木曽義仲の覇業・私巴は只の側女です。

水源

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寿永2年(1183年)

倶利伽羅峠の合戦の後始末・東国法度と寺門・山門対策

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 さて平家の大軍を地獄谷に突き落とし打ち破った私たちはまずはその後始末に追われました。

 まず、陣地に残された武器食料などをかき集め、転落死して谷に折り重なるように覆われた遺体から、大鎧などを剥ぎ取ってから、遺体は焼くことにしました。

「かわいそうではありますが、夏まで死体をそのままにして疫病がこの街道で流行っても困りますしね」

 山火事などが起きないように注意をはらいながら、それらを荼毘に付すと、加賀へと進み逃げ延びた知盛の残党が篠原に陣を構えたのを数と勢いとで打ち破り、さらに安宅湊合戦で知盛の軍を破ることに成功しました。

 散々に打ち破られた知盛の軍はバラバラになって京へは敗走したのです。

 しかし、私達はそれを追って教へ攻め上がることはしませんでした。

 一つは近江、越前、加賀は平家の大軍の略奪により食糧難に陥っていたことと、散り散りになった知盛軍の敗残兵が野盗、山賊となっていた事により治安が悪化していたこと。

 もう一つは平家に親しい比叡山延暦寺に従う大衆の問題があったからです。

 我々は越前の重盛の屋敷を拠点として評定を開きます。

 そして義仲様が周りのものに言ったのです。

「我らは今しばらくは上洛は行わぬものとする。
 この越前、加賀、近江は知盛の軍による略奪で食うや食わずのものも多い。
 そこを進んでいゆけば我らも兵糧不足に陥ることは必定であろう。
 まずは北陸及び近江国の治安を回復し、民への食料を分け与え後輩の憂いをたつ。
 そして山門の大衆が平家の味方をして我らを防ぐこともあるかもしれぬ。
 しかし、重衡が南都を焼き討ちして仏敵となったように俺たちも仏敵になるのは好ましくない。
 無論打ち破るのは簡単なことだがな」

 そこへ私がまず口を開きます。

「北陸及び近江国の治安維持法として信州法度を我々の収める地域全てに適用し賊行為を行ったものは死罪とし、合戦で身寄りを失った子供などは、悲田院に集め将来の災いにならぬようにすべきかと」

 義仲様はうなずきました。

「うむ、そうだな、早速その用意をしてくれ」

「は、ありがとうございます。
 また善光寺の円恵法親王様に拝謁し、寺門の焼けた寺を再建する代わりに寺門には食料の寄付をお願いしようかと思います」

 もう一度義仲様はうなずきました。

「わかった、その件は巴に任せる」

「ありがとうございます」

 そこに大夫坊覚明が言いました

「比叡山大衆や坊主もすべてが一心同体であるわけでございません。
 以仁王の挙兵のときも以仁王へ味方せんとしたものがいたと聞き申した。
 まず、牒状を遣わせて返状を待ちましょう」

 義仲様はうなずきました。

「うむ、では山門への対策は大夫坊覚明、そなたに任す。
 その間に我らは野盗、山賊、野伏せりを討伐し、法度に基づき施設を建築するものとする。
 では、皆のもの取り掛かってくれ」

「はっ」

 こうして、私たちは一旦治安維持と諸国の寺門と山門に対しての対処に取り掛かったのです。

 私は信州で定めた法度を今現在我々の支配下にある全ての地域に適用する文を起草しました。
 ・・・

 以下の法度は木曽軍が収めるすべての地域の平時にて適用されるものとする。

 問注所をそれぞれの国府に作り訴訟事案は問注所にて受付裁判を行うものとする。

(問注所は現在の裁判所)

 侍所をそれぞれの国府に作りその権限においておいて非違巡検を行うものとし村に駐在所を設けるものとする。

(侍所は現在の警察機構、当時における検非違使に近い。
 非違とは不法行為、違法行為。そういった行為が行われていないか巡回調査するということ。)

 火消所をそれぞれの国府に作り火消し衆は火消しの方法を各村々に伝えて回るものとする。
 各村において火消し桶を用意すること。
 各家において火消しの水と砂を桶一杯ずつ用意すること。

(火消所は消防団)

 施薬院と療病院をそれぞれの国府に作り怪我人、病人を診察するものとする。
 施薬院及び療病院の利用にはそれ相応の対価を必要とする。

(施薬院は薬草による治療を行う場所、療病院は入院施設)

 悲田院を松本に作り貧しい人や孤児を養育するものとする。
 養育されたものは10を過ぎたら手習天神の訓練を参加すること。

(悲田院は孤児院)

 これらはそれぞれの地域における一番大きな所領を持つ豪族に行わせます。

 年貢の率は四公六民とする。

 検地は5年に一度とする。

 検地の年に隠田が見つかった場合には、再度の調査により本来納めるべき数量を取り立てる。

 謀反を起こしその後捕らえられたものは一族すべて石打にて死罪とする。

 賊行為、強盗、計画的に家屋や田畑に火付けを行い捕らえられたものは一族すべて石打にて死罪とする。

 意図的に領内に賊行為、強盗、火付けを行ったものを庇い立て滞在させたものは場合は同罪とする。

 地位や財産を奪うために親族を殺害した場合そのものと加担したものを斬首とする。

 酒の席もしくは口論が発展してのち相手を殺害した場合などはその者を斬首とする。

 年貢を納めず横領した場合そのものは斬首とする。
 ただし、天災飢饉などの収められない正当な理由がある場合減免する。

 代官が罪を犯した場合、任命した者場も同罪とする。

 公の場で暴力をふるい他人へ傷害を負わせ訴えられたたものは財産を没収する。
 財産がない場合は額に”傷害”の文字の刺青を入れたうえで剃髪とする。

 文書・花押・印などを偽作成したものは額に”偽造”の刺青を入れたうえで剃髪とする。
 他人に頼まれて作った者も同罪とする。

 嘘の訴えをおこしそれによって田畑を得たものはその者の田畑を没収する。

 道路上で女子供を拉致したものは額に”拉致”と刺青を入れたうえで剃髪とする。

 道路上で女を犯したものは額に”女犯”と刺青を入れたうえで剃髪とする。

 道路上で男を犯したものは額に”男犯”と刺青を入れたうえで剃髪とする。

 道路上で元服、裳着に至らぬ男女を犯したものは額に”子犯”と刺青を入れたうえで剃髪とする。

 理由もなく他人の領地をうばい年貢や財産をとることを禁ずる。
 奪ったものは奪われたものに返納し、行った者の財産を没収する。

 裁判時において暴言、暴力行為に及んだものは敗訴とする

 裁判に負けたものが不正判決と不服を訴えることを禁ずる。
 ただし、賄賂などで実際に偏った判決を行っていた場合裁判官は斬首とする。
 ・・・
 この法度を守らせることで、治安は良くなるでしょう。

 そして私は信濃善光寺に赴き、大勧進貫主である円恵法親王に拝謁をお願いして許されると後日円恵法親王への拝謁が許可されました。

「信濃善光寺大勧進貫主、円恵法親王、ご拝謁」

 御簾の裏に人が来たのがわかりました。

「木曽中三権守兼遠が娘、巴殿、拝謁を許可する」

 私は前に進み平伏して奏上を述べます。

「は、ありがとうございます、このたびはいと高き御方に御拝謁の機会を賜り、大慶至極に存じ奉ります」

「うむ苦しゅうない。
 でこたびの来訪は朕になんのようじゃ」

「はは、願わくば我が木曽にて此度の戦乱にて以仁王の維持の一宮様と我々木曽の者によってこの戦乱にて焼けた寺門の寺を再興させていただければと思います。
 その代わりと申しては何ですが寺門の寺で戦乱を避け食料の余裕のある寺には我らにその寄付をお願いしたく
 申し上げます」

「うむわかった、三井寺にも伝え我ら寺門の寺の修復を木曽が行う代わりに食料をそなたらに寄付することにするぞ。
 これからも朕のためによく働くがよい、さすれば我が父上もお喜びになるであろう」

「誠に恐縮でございます」

「うむ、では本日はここまでとしようぞ」

「ははぁ」

 人が立ち去る音がしたのを確認して私は顔をあげました。

「ふう、これで、寺門側の寺の協力は得られますね」

 わたしは力を抜いて屋敷に戻ったのでした。

 寺門派に対しての交渉を終えれば次は比叡山延暦寺を頂点とした山門に対しての交渉を見守ることになります。

 こちらは大夫房覚明たゆうぼうかくめい殿に任せておりますが。

「覚明殿、寺門に於いては木曽が寺の再建を行うのを引き換えに我らに与していただけそうです」

 覚明殿は力強くうなずきました。

「うむ、山門については拙僧に任せよ。
 そもそもは以仁王様の挙兵時に我ら寺門は全面的に協力したが、山門は協力せなんだ。
 それが今の結果となっておりますれば徹底的に糾弾してみせますわい」

「あ、いえ、山門と敵対するつもりはないのですが」

「わかっております、要は平家側よりも我らに下ががったほうが良いと思わせればよいのです」

 比叡山延暦寺宛て牒状の内容はおおよそ

 平家の非道を記し、平家は無罪の以仁王を追い詰めて以仁親王を討ちそれを匿った園城寺と興福寺をを焼いたことを避難し、 そういった平家の悪事に対抗すべく源頼政らが必死に戦ったが、命を落としたが、令旨の趣旨を肝に銘じ、木曽は彼らの意思を継ぐべく立ち上がったこと。

 義仲軍は戦えば必ず勝ったがこれはひとえに、神明・仏陀の助けであること。

 そしてこの後に木曽の軍が上洛し比叡山延暦寺の麓を通るときに、山門の天台の宗徒は、平家と木曽のどちらに加勢するのか。

 もし、平家に加勢するなら合戦になり合戦となれば比叡山はすみやかに滅亡するだろうが、木曽はそれを望んでおらず、山門の宗徒がは、神仏や国家の安定のために、木曽に加勢することを願うというようなものです。

「まあ、今の木曽と正面からやりあうことはないでしょうけどね」

 僧兵の戦力はたしかに馬鹿にできませんが、南都であっさり平家に焼き討ちを受けていることを考えれば、正面から戦いたいとは思わないはずです。

 はたしてこの書状を受け取った、延暦寺の僧たちは議論を重ねることになります。

 木曽の加勢をしようという意見と、今まで通り平家宗家に味方しようという意見はどちらも出てきましたが、意見はなかなかまとまりませんでした。

 しかし、山門も最終的には、平家宗家を見限って木曽に味方することになったのです。

 そしてその間に範頼と義広はもともと源氏の勢力が強かった伊勢・志摩・伊賀・大和・和泉・摂津などの紀伊半島の国を制圧下に置いたのです。

 我々も兵を進め近江を制圧しここの治安回復に当たったのです。

 宗盛により働き手を兵士として持って行かれ、食料を奪われ、牛馬を取られ平家に対しての不満を爆発させた民衆は我々を受け入れてくれたのです。

 そして我々は寺院から寄付された食料を民衆に配り、野盗山賊は打ち取ることでなんとか治安は回復できたのでした。

 そういったことを行いつつ私は重盛殿に確認をしていました。

「重盛殿、今京にいる宗盛たち平家宗家に今は与している中で我々に与してもらえそうな人はいませんか。
 私は頼盛殿あたりであれば我らに味方してくれそうだと思っているのですが」

 重盛はうなずきました。

「うむ、鹿ヶ谷事件で頼盛叔父上の身内も鬼界が島に流されているからな。
 父清盛は頼盛殿叔父上も私と同じように後白河院に近いものとして冷遇していた、うまくすれば我らに味方してくれるやも知れぬ」

 私は頷いて真剣な声色で言葉をつずけました。

「ではお願いがあるのですが、重盛殿を通じて頼盛殿に協力していただき、我々が上洛する際には藤原冬嗣の邸宅である閑院の今上天皇陛下と神器、国政に必要な玉璽、官印、駅鈴などを予め抑えていただきたいのです」

 私の言葉に重盛は驚いたようでした。

「なんと、いや、だがたしかにそうだ。
 今上の玉体と神器などがなければ我々の正当性は得ることはできぬ」

「はい、とても重要なことでございますゆえ、重盛様以外の方には他言はせぬようお願い致します」

「ふむ、わかった。
 では頼盛叔父上と連絡を取ってみるとしよう」

 その言葉に私は頭を下げました

「ありがとうございます。
 どうぞよろしくお願いいたします」
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