃっている意味がわかりませんわ」

 藤石はため息をつきながら、一人納得したように頷いた。

「じゃあ仕方ないですね。彼は息子さんの親友です。高校のクラスメートですよ」

 それを聞いた敬太の母親は驚いた表情で忠志を見た。
 妙に心地が悪い。忠志はうつむいてしまった。

 そんな忠志の肩を藤石が叩いた。

「この彼も、息子さんと同じタイミングで知り合いましてね、今日は少しアルバイトをしてもらっていたんですが、こんな時間になってしまいました。でも、せっかくですから学校での話を聖川さんに聞いてもらおうかなと」

 藤石は微笑みながら、二人を応接の方へ案内したが、

「ご冗談でしょう。今日は大事な話があるのです」

 敬太の母親が眉をひそめて言い放った。
 忠志も、この状況で楽しく学校の話をする自信などない。藤石に抵抗してみせると、小柄な司法書士は眠そうな目を敬太の母親に向けた。

「そうなると……有平くんはいない方が良いんですかね」
「先生のご厚意には感謝しますが、その……子どもに聞かせるような話ではありません」

 敬太の母親は忠志に鋭い視線をよこしたが、すぐに申し訳ないような顔をして、頭を下げた。

「息子がお世話になっています。ですが今日は」

 何もかも一方的に話が進められて、忠志は返事すら出来ない。
 あの、その、と反応するだけだった。

「なるほど、わかりました」

 藤石が忠志の背中を叩いた。

「有平くん、今日はご苦労だったね。また次も頼むよ。さあ、聖川さん。お話を伺いましょうか。こちらの応接です」

 右側の小さな応接へ通しながら、小柄な男は振り返って忠志に言った。

「ああ、そうだ。左側の応接の窓が開けっぱなしだった。悪いけど戸締り頼むよ。フロアの電気は全部消してから帰ってくれるかな。節電は大事だからね」

 そして藤石自らも右側の応接の中に入り、ドアが閉ざされた。

 忠志は立ち尽くした。

 結局、何もわからずじまいだった。
 むしろ、ハメられたような気分になってきた。

 どうやら藤石は、敬太の母親に学校の話をさせるためだけに自分を呼んだみたいだが、それなら、前もって教えてくれたって良いじゃないか。

 ――それにしても、敬太のお母さんがどうしてティラノさんの事務所に?

 考えたところで答えが出るはずもないが、忠志は妙な心地になった。
 とにかく、自分にはもう用はないらしい。ここに突っ立っているわけにもいかない。

 ――帰ろう。

 すごく名残惜しい気持ちはあるけれど。

 忠志がフロアを見渡すと、藤石たち二人が入った応接のちょうど向かい、左側の部屋のドアが半開きになっていた。時々、冷たい風が吹き込んで来る。確かに戸締りはした方が良い。

 忠志が左の応接室に足を向けた時だった。

 いきなり内側からドアが開き、長い腕が忠志の口を押さえつけた。

「――っ!」

 そこには見覚えのある外国人のような顔をした長身の男が立っていた。
 口に人差し指をあてて、ひたすらシーシーと忠志に訴えている。

 応接の中には、これもまた見たことのある黒い服を着た前髪の長い男がいた。
 同じように人差し指を立てて静かにするようにサインを送ってきた。

 黒服の男が、応接の窓を閉める。さらに、異国顔の男が、フロアの電気を消した。一気に暗くなった事務所の中を、慣れた足取りで動き回り、出入り口のドアを開けた。

 そして、数秒後にわざとらしく閉めた。

 大男は、不自然な忍び足で応接の前まで戻ってくると、呆然としている忠志を中へ招き入れた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

女豹の恩讐『死闘!兄と妹。禁断のシュートマッチ』

コバひろ
大衆娯楽
前作 “雌蛇の罠『異性異種格闘技戦』男と女、宿命のシュートマッチ” (全20話)の続編。 https://www.alphapolis.co.jp/novel/329235482/129667563/episode/6150211 男子キックボクサーを倒したNOZOMIのその後は? そんな女子格闘家NOZOMIに敗れ命まで落とした父の仇を討つべく、兄と娘の青春、家族愛。 格闘技を通して、ジェンダーフリー、ジェンダーレスとは?を描きたいと思います。

だんだんおかしくなった姉の話

暗黒神ゼブラ
ホラー
弟が死んだことでおかしくなった姉の話

彼女のことは許さない

まるまる⭐️
恋愛
 「彼女のことは許さない」 それが義父様が遺した最期の言葉でした…。  トラマール侯爵家の寄り子貴族であるガーネット伯爵家の令嬢アリエルは、投資の失敗で多額の負債を負い没落寸前の侯爵家に嫁いだ。両親からは反対されたが、アリエルは初恋の人である侯爵家嫡男ウィリアムが自分を選んでくれた事が嬉しかったのだ。だがウィリアムは手広く事業を展開する伯爵家の財力と、病に伏す義父の世話をする無償の働き手が欲しかっただけだった。侯爵夫人とは名ばかりの日々。それでもアリエルはずっと義父の世話をし、侯爵家の持つ多額の負債を返済する為に奔走した。いつかウィリアムが本当に自分を愛してくれる日が来ると信じて。  それなのに……。  負債を返し終えると、夫はいとも簡単にアリエルを裏切り離縁を迫った。元婚約者バネッサとよりを戻したのだ。  最初は離縁を拒んだアリエルだったが、彼女のお腹に夫の子が宿っていると知った時、侯爵家を去る事を決める…。      

月灯

釜瑪 秋摩
キャラ文芸
ゆったりとしたカーブを描くレールを走る単線は駅へと速度を落とす。 白樺並木の合間にチラリとのぞく大きなランプがたたえる月のような灯。 届かなかった思いを抱えてさまよい、たどり着いたのは……。 少しだけ起こる不思議の中に人の思いが交差する。

10 sweet wedding

国樹田 樹
恋愛
『十年後もお互い独身だったら、結婚しよう』 そんな、どこかのドラマで見た様な約束をした私達。 けれど十年後の今日、私は彼の妻になった。 ……そんな二人の、式後のお話。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

同窓会に行ったら、知らない人がとなりに座っていました

菱沼あゆ
キャラ文芸
「同窓会っていうか、クラス会なのに、知らない人が隣にいる……」  クラス会に参加しためぐるは、隣に座ったイケメンにまったく覚えがなく、動揺していた。  だが、みんなは彼と楽しそうに話している。  いや、この人、誰なんですか――っ!?  スランプ中の天才棋士VS元天才パティシエール。 「へえー、同窓会で再会したのがはじまりなの?」 「いや、そこで、初めて出会ったんですよ」 「同窓会なのに……?」

護堂先生と神様のごはん 護堂教授の霊界食堂

栗槙ひので
キャラ文芸
考古学者の護堂友和は、気が付くと死んでいた。 彼には死んだ時の記憶がなく、死神のリストにも名前が無かった。予定外に早く死んでしまった友和は、未だ修行が足りていないと、閻魔大王から特命を授かる。 それは、霊界で働く者達の食堂メニューを考える事と、自身の死の真相を探る事。活動しやすいように若返らせて貰う筈が、どういう訳か中学生の姿にまで戻ってしまう。 自分は何故死んだのか、神々を満足させる料理とはどんなものなのか。 食いしん坊の神様、幽霊の料理人、幽体離脱癖のある警察官に、御使の天狐、迷子の妖怪少年や河童まで現れて……風変わりな神や妖怪達と織りなす、霊界ファンタジー。 「護堂先生と神様のごはん」もう一つの物語。 2019.12.2 現代ファンタジー日別ランキング一位獲得

処理中です...