転生ニートは迷宮王

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第7.5章

197 始まり

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「出るぞ、マコト。準備の方は?」
「大丈夫。……多分」
「あまり緊張しすぎるなよ」
 
 ルインに続いて翼を広げ、飛ぶ。澄んだ夜空とは対象的に、僕の心は不安で埋まっていた。
 結局魅了の感覚は掴めないままだった。人を相手にしないと難しいのかもしれないけど、単純に僕の力不足だって可能性も高い。ルインが全部やってくれる予定だとは言え、僕の他に代わりはいない。
 
「そろそろだ」
 
 ルインの声に視線を下ろすと、あの屋敷が見えた。予定通り、少し離れた場所に着地する。
 
「門番には見られても構わない。正面からの魅了を試みる」
 
 言葉通り、ルインはまっすぐ表門に向かった。急いで後を追う。
 
「何者だ」
「貴様が知る必要はない。魅了チャーム
「……これは失礼致しました。どうぞお通りください」 
 
 ただ相手の目を見ただけだ。たったそれだけで魅了は成功した。
 ルインは庭の屈強な騎士すらも一撃で仕留めていく。目を合わせるだけで発動するから、相手に武器を抜かせる隙も与えない。
  
「すまないが、屋敷内は管轄外でな」 
「ならいい。警備に戻れ」
「そうさせてもらおう」
 
 でも、姉妹の部屋を知っている人には出会えていない。今の騎士も管轄外って言ってたけど、もしかしたら屋敷内の騎士にしか伝えられてないのかもしれない。
 
「……仕方がない、一度中に入る。適当な相手に魅了チャームを使って、聞き出せたら翼を使う」 
「僕も丁度それがいいんじゃないかと思ってた。ここに知ってる人はいなそうだ」
 
 入口の扉には鍵がかかっていたみたいだけど、ルインが鍵穴を撫でるだけで開いた。
 中は豪華なカーペットが敷かれていて、このまま土足で入るのは若干申し訳ないような気持ちになる。シレンシア城もこんな感じだったし、そもそも今から殺しに行くっていうのに何を言ってるんだって話か。
 明かりは付いていなかったけど、月の光のおかげで歩くのに困るほどではなかった。
 大きなシャンデリアみたいなのを見上げていると、ルインから静止の合図。
 
「どうやら鼠が忍び込んだ様子」 
 
 声の方を見ると、踊り場の窓際に一人の老人。杖をついてるし近接戦闘が得意には見えないけど、その魔力は確かなものだ。
 
「(魅了チャームが効いていない)」
「(なんだって!?)」
 
 ルインの言う通り、効いている様子はなかった。そもそもルインが魅了チャームをかけようとしてたのにも気付かなかったけど。
 
めしいているというわけか」
「ご名答。それが私の強さでもあります――土鎖グライド
「マコト!」 
 
 僕の足元目掛けて、複数本の土の鎖が飛んできた。間一髪躱したけど、少しでも遅れてればボロボロになってたのはカーペットじゃなくて僕だ。
 困ったのは、今の音で人が集まってくるだろうってこと。この老人を倒すのにも時間がかかりそうだし、今日のところは諦めるっていうのも……
    
「人相手に使いたくはなかったが――」

 ルインが翼を広げて地面を蹴り、一瞬で距離を詰めた。そのまま老人の額に手のひらを押し当て、唱える。
 
魅了チャーム
 
 沈黙。最初に口を開いたのはルインだった。 
 
「この屋敷の姉妹は、三階のどの部屋で眠っている?」 
 
 また少しの沈黙の後、老人が答える。
  
「お嬢様はそれぞれ東西の端の部屋を使っておられます。お眠りになられるのも同じ場所かと」 
「十分だ」  
 
 初めての有力情報だ。一旦出るぞ、と言うルインに連れられて外に向かう。不思議なことに騎士たちが集まってきている様子はなかった。
 って、それより。
 
「さっき魅了チャームが上手くいったのはどうして?」 
「在り方を変えた。存在を歪めたと言った方が分かりやすいか。この肉体として神力も前借りした」
 
 な、何も分からない。存在を歪めた?
 
魅了チャームを''強欲''の私と天使の私の力で無理やり強化したということだ。人相手に使うのは魔力消費が激しい。だから極力使いたくなかったが、姉妹に魅了チャームを使うくらいは残せた」  
 
 屋敷の端まで来て翼を出すルイン。僕もそれに続く。
 
「窓を開けるときにも同じ方法を使う。先程扉に使ったのもそうだ。素因エレメントの動きを見ていろ、基本は魅了チャームと変わらない」 
 
 ルインは三階まで飛ぶと、窓に手を翳す。素因エレメントの動き方に注目したことなんかなかったし、じっと見つめててもよく分からない。
 ……突然、窓が消えた。いや、ガラス玉になった。ルインの手の上に乗っているのは今の今まで窓だったものだと思う。
 
「こういうことだ。先に進むぞ」 
「……うん」 
 
 正直さっぱり分からなかったけど、凄いってことだけは分かった。魅了チャームでこんなことができるなんて。契約してる僕も使えたりするのかな。
 と、またルインから静止の合図。
 
「(相当の使い手だ、気を付けろ。奴に構っている時間も魔力もない)」 
 
 ルインの視線の先にはこれまた強そうな、多分魔術師。ちょうど階段を降りていったから良かった。もしこっちに来てたら困ったことになってた。
 数秒待って、いよいよ再び屋敷内に足を踏み入れる。
 
「(部屋に扉には鍵はかかっていない。開けるぞ)」
 
 ルインの言葉に頷きを返し、開く扉を見つめる――
 
「あら、あなたは?」 
 
 ふわっと香る香水のような匂いと同時に、上品で落ち着いた声が聞こえた。
 
「! 魅了チャーム!」 
 
 少女は。明かりも付いていなかったから油断した。
 でもルインの魅了チャームは確かに決まった。これで、あとは……
 
「お姉様、どなたかいらしてますの?」 
「マコト! やれ!」
「え」
 
 急に言われても、ええとどうするんだったかな、ていうかなんで僕に、ああ極端に短いスパンでの連続使用は無理なんだっけ、
  
「まさか、賊――」  
「っ――魅了チャーム!」  
 
 集中できてない状態での魅了チャーム。成功してるかはいいとこ五分……と思ったけど、彼女の様子を見るに上手くいったのかもしれない。
 
「危ないところだった。しかしマコト、咄嗟の術を成功させたか。流石は勇者だな」 
「やめてよルイン。今のはただのまぐれだから」 
「それも実力だ。さあ、殺すのは片方でいいが――」 
 
 品定めするように二人を眺めるルイン。……殺すのか。この二人を?
 
「……駄目だ」
「マコト?」 
「あ、あのさ。殺すのはやめよう。代わりに魅了で連れて行く。僕は魔力が少ないし、彼女たちに肩代わりしてもらうんだ」
 
 口をついて出てきたのは、そんな言い訳。でも優れた魔術師は他人の術の魔力を負担することができるって聞いたことがあるし、彼女たちにもきっとできるはずだ。
 
「連れていく? だが今からこの屋敷内の全員に魅了チャームをかけている暇はない。そこまでの魔力もない」
「それは大丈夫。彼女たち自身に説明してもらう。勇者に協力することになったとかね」 
「……しかし、マコトは碌に魔術が使えないだろう。低級魔術と魅了チャームだけでは限界がある。ここはやはり――」
「お嬢様!」   
 
 扉が開いて誰か駆け込んできた。迷ってる暇はない。さっきと同じ感覚で。
 
魅了チャーム!」 
 
 男はそのままの姿勢で立ち止まった。今度も上手く決まったってことだ。
 ……ああ、いいことを思い付いた。別によくはないけど、少なくともこの姉妹は殺さなくて済む。
 
「ルイン、この人もそこそこ魔術が使えるんだよね?」
「……恐らくな」 
「なら良かった。じゃあ、抵抗せず、声も上げないでくださいね」
 
 短剣を取り出す。刃が月明かりを反射して煌めいた。
 
「……マコト」 
「安心してよ。結構鋭いんだ、この短剣」
 
 ルインにやってもらうんじゃ駄目だから。これは僕が僕を乗り越える儀式みたいなもの。今更不殺とか甘いことは言わない。あの可愛い姉妹の片方だけ殺すなんていうのが嫌だっただけだ。
 深呼吸。相手は動かない。心臓の位置はローレンツさんに教わった通り。一撃で決める。
 
「っ……はあ!」 
 
 薄い服を貫通して、肉に刃を入れる感触。
 
「……」 
 
 男はゴポ、という水気の多い咳と共に、大量の血を吐き出した。短剣を引き抜くとそこからも出血し始めて、辺りはたちまち血まみれになる。……これで終わりだ。いいや、始まりかな。
 能力を奪うときはただ念じるだけで良かったはずだ。魅了を消すわけにはいかないし、翼の方を手放そう。
 少しの間そのまま止まっていると、確かに魔力が増える感じ、そして炎のイメージが受かんできた。
 実に勇者っぽい属性だ。龍牙の創造クリエイトに引けを取らない。
 
「あらあら、血で汚れてしまっていますよ。今綺麗に致しますね」 
 
 姉妹の片方が何か唱えると、床や壁ごと、僕に付いた返り血も全て消え去った。……ついでに、死体も。
 
「ありがとう。さっきも話した通り、二人には魔王討伐の作戦に着いてきてほしい。僕の術の魔力を肩代わりするって役で」 
「ええ、かしこまりました。屋敷の者には先程のように伝えておきますね」 
「助かる。あと彼についてはいい感じの理由――病気で休職とか――とにかく何か頼むよ。それじゃ、出発が決まったらまた連絡しに来る」
「お待ちしております」 
 
 魔界の魅了チャームの持続時間は、解除されない限りほぼ永遠だったはずだ。この数日のうちに解除されることはないと思うけど、唯一少し怖いとすればそこかな。
 でもルインは僕を止めようとはしなかった。納得してくれたのかもしれない。 
 
「じゃあルイン、帰ろうか――」 
 
 そこまで言いかけて僕は気付いた。つい今さっき、翼の能力を手放したってことに。
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