6 / 49
四月一八日(月曜日)夜 有平家
しおりを挟む――もう八時か。
先週の水曜日に依頼人の家を訪ねたその日のうち、今回の件について隣家の有平家に手紙を送った。すると、翌々日には白井の事務所へ電話が来たのだ。
すでに相手は喧嘩腰だった。
相手は女性で土地建物ともに所有者だという。
しかも聞いていないこと――要は愚痴まで話し始め、おかげで白井は前情報だけで気分が滅入った。
話によれば、有平家は母子家庭だという。白井は母子家庭の実情をよく知らないが、生活が豊かだという印象はない。今回の話は寝耳に水だろうし、電話では強気な対応をしていたが、実際はたいそう困惑しているだろう。
どのように話を展開するか考えながら歩いているうちに目的の有平家に辿り着いた。
チャイムを押すと息子と思われる少年が出てきた。白井の姿に、あからさまに眉をひそめている。
「夜分失礼します。土地家屋調査士の白井と申します。お家の方はいらっしゃいますか」
少年は、驚いたような顔をして奥に引っ込むと、代わりに母親が出てきた。
母親――この家の登記簿から所有者の有平紗江子だと白井は認識した。
四十過ぎといったところか、姿勢が良く口元は引き締まり、気が強そうな印象を受けた。
有平紗江子は疲れたような声で言った。
「こちらから時間指定しながら申し訳ないですけど、まだ片付けが終わらなくて。もう少し待っていただいて良いですか」
時間通りに来たつもりだったが、白井は事前に一本電話を入れるべきだったかと後悔した。
「いえ、私はここでも結構です。今回の話の概要だけ説明に来ただけですから」
「そう」
白井の名刺を受け取ると、母親は玄関のマットの上に膝をついて座った。合わせて白井も跪くような格好になった。
「大方は先日お話したとおりですが、ご理解いただけましたか」
白井は紗江子の顔を覗きこむようにすると、紗江子は強い眼差しで見返した。
「話の筋は理解しました。が、納得したわけではありません」
口調は強かった。間違いなく困難な展開が予想され、白井は覚悟した。
紗江子が続けた。
「白井さん、あなたに言っても仕方ないですけど、私はこの家を十年以上も前に別れた主人から慰謝料の代わりにもらいました。ですから、この家はそれよりも前にここに建っていて、庭も当時のままです。私も自分で勉強しましたが、時効取得というものになるんじゃありませんか?今さらそんなこと言われても困ります。だいたい主人が買った時の不動産屋はそんなこと言ってませんでしたよ」
紗江子は真っ直ぐ白井を見つめた。気圧されそうになる。
まさか自ら時効取得について情報を仕入れているとは思わなかった。この母親の生き方を思うに、きっと自分で問題解決する力を培ってきたに違いない。
白井は心の中でため息をついた。双方の交渉は後日またセッティングするとして、今日の目的は相手の考えがどういうものか探るために来たのだ。
――もうこれで充分だけど。
白井は咳ばらいをしつつ、立ち上がった。
「ともあれ、境界測定の立会いにはご協力をいただきたいのです。その後でまた」
「だいたい、先生は何のお役目なんですか?土地家屋調査士って具体的に何をするの?」
「はあ。色々ありますが、最近多いのはこういった境界に関する仕事でしょうか。話し合いの仲立ちとして動きます。あとは土地の広さや用途などを、国の機関に備えられている台帳に登録する手続きをします」
「何度も言いますけど、うちの庭はうちのものです」
「はあ。お気持ちはわかりますが、万が一、有平さんの土地の境界が国が把握しているものと違っていたら、やはりその境界については話し合いが必要になってくるのです。もちろん、有平さんに非があるわけではありません。ただ、お隣が困っている事情も汲んでいただけませんか」
白井は慎重に言葉を選んだ。相手が逆上して、話し合いに応じないのでは仕事にならない。たいていは隣人のよしみだかでスムーズに話が進むのだが、今回の両家はほとんど関わりがない分、いつもより難易度は高い。
ふと、紗江子が宙を見るような眼差しを白井に向けた。
何か思惑があるような気がして、白井は自然と口を開いた。
「有平さん。どうしました」
「ねえ、お隣さんの土地を欲しがる会社があるということは、この辺りって、それだけ価値があるんですか?高く売れるのかしら?」
「そうなんでしょうね。閑静で、都心にも出やすいですし。その割には開発が進んでいないところもあったりして、業者が目をつけているのかもしれません」
「先生は土地の鑑定も出来るんですか?」
意外な言葉に白井は驚いた。
「いえ、それは不動産鑑定士の仕事ですね。私はただの手続き屋です」
そう、と紗江子は何か考え込んだ。
「忠志もあと三年だしな。いっそ売ってしまって駅近のマンションに引っ越そうかしら。いちいちこういうトラブルも面倒だし」
紗江子の独り言に白井は気が重くなった。
――さっきまであんなに境界の主張をしていたのに。
土地が大事なのか金が欲しいのか、いずれにせよ有平家が正式な境界に納得して侵出した庭を明け渡せば白井の仕事は終わりだ。それに向けて淡々とやるしかない。
「有平さんの主張として、先方にはお伝えします。後日、お互い話し合いの場を持ちませんか?」
「私、仕事が忙しいんですけど」
「存じ上げてます。ですが」
「それにどうして今さら?ずっと前から放置していたのは、あっちじゃないの」
「お気持ちはわかりますけど」
「今になって協力しろとか勝手ね。だいたい、貴方はお隣の味方なんでしょう?」
「先ほども申し上げましたが、土地家屋調査士は双方の仲立ちです。中立な立場ですから、ご心配いりません。訴訟まで及ぶ際には弁護士を立てることになるでしょうが」
その時、白井はすぐ近くの部屋から軽い物音がするのを聞いた。
――ずっと立ち聞きしていたか。
この大人の諍いを息子はどう受け止めただろうか。
白井は案件の複雑さよりも、そちらの方が気になった。
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説

夢の中でもう一人のオレに丸投げされたがそこは宇宙生物の撃退に刀が重宝されている平行世界だった
竹井ゴールド
キャラ文芸
オレこと柊(ひいらぎ)誠(まこと)は夢の中でもう一人のオレに泣き付かれて、余りの泣き言にうんざりして同意するとーー
平行世界のオレと入れ替わってしまった。
平行世界は宇宙より外敵宇宙生物、通称、コスモアネモニー(宇宙イソギンチャク)が跋扈する世界で、その対策として日本刀が重宝されており、剣道の実力、今(いま)総司のオレにとってはかなり楽しい世界だった。

ウツシヨヘグイ
夜市彼乃
キャラ文芸
お茶屋さん「ひじり茶」には、裏の顔があった。
「妖専門案内所」を裏の顔とするこの店の、土御門聖(つちみかど ひじり)と天宮四(あまみや あずま)のもとに、今日も依頼が舞い込む。

せっかく転生したのにモブにすらなれない……はずが溺愛ルートなんて信じられません
嘉月
恋愛
隣国の貴族令嬢である主人公は交換留学生としてやってきた学園でイケメン達と恋に落ちていく。
人気の乙女ゲーム「秘密のエルドラド」のメイン攻略キャラは王立学園の生徒会長にして王弟、氷の殿下こと、クライブ・フォン・ガウンデール。
転生したのはそのゲームの世界なのに……私はモブですらないらしい。
せめて学園の生徒1くらいにはなりたかったけど、どうしようもないので地に足つけてしっかり生きていくつもりです。
少しだけ改題しました。ご迷惑をお掛けしますがよろしくお願いします。
ナマズの器
螢宮よう
キャラ文芸
時は、多種多様な文化が溶け合いはじめた時代の赤い髪の少女の物語。
不遇な赤い髪の女の子が過去、神様、因縁に巻き込まれながらも前向きに頑張り大好きな人たちを守ろうと奔走する和風ファンタジー。

秘伝賜ります
紫南
キャラ文芸
『陰陽道』と『武道』を極めた先祖を持つ大学生の高耶《タカヤ》は
その先祖の教えを受け『陰陽武道』を継承している。
失いつつある武道のそれぞれの奥義、秘伝を預かり
継承者が見つかるまで一族で受け継ぎ守っていくのが使命だ。
その過程で、陰陽道も極めてしまった先祖のせいで妖絡みの問題も解決しているのだが……
◆◇◆◇◆
《おヌシ! まさか、オレが負けたと思っておるのか!? 陰陽武道は最強! 勝ったに決まっとるだろ!》
(ならどうしたよ。あ、まさかまたぼっちが嫌でとかじゃねぇよな? わざわざ霊界の門まで開けてやったのに、そんな理由で帰って来ねえよな?)
《ぐぅっ》……これが日常?
◆◇◆
現代では恐らく最強!
けれど地味で平凡な生活がしたい青年の非日常をご覧あれ!
【毎週水曜日0時頃投稿予定】
後宮見習いパン職人は、新風を起こす〜九十九(つくも)たちと作る未来のパンを〜
櫛田こころ
キャラ文芸
人間であれば、誰もが憑く『九十九(つくも)』が存在していない街の少女・黄恋花(こう れんか)。いつも哀れな扱いをされている彼女は、九十九がいない代わりに『先読み』という特殊な能力を持っていた。夢を通じて、先の未来の……何故か饅頭に似た『麺麭(パン)』を作っている光景を見る。そして起きたら、見様見真似で作れる特技もあった。
両親を病などで失い、同じように九十九のいない祖母と仲良く麺麭を食べる日々が続いてきたが。隻眼の武官が来訪してきたことで、祖母が人間ではないことを見抜かれた。
『お前は恋花の九十九ではないか?』
見抜かれた九十九が本性を現し、恋花に真実を告げたことで……恋花の生活ががらりと変わることとなった。
初恋♡リベンジャーズ
遊馬友仁
キャラ文芸
【第四部開始】
高校一年生の春休み直前、クラスメートの紅野アザミに告白し、華々しい玉砕を遂げた黒田竜司は、憂鬱な気持ちのまま、新学期を迎えていた。そんな竜司のクラスに、SNSなどでカリスマ的人気を誇る白草四葉が転入してきた。
眉目秀麗、容姿端麗、美の化身を具現化したような四葉は、性格も明るく、休み時間のたびに、竜司と親友の壮馬に気さくに話しかけてくるのだが――――――。
転入早々、竜司に絡みだす、彼女の真の目的とは!?
◯ンスタグラム、ユ◯チューブ、◯イッターなどを駆使して繰り広げられる、SNS世代の新感覚復讐系ラブコメディ、ここに開幕!
第二部からは、さらに登場人物たちも増え、コメディ要素が多めとなります(予定)
【実録】神絵師じゃないから原稿料踏み倒されたけど裁判で全額回収する備忘録
こうき
エッセイ・ノンフィクション
少額訴訟→強制執行で実際に個人相手に原稿料を回収した成功実話です。
=====================================
『今回は無償です』と言い放って連絡を絶った依頼者。
小説の挿絵を受理したら払うと言われ納品したら、感染症の所為で現金がないので払えないという。
仕方がないから二ヶ月待ったら同人誌が売れないのは僕の絵の所為だから支払えないという。
ちょっと待て。
僕は納品した挿絵の代金が欲しいのだ。納品した時点で支払は確定している。同人誌の売上げは関係ない。
と言っても話が通じない。その上Twitterでブロック&陰口三昧。
依頼者は最後にこうも言っていた。
「不満なら訴えればいい」
オーケー。なら訴えてやろう。
そして実際に訴えを起こし、裁判の日が決まった。
だが裁判前に相手から届いたメールにはとんでもないことが書かれていた。
=====================================
本当にあったざまぁ体験備忘録。
今回は運よく取り立てに成功しましたが、最中の悲喜交交、裁判の方法だったり、被告・債務者になる人の考え方など。なかなか興味深いものでしたので、作品として発表させていただきます。
実話ですが個人情報保護の為、名前・数値・言い回しなどは一部実際のものと変えたり伏せたりしております。
本作品はあくまで債権回収に成功した体験談を綴ったものです。
少額訴訟を推奨するものではなく、同様に行って成功を確約するものではありません。
また訴えた相手を貶める目的ではありません。しかしどう思うかは自由です。
カクヨムでも同内容を連載中「https://kakuyomu.jp/works/16816452219824483627」
投稿漫画「神絵師じゃないから原稿料踏み倒されたけど裁判で全額回収する話-少額起訴・強制執行マンガでガイド-」の元になった体験談になります。(漫画版本編のネタバレあり)
漫画版はこの体験をもとに勉強したことをまとめたものになります。
「1・案件」は漫画版の1話2P目の詳細となります。起訴の具体的な方法は漫画版をご参照+更新をお待ち下さい。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる