合法ブランクパワー 下記、悩める放課後に関する一切の件

ヒロヤ

文字の大きさ
上 下
8 / 49

四月一九日(火曜日)夕方 鹿端家

しおりを挟む

 菜々美が飲み物を取りに行こうと階段を降りたところで、玄関のチャイムが鳴った。

 慌てて洗面所の中へ隠れ、息を殺す。

「はあい」

 気だるい母親の声がした。

 そして、菜々美はいつものようにため息を吐く。

 ――本当ウザい。イライラする。

 玄関からは若い男の声が聞こえた。

「こんにちは、葵中学校の小野です」

 菜々美の心臓が一度だけ大きく動いた。

「どうぞ、こちらへ」

 程なくして、スリッパの音が二つ、リビングへ向かって行く。

 少し洗面所のドアを開け、様子をうかがう。リビングのドアは開け放たれているのか、思った以上に声がよく聞こえる。

「今日は……菜々美さんは」

「誰とも会いたがらないんです。あとで娘には先生がいらしたことを伝えますから」
 そうですか、と小野の声を最後にしばらく沈黙が続いた。

 菜々美は静かに腰を下ろし、ゆっくり深呼吸をした。

 ――先生って、新しい担任?


 何しに来たんだ――。


「先生、うちの娘はもう留年でしょうか」

 突然、母親の声が響いた。

「いや、そんな大丈夫ですよ」

 小野の慌てた声がする。

「でも、このまま学校に行かなかったら、どんどん成績が落ちていくじゃないんですか」

「菜々美さんは一年から優秀でしたし、まだ取り戻せますよ。ただ三年生は大事な時期ですから、なるべく早く学校に来て欲しいのは本心です。その……辛いことがあったことはわかりますが」

 菜々美は小野の言葉に少し心が揺れた。まだ一度も会ったことがない新しい担任。

 ――小野先生。

 初めて聞く名前だ。今年から葵中に来たのかもしれない。どんな顔だろう。

 次の瞬間、母親のヒステリックな声が聞こえてきた。

「だ、だいたい何なんですか!学校は、娘がああなるまでどうして何も私達に知らせてくれなかったんですか!」

 小野の声はしない。驚いて言葉も出ないのだろう。

 母親の苛立つ声が耳に鳴り響く。

「あの子は真面目に学校に通っていたんですよ?それを突然、学校に行きたくないって言うことは、つまり学校に問題があったからでしょう?違いますか?クラスでイジメがあったんじゃないですか?きっと菜々美はおとなしい子だから黙っていたんですよっ」

 菜々美は耳をふさいだ。

 聞きたくない。
 聞きたくない。
 何それ。
 そんなことで娘のためだと思っているの?
 みっともない。
 消えてくれ。

 しばらく沈黙が続いて、小野の静かな声がした。

「昨年の担任によれば、菜々美さんとは面談を繰り返し、悩みがあるのかどうか聞いたそうですが……。お母さまがおっしゃるとおり、確かに自分の意見を素直に言えるような生徒は少ないと思います。そして、仮に悩みを抱えていても、それを言いたくないと拒絶するのは教員を信頼していないからです。そういう意味では学校側の責任でもあると思います」

 そこで、また沈黙となったが、小野の咳払いが聞こえてきた。

「我々も注意してクラスの監督はしておりますが、ここ数年は人手不足で……四六時中、個別の生徒だけを見ることは出来ないのが現状です。言い訳に聞こえるかもしれませんが、私は昨年の実際の状況がわからないので、菜々美さん本人と話がしたいと、考えているのですが……」

 しかし、そんな小野の言葉に対して母親が言ったことは理解しがたい内容だった。

「そうですか。それならお願いします。私はもう疲れました。そのうち主人も娘もみんなバラバラになっていくんでしょうから」

「鹿端さん?」

「私は悪くないのに。必死になって支えてきたのに。娘は気が狂ったように手首ばかり切って、主人は隠れて借金をしていて……」

 その後、母親の醜い嗚咽が聞こえた。

 ――お父さんが借金?

 菜々美の頭の奥に変な痛みが広がった。

 しばらくすると、今度は母親のやたら高い声がまくしたてた。

「あぁ、この家も土地も売り払ってしまうからいいのよ。ええ、この土地は私の名義なんです。つい先日、専門の方にも色々とお願いしておりますの。そのお金で私も自由になれるんだわ。ふふ、余計なことまでベラベラとごめんなさい。最近疲れていて。あの、どうしようもない娘ですが、よろしくお願いします。本当に、先生も大変ですね」

 たいそう上機嫌な笑い声が響く。
 あまりの変貌に菜々美は背筋が凍った。

「こちらこそ、その大変なところを失礼しました。また伺いますので、菜々美さんにもお伝え下さい」
 小野は何とか気を取り直したように、早口で言った。そして、帰り支度をする気配が感じられた。母の様子が尋常ではないことを悟ったのだろう。菜々美は顔も知らない教員が気の毒になった。

 また玄関のあたりにスリッパの音が響き、小野がしきりに謝るだけの挨拶をした。

 玄関のドアが開けられ、静かに閉まる音がする。母親がまたリビングに戻ると、家の中は完全に音を失くした。

 菜々美は洗面所から出ると、リビングに向かった。

 ソファには横になっている母親。
 テーブルにはティーカップが二つ並んでいたが、どちらも手がつけられていなかった。

 菜々美は顔を伏せて寝そべる母親を見下ろした。

「どういうこと?」

 母親は答えない。

「家を売るって何?お父さん借金があるって本当なの?」

 小さく、うるさいと聞こえると、ついに菜々美も声を張り上げた。

「何で人のせいにするの?自分ばかり悲劇のヒロインみたいに気取って馬鹿じゃない?ウチはいやだからね。あの部屋からもう絶対に出ないから」

「うるさい!うるさいうるさいっ。もう勝手にしなさい!お母さんはアンタたちなんか知らない!」

 母親が顔を上げた。
 くぼんだ目元に乾いた唇。

 菜々美は気味が悪くなった。
 母親が次に何かを言う前に、リビングを出た。

 しばらく自室にこもっていると、下の階からガラスが割れるような音が聞こえてきた。

 すぐに菜々美はさっきのティーカップを思い浮かべた。

 ――いかれてる。

 その後もカップが砕け散る音が何度か続いた。

 菜々美はショルダーバッグをつかむと、逃げるように家を飛び出した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

幻想プラシーボの治療〜坊主頭の奇妙な校則〜

蜂峰 文助
キャラ文芸
〈髪型を選ぶ権利を自由と言うのなら、選ぶことのできない人間は不自由だとでも言うのかしら? だとしたら、それは不平等じゃないですか、世界は平等であるべきなんです〉  薄池高校には、奇妙な校則があった。  それは『当校に関わる者は、一人の例外なく坊主頭にすべし』というものだ。  不思議なことに薄池高校では、この奇妙な校則に、生徒たちどころか、教師たち、事務員の人間までもが大人しく従っているのだ。  坊主頭の人間ばかりの校内は異様な雰囲気に包まれている。  その要因は……【幻想プラシーボ】という病によるものだ。 【幻想プラシーボ】――――人間の思い込みを、現実にしてしまう病。  病である以上、治療しなくてはならない。 『幻想現象対策部隊』に所属している、白宮 龍正《しろみや りゅうせい》 は、その病を治療するべく、薄池高校へ潜入捜査をすることとなる。  転校生――喜田 博利《きた ひろとし》。  不登校生――赤神 円《あかがみ まどか》。  相棒――木ノ下 凛子《きのした りんこ》達と共に、問題解決へ向けてスタートを切る。 ①『幻想プラシーボ』の感染源を見つけだすこと。 ②『幻想プラシーボ』が発動した理由を把握すること。 ③その理由を○○すること。  以上③ステップが、問題解決への道筋だ。  立ちはだかる困難に立ち向かいながら、白宮龍正たちは、感染源である人物に辿り着き、治療を果たすことができるのだろうか?  そしてその背後には、強大な組織の影が……。  現代オカルトファンタジーな物語! いざ開幕!!

軍艦少女は死に至る夢を見る~戦時下の大日本帝国から始まる艦船擬人化物語~

takahiro
キャラ文芸
 『船魄』(せんぱく)とは、軍艦を自らの意のままに操る少女達である。船魄によって操られる艦艇、艦載機の能力は人間のそれを圧倒し、彼女達の前に人間は殲滅されるだけの存在なのだ。1944年10月に覚醒した最初の船魄、翔鶴型空母二番艦『瑞鶴』は、日本本土進攻を企てるアメリカ海軍と激闘を繰り広げ、ついに勝利を掴んだ。  しかし戦後、瑞鶴は帝国海軍を脱走し行方をくらませた。1955年、アメリカのキューバ侵攻に端を発する日米の軍事衝突の最中、瑞鶴は再び姿を現わし、帝国海軍と交戦状態に入った。瑞鶴の目的はともかくとして、船魄達を解放する戦いが始まったのである。瑞鶴が解放した重巡『妙高』『高雄』、いつの間にかいる空母『グラーフ・ツェッペリン』は『月虹』を名乗って、国家に属さない軍事力として活動を始める。だが、瑞鶴は大義やら何やらには興味がないので、利用できるものは何でも利用する。カリブ海の覇権を狙う日本・ドイツ・ソ連・アメリカの間をのらりくらりと行き交いながら、月虹は生存の道を探っていく。  登場する艦艇はなんと82隻!(人間のキャラは他に多数)(まだまだ増える)。人類に反旗を翻した軍艦達による、異色の艦船擬人化物語が、ここに始まる。  ――――――――――  ●本作のメインテーマは、あくまで(途中まで)史実の地球を舞台とし、そこに船魄(せんぱく)という異物を投入したらどうなるのか、です。いわゆる艦船擬人化ものですが、特に軍艦や歴史の知識がなくとも楽しめるようにしてあります。もちろん知識があった方が楽しめることは違いないですが。  ●なお軍人がたくさん出て来ますが、船魄同士の関係に踏み込むことはありません。つまり船魄達の人間関係としては百合しかありませんので、ご安心もしくはご承知おきを。もちろんがっつり性描写はないですが、GL要素大いにありです。  ●全ての船魄に挿絵ありですが、AI加筆なので雰囲気程度にお楽しみください。また、船魄紹介だけを別にまとめてありますので、見返したい時はご利用ください(https://www.alphapolis.co.jp/novel/176458335/696934273)。  ●少女たちの愛憎と謀略が絡まり合う、新感覚、リアル志向の艦船擬人化小説を是非お楽しみください。  ●お気に入りや感想などよろしくお願いします。毎日一話投稿します。

政略結婚の約束すら守ってもらえませんでした。

克全
恋愛
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。 「すまない、やっぱり君の事は抱けない」初夜のベットの中で、恋焦がれた初恋の人にそう言われてしまいました。私の心は砕け散ってしまいました。初恋の人が妹を愛していると知った時、妹が死んでしまって、政略結婚でいいから結婚して欲しいと言われた時、そして今。三度もの痛手に私の心は耐えられませんでした。

無敵のイエスマン

春海
青春
主人公の赤崎智也は、イエスマンを貫いて人間関係を完璧に築き上げ、他生徒の誰からも敵視されることなく高校生活を送っていた。敵がいない、敵無し、つまり無敵のイエスマンだ。赤崎は小学生の頃に、いじめられていた初恋の女の子をかばったことで、代わりに自分がいじめられ、二度とあんな目に遭いたくないと思い、無敵のイエスマンという人格を作り上げた。しかし、赤崎は自分がかばった女の子と再会し、彼女は赤崎の人格を変えようとする。そして、赤崎と彼女の勝負が始まる。赤崎が無敵のイエスマンを続けられるか、彼女が無敵のイエスマンである赤崎を変えられるか。これは、無敵のイエスマンの悲哀と恋と救いの物語。

巫女見習い、始めました。

石河 翠
キャラ文芸
両親の都合で、離島に住むおばあちゃんの元に預けられることになった小学5年生の女の子美優(みゆう)。 ほとんど会ったことのないおばあちゃんとの初めての田舎暮らし、元の小学校とは違って少人数すぎるクラスメイト、距離の近いご近所さんに美優は振り回されっぱなしだ。 その上、第一印象最悪な男の子が、美優のことを巫女見習いだと言ってつきまとってきて……。 なし崩し的に海への感謝を捧げる巫女見習いを始めることになった主人公の成長物語。 表紙絵は写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID3673062)をお借りしております。 4章10万字予定です。

光のもとで1

葉野りるは
青春
一年間の療養期間を経て、新たに高校へ通いだした翠葉。 小さいころから学校を休みがちだった翠葉は人と話すことが苦手。 自分の身体にコンプレックスを抱え、人に迷惑をかけることを恐れ、人の中に踏み込んでいくことができない。 そんな翠葉が、一歩一歩ゆっくりと歩きだす。 初めて心から信頼できる友達に出逢い、初めての恋をする―― (全15章の長編小説(挿絵あり)。恋愛風味は第三章から出てきます) 10万文字を1冊として、文庫本40冊ほどの長さです。

致死量の愛と泡沫に+

藤香いつき
キャラ文芸
近未来の終末世界。 世間から隔離された森の城館で、ひっそりと暮らす8人の青年たち。 記憶のない“あなた”は彼らに拾われ、共に暮らしていたが——外の世界に攫われたり、囚われたりしながらも、再び城で平穏な日々を取り戻したところ。 泡沫(うたかた)の物語を終えたあとの、日常のお話を中心に。 ※致死量シリーズ 【致死量の愛と泡沫に】その後のエピソード。 表紙はJohn William Waterhous【The Siren】より。

後宮の系譜

つくも茄子
キャラ文芸
故内大臣の姫君。 御年十八歳の姫は何故か五節の舞姫に選ばれ、その舞を気に入った帝から内裏への出仕を命じられた。 妃ではなく、尚侍として。 最高位とはいえ、女官。 ただし、帝の寵愛を得る可能性の高い地位。 さまざまな思惑が渦巻く後宮を舞台に女たちの争いが今、始まろうとしていた。

処理中です...