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四月二十五日(月)夕方 駅前繁華街

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 繁華街まで出てくると、宇佐見のスマートホンが鳴った。

「もしもーし。うん、ちょうど着いたよ。おっと、アレかな?」

 宇佐見が遠くに何かを見つけて、長い腕を振り回した。
 藤石には何も見えなかったが、しばらくすると三十半ばくらいの女が近づいてきた。

「こんにちは宇佐見さん」
「やあ、リナちゃん。連絡ありがとうねえ」

 リナが藤石に気づいた。

「こちらは?あら、可愛い眼鏡ですね」
「ああ、コイツは」
「藤石です。初めまして」

 宇佐見が何か言い出す前に藤石は先に自己紹介した。
 リナも挨拶をすると、宇佐見に向き直った。

「間違いないわ。宇佐見さん、こっちよ!」
「しかし、よく張り込んだねえ」

 宇佐見とリナが裏通りの方へ向かった。
 ただならぬ気配に藤石も後を追う。

 リナが立ち止まったのはブティックホテルの裏側だった。

「さっき、向かいのホテルに入っていったの。もうすぐ三時間だもの。きっと出てくるわ」
「プロ顔負けだよ。リナちゃん仕事変えた方が良いかもよ?」

 隣に立つ雑居ビルとの間を抜け、電柱の陰からリナは様子を伺った。

「き、来た!」

 リナが宇佐見に手招きをする。
 三人は電柱の間から通りの様子を見た。

 一組の男女が向かいのホテルから出てきた。
 特に外の様子を気にすることもなく堂々とした歩みだ。

「やっぱりアヤメさんと昨日の男だわ。出来てるんだわ。見ちゃったわ」

 リナが小声で騒いだ。

「あ、アヤメ?」

 藤石の声が上ずった。

「どうしたチビ書士。タイプか?ど真ん中ストライクか?」

「ストライクどころか、キャッチャーが吹っ飛ぶくらいの威力だ。あれはチャパツのお袋じゃないか」

 宇佐見とリナが怪訝な顔で藤石を見つめる。
 小柄な司法書士は、通りを歩いていくカップルを目を細めて凝視した。

「今回の男は聖川部長じゃないようだな。そうなると、あれが元親父ってヤツかな」

 宇佐見とリナはぶつぶつ言う藤石の両腕を双方から掴んで、その場を駆け出すと、カップルの後を追った。
 駅前の交差点近くで女が男に手を振り、地下の階段へと消えて行った。男はそのまま横断歩道で信号待ちをしている。
 顔が知れているリナは少し距離を置き、宇佐見と藤石が男の間合いを詰める。藤石は宇佐見の背後に隠れながら、様子を伺った。

 その瞬間に信号が変わった。
 一斉に人々が往来する。
 男は人混みの中を悠然と歩くと、すぐさまタクシーを拾ってその場から立ち去った。

 すかさず、宇佐見が藤石の肩に手を置いた。

「ちょっと、ヒロミ先輩。さあさあ話してくれるね?」

 リナも困惑した顔で藤石を見つめた。

「ふ、藤石さん、アヤメさんをご存知なんですか?それに、あの男も?」

 対する藤石は深いため息をつくと、眠そうな顔で宇佐見を見た。

「ウサたちが何を調べているかわからないけど、俺が知っていることなんて大したアレじゃ」
「良いから教えなさいよ。重要参考人だ。連れて行くよリナちゃん」
「え?でもどこに」
「そりゃ『ホルン』が一番でしょう?今日はアヤメちゃんいるのかな」
「あっ。今日は休みになってました。そうしましょう」

 藤石は結託した二人を睨みつけた。

「勝手に決めるなよ。俺は事務所に戻って仕事の準備するんだから」
「じゃあ、ふじいし事務所に行こう」

 宇佐見は強引に藤石の襟首を掴んでビルの駐車場に向かって歩き出した。
 小柄な司法書士は宇佐見に蹴りを入れた。

「お前な、いい加減にしろよっ!嘘ばっかりつきやがって迷惑なんだよっ」
「藤石さん、お願いします。私の話を聞いて」

 そこへリナが藤石の腕を掴みながら懇願した。

「あの男と歩いていたのはアヤメというホステスです。でも相手は結婚しているのにホテルにまで連れ込んで……これって不倫じゃないですか?法律家の先生方なら許せないことでしょう?」
「俺は法律家じゃないよ。コイツはある意味で奇跡の法律家だけど」

 宇佐見とリナに身体を捕らえられながらも藤石は憎まれ口を叩いた。
 しかし、何か気づいたようにリナの顔を見た。

「今、何て言った?」
「はい?」
「相手が結婚しているだの不倫だのって言わなかった?」
「言いましたよ。もう、不倫はダメ絶対!」
「……どういうことだ?再婚したい相手はアイツじゃないのか?」

 藤石は暗い顔つきで考え込んだ。

「それより、藤石さんは何を知ってるんですか?他にも男がいるの?その人は誰!」

 耳元でリナが騒ぐ。藤石は眠そうな顔をして言った。

「知らない」
「嘘をつかないでください!」

 リナが金切り声を出すと、周囲の人間が容赦ない視線を藤石に浴びせた。
 苦々しい顔で藤石はため息をついた。

「確かに、あのアヤメとかいうホステスと男が一緒にいるのを見たが、土曜の昼間に駅前の通りを歩いていただけだ」
「ねえ、ヒロミ。聖川部長って誰?」

 見下ろしてくる弁護士を司法書士は睨み上げた。

「お前に教えるわけ……」

 その時、藤石の耳元に宇佐見はスマートホンを押し当てた。

 留守番電話のメッセージが流れる。


『宇佐見先生お世話になっております。先日、和解が確定した件ですが、後日売買が控えております。相続と売却の登記もお願いしたいのですが、先生がおやりになりますか?それとも、お知り合いに司法書士の先生がいらっしゃるならご紹介ください』


 藤石の顔が瞬時に引き締まった。

「いいか、よく聞け。土曜日に俺が見たのは堀河銀行の聖川という融資関係の統括部長だ。前は横浜に勤務していたが、今はどこで働いているのかわからん。そして、さっきのアヤメとかいう女の兄貴らしい。チャパツが伯父さんって言ってたからな」

 宇佐見は今度はリナを振り返った。

「ねえ、リナちゃん。あのニヤニヤ顔のアイツも堀河銀行に出入りしてるんでしょ?」
「はい、そうです。みんな頭を下げてますよ」
「ヒロミはどう思う?」
「行員が友好的なら地主とか会社の社長とかじゃないのか。」

 藤石は抵抗するのを諦め、大人しく二人のなすがままとなっている。

「会社社長、ね」

 宇佐見は髭を触りながら、空を見つめた。
 リナが藤石の腕を抱え込んだ。

「藤石さん、チャパツって誰です?」
「あの、アヤメとかいう人の息子だよ」

 リナの丸い目が飛び出しそうになった。

「あ、アヤメさんには子供までいるんですか?」
「いるよ。高一だっけな。きっと母親が道楽で水商売やったり客をホテルに連れ込んだりしているなんて知らないんだろうな」
「道楽ってどういうことですか……」

 ひどい、リナが泣き出すと、宇佐見が藤石のネクタイを締め上げた。

「この小粒野郎!リナちゃんを泣かしたな!」
「ちょっと待て!どうしてそうなるんだよ!」
「ホルンのホステスさんたちは生活のために必死で働いているんだぞ。それを道楽とか抜かすとは……司法書士の品位保持義務違反だ!」

 藤石はため息をついてリナの顔を見つめた。

「ねえ。あなたは、そのニヤ顔男をどうしたいの?」
「麗華さんに謝らせたいんです」

 リナが藤石の上着に涙をこぼしながら呟くと、宇佐見は大きく頷いた。

「ホントに健気だねえリナちゃんは。チビ書士も見習えよ」

 宇佐見の言葉を無視して藤石は続けた。

「あの男は、その麗華さんという人に何か悪いことしたとか?」
「わかりません。でも麗華さんの態度がおかしいんです。未練があるように思えて」
「離れた客に対してか?そんなので落ち込んでたら、仕事にならないと思うけど。第一、客が本気になったら困るのはアンタらじゃないのか。面倒なご身分だな」

 辛辣な藤石の頬に、宇佐見がビンタを喰らわした。

「プロフェッショナルの麗華ちゃんには珍しい落胆ぶりなんだよ。チビ書士の言い分もわからんでもないけど」
「……じゃあ、なぜ殴った」

 睨み合う二人を前に、リナがうつむいて言った。

「やっぱり、宇佐見さんも気づいてました?そうなんです。麗華さん、復帰してからも体調が悪そうで……」
「まあ、退院して間もないからなあ。後遺症とかあるのかな。子宮筋腫だっけ?」
「筋腫?」

 藤石が眉をしかめるとリナが小さく頷いた。

「麗華さん、実は手術してるんです。三ヶ月くらい入院してまして。その間にアヤメさんが入ってきてあのニヤついた男を取られちゃったんですよ。アッサリ乗り換えて気味が悪いくらい。少しは優しい言葉かけてもいいじゃない。それも謝らせたい理由です」

 眉をしかめたままの藤石を宇佐見が小突いた。

「どうしたチビ先生」
「いや……うちの母親も子宮筋腫で全摘出したけど、そんなに入院してなかったはずだ。半月くらいで帰ってきたぞ?」

 宇佐見が藤石を見下ろした。

「それ本当なの?」
「ああ、それもだいぶ昔のことだ。今の医療だったらもっと早く退院できるんじゃないか?」

 リナが困惑した顔になった。

「じゃあ、麗華さん三ヶ月間何をしていたんでしょうか」
「それは本人に聞かなきゃわからないだろ」

 藤石は大げさなため息を吐くと、宇佐見とリナを交互に見つめた。

「俺が話せるのはここまでだよ。他に何かあるのか?」
「コラ、どうしてお前はそう冷たいの?女の人が困ってるじゃんか」
「いいの、宇佐見さん。藤石さんは間違ってないわ。それに司法書士ってそういう人が多いみたいだもの」

 リナの言葉に藤石は眉を跳ね上げた。

「ちょっと待ちたまえ。業界批判は聞き捨てならないね」

 藤石はリナの膨れっ面を真っ向から見据えた。リナも上目使いで応戦する。

「私が銀行のロビーに立っていると、いつも司法書士事務所の人が来ます。それに私、中の社員さんたちとも仲良しだから色々話を聞くんです。やたら偉そうな態度のくせに名刺の出し方一つなってないんですって。そんなことホステスだって知ってますよ」
「それは、書士以前に、社会人としてダメな人間だよ。ほとんどの司法書士は清く正しく、まともだから。俺みたいに」
「そうでしょうか」
「そうだとも」
「そんな人、見たことないです」
「見せてやりたいよ。俺の銀行に対する戦略的媚びへつらいを。ああ、銀行かあ……最近は十億越えの仕事してないなあ」

 その瞬間、藤石は急に真剣な顔つきになった。
 リナの両肩に手を置く。
 次第に顔が意地悪い様相になった。

「リナさん。気が変わった。全面協力しよう」
「えっ」

 驚きながらもリナは喜びの色を隠せなかった。
 藤石は名刺の裏にスマートホンのアドレスを記載するとリナに手渡した。

 宇佐見が苦々しい顔をして言った。

「ついにミクロ書士が本性を現したか。お前、もしかして銀行の仕事を狙ってるな?そのためなら手段を選ばない非情なヤツめ」
「少女の家に、不法侵入したお前に言われたくないわ」
「けど、そう簡単にいくものかねえ」
「一筋縄じゃいかないだろうな。とはいえ策はある。何しろこのキャバクラ嫌いな俺が率先して店に足を運ぶんだからな。俺が本気出したら、お前以上にキャーキャー言わせてみせるぞ。覚悟しろ」
「何ぃ!」

 珍しく宇佐見は怒りの声を上げた。
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