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聖霊流し
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屈折した太陽の光が、ビルの残骸から眩しく見える。
珍しく晴れだ。最近の気象状況は概ね不良。それが一日の始まりの挨拶。
「あの子たちは?」
「まだ正気になれない子たちがほとんどです」
「無理もない。わたしたちが正気をようやく保っているのも、もう、奇跡みたいなものだからな」
「それは…」
「まあ、あの子のおかげだな」
最初、狂っていると思った。
被災者の傷を、ひどい火傷の膿んだ傷を洗い、布を巻き、優しい言葉をかけた。死者に礼を尽くし、その黒炭と化した手足にさえ、丁寧に接した。彼女は死者を埋葬し、生者を慈しんだ。自衛隊員はいつしか彼女のことを、聖女と言った。
五十人ほどが、体育館にいた。子供たちだ。ここは爆発の被害はほとんどなく、ただ西側の壁がなくなっているだけだ。いまはそこは自衛隊の人がブルーシートで覆っていてくれて、冷たい風が吹き込むことはなかったが、それでも体育館の構造上、寒さは逃れようもなかった。
下は五歳から上は十五歳までの子どもたちがここにいる。それがこの周辺で助けられた子供たちのすべてだった。助けられた時点ではもっと大勢いた。幾つもある避難施設に入りきれないほど。それが、たった二週間でこれだけの人数に減った。それは親が見つかって引き取られたわけではない。みんなあの校庭の隅の、仮設の墓場に埋められただけだ。
「未来ちゃん、疲れたでしょ?ご飯食べなよ。毎日非常食で悪いけど」
陸上自衛隊の医務官の町田さんがそう声をかけてくれた。
「ありがとうございます。でも今はあまりおなかがすいてなくて」
「そう言って昨日も何も食べてないじゃない」
「あたしは大丈夫です。うちでレンジで温めたミルクを、たくさん飲んだんです」
この子も狂っていると町田は思った。レンジが使える電気など、もう何か月も止まっている。いや、日本のインフラがすべて壊滅しているんだ。自家発電のある自衛隊施設や、公的機関ならわかるが。
「それでも食べないと」
「死んだ子たちは何も食べられなかった。みんなおなかが減ったって言ってたのに」
気道に重度の火傷を負った子がいた。内臓が中性子線で溶けた子もいた。そんな子たちを、この子はけなげに看てきたんだ。
「あなたが死んだらみな悲しむわ」
「みんなって?」
「あたしも含めた、ここにいる子たち全員よ」
早くちゃんとした施設に収容しないと全員死ぬ。でももう日本中こんな有様なのだ。ちゃんとしているところなど、もうないのだ。強い放射線にみなさらされた。とにかく医療に…。だがその医療が崩壊しているのだ。
「中国が、援助を、と言っているそうです」
自衛官の保崎一佐がそう言った。
「自分たちで攻撃しておいてなんていう恥知らずな」
町田はでも、あの子たちが助かるならと、そう思った。
「アメリカは火消しにその力を振り向けています。欧州はもとより、もはや世界中です」
「自分たちがどれほど嫌われているか、ようやくわかったのかもね」
「世界が崩壊するのも時間の問題です」
「そうすりゃ中国のひとり勝ちじゃない。あそこは、何億死んだっていいってんだから。あとに残ったエリートが世界を動かす。じつに巧妙だわ。それこそ何千年も練ってきたのね」
「中華思想ですか」
「過去の優れた偉人はみな中国を恐れた、アレキサンダー大王、チンギスハーン、そして西欧列強」
彼らは台頭する中国をいかに抑えるかで腐心した。民族がそれぞれ国をつくり相争う土壌も形成させてきた。だが中国は主義、思想、そして民族を超え一丸となった。人類には三種類の人間しかいない。つまり白人、黒人、そして黄色人種だ。中国はその黄色人種の中心なのだ。
「もうどのみち終わりよ。ここにはもうじき死者しかいなくなる」
そう言って町田は流れる鼻血をハンカチで拭った。
「薬は?」
「いまさらヨウ化カリウム?」
もうすでに内臓にダメージがいっている。細胞自体、再生能力を失っているのだ。
「とにかく、時間はない」
それは自分に言い聞かせたのかはわからないが、現実にひっ迫した時間は確実に生命をもぎ取っていく。
前略
ぼくが予想したのより、はるかに西に逸れたんですね。恐らく何発かは迎撃されたんでしょう。
ですがあなたの頭上にそれが落ち、爆発したのは事実です。あなたがそれで生きているのなら、特殊な、つまり地下深く潜っていた場合を除いて、あなたのその状況はもはや絶望的です。
そうは言っても、人生はそう悲観にくれることばかりではありません。
たとえ全身がひどい火傷に苛まれ、ケロイドと膿が皮膚をはぎ、やがて醜悪な内細胞があらわれ、筋肉を溶かし、骨をぽろぽろにします。たとえそうなったとしても、あなたはあなたでいてください。
この手紙を受け取って、早ければ数時間、遅ければ一週間で、あなたはも誰も何もできない世界に旅立てるのです。
それまではあらゆる苦痛があなたを襲いますが、幸いなことに自衛隊は、とんでもない数の鎮痛剤と抗生物質をデポジットしています。だからそう苦しまないと思います。
もう手紙がぼくのところに届くことはないと思いますが、毎晩きっかり十二時に、北の方向に流れるそれに、あなたの手紙が流れることを、ぼくは少しだけ期待しています。
右腕のかさぶたが取れた。膿があふれ出ている。冬場なのでハエがいないのが幸いだと自衛隊員の人が言った。ハエはすぐ傷口に卵を産む。ひどい時には直接幼虫を産み付けるらしい。
もうこの体はダメだ。今朝、髪の毛がごそっと抜けた。爪の色もおかしい。皮膚はなぜか黄緑色をしている。もう、前のあたしじゃない。痛みはない。自衛隊の人がくれた薬を飲んでいるから。
今朝手紙が届いた。
読む気はしないけど。何が書いてあるかはおおよそ見当がつくし。
死ぬのはいつだろうな。明日か、それとも明後日か。まあどうでもいい。みんな死んでしまうのだから。
今日はひとり、ここにいよう。体育館の、あの倉庫。閉じ込められたあそこ。静かだな。
拝啓
今日は気分がいい。とてもいい。
積もった雪の上でスキップをするくらい。でもそんなことをしたら、あたしはあたしの死期を確実に縮めてしまう。まったく不自由ね、雪って。
あなたがあたしに出してくれた手紙。じつは読んでいないの。そう、読むのが恐いから。現実よりも、非現実のあなたに現実を告げられるのが恐くて、読まずにいる。
あなたはいろいろとあたしを助けてくれた。感謝してる。
これで手紙は書けないけれど、聖霊流しはもうできないけれど、あなたにはすごく、感謝しています。さようなら、わたしの未来。
未来
珍しく晴れだ。最近の気象状況は概ね不良。それが一日の始まりの挨拶。
「あの子たちは?」
「まだ正気になれない子たちがほとんどです」
「無理もない。わたしたちが正気をようやく保っているのも、もう、奇跡みたいなものだからな」
「それは…」
「まあ、あの子のおかげだな」
最初、狂っていると思った。
被災者の傷を、ひどい火傷の膿んだ傷を洗い、布を巻き、優しい言葉をかけた。死者に礼を尽くし、その黒炭と化した手足にさえ、丁寧に接した。彼女は死者を埋葬し、生者を慈しんだ。自衛隊員はいつしか彼女のことを、聖女と言った。
五十人ほどが、体育館にいた。子供たちだ。ここは爆発の被害はほとんどなく、ただ西側の壁がなくなっているだけだ。いまはそこは自衛隊の人がブルーシートで覆っていてくれて、冷たい風が吹き込むことはなかったが、それでも体育館の構造上、寒さは逃れようもなかった。
下は五歳から上は十五歳までの子どもたちがここにいる。それがこの周辺で助けられた子供たちのすべてだった。助けられた時点ではもっと大勢いた。幾つもある避難施設に入りきれないほど。それが、たった二週間でこれだけの人数に減った。それは親が見つかって引き取られたわけではない。みんなあの校庭の隅の、仮設の墓場に埋められただけだ。
「未来ちゃん、疲れたでしょ?ご飯食べなよ。毎日非常食で悪いけど」
陸上自衛隊の医務官の町田さんがそう声をかけてくれた。
「ありがとうございます。でも今はあまりおなかがすいてなくて」
「そう言って昨日も何も食べてないじゃない」
「あたしは大丈夫です。うちでレンジで温めたミルクを、たくさん飲んだんです」
この子も狂っていると町田は思った。レンジが使える電気など、もう何か月も止まっている。いや、日本のインフラがすべて壊滅しているんだ。自家発電のある自衛隊施設や、公的機関ならわかるが。
「それでも食べないと」
「死んだ子たちは何も食べられなかった。みんなおなかが減ったって言ってたのに」
気道に重度の火傷を負った子がいた。内臓が中性子線で溶けた子もいた。そんな子たちを、この子はけなげに看てきたんだ。
「あなたが死んだらみな悲しむわ」
「みんなって?」
「あたしも含めた、ここにいる子たち全員よ」
早くちゃんとした施設に収容しないと全員死ぬ。でももう日本中こんな有様なのだ。ちゃんとしているところなど、もうないのだ。強い放射線にみなさらされた。とにかく医療に…。だがその医療が崩壊しているのだ。
「中国が、援助を、と言っているそうです」
自衛官の保崎一佐がそう言った。
「自分たちで攻撃しておいてなんていう恥知らずな」
町田はでも、あの子たちが助かるならと、そう思った。
「アメリカは火消しにその力を振り向けています。欧州はもとより、もはや世界中です」
「自分たちがどれほど嫌われているか、ようやくわかったのかもね」
「世界が崩壊するのも時間の問題です」
「そうすりゃ中国のひとり勝ちじゃない。あそこは、何億死んだっていいってんだから。あとに残ったエリートが世界を動かす。じつに巧妙だわ。それこそ何千年も練ってきたのね」
「中華思想ですか」
「過去の優れた偉人はみな中国を恐れた、アレキサンダー大王、チンギスハーン、そして西欧列強」
彼らは台頭する中国をいかに抑えるかで腐心した。民族がそれぞれ国をつくり相争う土壌も形成させてきた。だが中国は主義、思想、そして民族を超え一丸となった。人類には三種類の人間しかいない。つまり白人、黒人、そして黄色人種だ。中国はその黄色人種の中心なのだ。
「もうどのみち終わりよ。ここにはもうじき死者しかいなくなる」
そう言って町田は流れる鼻血をハンカチで拭った。
「薬は?」
「いまさらヨウ化カリウム?」
もうすでに内臓にダメージがいっている。細胞自体、再生能力を失っているのだ。
「とにかく、時間はない」
それは自分に言い聞かせたのかはわからないが、現実にひっ迫した時間は確実に生命をもぎ取っていく。
前略
ぼくが予想したのより、はるかに西に逸れたんですね。恐らく何発かは迎撃されたんでしょう。
ですがあなたの頭上にそれが落ち、爆発したのは事実です。あなたがそれで生きているのなら、特殊な、つまり地下深く潜っていた場合を除いて、あなたのその状況はもはや絶望的です。
そうは言っても、人生はそう悲観にくれることばかりではありません。
たとえ全身がひどい火傷に苛まれ、ケロイドと膿が皮膚をはぎ、やがて醜悪な内細胞があらわれ、筋肉を溶かし、骨をぽろぽろにします。たとえそうなったとしても、あなたはあなたでいてください。
この手紙を受け取って、早ければ数時間、遅ければ一週間で、あなたはも誰も何もできない世界に旅立てるのです。
それまではあらゆる苦痛があなたを襲いますが、幸いなことに自衛隊は、とんでもない数の鎮痛剤と抗生物質をデポジットしています。だからそう苦しまないと思います。
もう手紙がぼくのところに届くことはないと思いますが、毎晩きっかり十二時に、北の方向に流れるそれに、あなたの手紙が流れることを、ぼくは少しだけ期待しています。
右腕のかさぶたが取れた。膿があふれ出ている。冬場なのでハエがいないのが幸いだと自衛隊員の人が言った。ハエはすぐ傷口に卵を産む。ひどい時には直接幼虫を産み付けるらしい。
もうこの体はダメだ。今朝、髪の毛がごそっと抜けた。爪の色もおかしい。皮膚はなぜか黄緑色をしている。もう、前のあたしじゃない。痛みはない。自衛隊の人がくれた薬を飲んでいるから。
今朝手紙が届いた。
読む気はしないけど。何が書いてあるかはおおよそ見当がつくし。
死ぬのはいつだろうな。明日か、それとも明後日か。まあどうでもいい。みんな死んでしまうのだから。
今日はひとり、ここにいよう。体育館の、あの倉庫。閉じ込められたあそこ。静かだな。
拝啓
今日は気分がいい。とてもいい。
積もった雪の上でスキップをするくらい。でもそんなことをしたら、あたしはあたしの死期を確実に縮めてしまう。まったく不自由ね、雪って。
あなたがあたしに出してくれた手紙。じつは読んでいないの。そう、読むのが恐いから。現実よりも、非現実のあなたに現実を告げられるのが恐くて、読まずにいる。
あなたはいろいろとあたしを助けてくれた。感謝してる。
これで手紙は書けないけれど、聖霊流しはもうできないけれど、あなたにはすごく、感謝しています。さようなら、わたしの未来。
未来
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