合法ブランクパワー 下記、悩める放課後に関する一切の件

ヒロヤ

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四月二十四日(日)昼過ぎ ふじいし司法書士事務所

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 白井麻人の足取りは重かった。

 鹿端家と有平家の境界問題が、新たな局面を生んだ。

 ――もう、キャンセルになったと思ったのに。

 有平家の家主である有平紗江子に境界問題が一旦保留になったことを告げると、あの勝気な女主が今度は売却相談を持ち掛けてきたのだ。

 予感はあったが、こんなに早々と現実になるとは信じていなかった。

 ――フジさんならどうするだろう。

 どうせ一蹴されると思いつつも、今回だけはとにかく司法書士の藤石に話を聞いてもらいたいという一心で横浜に来た。仕事人間の藤石は日曜日でも事務所で仕事をしているはずだ。
 賑わう改札を出るとすっかり初夏のような日差しが黒尽くめの白井を照らす。横浜の街を浮遊霊のようにすり抜け、白井は藤石の事務所を目指した。


 ドアのチャイムを鳴らそうとしたが、空気の入れ替えでもしているのか、ストッパーが挟まれわずかに灰色のドアが開いている。入口で立ち往生していると、眠そうな目をした司法書士が現れ中へ招き入れてくれた。

「大丈夫か、顔が青白いぞ」
「元からです」

 まだ応戦する余力はあった。しかし、自分が抱えた問題のことを考えると身体中から力が抜けていく。

 中には先客がいた。

 薄い紫のシャツに黄色のネクタイ。少し色が入ったサングラスをしている。誤解を招きやすい格好だが、自分も人のことは言えない。

 どこかの不動産屋だろうか。
 しかし、男は白井に向かって会釈をすると、ニイッと出っ歯を出して笑った。

「どうもどうも。フジちゃんの友達かい?」
「土地家屋調査士の白井です」

 低い声だねえと男が驚いた。
 白井は無表情で名刺を差し出し、空いてる椅子に腰を掛けた。

 ほぼ同時に藤石がグラスとオレンジジュースを持って応接に入ってきた。

「堀江さん紹介しますね。コイツは調査士の白井といって、見た目はこんなですけど仕事は早いし出来るヤツです。良かったら面倒みてくださいよ」
「良いねぇ。ミステリアスな調査士なんてカッコいいねえ。古墳とかピラミッドとかの表題登記もやりそうだよねえ」

 はあ、いえと白井は返した。

「ところで、シロップは何しに来たんだ?日曜日だぞ」
「はあ、少し相談が。でも僕は後で良いですから」

 白井は堀江の方を気にした。
 堀江は喉を鳴らしてオレンジジュースを飲み干すと、白井に向かって言った。

「気にしないでよ。オレはたまたま横浜で仕事があって、フジちゃんの事務所に立ち寄っただけよ。休みなのに仕事しているなんて、士業の先生方は大変だねえ」

 藤石も白井に目を向けた。

「そんなわけだから、気にしなくていいぞ。堀江さんも信用できる人だから大丈夫だ」
「嬉しいこと言ってくれるじゃねえかよ。フジちゃん」
「当然ですよ。それよりタワーマンションの登記、こっちに回すの忘れてないですよね」

 大笑いする二人を前に、白井は今回の用向きを頭の中で整理をした。
 膝の上で固く手を組み、テーブルの一点を見つめる。
 白井の様子に藤石が顔をしかめた。

「前髪が長すぎて寝てるのか起きてるのかわからん。動けシロップ」
 すみません、と白井は頭を下げた。
「どうしちゃったのよ白井くん。顔色が悪いよ」
「標準仕様です。大丈夫です堀江さん」
 白井は心配かけまいと微笑んでみせたが、上手くいかなかった。

 咳払いして、藤石に向き直る。

「フジさん、例の件なんですけど」
「ん?お隣さん同士の境界問題か」
「はあ。そうです」

 藤石は堀江のグラスにオレンジジュースを注いだ。

「どうした?依頼人が売買の話を蒸し返したとか?」
「逆です。越境している側の隣人が、家を売りたいから土地の測量をしたいと……今朝も連絡がありました。裁判も辞さないと」

 白井の言葉に、藤石は表情を変えないまま言った。

「けど、誰も買わないだろ、そんなトラブル物件」
 ねえと藤石が堀江に目をやった。
「悪い業者が買い叩くかもなあ。いやいや、オレは不動産屋を信じてる」
 堀江が何かに祈るように手を組んだ。

 白井はうなだれた。

「それが買主候補はいるんです。皮肉にも最初に鹿端家を買い上げようとした須賀不動産がそれを聞きつけまして、今度は越境している隣人側の土地を仕入れようと思っているようなんです。結局、越境した部分がどちらに属するのか確定する必要があります」

 ああ、と目の前の二人が気の毒そうにこちらを見た。事態を把握してくれたようだ。

「鹿端家の所有者……奥さんなんですけど、精神科に入院していることを隣人に話すわけにもいかないですし、家族もそれどころではないでしょう。とはいえ、最初に吹っかけたのはその病んでしまった奥さんなので、隣人側もやけに強気なんですよ」
「大変だなあ、おい」

 ふうんと藤石は頭の後ろで手を組んだ。

「で、時効取得を主張するつもりなのか」
「おそらく……最初からそれを言っていたので」

 白井が頭を抱えると、にわかに藤石が顔を覗き込んで言った。

「シロップの仕事は終わりか?」
「裁判になったら僕の出番はなくなりますから。自分の無力さが情けないです。最後の最後まで力になれなかった」

 ふふふと笑い声がする。
 顔を上げると、藤石がニヤニヤしていた。
 この司法書士の失礼極まりない態度はいつものことだが、白井は気になった。

「フジさん……何ですか」
「隣人は、何という家なんだ?」
「有平、さんですけど」
「ふぅん。本名は有平というのか。あのガキ」
「ガキって……フジさんあそこの息子さんを知っているんですか?」

 すると藤石は堀江に何やら耳打ちした。

「おぉお!あの少年の家の話なのか!」
 堀江が何やら思い出したのか、にこやかな顔になった。
「フジさん、説明してください」
 白井は珍しく眉間に力を込めた。
「まあまあ怒るなシロップ。そのガキは有平タダシという名前か?」
「確か……そうだった……かな」
「やはり当たりか。いいか、そいつは純朴そうな顔をしているが、かなり手癖の悪いガキだ。俺が軽く罰を与えておいたが、お前も気をつけろよ」
「何があったんです?」
「何かあったの?」

 二人に問い詰められたが、藤石はその話題を流した。

「おいシロップ。そのガキは庭がどうこう言ってなかったか?」
「はあ。ただ直接本人から聞いたわけじゃなくて。母親が愚痴のように言ってました」

 今朝、連絡があった時、つい白井は息子のことを聞いてしまったのだ。
 その時に母親が言っていたのは―。

「いつまでも子供で情けない、何が聖域だ、金魚の墓なんてバカバカしいと。それでしょうか」
「それだな。確かにバカバカしいけど」

 すると堀江が藤石の肩を揺すった。

「そ、そんな言い方ねえだろ!あの子はその金魚が大事だったに違いねえって!」
「シロップ。その庭の現況は?」

 藤石は堀江を無視して白井に尋ねた。

「現況、って言われましても。この前見た限りでは……隣との境は自転車が置かれたりしていた気がします。普通に草なんかも生えたりしていて」
「ホラなぁ」

 小柄な司法書士は大きく伸びをした。

「いい子ぶりやがって。やはり偽マジメだな」
「フジさん、どういうことですか?」

 白井は今ひとつ藤石と少年の関係が読み取れなかった。
 どういう経緯で親しくなったのかすら聞かされてないのだから当たり前だが。

「そのガキは急に家を手放す話が出たもんだから、慌てて何とか母親を止めるために金魚だ親父だって言ってるだけだ。そんなに大事なら草むしりくらいやれっての。たぶん金魚の墓も急に思い出した程度なんだな。口から出任せの論述はやはり不合格だ」
「そんな、根拠もなしに」
「そうだぜフジちゃん。ちょっとそれは冷たいんじゃねえの?」

 しかし藤石はふんぞり返った。

「ふん。今時そんな純情高校生がいるかよ。この俺が言うんだから間違いない。それにちゃんと経験に基づいているんだ」

 藤石は腕組みをして何かを思い出すようにゆっくりと語り始めた。

「あれは、いくつの時だっけな。毎年夏になると祖父さんの家に遊びに行ってカブトムシやクワガタを採りに行ったんだ。他にも近所の人からもらったりしたな。喜んで飼うんだけどそのうち死んじゃって裏庭に埋めるわけだ。いじらしい俺はアイスの棒で卒塔婆まで立ててやったんだ」

 グラスの氷が溶けて軽やかな音を立てた。

「しかし、秋になりゃ台風が来て卒塔婆は倒れて吹っ飛んでいく。だから翌年の夏にはまた更地になっているわけだ。それでも俺は毎年泣きながら大クワガタを埋めるんだが」

 藤石は悲しそうな表情を浮かべた。

「適当に掘り起こした土の中から、姉ちゃんが埋めた鳥のヒナが出てきたんだ。いつの間にか共同墓地になっていたわけだな。その時に知ったね。中途半端な気持ちで供養なんかするからこうなるんだと。よって、次からは家に生えてる松の木の根元をグルッと囲むように埋めていくことにした。ただ、そのあたりからカブトは採れなくなってコガネムシになったが」

「つまりどういう意味ですか」

 白井は冷ややかな目で藤石を見つめた。
 堀江は腹を抱えて笑いをこらえている。

「何だその目は。どうもこうもあるかよ。俺だって高校までカブトムシ達の死を引きずっていたわけじゃない。この話も今ちょうど必要にせまられ思い出した程度だ。しかしだな、実家の松の木が引っこ抜かれることになれば、俺もきっとこの話を使って親を止めるだろう」

 白井はため息をついた。

「フジさんの主張はわかりましたよ」
「納得している風には見えないけどな」
「とにかく、彼が家と思い出の庭に執着するのは普通のことです。裁判になれば庭は取り上げられるかもしれないし、売却となれば家を手放すしかない。受け入れられるわけないでしょう」
「今日は珍しく喋るなぁ」

 藤石が茶化すのを白井は無視した。けれど、本当に自分でも不思議だった。今まで何度もやってきた仕事だというのに、今回のこの重苦しい胸の内は何だ。
 自分は中立の存在だが、結局は何も出来ない。いっそ弁護士のようにどちらかの味方につけることができたなら、どんなに気持ちが楽になれるだろう。

「やい、白井くん。君はまだ若いんだ。落ち込んでちゃいかんよ」
 堀江が白井の前髪を引っ張って顔をのぞきこんだ。
「痛いです」
「む、君はそんな顔をしていたのか」
「声とのギャップがすごいでしょ。本当は心も顔も綺麗な子なんですよ」
 藤石がグラスを片付けながら言った。
「よしてください」
「白井くんは本当に優しいな。調査士は優しい人がやる仕事なんだな。司法書士は冷酷無比な人間が向いているみてぇだが」
 堀江の言葉に藤石がひでぇなと笑った。

 白井はうんざりした。やはり話すべきではなかったか。

「そういやさ、シロップ」
「はあ」
 白井は疲れた声を出した。
「有平の家の名義は偽マジメの母親だよな。離婚時に財産分与で譲り受けたのかな」
「そうですけど」
「登記簿は?」
「えっと、持っています」
 白井は鞄から有平家の底地と家屋の謄本を取り出した。
 今では日本全国の登記簿がインターネットで見られるようになった。管轄の法務局に行かずとも、その土地建物について場所や広さ、持ち主がすべてわかるようになったのは、この業界に身を置く者にとっては大変便利になった。

 藤石がパラパラとめくる。
 そして一言、

「最悪」

 と言った。

 白井の仕事範囲は土地の広さや建物の種類を扱う表題部である。
 権利の部分についてはしっかり見ていなかったので、藤石の発言に少々慌てた。

 その藤石は目を細めてこちらを見た。
 何かを企んでいるような眼差し。

「いつも頑張ってるシロップのためだ。力になってもいいぞ」
「え?」

 この司法書士が、利益なしに動くことなどあり得ない。
 当然、予感は当たった。

「もちろん条件付きだ。ただ、そのカードはあとでゆっくり考えるとして、だ」

 藤石は腕時計を見た。

「日曜日だし、自宅にいるかもしれないな」
「そうですね。今朝も電話で少し話をしましたから」
「とにかく、売れなくなれば良いんだろう?」

 すでに藤石は出かける準備を始めていた。
 白井は慌てて先方に電話をし、やたら楽しそうな司法書士と有平家に向かった。
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