かれこひわづらひ

ヒロヤ

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第一部 第二章 花滞雨の巻

二〇一六年三月二十日 2016/03/20(日)夕方

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紗枝と別れた後、澄子は駅前の量販店で缶ビールを買うと、ため息を吐いた。

 ――ヤル気なし。

 日曜の晩くらいは、きちんと料理をしようなどと年初めに決意したが、それもいい加減になってきた。一人暮らしで食事に力を入れたところで、どこか虚しい気がする、そんな言い訳ばかりが増えた。

 ――誰かと一緒なら。

 こんなことを思うたび、柿坂の鋭い顔が浮かぶ。これは、男と関わりを避けてきた澄子にとっては考えられないことでもあった。

 ――柿坂さん、今日は何をして過ごしていましたか。
 ――柿坂さん、最後に会ってから、もう一カ月も経つんですね。
 ――柿坂さん。

「……わたし、どうしたら良いですか」

 つい、口から言葉が出てしまった。
 誰にも聞かれていないことを確認すると、澄子は足早に駅のコンコースを通り抜けた。

 その時、ふいにギターの音が聞こえたかと思うと、ほぼ同時に拍手が沸き起こった。まばらではあったが、コンコースの先の広場に人だかりが出来ている。

 その中心には小柄な少女と、ギターの少年がいた。

 少女は一礼すると、その華奢な身体からは想像つかないような、少しハスキーな低い声で歌い始めた。


 君の 呼吸をするような まばたきが好き
 僕は願うよ
 その目が ずっと伏せられないように

 君の 小さな 優しい八重歯が好き
 僕は願うよ
 
 アイツで良いから

 君が ずっと幸せであるように


 ――あんなに若い子が、何て切ない歌を。

 おそらく高校生か大学生くらいだろう。
 あの年齢の少年少女なら、もっと明るく青春を謳歌するような曲を選ぶかと思っていたが、これは驚きだった。

 ゆったりと、ギターのストロークが終わると、拍手を送る者、そっと立ち去る者とで、コンコースは人で入り乱れた。

 ギターの少年が少女に声をかけた。少女は、何かにうなずいている。少年はさらに少女の頭を軽く叩くと、今度は二人で笑い合った。

 ――。

 今までなら、見向きもしないで通り過ぎていた光景だろう。
それが、柿坂と出会ってから、澄子はあらゆるカップルに、無意識に自分たちを重ねては、勝手に消沈していた。

 ――よりによって、こんな若い子たちと比べてしまうなんて。

 若さ以上に羨ましいものがある。

 それが何かは――。

「あの……?」

 突然、ギターの少年が会釈をしつつ、しかし怪訝な顔で澄子に話しかけてきた。

 あまりに凝視し過ぎたせいで、相手にも気づかれたらしい。完全な不審者だ。

「ご、ごめんなさい。何でもないの」

「聴いて下さり、ありがとうございます」

 少女が頭を下げる。どうやら、良い方向に解釈してくれたようだ。澄子も慌てて話を合わせる。

「あ、すごく良かったです……ギターも歌もお上手で……」

「そんな、たいしたことないですよ、ねえ?」

「まだまだです。優花はともかく、オレのギターはまだ全然」

「祐樹も確実に上手くなってるってば!みんな聴いてくれたじゃん」

 ――ああ、良い子たちだ。

 職場でも、若者と関わることがない澄子だが、この二人は好感が持てた。落ち着いていて、変に大人ぶらないところも良い。

 会話から、少年は祐樹、少女は優花という名前らしい。
 その音が似ているのも、どこか羨ましくなってしまった。

「いつも、ここでストリートライブしているんですか?」

「この駅は最近です。一応、これでもオレはプロ志望なんですけど、彼女はそうでもないみたいで」

「だって、好きな歌を好きに歌いたいだけだもん。ボイトレとかイヤだよ」


 その後も二人は音楽の話で盛り上がった。

 なぜか、ここで柿坂の顔が浮かぶ。

 ――柿坂さんと……こんな風に話せる日なんて来るのかな。

 祐樹がギターケースを担いだ。その動作が、そのまま二胡のケースを担ぐ柿坂に重なる。

 ――うわ。


 会いたい。


「お姉さん、よかったらまた聴きに来てください」

「え、あ、うん!もちろん」

「本当ですか、嬉しいです!来週の日曜日も同じ時間で歌ってますから、是非!」

 そして二人は澄子に会釈をしながら、改札口の方へ歩いていった。

 見送った先、人混みで見えなくなる寸前で、二人がそっと手を繋いだのが、澄子の脳裏から離れなくなってしまった。
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