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寿永2年(1183年)
上洛と征西将軍への着任・そして後白河法王の死
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さて、私達が北陸の治安維持に奔走していた時の事です。
奥州は藤原秀衡より名馬2頭が北陸平定の祝いとして届けられたのでした。
「ふむ、これは我々の勝利を見た、奥州からの同盟強化のための贈り物と見ていいのだろうな」
手元に届いた名馬をみて義仲様は言いました。
「はい、これで後顧の憂いはなくなったと見てよろしいかと」
義仲様は頷きました。
「うむ、ではそろそろ上洛の手配にかかってよかろうな」
私はその言葉にうなずきました。
「はい、食料や兵の手配はすでに行なっております」
「うむ、では兵を進めるとしよう」
私たちは5000の兵を率いて越前から義仲軍、近江の蒲生野へ進みました。
この頃宗盛は平家は比叡山へ平家一門の公卿十人で連署し平家宗家の味方につくよう願書を送ったのですが、すでに我々木曽についていた比叡山はそれに同意せず、返書はしなかったようです。
我々は更に都へ向かって進み近江の瀬田に進み、琵琶湖を渡り比叡山延暦寺の東塔惣持院に陣を構え近江へ進んできた平知盛、重衡と決戦する予定でしたが彼らは戦わずして京に帰ってしまいました。
その頃、多田行綱も我ら木曽軍へと寝返って、摂津国河尻で船を差し押さえ、平氏の補給路を遮断し、その他の摂津・河内の豪族も皆木曽の傘下へと入ったためでした。
平安京では安徳帝が法住寺殿に行幸しました、この時にすでに宗盛は京を捨てて後白河法皇と安徳帝を擁して再び福原に退去する方針は決定していたようです。
まあ、京の都というのは守るのに向いていない場所ですからね。
後白河院は平宗盛に御書を送り、平家の動向を探り、宗盛の返事に都落ちの意図を察知すると、近習の源資時・平知康だけを連れて輿に乗り法住寺殿を脱出しました。
「讃岐院、後白河院が民を見捨て平家を見捨て一人逃げ出したようです。
ならば今こそ積年の恨みを晴らすときです。
貴狐天皇、後白河院の心の臓を食らって構いませぬ。
讃岐院と同行してください」
私の言葉を聞いた讃岐院はにやりと笑いました。
「うむ、まさに積年に積もった恨み今こそ晴らすときよな」
貴狐天皇も目を細め、ニタリと笑ったのでした。
「うむ、この世の栄耀栄華を味わったものの心の臓はとてつもなく美味じゃろうて」
後白河院は、鞍馬路の横川を移動中に山犬の大軍に取り囲まれたらしく近習のもの共々、足を食いちぎられ、恐怖と絶望と苦悶の表情で事切れていたそうです。
私はそれとともに重盛、義経、弁慶を呼んで伝えました。
「重盛殿、義経殿、弁慶殿、騎馬のみにて先に都へ向かい都の閑院へ乗り込み、閑院の今上天皇陛下と三種の神器 国政に必要な玉璽、官印、駅鈴などを平頼盛殿と協力し抑えてください」
三人は頷きます。
「うむ、承知した、時間がなかろうし急ぐとしようぞ」
一方、後白河院の脱出を知った宗盛は安徳帝を連れ出そうとしましたが、重盛より連絡を受けた平頼盛がすでに閑院を抑え、重盛、義経、弁慶らの騎兵もすぐに駆けつけ、安徳天皇と建礼門院徳子は身柄を拘束され、三種の神器 国政に必要な玉璽、官印、駅鈴なども我々が抑えたのです。
宗盛は近衛基通やその他の平氏一族を引き連れて福原へ都落ちしていったのです。
しかし、近衛基通は宗盛に従わず京へ戻ってきてしまったようです。
この時京都市内は平家の退却により治安維持の担い手が不在となり放火や火事場泥棒、略奪、乱暴狼藉が起こりかけていましたが、我々木曽軍が速やかに入京し鎮圧したことにより、放火、略奪、乱暴狼藉を働いたものは捕らえられ速やかに斬首されました、それには比叡山の僧も含まれていましたが、構わず斬りました。
そして義仲様は北陸宮を伴って入京を果たしました。
「長い道のりだったな」
私は頷きました。
「はい、長い長い道のリでございました」
京が戦場にならずに兵火も無く無血の入洛を済ました私たちは源氏の白旗をあちこちに立てたのです。
それは平治の乱以来34年ぶりのことでした。
蓮華王院(三十三間堂)の御所では公卿による合議が開かれ、まず安徳帝が退位し北陸宮が新たに即位し今上天皇となられました。
藤原基房は娘の伊子姫を義仲の正室として差し出して、子の師家を今上天皇の摂政・内大臣に昇進させたのです。
今上天皇は義仲様に従五位下左馬頭兼越後守の官位を与え更にその後征西将軍に任命しました。
義仲様に従った主なものにも官位を下し平氏追討の宣旨を下し、都落ちした平家一門を解官しました。
左馬頭は大将軍が就く前につく官職であり名目上一度ついておく必要があったのでした。
これにより義仲さまは武家の棟梁として公式に認められ、宗盛たちは賊軍となったのです。
今上天皇より義仲様を京中守護を命ずる宣旨が出され、京中の治安警備を任されることになりました。
私たちは北陸より兵糧を船で運び寺社にも協力を求め、困窮する公家や民衆に食料を配布し、法度を掲示して、放火や略奪、乱暴狼藉を行なったもの厳しく取り締まるとともに河原に打ちしてられていたものの遺体を荼毘に付し、薬院を再び開き怪我人や病人の治療に当たりました。
また寿永二年十月宣旨を受けることにより、東海・東山・北陸道の事実上の支配権を我々は与えられたのです。
これは木曽義仲に東国における荘園・公領の領有権を旧来の荘園領主・国衙へ回復させることを命じ、木曽義仲にその回復を実現するための東国行政権を承認する。というもので、これにより実質的なものに加えて名目上の支配権も確立できたのです。
奥州は藤原秀衡より名馬2頭が北陸平定の祝いとして届けられたのでした。
「ふむ、これは我々の勝利を見た、奥州からの同盟強化のための贈り物と見ていいのだろうな」
手元に届いた名馬をみて義仲様は言いました。
「はい、これで後顧の憂いはなくなったと見てよろしいかと」
義仲様は頷きました。
「うむ、ではそろそろ上洛の手配にかかってよかろうな」
私はその言葉にうなずきました。
「はい、食料や兵の手配はすでに行なっております」
「うむ、では兵を進めるとしよう」
私たちは5000の兵を率いて越前から義仲軍、近江の蒲生野へ進みました。
この頃宗盛は平家は比叡山へ平家一門の公卿十人で連署し平家宗家の味方につくよう願書を送ったのですが、すでに我々木曽についていた比叡山はそれに同意せず、返書はしなかったようです。
我々は更に都へ向かって進み近江の瀬田に進み、琵琶湖を渡り比叡山延暦寺の東塔惣持院に陣を構え近江へ進んできた平知盛、重衡と決戦する予定でしたが彼らは戦わずして京に帰ってしまいました。
その頃、多田行綱も我ら木曽軍へと寝返って、摂津国河尻で船を差し押さえ、平氏の補給路を遮断し、その他の摂津・河内の豪族も皆木曽の傘下へと入ったためでした。
平安京では安徳帝が法住寺殿に行幸しました、この時にすでに宗盛は京を捨てて後白河法皇と安徳帝を擁して再び福原に退去する方針は決定していたようです。
まあ、京の都というのは守るのに向いていない場所ですからね。
後白河院は平宗盛に御書を送り、平家の動向を探り、宗盛の返事に都落ちの意図を察知すると、近習の源資時・平知康だけを連れて輿に乗り法住寺殿を脱出しました。
「讃岐院、後白河院が民を見捨て平家を見捨て一人逃げ出したようです。
ならば今こそ積年の恨みを晴らすときです。
貴狐天皇、後白河院の心の臓を食らって構いませぬ。
讃岐院と同行してください」
私の言葉を聞いた讃岐院はにやりと笑いました。
「うむ、まさに積年に積もった恨み今こそ晴らすときよな」
貴狐天皇も目を細め、ニタリと笑ったのでした。
「うむ、この世の栄耀栄華を味わったものの心の臓はとてつもなく美味じゃろうて」
後白河院は、鞍馬路の横川を移動中に山犬の大軍に取り囲まれたらしく近習のもの共々、足を食いちぎられ、恐怖と絶望と苦悶の表情で事切れていたそうです。
私はそれとともに重盛、義経、弁慶を呼んで伝えました。
「重盛殿、義経殿、弁慶殿、騎馬のみにて先に都へ向かい都の閑院へ乗り込み、閑院の今上天皇陛下と三種の神器 国政に必要な玉璽、官印、駅鈴などを平頼盛殿と協力し抑えてください」
三人は頷きます。
「うむ、承知した、時間がなかろうし急ぐとしようぞ」
一方、後白河院の脱出を知った宗盛は安徳帝を連れ出そうとしましたが、重盛より連絡を受けた平頼盛がすでに閑院を抑え、重盛、義経、弁慶らの騎兵もすぐに駆けつけ、安徳天皇と建礼門院徳子は身柄を拘束され、三種の神器 国政に必要な玉璽、官印、駅鈴なども我々が抑えたのです。
宗盛は近衛基通やその他の平氏一族を引き連れて福原へ都落ちしていったのです。
しかし、近衛基通は宗盛に従わず京へ戻ってきてしまったようです。
この時京都市内は平家の退却により治安維持の担い手が不在となり放火や火事場泥棒、略奪、乱暴狼藉が起こりかけていましたが、我々木曽軍が速やかに入京し鎮圧したことにより、放火、略奪、乱暴狼藉を働いたものは捕らえられ速やかに斬首されました、それには比叡山の僧も含まれていましたが、構わず斬りました。
そして義仲様は北陸宮を伴って入京を果たしました。
「長い道のりだったな」
私は頷きました。
「はい、長い長い道のリでございました」
京が戦場にならずに兵火も無く無血の入洛を済ました私たちは源氏の白旗をあちこちに立てたのです。
それは平治の乱以来34年ぶりのことでした。
蓮華王院(三十三間堂)の御所では公卿による合議が開かれ、まず安徳帝が退位し北陸宮が新たに即位し今上天皇となられました。
藤原基房は娘の伊子姫を義仲の正室として差し出して、子の師家を今上天皇の摂政・内大臣に昇進させたのです。
今上天皇は義仲様に従五位下左馬頭兼越後守の官位を与え更にその後征西将軍に任命しました。
義仲様に従った主なものにも官位を下し平氏追討の宣旨を下し、都落ちした平家一門を解官しました。
左馬頭は大将軍が就く前につく官職であり名目上一度ついておく必要があったのでした。
これにより義仲さまは武家の棟梁として公式に認められ、宗盛たちは賊軍となったのです。
今上天皇より義仲様を京中守護を命ずる宣旨が出され、京中の治安警備を任されることになりました。
私たちは北陸より兵糧を船で運び寺社にも協力を求め、困窮する公家や民衆に食料を配布し、法度を掲示して、放火や略奪、乱暴狼藉を行なったもの厳しく取り締まるとともに河原に打ちしてられていたものの遺体を荼毘に付し、薬院を再び開き怪我人や病人の治療に当たりました。
また寿永二年十月宣旨を受けることにより、東海・東山・北陸道の事実上の支配権を我々は与えられたのです。
これは木曽義仲に東国における荘園・公領の領有権を旧来の荘園領主・国衙へ回復させることを命じ、木曽義仲にその回復を実現するための東国行政権を承認する。というもので、これにより実質的なものに加えて名目上の支配権も確立できたのです。
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