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ダルメシア王国軍
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みな揃いの甲冑だった。ダルメシア国旗をひるがえして、馬に乗った騎士たちが小高い丘にズラッと並んでいた。
「塀に民兵が多く見られます。町の連中、籠城でもするつもりですかね?」
若い騎士が中央の白い馬に乗った恰幅のいい騎士にそう告げた。
「ふん、櫓まで建てているのか。ほう、塀には防護柵か。だれか拠点防衛に詳しいものがいるようだな」
防護柵とは、塀を登ろうとする兵への障害だ。梯子やロープをかけられないようにする。もちろん先端は細くとがっている。まあ栗のイガみたいなもんだね。
「あのぶんでは塀のまわりにも仕掛けがありそうですね」
「なるほど盗賊が一気呵成に襲いかからないわけか」
攻城戦など腐るほどこなしてきた。落とせぬ城はない。しかもあれは城ですらない。見たところ、老兵と不慣れな民兵の寄せ集めだ。本気で攻めれば小一時間とかかるまい。やれやれだ。リスタリアに侵攻する直前だというのに、なんでこんなところでこんなことをしなけりゃならないのだ。
「将軍、ライネントルフ教団の者たちです」
見ると丘をこちらに向かって駆け上がってくる僧衣の者たちがいた。みな僧衣だが、その腰には長剣を吊るしている。いやなやつらが来た、と思った。
「ゴーシェ将軍閣下とお見受けします」
「ああ。わしがゴーシェだ」
将軍はさもかったるそうに馬から降りた。国王が定めた国教であるライネントルフ教の使者だ。ぞんざいに対応できない。
この世界では宗教は実に多く、さまざまな国、さまざまな地域にそれらが根を生やしている。そんな小さな教団のひとつにすぎなかったライネントルフ教団だったが、前王亡きあと、現王になってから急速に信者が増え、ダルメシア国教とまでなった。まあ、影ではよからぬうわさもたえないのではあるが。
ゴーシェ侯爵家は代々領地の地場宗教であるミローネント教を信仰していた。愛と戦いの精霊を祀るものだ。あのライネントルフ教のように物欲にまみれたものではない。だが信仰は自由意志だ。現王がその教義に傾倒して行こうと、それを止める術はない。ましてや、その教皇たる男にもだ。
やがてまわりがすべて敵になった。戦争はいたるところで起こった。負けなかった。あらかじめ敵地にライネントルフ教団が布教し、弱体化させていたからだ。だがいまここは自領なのだ。おかしいことだらけだった。
「ガルシムと申します。お見知りおきを」
そう言ってひとりだけ僧衣ではなく修道服を着た男がそう言った。
「派遣しているゼネリスから名前は聞いている。ご苦労。で、なんの報せであるか、な」
「手はず通り町への援軍に見せかけられてはいかがです?到着してすぐなのはわかりますが、教皇ゼルセルさまは急いでおられます」
そんなことをお前らに指図されたくはない、と言いたかったがもはやそんなことを言えぬほどあの教皇の力は大きくなった。
「心得た、とまあそう言いたいところだが、われらは夜通し駆けてきた。人馬ともに休息が必要だ。ご理解いただきたい」
「これは歴戦の覇者であるゴーシェ将軍のお言葉とも思えませんが、いいでしょう。どうかごゆるりと」
「かたじけない」
「ふふ。名門ゴーシェ侯爵ともあろうお方が休息?やれやれ、歳には勝てないって。ことですかねえ」
「なんだと!」
「やめろ、フィフスタイン。やるだけ損だ」
笑いながらあのライネントルフ教団の者たちは去っていった。
「許せません、将軍!あいつらいい気になって」
「時節だ。仕方あるまい」
「ですが…」
「われら騎士は、その地位のために命をかける。そのための槍であり剣である。戦場では敵は常に前だ。後ろではない」
「は、肝に銘じます」
そうするうちにみるみる近づいてくる者がいる。あの、町からだ。どうやって盗賊の包囲網を破ったのかはわからなかった。いやわかった。近づいてくるのは騎士だ。その従者とみられるものが掲げている旗が理由らしい。あの旗に、弓引くものはいない。
みればまだ若い女だった。
「ちょっとそこのあんたたち!責任者は誰?」
仮にも軍隊にその声かけはないだろう?騎士団の誰もがそう思った。しかも見れば年端もいかない少女なのだ。
「これは威勢のいいお嬢さまだ。名を聞こう」
「あんたは?」
「何を生意気な…」
「まて」
ゴーシェ将軍はこれがただの若年の女騎士だと思ったが、それがとんでもない過ちだと気がつき、また馬から降りた。ほかの者もそれに倣うしかなかった。
「どうかご無礼を。お名前をいただける光栄に是非」
そう膝まづいて将軍は言った。ある程度は予想していたが、それがこれほどまでとは思わなかった。
「わ、わたしはガザン王国の騎士バレリナ。租税徴収の軍務を帯びこの地に立ち寄った」
「これは麗しきガザンの誉れある姫騎士さま。わがダルメシア軍に何か御用でも?」
確かにガザンは大国だが、それにしちゃ大層な対応だ。なんで?
「そこもと達は、かの町を攻め落とそうと欲するや否や?」
「あくまで援軍、でございまする」
「援軍が何ゆえ町に拠らずここで傍観するや?」
「町には盗賊の一味が潜んでいるとの知らせにて、ここで待機しておりました」
「ふうん、理屈はそういうこと」
少女はつい、と兜を脱いだ。美しい髪が後方に広がり、その美しい顔を一層引き立てた。
「あのね、あんたたちが何をしようが知ったこっちゃないわ。ただね、あの町にはあたしがかき集めた飛び地の租税があるの。もちろん預けてんだけどね。ねえ、まさかそれ狙ってないよね?ガザン王国の租税、狙ってないよね?」
凄みはさすが大国の貴族だ。半端じゃない。
「と、とんでもございません。ガザン王国の騎士に、ましてクラン・ルルーシェをいただいているお方になど、う、嘘は申し上げられません」
「クラン・ルルーシェ?」
「え?あの、その首元の…」
ああ、出かけるときミローネがあたしにくれたやつだ。なんでも精霊の加護ってやつだって。まあお守り代わりと思ってつけてやったけど、これでビビってんのかしら?
「実際見るのは初めてで…いや文献で見て知りおきます。あなたは精霊剣士。この世界でも三人しかいない高貴な騎士です」
「あっそう」
なんかミローネ、大層なものくれちゃったけど…。
「あのそれで、できればその租税を預けている商館の名などお聞かせ願えたら…」
「何よ?どうしようって言うのよ」
「い、いえ、真っ先にお守りしようかと」
「ふうん。ま、いいわ。預け先はライオネント商会よ」
「げえ」
不思議な声を将軍は出した。変なものでも食べたのかしら。
「それとさ、さっきチラッとライネントルフ教団のやつらが見えたけど、あれ知り合い?」
「え?い、いや」
「知っての通りガザン王国の国教は『ガペリン教』だけど」
「存じております」
「最近さあ、蛇口教ってのも認めてんの。ねえ、蛇口教知ってる?」
な、なに言ってんだ?し、知るわけないだろ!しかしこのお方に知らぬなどとは言えない…。
「それならわたくしが、将軍」
「おお、フィフスタイン!貴公は知っておるのだな?」
「わが所領する村がかの者にすくわれました。救世主なるお方に」
「そ、それは…」
「わが所領シシリア村では井戸の水が枯れ、収穫を前にみな途方に暮れていました。そんなとき現れた救世主さまにすくわれました」
ああーあの村ね?デリアが玉蹴りばっかりして遊んでいた村だわ。
「あの村の危機を救ってくださったのが蛇口教。そして気高くも名さえ残されなかった教祖さまこそ『トム・ヤン』さまと言います」
「まるで信者の口ぶりだが…」
「何をおっしゃいます!わたしは敬虔な蛇口教のしもべ、でございます!」
そう言ってフィフスタインと名乗る騎士は右腕をみせた。甲冑の腕に金色に掘られた蛇口の絵が輝いていた。
「あーああそう」
なんかめんどくさいことになってんな―。まーしょうがないか。デリアのやることってわけわかんないからなー。
「では、わたしはあの町に戻る。徴収した租税を守らねばならんのでな。ではさらば」
「あ、あの!」
フィフスタインは何か言いたそうだった。
「なにか?」
「い、いえなんでも」
「ふん」
女騎士は行ってしまった。あとに残された者たちは気の毒だった。町を襲えば大国ガザンと揉めるのは必至。襲わなかったらライネントルフのやつらが黙っていない。国王に進言されみなよくて地下牢行き、悪くて火あぶりだ。
「将軍、ここでお別れさせてください」
フィフスタインがいきなり言った。
「な、何を言う。しかも戦線離脱は重罪だ。国にいる家族までその責めを負うぞ!」
「それでも行かねば。わたしに殉教者の栄誉を」
蛇口教に殉教すると言っているのだ。この若い士官をそれまでに引き付ける蛇口教とはいったい…。
「離脱は許可せん。しかしおぬしの言い分はもっともだ。さてこの軍の中にその信者はどれくらいおるのじゃ?」
ゴーシェ将軍の問いに、おそるおそるフィフスタインは答えた。
「おおよそ三百人」
ゴーシェ率いるダルメシア王国軍はおよそ千人。その三割が蛇口教信者なのか?ゴーシェは唸ってしまった。フィフィスタインの目は完全に殉教者の目だ。おのれの教義に命をかけるそれだ。そのようなものの前で軍命だとか勅命だとかは意味をなさない。彼らは人間のちっぽけな道義で生きているのではない。それこそ崇高な神への道に向かっているのだ。
なーんて大げさなことをぼくは言ったつもりはないんだけどね。みんな『楽しく楽して楽しもう』の「三楽」こそ蛇口教の真義。まあ、早いはなしがニート教ってこと。それだと誰も働かないって?いやいや世の中には働きたくってしょうがない人も沢山いる。もう働く中毒患者が大ぜいね。危なくぼくもその一歩手前だったけど、運よくそうなる前に死んじゃった。あれ?ちがうぞ、それ…。
とにかくダルメシア軍内に混乱が生じた。これでちょっとは足止めできる。さあ今度は盗賊どもだ。
盗賊五百人はいま恐怖の中にいた。なぜかって?そりゃ、そこら中に死霊や亡霊がうようよしているからだ。もちろん、なにするってわけじゃないけど、突いても斬っても死なないし消えない。そしてそれはいきなりあらわれ、そのおぞましい姿をさらす。
「な、なんということだ…これは呪いか…」
「うろたえるな!たかが幻影だ!幽霊など恐れるに足らんって、きゃーこっち来ないでっ!」
「ミランダさま!ど、どうしたんでしょう!なんでこんな…ここはもしかして墓場か古戦場跡か…」
「だから場所は選べって言っておいたじゃない!マジないわー」
「そんなこと言われましても…」
「あのクソったれ教団は何してんのよ!早く追い払うように言いなさいよ!」
「あやつらはいち早く逃げましてございます」
「なに信じられない!あの外道ども!」
「と、とにかく移動しましょう!」
「どこへ逃げろって?そこらじゅうにお化けがいるじゃないの!もう夜中にひとりでトイレいけないわ」
「情けないことを。そうだ、魔法で」
「お化けにどうやって魔法使えって言うのよ?」
盗賊は森中を逃げまどっていた。これもしばらく足止めできる。
あとはライネントルフ教団か…。
「塀に民兵が多く見られます。町の連中、籠城でもするつもりですかね?」
若い騎士が中央の白い馬に乗った恰幅のいい騎士にそう告げた。
「ふん、櫓まで建てているのか。ほう、塀には防護柵か。だれか拠点防衛に詳しいものがいるようだな」
防護柵とは、塀を登ろうとする兵への障害だ。梯子やロープをかけられないようにする。もちろん先端は細くとがっている。まあ栗のイガみたいなもんだね。
「あのぶんでは塀のまわりにも仕掛けがありそうですね」
「なるほど盗賊が一気呵成に襲いかからないわけか」
攻城戦など腐るほどこなしてきた。落とせぬ城はない。しかもあれは城ですらない。見たところ、老兵と不慣れな民兵の寄せ集めだ。本気で攻めれば小一時間とかかるまい。やれやれだ。リスタリアに侵攻する直前だというのに、なんでこんなところでこんなことをしなけりゃならないのだ。
「将軍、ライネントルフ教団の者たちです」
見ると丘をこちらに向かって駆け上がってくる僧衣の者たちがいた。みな僧衣だが、その腰には長剣を吊るしている。いやなやつらが来た、と思った。
「ゴーシェ将軍閣下とお見受けします」
「ああ。わしがゴーシェだ」
将軍はさもかったるそうに馬から降りた。国王が定めた国教であるライネントルフ教の使者だ。ぞんざいに対応できない。
この世界では宗教は実に多く、さまざまな国、さまざまな地域にそれらが根を生やしている。そんな小さな教団のひとつにすぎなかったライネントルフ教団だったが、前王亡きあと、現王になってから急速に信者が増え、ダルメシア国教とまでなった。まあ、影ではよからぬうわさもたえないのではあるが。
ゴーシェ侯爵家は代々領地の地場宗教であるミローネント教を信仰していた。愛と戦いの精霊を祀るものだ。あのライネントルフ教のように物欲にまみれたものではない。だが信仰は自由意志だ。現王がその教義に傾倒して行こうと、それを止める術はない。ましてや、その教皇たる男にもだ。
やがてまわりがすべて敵になった。戦争はいたるところで起こった。負けなかった。あらかじめ敵地にライネントルフ教団が布教し、弱体化させていたからだ。だがいまここは自領なのだ。おかしいことだらけだった。
「ガルシムと申します。お見知りおきを」
そう言ってひとりだけ僧衣ではなく修道服を着た男がそう言った。
「派遣しているゼネリスから名前は聞いている。ご苦労。で、なんの報せであるか、な」
「手はず通り町への援軍に見せかけられてはいかがです?到着してすぐなのはわかりますが、教皇ゼルセルさまは急いでおられます」
そんなことをお前らに指図されたくはない、と言いたかったがもはやそんなことを言えぬほどあの教皇の力は大きくなった。
「心得た、とまあそう言いたいところだが、われらは夜通し駆けてきた。人馬ともに休息が必要だ。ご理解いただきたい」
「これは歴戦の覇者であるゴーシェ将軍のお言葉とも思えませんが、いいでしょう。どうかごゆるりと」
「かたじけない」
「ふふ。名門ゴーシェ侯爵ともあろうお方が休息?やれやれ、歳には勝てないって。ことですかねえ」
「なんだと!」
「やめろ、フィフスタイン。やるだけ損だ」
笑いながらあのライネントルフ教団の者たちは去っていった。
「許せません、将軍!あいつらいい気になって」
「時節だ。仕方あるまい」
「ですが…」
「われら騎士は、その地位のために命をかける。そのための槍であり剣である。戦場では敵は常に前だ。後ろではない」
「は、肝に銘じます」
そうするうちにみるみる近づいてくる者がいる。あの、町からだ。どうやって盗賊の包囲網を破ったのかはわからなかった。いやわかった。近づいてくるのは騎士だ。その従者とみられるものが掲げている旗が理由らしい。あの旗に、弓引くものはいない。
みればまだ若い女だった。
「ちょっとそこのあんたたち!責任者は誰?」
仮にも軍隊にその声かけはないだろう?騎士団の誰もがそう思った。しかも見れば年端もいかない少女なのだ。
「これは威勢のいいお嬢さまだ。名を聞こう」
「あんたは?」
「何を生意気な…」
「まて」
ゴーシェ将軍はこれがただの若年の女騎士だと思ったが、それがとんでもない過ちだと気がつき、また馬から降りた。ほかの者もそれに倣うしかなかった。
「どうかご無礼を。お名前をいただける光栄に是非」
そう膝まづいて将軍は言った。ある程度は予想していたが、それがこれほどまでとは思わなかった。
「わ、わたしはガザン王国の騎士バレリナ。租税徴収の軍務を帯びこの地に立ち寄った」
「これは麗しきガザンの誉れある姫騎士さま。わがダルメシア軍に何か御用でも?」
確かにガザンは大国だが、それにしちゃ大層な対応だ。なんで?
「そこもと達は、かの町を攻め落とそうと欲するや否や?」
「あくまで援軍、でございまする」
「援軍が何ゆえ町に拠らずここで傍観するや?」
「町には盗賊の一味が潜んでいるとの知らせにて、ここで待機しておりました」
「ふうん、理屈はそういうこと」
少女はつい、と兜を脱いだ。美しい髪が後方に広がり、その美しい顔を一層引き立てた。
「あのね、あんたたちが何をしようが知ったこっちゃないわ。ただね、あの町にはあたしがかき集めた飛び地の租税があるの。もちろん預けてんだけどね。ねえ、まさかそれ狙ってないよね?ガザン王国の租税、狙ってないよね?」
凄みはさすが大国の貴族だ。半端じゃない。
「と、とんでもございません。ガザン王国の騎士に、ましてクラン・ルルーシェをいただいているお方になど、う、嘘は申し上げられません」
「クラン・ルルーシェ?」
「え?あの、その首元の…」
ああ、出かけるときミローネがあたしにくれたやつだ。なんでも精霊の加護ってやつだって。まあお守り代わりと思ってつけてやったけど、これでビビってんのかしら?
「実際見るのは初めてで…いや文献で見て知りおきます。あなたは精霊剣士。この世界でも三人しかいない高貴な騎士です」
「あっそう」
なんかミローネ、大層なものくれちゃったけど…。
「あのそれで、できればその租税を預けている商館の名などお聞かせ願えたら…」
「何よ?どうしようって言うのよ」
「い、いえ、真っ先にお守りしようかと」
「ふうん。ま、いいわ。預け先はライオネント商会よ」
「げえ」
不思議な声を将軍は出した。変なものでも食べたのかしら。
「それとさ、さっきチラッとライネントルフ教団のやつらが見えたけど、あれ知り合い?」
「え?い、いや」
「知っての通りガザン王国の国教は『ガペリン教』だけど」
「存じております」
「最近さあ、蛇口教ってのも認めてんの。ねえ、蛇口教知ってる?」
な、なに言ってんだ?し、知るわけないだろ!しかしこのお方に知らぬなどとは言えない…。
「それならわたくしが、将軍」
「おお、フィフスタイン!貴公は知っておるのだな?」
「わが所領する村がかの者にすくわれました。救世主なるお方に」
「そ、それは…」
「わが所領シシリア村では井戸の水が枯れ、収穫を前にみな途方に暮れていました。そんなとき現れた救世主さまにすくわれました」
ああーあの村ね?デリアが玉蹴りばっかりして遊んでいた村だわ。
「あの村の危機を救ってくださったのが蛇口教。そして気高くも名さえ残されなかった教祖さまこそ『トム・ヤン』さまと言います」
「まるで信者の口ぶりだが…」
「何をおっしゃいます!わたしは敬虔な蛇口教のしもべ、でございます!」
そう言ってフィフスタインと名乗る騎士は右腕をみせた。甲冑の腕に金色に掘られた蛇口の絵が輝いていた。
「あーああそう」
なんかめんどくさいことになってんな―。まーしょうがないか。デリアのやることってわけわかんないからなー。
「では、わたしはあの町に戻る。徴収した租税を守らねばならんのでな。ではさらば」
「あ、あの!」
フィフスタインは何か言いたそうだった。
「なにか?」
「い、いえなんでも」
「ふん」
女騎士は行ってしまった。あとに残された者たちは気の毒だった。町を襲えば大国ガザンと揉めるのは必至。襲わなかったらライネントルフのやつらが黙っていない。国王に進言されみなよくて地下牢行き、悪くて火あぶりだ。
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フィフスタインがいきなり言った。
「な、何を言う。しかも戦線離脱は重罪だ。国にいる家族までその責めを負うぞ!」
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蛇口教に殉教すると言っているのだ。この若い士官をそれまでに引き付ける蛇口教とはいったい…。
「離脱は許可せん。しかしおぬしの言い分はもっともだ。さてこの軍の中にその信者はどれくらいおるのじゃ?」
ゴーシェ将軍の問いに、おそるおそるフィフスタインは答えた。
「おおよそ三百人」
ゴーシェ率いるダルメシア王国軍はおよそ千人。その三割が蛇口教信者なのか?ゴーシェは唸ってしまった。フィフィスタインの目は完全に殉教者の目だ。おのれの教義に命をかけるそれだ。そのようなものの前で軍命だとか勅命だとかは意味をなさない。彼らは人間のちっぽけな道義で生きているのではない。それこそ崇高な神への道に向かっているのだ。
なーんて大げさなことをぼくは言ったつもりはないんだけどね。みんな『楽しく楽して楽しもう』の「三楽」こそ蛇口教の真義。まあ、早いはなしがニート教ってこと。それだと誰も働かないって?いやいや世の中には働きたくってしょうがない人も沢山いる。もう働く中毒患者が大ぜいね。危なくぼくもその一歩手前だったけど、運よくそうなる前に死んじゃった。あれ?ちがうぞ、それ…。
とにかくダルメシア軍内に混乱が生じた。これでちょっとは足止めできる。さあ今度は盗賊どもだ。
盗賊五百人はいま恐怖の中にいた。なぜかって?そりゃ、そこら中に死霊や亡霊がうようよしているからだ。もちろん、なにするってわけじゃないけど、突いても斬っても死なないし消えない。そしてそれはいきなりあらわれ、そのおぞましい姿をさらす。
「な、なんということだ…これは呪いか…」
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「ミランダさま!ど、どうしたんでしょう!なんでこんな…ここはもしかして墓場か古戦場跡か…」
「だから場所は選べって言っておいたじゃない!マジないわー」
「そんなこと言われましても…」
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「あやつらはいち早く逃げましてございます」
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「と、とにかく移動しましょう!」
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