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誰にだって秘密くらいある
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その後の顛末を、また頭の中に描き出すのは苦痛だ。だからかいつまんでしまおう。
持田先生は警察には捕まらなかった。早いはなし、逃げたのだ。教頭先生から校長先生に最初に警察のことが伝えられ、校長が大騒ぎをしたもんだから、持田はそれに気がついたのだ。西門から、ジャージ姿の持田先生が走って行くのを何人もの生徒が目撃した。荒川の堤防に、持田先生の靴が並べて置かれてたので、持田はそこで飛び込んで死んだということになった。いまでも警察と消防が川の中を探している。
それがどうした。
汚い大人の生臭い事件に、なんであたしたちが関わんなくちゃならないんだ?そりゃ、被害にあった下級生たちにはなんともお気の毒としか言えないし、学校だってちょっと変に有名になっちゃったしで、いいことなんてひとつもなかったけど、とにかく大人の穢れた行ないは十分理解できた。
「まああれよねー。ああやって何でも泣いちゃえる子も、どうでもいいことだと思っちゃってる。泣けばかわいいと思い込み激しいから、そういう計算も透けて見えちゃったりするよね」
磯崎つぐみがそう言った。全校集会で教師が泣き、生徒が泣いた。父兄は、とくに二年A組の小山田っていうやつの親父と母ちゃんが学校側の責任なんちゃらって食ってかかってたっけ。小山田は男子生徒だろ?お前らの息子のパンツが盗まれたんか?
ふわふわしたこの世界 統一されていない心
だからみんな、こんなに苦しいんだ
「計算じゃなくて感情高ぶったからじゃないの?」
あたしは今朝がた母がポケットに入れてくれたハンカチを、いつ取り出そうかそのチャンスを窺っていたのに…下級生には先を越され、同級生には見透かされた。だから悔し紛れにそう言った。ああ、すうっとした。
「そこは危険だって、町の人が言ってたわ」
赤い草履にオレンジ色の鼻緒。足の指の爪はやっぱり赤く。
「町の人って町長?」
ぼくだけは真っ黒な爪襟の学生服。もういまどき誰もこんなものを着こんでいる者はいない…。
「未来はバカね。町の人って言ったらあたしとあんただけよ」
「じゃあそれはねえさんの言葉?」
「そうじゃないわ。ちゃあんとした、町の人の言葉よ」
そういうことを言う姉さんに、ぼくは何度も会ったことがある。夕影祭の楡鷹山の神社の山鉾の後ろで、あのときぼくは何を見たんだろう?ただ姉さんの、白い足が見えていた。
「ちゃあんとした人って、いっつも夜中に尋ねてくるあの男?」
姉さんは、長い黒髪を、めんどくさそうにかき上げると、それこそ心がとろけそうな笑顔で、ぼくに言った。
「それ、今度言ったら殺すわ…」
ぼくはまた手紙が書きたくなった。
結局つぐみちゃんは泣きながら早退して行った。それを咎める者はいない。たとえつぐみが駅前のゲームセンターで補導されたって、いかがわしいホテル街の端っこで補導されたって、それはみんな持田先生のせいなんだ。なんてうまいことを考えるのかしら、あたしの親友…。
――これくらいどうってことないよ未来ちゃん。みんなやってるしー、イマサラ何よって感じだしね――
つぐみの言うこれくらいっていう基準が、あたしにはわからないけど、恐らくそれはつぐみにとってはどうでもいいレベルなんだとあたしは勝手に解釈しているの。きっとあなたはあなたの物差しで、そしてあたしはあたしのバケツでそれを測ろうとしている。成り立つわけは素からないのよ。
ああ、かったるいホームルームだ。みんな女子は泣いて喚いてうつむいて、男子はふさぎ込んで黙り込んで揚げ句の果てに怒りの矛先を学校に向ける。大人と一緒ね。汚いわ。そうやってみんな大人になっていくんだね。
いつまでこんな茶番をあたしは薄汚れたあんたたちと演じていなくっちゃならないの?いい加減にしてよ!
あたしはポケットのハンカチを握りしめた。洗濯ノリが妙に効いたハンカチだった。がさつく手触りの、朝、かあさんが制服のポケットに入れてくれたハンカチ…。取り出したとき、あたしはまた血の気を失うところだった。
朝のあの手紙を、あたしは握っていたのだ…。
前略
未だお返事を頂けないのは、そちらさまにいろいろ忙しいことがあるのは十分承知しています。
まだお名前も知り得ないぼくには、きみからの返事が来るなんてことは夢にも考えちゃならないって、ぼくの姉が言うんです。ああ、ぼくの姉ですか?今年十八になる黒髪の乙女です。機会があったら是非紹介したいです。
そうそう、あの日、のことですが、あなたは何のことだかわかりましたか?
そう、そして聖霊のこと。これらは秘密にしなけりゃなりません。
こうしてきみと通信していることも、あいつらに知られては危険だからです。
きっと今のきみには、何のことなのかわからないと思います。なにを信じていいのかさえも。だからといってぼくを信じる必要はありません。ただ、あなたはぼくを現在のところ知るすべはありません。彼らはいくつもの聖霊のひとつで、行き来する手紙の監視役も兼ねています。
ああ、これは言ってはいけないことでした。
どうか気をつけて、お過ごしください。また手紙を書きます。
だからあなたは誰よ!どこからこの手紙をよこしたのよ!ちっとも意味が分からないじゃない。あの日って何?何のこと?聖霊ってなによ?わけわかんないカルトのことなの?
ああ、あたしはだれにむかって怒っているのかな…。
これはきっと、夢なんだ…。
持田先生は警察には捕まらなかった。早いはなし、逃げたのだ。教頭先生から校長先生に最初に警察のことが伝えられ、校長が大騒ぎをしたもんだから、持田はそれに気がついたのだ。西門から、ジャージ姿の持田先生が走って行くのを何人もの生徒が目撃した。荒川の堤防に、持田先生の靴が並べて置かれてたので、持田はそこで飛び込んで死んだということになった。いまでも警察と消防が川の中を探している。
それがどうした。
汚い大人の生臭い事件に、なんであたしたちが関わんなくちゃならないんだ?そりゃ、被害にあった下級生たちにはなんともお気の毒としか言えないし、学校だってちょっと変に有名になっちゃったしで、いいことなんてひとつもなかったけど、とにかく大人の穢れた行ないは十分理解できた。
「まああれよねー。ああやって何でも泣いちゃえる子も、どうでもいいことだと思っちゃってる。泣けばかわいいと思い込み激しいから、そういう計算も透けて見えちゃったりするよね」
磯崎つぐみがそう言った。全校集会で教師が泣き、生徒が泣いた。父兄は、とくに二年A組の小山田っていうやつの親父と母ちゃんが学校側の責任なんちゃらって食ってかかってたっけ。小山田は男子生徒だろ?お前らの息子のパンツが盗まれたんか?
ふわふわしたこの世界 統一されていない心
だからみんな、こんなに苦しいんだ
「計算じゃなくて感情高ぶったからじゃないの?」
あたしは今朝がた母がポケットに入れてくれたハンカチを、いつ取り出そうかそのチャンスを窺っていたのに…下級生には先を越され、同級生には見透かされた。だから悔し紛れにそう言った。ああ、すうっとした。
「そこは危険だって、町の人が言ってたわ」
赤い草履にオレンジ色の鼻緒。足の指の爪はやっぱり赤く。
「町の人って町長?」
ぼくだけは真っ黒な爪襟の学生服。もういまどき誰もこんなものを着こんでいる者はいない…。
「未来はバカね。町の人って言ったらあたしとあんただけよ」
「じゃあそれはねえさんの言葉?」
「そうじゃないわ。ちゃあんとした、町の人の言葉よ」
そういうことを言う姉さんに、ぼくは何度も会ったことがある。夕影祭の楡鷹山の神社の山鉾の後ろで、あのときぼくは何を見たんだろう?ただ姉さんの、白い足が見えていた。
「ちゃあんとした人って、いっつも夜中に尋ねてくるあの男?」
姉さんは、長い黒髪を、めんどくさそうにかき上げると、それこそ心がとろけそうな笑顔で、ぼくに言った。
「それ、今度言ったら殺すわ…」
ぼくはまた手紙が書きたくなった。
結局つぐみちゃんは泣きながら早退して行った。それを咎める者はいない。たとえつぐみが駅前のゲームセンターで補導されたって、いかがわしいホテル街の端っこで補導されたって、それはみんな持田先生のせいなんだ。なんてうまいことを考えるのかしら、あたしの親友…。
――これくらいどうってことないよ未来ちゃん。みんなやってるしー、イマサラ何よって感じだしね――
つぐみの言うこれくらいっていう基準が、あたしにはわからないけど、恐らくそれはつぐみにとってはどうでもいいレベルなんだとあたしは勝手に解釈しているの。きっとあなたはあなたの物差しで、そしてあたしはあたしのバケツでそれを測ろうとしている。成り立つわけは素からないのよ。
ああ、かったるいホームルームだ。みんな女子は泣いて喚いてうつむいて、男子はふさぎ込んで黙り込んで揚げ句の果てに怒りの矛先を学校に向ける。大人と一緒ね。汚いわ。そうやってみんな大人になっていくんだね。
いつまでこんな茶番をあたしは薄汚れたあんたたちと演じていなくっちゃならないの?いい加減にしてよ!
あたしはポケットのハンカチを握りしめた。洗濯ノリが妙に効いたハンカチだった。がさつく手触りの、朝、かあさんが制服のポケットに入れてくれたハンカチ…。取り出したとき、あたしはまた血の気を失うところだった。
朝のあの手紙を、あたしは握っていたのだ…。
前略
未だお返事を頂けないのは、そちらさまにいろいろ忙しいことがあるのは十分承知しています。
まだお名前も知り得ないぼくには、きみからの返事が来るなんてことは夢にも考えちゃならないって、ぼくの姉が言うんです。ああ、ぼくの姉ですか?今年十八になる黒髪の乙女です。機会があったら是非紹介したいです。
そうそう、あの日、のことですが、あなたは何のことだかわかりましたか?
そう、そして聖霊のこと。これらは秘密にしなけりゃなりません。
こうしてきみと通信していることも、あいつらに知られては危険だからです。
きっと今のきみには、何のことなのかわからないと思います。なにを信じていいのかさえも。だからといってぼくを信じる必要はありません。ただ、あなたはぼくを現在のところ知るすべはありません。彼らはいくつもの聖霊のひとつで、行き来する手紙の監視役も兼ねています。
ああ、これは言ってはいけないことでした。
どうか気をつけて、お過ごしください。また手紙を書きます。
だからあなたは誰よ!どこからこの手紙をよこしたのよ!ちっとも意味が分からないじゃない。あの日って何?何のこと?聖霊ってなによ?わけわかんないカルトのことなの?
ああ、あたしはだれにむかって怒っているのかな…。
これはきっと、夢なんだ…。
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