聖霊流し ――君の声が聞こえたら――

さかなで/夏之ペンギン

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幸せの国

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あの少年は何だったんだろう。あたしは走りながら考えた。

「そういえば同じ中学の制服着てなかったっけ?」

でもあたしには立ち止まる勇気も振り返る勇気もなかった。ただ前に向かって走った。その光の方へ。

そこはただ果てしなく広がる空間だった。なにもない、ただ浅い水が永遠と続く世界だった。

「なによここ…」

広大に広がる空間は、むしろ未来にはただの行き止まりでしかなかった。もうこれ以上行き場のない場所にしか、彼女には感じられなかった。

「あのマネキンジオラマの世界といい、こんな薄っぺらの世界といい、いったいどうかしてんじゃないの?まったくいい加減でどうでもよくて」

あたしはつい大きな声で愚痴を言った。だってもうどうしようもないんだもん。

〈いい加減とは評価が低いね〉

またあの声だ。あたしと同じ字を書く、ミライって男の子だ。

「あんた、いい加減にしなさいよ!」

〈またいい加減って言った〉

「何度でも言うわ!いい加減にしろ!」

突然景色が変わった!これは…。

〈わかるかい?ぼくの住んでいるところだよ。別名、『幸せの国』〉

「はあ?なにそれ?バカなの?それにあなたの住んでいるとこってさっき駅のあった…」

〈あそこは通信所。この聖霊流しをするところさ。あそこからきみの心に手紙や音声を送るんだよ〉


急に場面が変わった。そこは町だ。寂れた町だ。

そこは古い家のようだった。手入れされていない垣根、屋根には雑草がところどころ生えている。折れ曲がったテレビアンテナが見える。人は住んでいるのだろうか?

なかから歌う声がする。女の声だ。高く、そして綺麗な声…。それは古い歌のようだった。



 ひとしぎり空蝉 来ないのは縁切れた
 もとの骸に戻れよ 顔のない乳母さま
 うつつに何隠す おさなき乳飲み子の
 その眼見る面影は 既に絶えた寮あと



それは子守歌だと思った。なんて美しくて暗く、いやな歌なんだろう。あたしはその声が耳についた。こんなのを赤ちゃんに聞かせるべきじゃない。マジでそう思った。

「ごめんください」

あたしはそう言って、いつの間にかその家の玄関に立っていた。決してそうしようとか、そう思い立ってそこにいたわけじゃなかった。ただいつの間にかそうした、だけだった。

「どうぞ。待っていたよ。お入り」

そう奥から声がした。待っていたって?あたしが来ることを?そんな馬鹿な。あたしはここを知らない。それなのに?でもそうしなきゃ…声の主に会わないといけないと、そう思った。

「お邪魔します」

あたしはそう言って玄関で靴を脱ぎ、あがった。

廊下はずっと続いていた。あの声はそんなに遠くなかった。いったいどこに?

「あの…」
「そんまま真っすぐお行き」
「はい…」
「ねえ、あなた知ってる?人間、木曜日が一番つらいってこと」

何を言っているんだろう?世間話をしたいのか?

「知りません」
「苦労して到達した道が、まだ半ばだという事実を知ったときのあの暗鬱な気持ち…あなたは知らないの?」
「知りません。そもそも苦労してませんから、道半ばでも暗鬱になったりしません。それに、木曜日はお母さん早く帰ってくるので、あたしは辛いというより嬉しいです」
「なるほど…つまりあなたはまだ、苦労が足りないというこったね」
「ちょっと!」

そう言ってみたが、また光にさえぎられた。いったいあいつといいあの女といい、いったい何がしたいんだ!

苦痛というのは傷の痛みだけじゃないことを思い切り知った。未知の苦痛、馬鹿にされる苦痛、ねぎらい優しくされる苦痛、そして生きている苦痛。ここにいたくない…その意識だけで苦痛。もうどうしたらいいか…それも苦痛。苦痛だらけじゃない!

「わかった…木曜日は…辛いね」
「そうでしょ!そう思うでしょ!ねえ、やっぱり水曜日より辛いわよね?」

あたしはこうしてる方が辛いです。もう、何の呪いなんですか?

「呪いじゃねえよ!恨みだよ!」
「っひい!」
「まったくこっちゃあ警察に追われどこにも行く場所もない!いったいなんでこうなっちまった?俺が何したってんだ!たかが未成年のガキをひっかけて、いつものように遊んでやっただけだぞ?それがなんで」

あれ?これ体育教師の持田先生?なんで?

「おい聞こえるかよ!」
「聞こえます!怒らないでください」
「なんだよ、張り合いねえな。さっきの姉ちゃんみたいにもっと抵抗するかと思ったんだけどな…」
「何したんですか!」
「な、なんだよ?」
「さっきのおねえちゃんて誰ですか!」

そこで声は途絶えた。静かな古い家のなか…。あれ?これっておばあちゃんちじゃ?ねえこれって仙台のおばあちゃんちじゃ?おばあちゃん!なんであたしはこんなところに?

それは不吉な予感だった。もう何年も前におばあちゃんの葬式に行った…。おばあちゃんは真っ黒だった。火事で焼け死んだという。ひとり暮らしで、食べるものもなく、やっと暖を取ろうと電気の来ないこたつ布団に火をつけたという。

「そうさ。きみのおばあちゃんはずっときみを待っていたのに」
「やめて!」

ああ、あいつの声だ。まだあたしに何か言おうとしている。

「あんたはなによ!いい加減にしてよ!」
「ぼくはさ、ただきみに…」
「ただなんですって?いったいどうしたらこんなに」

そういいながらあたしは奈落に落ちる感覚になった。あたしはとめどなく下に、下にと落ちて行った。はるか上では、あの古い家が燃えていた。かすかに、白く細い腕が、見えていた。



これは何かの罰。きっとあたしの罰なんだ。

「いいえ違うよ。これは希望、なんだ」
「はあ?おかしなことを言うわね。あたしはいま奈落の底に落ちかけているのよ?どこが希望?どこに希望があるっていうのよ?」
「きみじゃない。ぼくの、希望さ…」

それはまた光を失う、そういう世界だった。

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