合法ブランクパワー 下記、悩める放課後に関する一切の件

ヒロヤ

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四月二十七日(水)昼過ぎ 源氏山頂上

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「素晴らしい!頂上に到着でーす」

 宇佐見が勢いよく菜々美の手を引いた。

「痛っ」

 抵抗も空しく、菜々美はそのまま見晴台の方へ連れて行かれた。

 歩くたびに心地よい風が吹いてくる。
 見渡せば、海と新緑が目の前に広がった。

 身体が震えた。

 日差しは強いのに、風が冷たいせいだろうか。
 菜々美はしばらく遠くの景色ばかり眺めていた。

 そこへ、後ろから賑やかな声がした。振り返ると、一番最初に出会った二人の高齢女性が登り切ったようだった。

「あぁ、気持ち良い」

 二人で肩を叩き合いながら菜々美の前を通り過ぎた。
 そして、やはり会釈をされた。
 菜々美も慌てて頭を下げる。

「リスカちゃん、こっちへいらっしゃい」

 宇佐見に呼ばれて、菜々美は木のベンチに腰を掛けた。

「どうですか?今の気分は?」

 わざとらしくマイクを向ける真似をした。

「疲れた」

 菜々美の反応に宇佐見がつまらなそうな顔をした。

「それじゃ、質問変えましょう。どうですか?ウサちゃんと遠足に来た気分は?」
「別に」

 宇佐見が困ったように笑う。

「せっかく連れて来たのになあ」
「頼んでないもん」
「ここ、二年生の秋の遠足で来るはずだった場所でしょう?」

 菜々美は宇佐見を見つめた。

 ――。

 次第に自分の心が汚れていくのがわかった。

「何それ、そういうことだったの」
「ん?どういうことかな」
「とぼけないでよ。私に同情したんでしょ?」

 菜々美は宇佐見を睨みつけた。
 登校拒否になったのは去年の秋だ。
 ちょうど鎌倉遠足の直前だった。

 しかし、宇佐見は首をかしげて笑う。

「おかしなことばっかり言うねえ。オレは別にリスカちゃんが鎌倉遠足に行きたがっているから連れてきたわけじゃないし、だいたいメチャクチャ登るのイヤがったじゃん。同情って何さ」

 菜々美は何か言い返そうと言葉を探したが、上手く言えそうになかった。

 そして、結局ひとこと、

「ウザい」

 と小さな声で振り絞った。

「それ口癖?ウサって呼ばれるみたいで、一瞬オレってばドキドキするんだけどさ」

 宇佐見が菜々美の鼻をつまんだ。

「何よっ」

 手を振り払う。

「私をからかわないでって言ってるでしょ」
「良いねえ、その悔しそうな顔。でも、今の中学生じゃ、この程度なのかなあ。なるほど、思春期の女の子は難しいね」

 宇佐見は何か考え込む顔をした。

「でも、可愛いから許しちゃう」

 宇佐見は菜々美の頭を撫でた。
 わけがわからない。
 どうして、この男は関わろうとするのだ。
 そして、どうして、自分はこんなに腹が立つのだ。

 菜々美は頭の内側から物凄い熱を感じた。

 低く、呻いた時。

「切りたくなっちゃった?」

 宇佐見が数センチのところまで顔を寄せた。
 さっきまでと違い、口元だけに笑みをたたえた真剣な眼差しだった。

「遠慮しなくて良いよ?」
「……指図しないで」
「聞いているだけだよ。人の話は良く聞くもんだ」

 宇佐見の表情は変わらない。

 ――何で、そんな顔するの?

 淡い茶色の瞳が微笑んだ。

「切ったら絶対に痛いのに、それと引き換えにでも欲しい何かがあるんだろうね。それがわからないから、みんな辛いのかもね」

 菜々美は自分の行動すら説明がつけられない。
 切ったら安心する。
 生きてるって実感湧く。
 でも死にたくなる。
 消したくなる。
 そしてまた切る。
 どうして。

 私は――。

 菜々美は下を向いた。
 食いしばった歯の隙間から、嗚咽が漏れる。

 突然、両方の頬に大きな手が添えられた。

「そうそう。少しずつ少しずつ」

 何を言っているんだ。
 そんな言葉じゃわかるわけがない。

「……ウザいんだよ」
「わかってるよ。ごめんね」

 宇佐見はそれ以上は語らず、両手に力を込めた。
 ひしゃげた菜々美の顔を見て、異国顔の男が笑った。

「わはは、頬っぺたフワフワだね!超ラブリー」

 両手を離して、宇佐見は持ってきた鞄を膝の上に置いた。
 菜々美のことなど気にする様子もない。

「何、よ」
「お話は終わりでーす。ウサちゃんはお腹が減りました」

 そのあっけらかんとした顔に、菜々美は妙な怒りが湧いた。

「じゃあ、リスカやるから、カッター貸して」

 宇佐見は一瞬だけ真顔に戻ったが、すぐに怪しい目で菜々美を見つめた。

「申し遅れましたが、使用料はカッター一つにつき、キス一回です」
「は?」
「さあ、いかがいたします?今のお時間なら、たったキス一回でカッター使いたい放題のチャンス!制限時間は残り五分です。ささ、お急ぎ下さい!」
「バカみたい。それだったら家に帰ってからやるもん」
「残り三十分です」
「増えてるし!もういいってば!」

 完全にからかわれている。
 本当に腹が立ってきた。

「キス一回も耐えられないなら、カッターへの想いなんて大したことないじゃない」

 可愛いなあと宇佐見は微笑んだ。

「もうその話はやめてよ」
「どうしてさ。オレは盛り上がって来たのに」
「いいから、やめて」
「ふっふっふ。これからリスカちゃんはカッターを見るたびに、キスという単語が頭に浮かぶんだ。愉快愉快」

 菜々美はショルダーバッグを投げつけようと構えたが、それより先に膝の上へ弁当箱が置かれた。

「続きは、お食事の後でね」

 宇佐見が温かいお茶を入れて菜々美に差し出した。
 手に取ると、宇佐見は菜々美の頬を軽く叩いた。

「からかってごめんね。沈んだ顔より怒った顔の方がまだ良いと思ったんだ」

 その優しい笑みを見ていられなくて、菜々美は弁当に目を落とした。

「これ、ウサちゃんが作ったの?」

 宇佐見はおにぎりを口にくわえたまま何か曖昧に答えた。
 白い小花模様の包みには、黄色のプラスチックの弁当箱が入っていた。
 中を開けてみると、小さなおにぎりが二つと卵焼き、焼き鮭や煮物などが入っていた。

「飾り切りだ」

 そのウインナーは、細かく切り刻まれて何かの形を表現しているようだった。
 よく見れば黒いゴマがついている。

「目?」

 菜々美はもう一つ入っていたウインナーを箸で拾い上げた。

「こっちもかな」
「何だろうねえ。進化する途中のクラゲさんかな。イヤ、よく見ると犬さんかな。ポメラニアンだな」

 思わず菜々美は吹き出した。

「下手過ぎるよ」

 菜々美は不恰好な作品を食べた。
 味は普通に美味しいのだから、こんな細工しなくても良いのに。

「まあ、いっか。リスカちゃんが笑ってくれたらオールOKだ」

 その言葉に菜々美はまた意地を張りそうになったが、いちいち態度に出すのも癪に障るので黙っていることにした。

 心地よい風が吹く。
 足の疲れも癒えてきたようだ。

 菜々美が食べている隣で、宇佐見が高々と手を上げて大きく振った。
 その先を見ると、誰かが登山口を登ってきたようだった。

「いやあ。感動だね。真の貴公子が登場だ」

 フラフラと歩いてくる姿を見て、菜々美は箸を落としそうになった。

「聖川先輩」

 葵中学ブラスバンド部の先輩――敬太は膝に手を当てて全身全霊で深呼吸をした。

 そして、すぐさま宇佐見に声を荒らげた。

「マジ、何なんだよ!アンタはっ」

 そして、菜々美に向き直って苦しそうに言った。

「おい鹿端は大丈夫か?何もされてないか?」
「失礼な貴公子だね。ご覧のとおり、姫様は楽しくランチ中だよ」

 そう言いつつも宇佐見は立ち上がり、敬太を座らせた。

「しかし驚いたな。学校をサボってまで来るとはね。せいぜい電話かと思ってたけど」
「どういうことなのウサちゃん」
「ふふ、それはこのチャパツくんに聞くことだ」

 菜々美が敬太を見つめると、たいそうバツの悪そうな顔になった。

「ハメられたんだよ。くっそ、怨むぞティラノさん」
「ティラノさん?」

 すると、宇佐見が菜々美の頭を撫でながら言った。

「リスカちゃんも会ってるよ。ゲーセンに小さいオジサンがいたでしょう」

 菜々美は派手な眼鏡をかけた男を思い出した。

 ――一体、どういうことなの?

 訝しむ菜々美に弁明するかのように、敬太が経緯を語り始めた。

「ティラノさん……っていう、オレが世話になってる人から月曜日にメールが来たんだよ。宇佐見さんが鹿端のことで相談したいらしいから、オレのアドレス教えて良いかって。オッケーしたら宇佐見さんから早速メール来てさ。中学二年の遠足はどこに行ったか聞かれて、鎌倉で源氏山に登るって教えたんだ。けどさ、いきなりそんなこと聞いてくるのって、怪しくね?オレはティラノさんにこのやりとりを相談したんだよ。そうしたらさ……」

 敬太は、全身でため息をつくと、宇佐見に指を突き付けた。

「こいつが鹿端とデートするって話をされたんだよ!。ティラノさんの話じゃ、宇佐見さんは女の扱いも上手いし、その気になったら何か色々と心配だって……。あのティラノさんが言うんだから間違いないと思って、オレは慌てて宇佐見さんにメールして、真相を問いただしたんだ。そうしたら」

 敬太は上目遣いに宇佐見を睨んだ。

「アンタ、今日の今日までメール返さないってどういうことだよっ!明け方に来たメールが『いざ鎌倉~』ってバカにしているのかよっ」

 言い切ると敬太は激しくむせ込み始めた。
 微笑みながら宇佐見は水を差し出して言った。

「おかげで鎌倉で待機できたでしょ。ちゃんとその後も連絡したし。だからここまで来れたでしょうに」
「連絡って、これのことだよな」

 敬太はポケットからスマートホンを取り出すと、菜々美の前に突きつけた。

 画像だ。
 そこには、木の下で座り込む菜々美の姿が写し出されていた。

「あっ!」
「かわいそうに、メチャクチャ疲れ果ててるじゃねえかよ。ちくしょう、ふざけやがって。無理矢理登らせたのがバレバレなんだよっ」

 菜々美も宇佐見に詰め寄った。

「なに勝手なことしてるのよ!いつの間に撮ったのよっ」
「さっき」

 宇佐見は笑いながらそう答えると、敬太に向き直った。

「血気盛んだなあ。貴公子はエレガントじゃなきゃ。君はむしろ野武士だ。御家人だ」
「さっきから意味不明なことばかり言いやがって」
「ん、御家人って習ったでしょ?」
「日本史は苦手なんだよっ!ああもう、こっちはスゲー心配したのに。オレ昨日まで熱出してたんだぜ?」

 宇佐見が目を丸くした。

「え、チャパツくん具合悪かったの?」
「そうだよ。何とか熱も下がったから今日は学校行こうと思ってたのにさ。ティラノさんからのメールで鹿端が心配になって……友達に、今日も治らないから休むって嘘ついちまったじゃんかよ!」

 宇佐見は一瞬真剣な目を菜々美に向けた。
 そして、うんうんと微笑むと敬太に向かって、

「ありがとう」

 そう言った。

「バカっ!アンタのために来たんじゃねーよ!」
「リスカちゃんのために来てくれたんだよねえ」

 敬太は何か言いかけたところで、急に、

「な、そんなんじゃねえよ」

 そっぽを向いた。

 それを聞いて、菜々美もようやく話の筋が理解できた。
 とにかく敬太は自分を心配してここまで来たのだ。

「あらら、チャパツくん。何でもないわけないでしょう。病み上がりでさ」
「先輩」

 菜々美の声に敬太がとっさに振り返り、

「本当、何でもないんだって」

 不思議な笑顔を浮かべた。菜々美はその顔を見て、胸が苦しくなった。

「ウサちゃん」

 なぜか、宇佐見にすがる気持ちになった。
 異国顔の男は楽しそうに笑っている。

「しかし、ここまで……まあ、よく来たもんだね」

 宇佐見が菜々美と敬太を交互に見た。

「これはもう、よっぽどヒマか、よっぽどバカか、よっぽどリスカちゃんが」
「うわあ!どさくさで言うんじゃねーよっ!」

 敬太が宇佐見に掴みかかったが、簡単にかわされて後ろから羽交い絞めにされた。

「チャパツくんが慕うティラノさんという小人はね、君をはめたんじゃなくて、たぶん本当に彼女を心配したんだよ。アイツは銀河系の中でも一番オレを信用してないからね」
「ど、どういうことだよ?」
「つまり君が一人で暴走しちゃった、ってこと」

 敬太は何とか腕を振りほどいて逃れてきた。

 宇佐見はスマートホンを取り出すと、何かを確認した。
 そして、菜々美と敬太を見て笑った。

「ごめんね、ウサちゃんお仕事入っちゃったみたい。リスカちゃんともここでお別れだ」

 宇佐見は空の弁当箱を菜々美に渡した。

「洗い物は自分ですること」

 菜々美は黙って弁当箱を受け取ったが、宇佐見が鞄を持って立ち去ろうとするのを見て慌てて止めた。

「ちょっと待ってよ」
「いや、本当に悪いと思ってるんだ。仕事先がリスカちゃんの家とは逆方向なの。いやいや残念残念。だから帰りは」

 敬太を指差してウインクした。

「二人で仲良くね」
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