聖霊流し ――君の声が聞こえたら――

さかなで/夏之ペンギン

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誰かがやってくる

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「痛っ」

指に鋭い痛みが走った。細い指さき。ぷっつりと血が小さくまるでルビーのように乗っかっていた。

「どうしたんですか?めぐみ先生」

体育教師の持田先生が覗きこんできた。あたしこの先生苦手。ほかの先生と話しをしていても、いちいち話に絡んでくるし、白いブラウスの背中をじっと見ていたりする。

「ボタンをつけようとして針にちょっと…」
「先生のブラウスのボタン、ですか?」
「生徒の、です」

いやらしいいやらしい。もうどこかに行ってほしい。

「針に糸、通してあげましょうか?」

何々して…なんて嫌な言葉なんだ。

「大丈夫です。先生、それより授業では?」
「あ、ああそうっすね。あれ?先生は?」
「三時限目は授業ないんです」
「そうでしたね」

持田はきつめのジャージの尻を振りながら走って行った。目を指に戻すと、血のルビーはちょっと大きく成長していて、ようやくそれが床に滴り落ちるまでになった。指を口に当てると、懐かしい鉄の味と匂いがした。

ちょうど電話が鳴って、わたしはちょっとびっくりした。見まわすと、職員室にはわたししかいなかった。




「ちょ、ちょっと待ってください!それは確かなんですか?」

教頭先生はかなり慌てた様子だった。わたしも慌てたが、それでももう落ち着いた方だった。

「警察からの連絡でした。すぐに刑事が来るとも」
「どうしてこんなことに」
「いまはそれより生徒たちに」
「どうしていいのかわからないわ…」
「教育委員会には?連絡しなくては」
「あ、ああそうね…そうだわよね」
「あたしは残っている先生たちを集めます」
「こ、このことは…」
「まだ誰にも」

まだ指先がうずく。でもそれどころじゃない。わたしは必死に自分の意識を保とうとしていた。そして必死に持田先生の、舐めるような視線をかわそうと、そればかりを考えていたのだ。





ハサミを握っていた。それは明確な覚悟の上だ。迷いはなかったはずだ。だがいざ鏡の前で自分の顔を見たとき、その覚悟は幻想だったと気がつかされた。あたしは洗面所の棚にハサミを戻した。深いため息が出た。あんなに邪魔だと思っていたのに、いざそうしようとしても、できないのね前髪を切るって…。

「ねえ未来、いまあんたんところの学校にパトカーがすごい勢いで入っていったけど、なにかあったの?」

母が息せき切って帰ってきた。駅前のスーパーの帰りだっていうのはすぐわかった。トイレットペーパーに貼られているシールがそれだったから。

「わかるわけないじゃない。きっと下着ドロでも捕まったのよ。先週、下級生たちが騒いでいたから」
「下着ドロ?いやあねえ。っていうか学校でどうやったら下着盗まれるか、そっちの方に興味あるわ」

そりゃ替えの下着に決まってるじゃない。急に生理になっちゃって汚しちゃったらこまっちゃうでしょ。予備は持っていなくちゃね。

「で、洗面所でなにしてたの?」
「髪を切ろうと思ってたんだけど、やめたわ」
「正解。素人がやると百パー失敗するわ」
「まさか?」
「経験者は語る、です。中学んとき、河童ってあだ名つけられたわ」

そいつは気の毒だな。あたしなら死んでるわ。

「でもいい思い出」
「なぜに?」

母は遠い目をしていた。

「二三日して、親友が同じように前髪を切ってきちゃったのよ」
「なして」
「あたしと同じにして、それであたしのあだ名を…」
「やるわね」
「それから次の日にもクラスの女子が」
「あんた人気あんだね」
「極めつけはあたしに河童ってあだ名つけた男子。坊主頭になって来たわ」
「へ、へえ」
「それがあんたのお父さんよ」

マジか。いやーたまげた。父よ、あんたはいったい…。まあ死んじゃったら話聞けないし。






「まったくどうしてくれるのよ…」
「こ、校長先生…」
「なんでいままで…」

校長は太った体を小さくしながら小刻みにふるわせていた。

「こうなったら生徒たちには正直に打ち明けませんと…そして父兄にも」

教頭の生徒、正直、父兄という言葉にいちいちビクッと反応した。そしてとどめはあの言葉、だ。

「いち早くマスコミがかぎつけるでしょうし…」
「ああ、もういや!あん畜生!あの外道が!」
「こ、校長…」

これはどうにもならない。恐らく明日のテレビで報道されてしまう。いや、もしかしたら夕飯時にお茶の間に。ああ、どうなってしまうんだ。

「報道が出る前に全校集会を。あたし連絡網で」
「大田先生、お願いできますか」
「手分けしてやります。一年生の学年主任は研修で不在なのであたしが代わりに」
「まかせるわ。なるべく生徒が動揺しないように」
「それは無理です。わたしたちは最悪の事態なんです。ですから落ち着いて、みんなには包み隠さず、事実だけを。いいですか」
「ああ、どうしてこんなことに…」

ああ、なんてことだ。まったく、降ってわいた災難だわ!…頭が死にそう。でも、もうこれで持田の顔を見なくて済む。やっぱりあの男、ろくでもないやつだったんだわ。そう思いながら、わたしはあの持田のねばつくような視線を思い出し、大きく身震いした。

それは偶然、持田のアパートの二階部分が火事になり、幸い半焼程度で済んだのだが、まだ火がくすぶっているといけないので、消防が留守だった持田の部屋に入ったところ、おびただしい女性の下着が散乱していたという。警察が確認して、すぐに裏が取れたという。あのあたりで下着泥棒が頻発していたらしい。うちの学校も一年生を中心に、校内の、それも体育授業中に女子生徒のカバンから下着が盗まれた。

みんなあいつだったのだ。恥ずかしい。ああいやだいやだ。



だがそれは、その日がやってくる、前触れみたいなものだったんだ。

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