69 / 77
治承5年(1181年)
横田河原合戦・越後・佐渡制圧
しおりを挟む
さて、月は移って4月になりました。
越後の城資長は、兵馬糧秣を越後・出羽南部・会津4郡(摩耶、大沼、河沼、会津)からかき集め、法皇のご厚意に応えようと、越後の国の国府を出立し早速五千余騎を率いて我ら木曽軍を蹴散らし義仲様をを討ち取らんと、信濃へ攻め込んできました。
城資長は平維茂の子孫で平維茂という人物は信濃は戸隠の鬼女紅葉伝説に出てくる鬼女紅葉を退治した人物と言われています。
鬼女紅葉伝説とは平安中期の頃、紅葉と呼ばれた女が、源経基の目にとまり、召されて経基と夜を共にして、経基の子を宿すと紅葉は経基の寵愛を独り占めにしたいと思うようになり、妖術を使って正妻を呪い殺そうと計るが、露見して捕らえられ信濃の戸隠へ流され、都での暮らしを恋しく思った紅葉の心は次第に荒んでいき、京に上るため軍資金を集めようと、一党を率いて戸隠山に籠り、夜な夜な他の村を荒しに出るようになってしまった。
この噂が戸隠の鬼女として京にまで伝わっていくと、朝廷は平維茂に鬼女退治を命じ、維茂は多くの兵を連れて討伐に向かいましたが、紅葉の妖術に太刀打ちできず、かくなる上は神仏の力にすがる他なしと、維茂は観音に参籠し、必勝祈願をすると紅葉の妖術は無効化され、969年(安和2年)紅葉が33歳の晩秋についには征伐されこれ以降、紅葉の住んでいた村は鬼無里と呼ばれるようになったといわれます。
一方私たちは信濃・甲斐・上野・武蔵の諸将の兵おおよそ10000を集め依田城にて軍議を行っていました。
残りの国の諸将は奥州藤原氏や平家への対応にそれぞれの国で待機をしております。
まず上座に構えた義仲様が周りに聞きました。
「さて、このたびは越後の城資長は一族郎党を率いてこの信濃に攻め入ってきた。
目的は俺の首と信濃の年貢米であろう、すなわち信濃の国府の占拠とここの占拠だ」
諸将は頷きました。
「しかも、城資長は我が便女である巴を、かっての戸隠の鬼女紅葉になぞらえてそれを捕らえては京に送る算段ともきいいておる」
諸将は続いて頷きました。
鬼女という言葉に誰も反対しないのはなんででしょうね。
「これより我らは依田城を出て北へ進む。
此度の戦において意見のあるものは申してみよ」
えーと、鬼女発言はみんな無視ですかね?
「ふむ、ならば越後の軍兵の進路は関山越えと葛野超え、筑摩超えの三手でありましょうな」
越後近辺の地理に詳しい栗田寺別当大法師範覚がいいました。
「おそらく道を先導するのは市原の戦いにて敗れた笠原の家人共かと思われます」
義仲様はその言葉にうなずきました。
「うむ、では我々はどう動くのが良いと思うか」
「大軍が展開できるのは千曲川沿いの横田河原でございましょう。
ならば我々もそこにて迎え撃つのがよろしいかと」
横田河原というのは後の戦国時代、有名な上杉謙信と武田信玄の川中島の合戦が行われたのと同じ場所です。
そこへ私も言葉を続けます。
「我々の兵は越後の2倍、であらば、兵を2手に分け、一方は正面より接近し、もう一方は妻女山を回って背後に回り込み、挟撃するのが良いかと」
義仲様はうなずきました。
「うむ、正面と背後よりの挟撃であれば我らは必ずや勝とう。
巴の策を用いるに異議のあるものはいるか?」
周りを見れば異議のあるものはいなそうです。
「では、巴の献策を持って、我らは城資長を討つ!
出陣だ!」
「おおー!」
城資長は6000に増えた兵を率いて越後の館を出ると越後の国府直江津に赴き軍を三軍に分け、浜の小平太を大将とした2000、津幡宗親(つばたのむねちか)を大将とした2000、本隊の城資長を大将とした2000に別れ、笠原平五の家人であった、尾津平四郎、富部三郎、閑妻六郎、風間橘五とその家来の立河次郎、渋川三郎、久志太郎、冠者将軍と家来の相津乗湛房、その子の平新大夫、奥山権守の子藤新大夫、坂東別当、黒別当などが先陣にたったのです。
城資長は統率を取るため誰にも先駆けを許さず、千曲川のほとり横田河原に陣をとったのです。
それに対して我々は対岸に布陣しました。
4月13日横田河原において軍は激突します。
私たちは5000、正面の越後兵は6000数では少々負けていますね。
「義仲様、まずは私が先陣を切り、意図的に後方に敗走いたします。
私を追う敵兵を左右より挟撃し、私も取って返して撃退したいと思いますがいかがでしょうか?」
「うまくいくのか?」
「はい、おまかせください」
私たちは木曽軍の先陣を切って突出し先ずは私は名乗りを上げました。
「やあやあ、遠からんものは音にも聞け、近からんものはよって目にも見よ。
そこにまいったるは、大軍を押して我が国に攻め寄せた平家の犬の越後の腰抜け武者共とみゆ。
われこそは最勝王より平氏追悼の勅を受け、旗揚げした源氏の御曹司木曽次郎六位蔵人源義仲殿の乳母子にして便女、木曽中三信濃権守兼遠が娘の巴申す女武者なり。
我と思わんものはかかってこい!」
それに対して越後の軍からも女武者が出てきたのです。
「やあやあ、われこそは恐れ多くも今上に弓を引き世を乱す木曽の田舎武者を追討せよとの勅命を受けし城資長が妹の板額御前なり。
木曽の鬼女め退治てくれるゆえかかってまいれ」
ほほう、この時代のもう一方の高名な女武将の板額御前が出てきましたか。
「相手にとって不足なし。
いざかかってまいられよ」
「いざ」
私たちは何度か方天画戟と長巻にて打ち合います。
そして頃合いを見計らって私は逃げ出しました。
「これは手強い、逃げるが勝ちよ」
私に従って私に部隊に従っていた兵も後ろへ逃げ出しました。
「なんと、木曽の鬼女の噂は噂だけであったようだ。
者共、追撃して討ち取れ!」
越後の兵が後ろよりおってきますが、こちらの方の逃げ足のほうが早く、そして私の疑似敗走より縦に伸びた越後軍の左右を木曽の軍が襲いかかりました。
「よし、反転し越後兵を打て、しかし、板額御前はわれに任せよ」
私は馬を反転させ再び板額御前と対峙しました。
板額御前が悔しげに言いました。
「おのれ、退却は偽装であったか、なれど、ここでそなたをうてばまだ勝ち目はある」
「ならばかかってこられよ」
しかし今度は私は超本気です。
彼女の衣紋を弾き飛ばし私は彼女を生け捕りました。
「城資長の妹板額御前を木曽義仲が便女巴が召し捕ったり!」
私はさらに七人の豪族を討ち取りました。
やがて背後からの挟撃も加わり、越後の軍は散々に討たれ、城資長は戦死、弟の助茂は捕虜となりました。
そして、城資長の息子城資盛は300の兵とともに越後の国府に退いたのですが、それまでの悪政で苦しめられていた土地の住民に追われ、出羽に逃げ落ちたという話です。
我々はそのまま越後に攻め入り直江津の国府を制圧(直江津)すると越後の豪族は我々に帰順しました、我々はさらに佐渡国を制圧し、更にそれにより越中、加賀、能登などの武士は木曽に従ったのです。
この戦いの勝利の後、若狭、越前などでも反宗盛の活動が活発になります。
平氏は北陸の味方を失い、東国における支配権を失いました。
越後の城資長は、兵馬糧秣を越後・出羽南部・会津4郡(摩耶、大沼、河沼、会津)からかき集め、法皇のご厚意に応えようと、越後の国の国府を出立し早速五千余騎を率いて我ら木曽軍を蹴散らし義仲様をを討ち取らんと、信濃へ攻め込んできました。
城資長は平維茂の子孫で平維茂という人物は信濃は戸隠の鬼女紅葉伝説に出てくる鬼女紅葉を退治した人物と言われています。
鬼女紅葉伝説とは平安中期の頃、紅葉と呼ばれた女が、源経基の目にとまり、召されて経基と夜を共にして、経基の子を宿すと紅葉は経基の寵愛を独り占めにしたいと思うようになり、妖術を使って正妻を呪い殺そうと計るが、露見して捕らえられ信濃の戸隠へ流され、都での暮らしを恋しく思った紅葉の心は次第に荒んでいき、京に上るため軍資金を集めようと、一党を率いて戸隠山に籠り、夜な夜な他の村を荒しに出るようになってしまった。
この噂が戸隠の鬼女として京にまで伝わっていくと、朝廷は平維茂に鬼女退治を命じ、維茂は多くの兵を連れて討伐に向かいましたが、紅葉の妖術に太刀打ちできず、かくなる上は神仏の力にすがる他なしと、維茂は観音に参籠し、必勝祈願をすると紅葉の妖術は無効化され、969年(安和2年)紅葉が33歳の晩秋についには征伐されこれ以降、紅葉の住んでいた村は鬼無里と呼ばれるようになったといわれます。
一方私たちは信濃・甲斐・上野・武蔵の諸将の兵おおよそ10000を集め依田城にて軍議を行っていました。
残りの国の諸将は奥州藤原氏や平家への対応にそれぞれの国で待機をしております。
まず上座に構えた義仲様が周りに聞きました。
「さて、このたびは越後の城資長は一族郎党を率いてこの信濃に攻め入ってきた。
目的は俺の首と信濃の年貢米であろう、すなわち信濃の国府の占拠とここの占拠だ」
諸将は頷きました。
「しかも、城資長は我が便女である巴を、かっての戸隠の鬼女紅葉になぞらえてそれを捕らえては京に送る算段ともきいいておる」
諸将は続いて頷きました。
鬼女という言葉に誰も反対しないのはなんででしょうね。
「これより我らは依田城を出て北へ進む。
此度の戦において意見のあるものは申してみよ」
えーと、鬼女発言はみんな無視ですかね?
「ふむ、ならば越後の軍兵の進路は関山越えと葛野超え、筑摩超えの三手でありましょうな」
越後近辺の地理に詳しい栗田寺別当大法師範覚がいいました。
「おそらく道を先導するのは市原の戦いにて敗れた笠原の家人共かと思われます」
義仲様はその言葉にうなずきました。
「うむ、では我々はどう動くのが良いと思うか」
「大軍が展開できるのは千曲川沿いの横田河原でございましょう。
ならば我々もそこにて迎え撃つのがよろしいかと」
横田河原というのは後の戦国時代、有名な上杉謙信と武田信玄の川中島の合戦が行われたのと同じ場所です。
そこへ私も言葉を続けます。
「我々の兵は越後の2倍、であらば、兵を2手に分け、一方は正面より接近し、もう一方は妻女山を回って背後に回り込み、挟撃するのが良いかと」
義仲様はうなずきました。
「うむ、正面と背後よりの挟撃であれば我らは必ずや勝とう。
巴の策を用いるに異議のあるものはいるか?」
周りを見れば異議のあるものはいなそうです。
「では、巴の献策を持って、我らは城資長を討つ!
出陣だ!」
「おおー!」
城資長は6000に増えた兵を率いて越後の館を出ると越後の国府直江津に赴き軍を三軍に分け、浜の小平太を大将とした2000、津幡宗親(つばたのむねちか)を大将とした2000、本隊の城資長を大将とした2000に別れ、笠原平五の家人であった、尾津平四郎、富部三郎、閑妻六郎、風間橘五とその家来の立河次郎、渋川三郎、久志太郎、冠者将軍と家来の相津乗湛房、その子の平新大夫、奥山権守の子藤新大夫、坂東別当、黒別当などが先陣にたったのです。
城資長は統率を取るため誰にも先駆けを許さず、千曲川のほとり横田河原に陣をとったのです。
それに対して我々は対岸に布陣しました。
4月13日横田河原において軍は激突します。
私たちは5000、正面の越後兵は6000数では少々負けていますね。
「義仲様、まずは私が先陣を切り、意図的に後方に敗走いたします。
私を追う敵兵を左右より挟撃し、私も取って返して撃退したいと思いますがいかがでしょうか?」
「うまくいくのか?」
「はい、おまかせください」
私たちは木曽軍の先陣を切って突出し先ずは私は名乗りを上げました。
「やあやあ、遠からんものは音にも聞け、近からんものはよって目にも見よ。
そこにまいったるは、大軍を押して我が国に攻め寄せた平家の犬の越後の腰抜け武者共とみゆ。
われこそは最勝王より平氏追悼の勅を受け、旗揚げした源氏の御曹司木曽次郎六位蔵人源義仲殿の乳母子にして便女、木曽中三信濃権守兼遠が娘の巴申す女武者なり。
我と思わんものはかかってこい!」
それに対して越後の軍からも女武者が出てきたのです。
「やあやあ、われこそは恐れ多くも今上に弓を引き世を乱す木曽の田舎武者を追討せよとの勅命を受けし城資長が妹の板額御前なり。
木曽の鬼女め退治てくれるゆえかかってまいれ」
ほほう、この時代のもう一方の高名な女武将の板額御前が出てきましたか。
「相手にとって不足なし。
いざかかってまいられよ」
「いざ」
私たちは何度か方天画戟と長巻にて打ち合います。
そして頃合いを見計らって私は逃げ出しました。
「これは手強い、逃げるが勝ちよ」
私に従って私に部隊に従っていた兵も後ろへ逃げ出しました。
「なんと、木曽の鬼女の噂は噂だけであったようだ。
者共、追撃して討ち取れ!」
越後の兵が後ろよりおってきますが、こちらの方の逃げ足のほうが早く、そして私の疑似敗走より縦に伸びた越後軍の左右を木曽の軍が襲いかかりました。
「よし、反転し越後兵を打て、しかし、板額御前はわれに任せよ」
私は馬を反転させ再び板額御前と対峙しました。
板額御前が悔しげに言いました。
「おのれ、退却は偽装であったか、なれど、ここでそなたをうてばまだ勝ち目はある」
「ならばかかってこられよ」
しかし今度は私は超本気です。
彼女の衣紋を弾き飛ばし私は彼女を生け捕りました。
「城資長の妹板額御前を木曽義仲が便女巴が召し捕ったり!」
私はさらに七人の豪族を討ち取りました。
やがて背後からの挟撃も加わり、越後の軍は散々に討たれ、城資長は戦死、弟の助茂は捕虜となりました。
そして、城資長の息子城資盛は300の兵とともに越後の国府に退いたのですが、それまでの悪政で苦しめられていた土地の住民に追われ、出羽に逃げ落ちたという話です。
我々はそのまま越後に攻め入り直江津の国府を制圧(直江津)すると越後の豪族は我々に帰順しました、我々はさらに佐渡国を制圧し、更にそれにより越中、加賀、能登などの武士は木曽に従ったのです。
この戦いの勝利の後、若狭、越前などでも反宗盛の活動が活発になります。
平氏は北陸の味方を失い、東国における支配権を失いました。
0
お気に入りに追加
22
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。
記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。
これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語
※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
織田信長IF… 天下統一再び!!
華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。
この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。
主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。
※この物語はフィクションです。

陣借り狙撃やくざ無情譚(時代小説新人賞最終選考落選歴あり、別名義、別作品)
牛馬走
歴史・時代
(時代小説新人賞最終選考落選歴あり、別名義、別作品)猟師として生きている栄助。ありきたりな日常がいつまでも続くと思っていた。
だが、陣借り無宿というやくざ者たちの出入り――戦に、陣借りする一種の傭兵に従兄弟に誘われる。
その後、栄助は陣借り無宿のひとりとして従兄弟に付き従う。たどりついた宿場で陣借り無宿としての働き、その魔力に栄助は魅入られる。
西涼女侠伝
水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超
舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。
役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。
家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。
ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。
荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。
主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。
三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)
涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。

軟弱絵師と堅物同心〜大江戸怪奇譚~
水葉
歴史・時代
江戸の町外れの長屋に暮らす生真面目すぎる同心・十兵衛はひょんな事に出会った謎の自称天才絵師である青年・与平を住まわせる事になった。そんな与平は人には見えないものが見えるがそれを絵にして売るのを生業にしており、何か秘密を持っているようで……町の人と交流をしながら少し不思議な日常を送る二人。懐かれてしまった不思議な黒猫の黒太郎と共に様々な事件?に向き合っていく
三十路を過ぎた堅物な同心と謎で軟弱な絵師の青年による日常と事件と珍道中
「ほんま相変わらず真面目やなぁ」
「そういう与平、お前は怠けすぎだ」
(やれやれ、また始まったよ……)
また二人と一匹の日常が始まる
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる