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誰にも言ってはいけない
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それは気がついたら陽気になるほど、自分自身に湧き上がる殺意の衝動だった。
ああ、誰もかれも殺してみたい。淡いパステル色の、赤い花柄が描かれたハンカチーフ。床一面に広がったその血を踏みつけたあたしの足跡。転がっているいくつもの大人の死体…いいえ、大人も子供も、大人になりきれていないあの教師も…横たわる傍にあたしは佇む…そんな夢だった。
夢じゃなけりゃいいのに。
それはもう後戻りできないほど、憂鬱で甘美なひとごろし。ああ、誰かにこれを伝えたい。
拝啓
初めまして、でもないかもしれない誰かさん、あたしは今日も元気にしています。
ようやくお返事が出せました。というか、返事の出し方がわからなかったもんだから、結構苦労しましたよ。
あなたが思うより早く、あたしはこの答えに行きついたと思い、とても満足しています。
さて、いまあたしは思っています。あなたを殺したいと…。なぜならこんな忌々しい日常を、わざわざ届けてくれたからです。毎日成長を楽しみにしていた花壇の花を、いきなり摘まれてしまった気持ち、みたいです。いえ、ほんとはあなたは悪くないのかもしれません。夢見がちなあたしに、本当の夢を見せてしまえる、そんなあなたが、まだ見ぬあなたが、誰か知らない、どこにいるのか、いつの刻の人かもわからない、そんなあなたを少し好きになっているからです。
でもそれは不可能。だってあなたはあたしの知らない遠いところにいるんですもの。だからあたしの心のナイフは、あなたの真っ赤な心臓に届くことはありません。
ところで、あの日ってなんのことですか?なにかこちらで起きるんですか?あたしはそれがとても気になります。もし世の中が大変なことになったりしたら、わたしはとても悲しいです。ですが、もし欲を言うなら、わたし一人が死んでしまえるのなら、それはそれできっと歓迎すべきことでしょう。
長々とくだらないことを書いてしまいました。これがあなたに届くかは、きっと聖霊さんの気分次第なんでしょうが、そのお返事を心待ちにしているものがいると、少しだけ心の隅に、置いておいてください。
敬具
藍色の寒々しい冬の空は、昼なのにうっすら満月を迎えていた。
あの手紙の裏に、返事を書いた。手紙はいつのまにか、あたしの視界から消え、あたしの心の中にふたたびゴミゴミした日常が戻ってきた。大人になり、やがて死ぬまでの華やかで、にがく苦しいあたしの呼吸。繰り返し繰り返し、狂おしいほど愛おしいあたしの人生は、そうやって戻ってきた。
あたしが望んだわけではない。
「先生に三者面談のこと言ってくれた?」
母は脳天気にそうあたしに言った。今学校じゃそれどころじゃないのに。
「延期になるみたいよ。あんなことがあったから」
あたしはその話をしたくない。どうでもいいことなんだから。
「先生たちも大変ね。たった一人の不心得者に振り回されちゃって…」
たった一人なもんか。不心得者だったらそこら中にいるじゃないか。モチロン、あたしを含めてね。
「もし面談が再開されるようなら、母さん今週は仕事忙しいので、できれば来週か再来週にしてほしいって担任の先生に言ってくれる?」
担任の先生の名も忘れてるのね。もちろんあたしもだけど。でも今は違う。
白いブラウス。よくも飽きず毎日同じものを着て来れる人だと最初はそう思っていた。でもそれは、下着の色を見せびらかすためだと気がついたときに、あたしは先生を好きになった。男子生徒の悩まし気な視線を肌いっぱい感じることが先生の幸福だと気がついたとき、あたしは先生に殺意にも似た好意を抱いた。
花は見つめられてこそ幸せなのだ。それは枯れるまでの刹那を、自ら愛おしむようにね。
人々は喧噪の中で生き、力尽きるまでのたうつ。いいじゃないの。そうやって誰しも、見えない酸で融かされていく。断末魔を幸福の中に見出すなんて、ちょっと洒落ているかもね。
「未来さん、今日はつぐみさんは?」
担任の大田めぐみがあたしにそう言った。朝のホームルームが始まる前だ。
「知りません」
「おかしいわね。今朝がたつぐみさんの親御さんから電話があって、つぐみさんは夕べからあなたのうちに泊まりに行ってるって。携帯に出ないから心配してるんだって」
「うちに?」
「ちがうの?」
「あ、あいえ、ちがいません」
ちょっと、そうならそうとひとこと言っておいてよ!フォローできないじゃない!
「変ねえ」
「変じゃありません。あたし今日も普通どおり変なんですから」
「意味わかんないわ。とにかく、あなたつぐみさんがどこにいるか知らないのね?朝は一緒だったでしょうに」
「が、学校に来る途中、コ、コンビニで別れてからはちょっと…」
「ふうん」
絶対信じていない目だ。まあ、信じるに足る根拠がないからな。挙動ってるあたしを見れば、そりゃそうだわ。納得納得。
二時間目が終わる寸前だ。教頭先生があたしたちのクラスに飛び込んできた。国語の授業であたしたちの担任が驚いたように教頭を睨んでいた。
「大田先生、い、いま警察から連絡で、真行寺未来さんが見つかったって!」
え?なんで?あたしの名前?なんであたしが?あたしはここにいるじゃない。どこであたしが見つかったのよ!
「教頭先生、しっかりしてください」
めぐみ先生はしっかりあたしを見てから、そして教頭先生に向き合って言った。
「未来さんならそこにいますけど。なにか勘違いしてるんじゃないですか?」
はあ?という顔を教頭がした。五十近いおばさんが、その狭い額をさらに狭くして。
「だけど警察が、その…真行寺未来さんが双葉町の…その…ラ、ラブホテルで死体で発見されたって…」
それがあの日の、きっと前兆だったんだ。
ああ、誰もかれも殺してみたい。淡いパステル色の、赤い花柄が描かれたハンカチーフ。床一面に広がったその血を踏みつけたあたしの足跡。転がっているいくつもの大人の死体…いいえ、大人も子供も、大人になりきれていないあの教師も…横たわる傍にあたしは佇む…そんな夢だった。
夢じゃなけりゃいいのに。
それはもう後戻りできないほど、憂鬱で甘美なひとごろし。ああ、誰かにこれを伝えたい。
拝啓
初めまして、でもないかもしれない誰かさん、あたしは今日も元気にしています。
ようやくお返事が出せました。というか、返事の出し方がわからなかったもんだから、結構苦労しましたよ。
あなたが思うより早く、あたしはこの答えに行きついたと思い、とても満足しています。
さて、いまあたしは思っています。あなたを殺したいと…。なぜならこんな忌々しい日常を、わざわざ届けてくれたからです。毎日成長を楽しみにしていた花壇の花を、いきなり摘まれてしまった気持ち、みたいです。いえ、ほんとはあなたは悪くないのかもしれません。夢見がちなあたしに、本当の夢を見せてしまえる、そんなあなたが、まだ見ぬあなたが、誰か知らない、どこにいるのか、いつの刻の人かもわからない、そんなあなたを少し好きになっているからです。
でもそれは不可能。だってあなたはあたしの知らない遠いところにいるんですもの。だからあたしの心のナイフは、あなたの真っ赤な心臓に届くことはありません。
ところで、あの日ってなんのことですか?なにかこちらで起きるんですか?あたしはそれがとても気になります。もし世の中が大変なことになったりしたら、わたしはとても悲しいです。ですが、もし欲を言うなら、わたし一人が死んでしまえるのなら、それはそれできっと歓迎すべきことでしょう。
長々とくだらないことを書いてしまいました。これがあなたに届くかは、きっと聖霊さんの気分次第なんでしょうが、そのお返事を心待ちにしているものがいると、少しだけ心の隅に、置いておいてください。
敬具
藍色の寒々しい冬の空は、昼なのにうっすら満月を迎えていた。
あの手紙の裏に、返事を書いた。手紙はいつのまにか、あたしの視界から消え、あたしの心の中にふたたびゴミゴミした日常が戻ってきた。大人になり、やがて死ぬまでの華やかで、にがく苦しいあたしの呼吸。繰り返し繰り返し、狂おしいほど愛おしいあたしの人生は、そうやって戻ってきた。
あたしが望んだわけではない。
「先生に三者面談のこと言ってくれた?」
母は脳天気にそうあたしに言った。今学校じゃそれどころじゃないのに。
「延期になるみたいよ。あんなことがあったから」
あたしはその話をしたくない。どうでもいいことなんだから。
「先生たちも大変ね。たった一人の不心得者に振り回されちゃって…」
たった一人なもんか。不心得者だったらそこら中にいるじゃないか。モチロン、あたしを含めてね。
「もし面談が再開されるようなら、母さん今週は仕事忙しいので、できれば来週か再来週にしてほしいって担任の先生に言ってくれる?」
担任の先生の名も忘れてるのね。もちろんあたしもだけど。でも今は違う。
白いブラウス。よくも飽きず毎日同じものを着て来れる人だと最初はそう思っていた。でもそれは、下着の色を見せびらかすためだと気がついたときに、あたしは先生を好きになった。男子生徒の悩まし気な視線を肌いっぱい感じることが先生の幸福だと気がついたとき、あたしは先生に殺意にも似た好意を抱いた。
花は見つめられてこそ幸せなのだ。それは枯れるまでの刹那を、自ら愛おしむようにね。
人々は喧噪の中で生き、力尽きるまでのたうつ。いいじゃないの。そうやって誰しも、見えない酸で融かされていく。断末魔を幸福の中に見出すなんて、ちょっと洒落ているかもね。
「未来さん、今日はつぐみさんは?」
担任の大田めぐみがあたしにそう言った。朝のホームルームが始まる前だ。
「知りません」
「おかしいわね。今朝がたつぐみさんの親御さんから電話があって、つぐみさんは夕べからあなたのうちに泊まりに行ってるって。携帯に出ないから心配してるんだって」
「うちに?」
「ちがうの?」
「あ、あいえ、ちがいません」
ちょっと、そうならそうとひとこと言っておいてよ!フォローできないじゃない!
「変ねえ」
「変じゃありません。あたし今日も普通どおり変なんですから」
「意味わかんないわ。とにかく、あなたつぐみさんがどこにいるか知らないのね?朝は一緒だったでしょうに」
「が、学校に来る途中、コ、コンビニで別れてからはちょっと…」
「ふうん」
絶対信じていない目だ。まあ、信じるに足る根拠がないからな。挙動ってるあたしを見れば、そりゃそうだわ。納得納得。
二時間目が終わる寸前だ。教頭先生があたしたちのクラスに飛び込んできた。国語の授業であたしたちの担任が驚いたように教頭を睨んでいた。
「大田先生、い、いま警察から連絡で、真行寺未来さんが見つかったって!」
え?なんで?あたしの名前?なんであたしが?あたしはここにいるじゃない。どこであたしが見つかったのよ!
「教頭先生、しっかりしてください」
めぐみ先生はしっかりあたしを見てから、そして教頭先生に向き合って言った。
「未来さんならそこにいますけど。なにか勘違いしてるんじゃないですか?」
はあ?という顔を教頭がした。五十近いおばさんが、その狭い額をさらに狭くして。
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