156 / 252
第5.5章
154 セシリアの場合
しおりを挟む
*三人称視点セシリア風味です。*
「……!」
指輪が破壊された――イヴェルが危険だ。
セシリアがそれを感じ取ったのは、イヴェルが宮廷筆頭としての初任務に向かってから、ちょうど三日後のことだった。
通常の損傷ならばこうして察知することはできない。装着者が一定以上の――例えば使い魔の維持に必要な程度の――魔力を継続して供給できなくなった場合にのみ、対になっている指輪にも変化が現れるのだ。
イヴェルは魔力不足になるほどの魔術を使えない。宮廷筆頭召喚士になってからは、毎日ひたすら細剣の訓練だけしているとも聞いている。
そして彼の使い魔――ロロトスは、どういう理屈なのか召喚者の魔力を消費せずに魔術を使う。つまり通常の理由での魔力切れは有り得ない。
魔術師かそうでないかを問わず、魔力切れは死に直結する。魔力切れによって体内外の素因に干渉できなくなれば、指一本動かすことすらも難しくなる。
さらに、今回はただの魔力切れではないようだ。セシリアの指輪には傷やヒビが入ったわけではなかった。突然、完全に砕け散ったのだ。一撃で全ての魔力を放出させられたか、吸収されたか、或いは昏倒したか。一時的な乱れならば今頃結晶部分に光が戻っているはずだが、砕け散っているので確認のしようもない。彼女はスペアを作っておかなかったことを悔やんだが、そんな時間がなかったのも事実だった。むしろ魔道具を専門に学んでいるわけでもない学生が、三日であれほどの出来のものを作ったというだけでも驚きである。例え専門に学んでいたとしても数週間はかかるし、あれよりも完成度の低いものになる――と、魔術学院の教授は口を揃えて言うことだろう。
しかしとにかく、イヴェルの指輪は破壊されてしまった。イヴェルの身が危険だというのは確固たる事実であり、それを知ったセシリアは数分の熟考を経、その後の行動は素早かった。
「――隠蔽」
まずクロードを撒く。貴族の多いこの学院では、従者の学院内への立ち入りが許可されている。
だがそれにも穴がある。寮内など一部場所だけは別途学院からの許可が必要なのだ。クロードは当然のように隠蔽を見破れるが、それは問題ない。姿を隠すのはクロードからではない。
「流石に……腰が引けますわね……」
見下ろすは寮中庭。この窓から飛び降りれば、クロードの監視から逃れられる。
一瞬躊躇いを見せたセシリアだったが、すぐに首を振って恐怖を払う。物怖じしている場合ではない。こうしている間にも、イヴェルと再会できる可能性は低下していく。
「――吹風」
風の魔術は得意ではないが、極限の集中力でなんとか上向きの風を作り出す。そして窓の縁に足をかけると、一思いに跳んだ。
「――……っ!」
音もなく着地というわけにはいかなかったが、概ね成功。クロードにも他の学生にも気付かれてはいない。まだ痺れている足に軽く治癒、そして自身に加速を使って走り出した。目指すは王立図書館、禁書庫。
*
「禁書の閲覧を?」
「ええ。どうしても必要ですの。許可をいただけませんこと?」
「あなたが頑張っているのは知っているから、力になってあげたいんだけど……私と館長で上の人に掛け合えば、半年後には許可が降りるかしら……」
司書は困ったような顔で頬に手を当てる。その絶望的な予測、そしてゆっくりとした動作は、焦るセシリアに一線を越えさせるには十分だった。
「――昏睡!」
司書は一瞬驚いたような表情を浮かべると、そのままの姿勢で崩れ落ちた。やってしまった、とセシリアは青ざめるが、もう引き返せない。どの道顔は見られていたし、それなら眠らせた方が発覚が遅れると無理やり自分を納得させ、鍵を漁る。
ほどなくして鍵は見つかった。それを握ると、加速だけ使って禁書庫の扉の前に急ぐ。蘇生の方法は迷宮に向かいながら覚えればいい。イヴェルとの術式から応用できる部分も多いだろうし、セシリアは自らの魔術の才には幾分かの自信があった。姉ほどの天才ではないにしても、死ぬほどの努力をすれば全ての分野である程度の結果を残せる。彼女はそういう人間だった。……そう自覚していた。
禁書庫の扉には鍵穴がなく、鍵の形をした窪みがあるのみだった。少しの嫌な予感を覚えつつも、その窪みに鍵をはめる――
――瞬間、けたたましい警告音が辺りに鳴り響いた。どうやら最悪の選択をしたらしい。だが司書を眠らせた時点で道は決まっている。
「水の精霊よ、契約者、セシリア・ララ・アルティーストが求む。その力で我が敵を貫け――氷槍」
冷静に詠唱を紡ぎ扉を破壊。案の定警告音が鳴り止むことはなかったため、目に付いた死霊術の本を数冊掴んで再び駆け出す、が、
「おっと、悪いモンにでも憑かれたか? お前がこんなことするなんてな」
「――先生……!」
相対するはローレンツ。ハインベルでセシリアに技を教えた本人であり、故に彼女は絶対に勝てないことを知っていた。そして、絶対に逃げられないことも。
「無駄な抵抗はしないでくれよ。今なら軽い罪で済む。お前の家名と能力、そして成績なんかを考えれば、公にしないことだって……」
セシリアはもう止まらない。止まれない。罪が軽くなろうが重くなろうが、凡そ彼女には関係がない。
イヴェルを構成していた素因が霧散する前に、蘇生の術式を組み、実行しなければならない。それは彼女にしかできないし、彼女にしか機会がない。
「――加速」
「おいおい、面倒な仕事を増やすなよ。賢いお前のことだ、ただ俺とかけっこしようってわけじゃないんだろ?」
「――土鎖!」
単純に見える三本の土の鎖。ローレンツは心底面倒くさそうに溜息を吐くと、腰の剣を抜き切り払った。
だがその行動が、わざわざ解呪を使うまでもないという余裕が、セシリアに次の魔術を使わせるだけの時間を生んだ。
「白煙!」
「お――!」
一帯が真っ白い煙に包まれる。盗賊などが好んで使う、決して上品とはされていない魔術。まさかそれを使われるとは思っていなかったのか、ローレンツの行動が一瞬遅れる。
セシリアは勝ちを確信した。アルティースト家の厩舎に、姉のエクィトスが繋がれている。それに乗れさえしてしまえばこちらのものだ。あれはシレンシアでも屈指の足の速さを誇るし、そこまでの最短経路はもちろん頭に入っている。
だが。
「……っ!?」
煙を抜けた直後、両脇から腕を掴まれた。当然ローレンツは一人ではなかった。前後左右全て、図書館を取り囲むように部下の兵士が待機していた。
「お嬢様があんな魔術を使うとは驚いたな。だが俺だってそこまで甘くない。禁書庫破り相手に一人で駆け付けるなんてしねーのよ」
風魔術で煙を吹き飛ばし、ローレンツがゆっくりと歩いてくる。打つ手なし、とは正にこのことだ。
魔術を使う素振りを見せようものなら、即座に両手両足の骨を折られて拘束される。ローレンツにはそれができる。
「んじゃ、今度こそ大人しく着いてきてもらうぜ。もう抵抗とか勘弁な。俺まだ飯食ってねえんだ、丁度これからってときに――」
轟音と共に衝撃。図書館の壁まで吹き飛ばされたセシリアは、両脇の兵がいなくなっていることに気付いた。
どうやら音の原因の魔術はローレンツを中心に起動されたらしい。兵士は全員気絶済み、ローレンツも少しふらついている。
動くなら今しかないのは明白だった。セシリアは壁に打ち付けた腰に���治癒すると、即座に立ち上がる。……と、目の前には意外な姿があった。
「――お嬢様、お逃げください」
「――ありがとう、クロード。ここは頼みましたわ」
「ナールの欠伸程度の時間は稼いでみせましょう。どうかご無事で」
クロードの言葉に頷き、セシリアは走り始める。
「やれやれ、存外厄介なお嬢ちゃんだ。――お前らはすぐにエクィトスで追え、魔力追跡が得意な奴が先導しろ。俺はこいつを牢屋に……いや……」
ローレンツは動けそうな部下の兵士に指示を出し、構えるクロードに向き直って数瞬考える。
「……殺していく。腹も減ってイラついてんだ。抵抗されれば殺しもやむなし、抵抗されなきゃ事故として処理、完璧だな」
「それは困りました。セシリア様のためにも、そう簡単には死ねませんので」
「おういいじゃねえか、その方がやり甲斐がある」
*
「目標確認! 拘束に入る!」
「後続の班は左から回れ! 我々が追い込む!」
「――繋檻!」
セシリアの姉――エリッツ・ララ・アルティーストのエクィトスは確かに���迅い。だはそれはエクィトスの扱いに長けたエリッツ自身が乗った場合の話であり、エクィトスを操ることに関して初心者に毛が生えた程度のセシリアでは、その速度を活かしきることができなかった。
対して相手はプロ中のプロ、魔力を辿って短時間で捕捉され、既にすぐ後ろまで詰められている。数では圧倒的に不利のため、追い付かれたら終わりだ。一般兵士ごときに捕まるわけにはいかない。あの場に残り、ローレンツを相手取ったクロードのためにも。
「――氷壁!」
「無駄だ――炎弾! 突破しろ!」
セシリアは後方に氷の壁を広げ時間を稼ごうとするが、エクィトスに跨りながらの魔術は安定しない。不慣れに加えて振り返りつつのことなら尚更だ。地図によればあと少しで迷宮のはずだが、その少しの距離が遠く、なかなか縮まらない。
反対に兵士のエクィトスとの縮まる一方だ。あと10メルト、9メルト、8メルト――
「さてさて、どうやら困っているようではないか?」
「――誰、ですの!?」
「この私に名を訊くか――顔も見ぬままに。やはり中々に見所がある」
頭のすぐ後ろからの声。だがセシリアには、最早振り返るだけの余裕もない。
「私とて本意ではない。元は己が欲のため魔族を皆殺しにせんとする者と契約する予定であったが、問題が起きたのだ」
返事をしないセシリアに、声は尚も語りかける。
「しかしそのような者は簡単に見つかるわけでもない。故に、貴様で妥協してやろうと言っているのだ。意思も無視して同族の友人を蘇らせようとする。十分ではないか?」
「先程から一体何なんですの? 仰っている意味が分かりませんし、貴方とお話している余裕もありませんわ――」
「――私の手にかかれば、後ろの愚民共を蹴散らすことなど訳ないということだ。断る理由などあるはずもないな。さあ、契約すると言え。今は略式で構わん」
契約という言葉を口にする人外に碌な者はいない。それは大抵魔物か、堕ちた精霊のような存在だ。
シレンシアでは常識としてそう教えられており、セシリアも例外ではなかった。だが、少しの会話によって精神汚染を許したセシリアに、それを意識することなどできるはずもない。
「ええ契約しますわ、ですが私の邪魔はなさらないで。私はイヴェルを救いに行かねばなりませんの」
「ならばついでに探してやるとしよう。行くぞ、下僕」
セシリアはそこでようやく気付く。自分の乗るエクィトス以外の蹄音が、いつの間にか消えていたことに。
急いでエクィトスを止め振り返った先には、嫌な笑みを浮かべた男が一人立っていた。
「……!」
指輪が破壊された――イヴェルが危険だ。
セシリアがそれを感じ取ったのは、イヴェルが宮廷筆頭としての初任務に向かってから、ちょうど三日後のことだった。
通常の損傷ならばこうして察知することはできない。装着者が一定以上の――例えば使い魔の維持に必要な程度の――魔力を継続して供給できなくなった場合にのみ、対になっている指輪にも変化が現れるのだ。
イヴェルは魔力不足になるほどの魔術を使えない。宮廷筆頭召喚士になってからは、毎日ひたすら細剣の訓練だけしているとも聞いている。
そして彼の使い魔――ロロトスは、どういう理屈なのか召喚者の魔力を消費せずに魔術を使う。つまり通常の理由での魔力切れは有り得ない。
魔術師かそうでないかを問わず、魔力切れは死に直結する。魔力切れによって体内外の素因に干渉できなくなれば、指一本動かすことすらも難しくなる。
さらに、今回はただの魔力切れではないようだ。セシリアの指輪には傷やヒビが入ったわけではなかった。突然、完全に砕け散ったのだ。一撃で全ての魔力を放出させられたか、吸収されたか、或いは昏倒したか。一時的な乱れならば今頃結晶部分に光が戻っているはずだが、砕け散っているので確認のしようもない。彼女はスペアを作っておかなかったことを悔やんだが、そんな時間がなかったのも事実だった。むしろ魔道具を専門に学んでいるわけでもない学生が、三日であれほどの出来のものを作ったというだけでも驚きである。例え専門に学んでいたとしても数週間はかかるし、あれよりも完成度の低いものになる――と、魔術学院の教授は口を揃えて言うことだろう。
しかしとにかく、イヴェルの指輪は破壊されてしまった。イヴェルの身が危険だというのは確固たる事実であり、それを知ったセシリアは数分の熟考を経、その後の行動は素早かった。
「――隠蔽」
まずクロードを撒く。貴族の多いこの学院では、従者の学院内への立ち入りが許可されている。
だがそれにも穴がある。寮内など一部場所だけは別途学院からの許可が必要なのだ。クロードは当然のように隠蔽を見破れるが、それは問題ない。姿を隠すのはクロードからではない。
「流石に……腰が引けますわね……」
見下ろすは寮中庭。この窓から飛び降りれば、クロードの監視から逃れられる。
一瞬躊躇いを見せたセシリアだったが、すぐに首を振って恐怖を払う。物怖じしている場合ではない。こうしている間にも、イヴェルと再会できる可能性は低下していく。
「――吹風」
風の魔術は得意ではないが、極限の集中力でなんとか上向きの風を作り出す。そして窓の縁に足をかけると、一思いに跳んだ。
「――……っ!」
音もなく着地というわけにはいかなかったが、概ね成功。クロードにも他の学生にも気付かれてはいない。まだ痺れている足に軽く治癒、そして自身に加速を使って走り出した。目指すは王立図書館、禁書庫。
*
「禁書の閲覧を?」
「ええ。どうしても必要ですの。許可をいただけませんこと?」
「あなたが頑張っているのは知っているから、力になってあげたいんだけど……私と館長で上の人に掛け合えば、半年後には許可が降りるかしら……」
司書は困ったような顔で頬に手を当てる。その絶望的な予測、そしてゆっくりとした動作は、焦るセシリアに一線を越えさせるには十分だった。
「――昏睡!」
司書は一瞬驚いたような表情を浮かべると、そのままの姿勢で崩れ落ちた。やってしまった、とセシリアは青ざめるが、もう引き返せない。どの道顔は見られていたし、それなら眠らせた方が発覚が遅れると無理やり自分を納得させ、鍵を漁る。
ほどなくして鍵は見つかった。それを握ると、加速だけ使って禁書庫の扉の前に急ぐ。蘇生の方法は迷宮に向かいながら覚えればいい。イヴェルとの術式から応用できる部分も多いだろうし、セシリアは自らの魔術の才には幾分かの自信があった。姉ほどの天才ではないにしても、死ぬほどの努力をすれば全ての分野である程度の結果を残せる。彼女はそういう人間だった。……そう自覚していた。
禁書庫の扉には鍵穴がなく、鍵の形をした窪みがあるのみだった。少しの嫌な予感を覚えつつも、その窪みに鍵をはめる――
――瞬間、けたたましい警告音が辺りに鳴り響いた。どうやら最悪の選択をしたらしい。だが司書を眠らせた時点で道は決まっている。
「水の精霊よ、契約者、セシリア・ララ・アルティーストが求む。その力で我が敵を貫け――氷槍」
冷静に詠唱を紡ぎ扉を破壊。案の定警告音が鳴り止むことはなかったため、目に付いた死霊術の本を数冊掴んで再び駆け出す、が、
「おっと、悪いモンにでも憑かれたか? お前がこんなことするなんてな」
「――先生……!」
相対するはローレンツ。ハインベルでセシリアに技を教えた本人であり、故に彼女は絶対に勝てないことを知っていた。そして、絶対に逃げられないことも。
「無駄な抵抗はしないでくれよ。今なら軽い罪で済む。お前の家名と能力、そして成績なんかを考えれば、公にしないことだって……」
セシリアはもう止まらない。止まれない。罪が軽くなろうが重くなろうが、凡そ彼女には関係がない。
イヴェルを構成していた素因が霧散する前に、蘇生の術式を組み、実行しなければならない。それは彼女にしかできないし、彼女にしか機会がない。
「――加速」
「おいおい、面倒な仕事を増やすなよ。賢いお前のことだ、ただ俺とかけっこしようってわけじゃないんだろ?」
「――土鎖!」
単純に見える三本の土の鎖。ローレンツは心底面倒くさそうに溜息を吐くと、腰の剣を抜き切り払った。
だがその行動が、わざわざ解呪を使うまでもないという余裕が、セシリアに次の魔術を使わせるだけの時間を生んだ。
「白煙!」
「お――!」
一帯が真っ白い煙に包まれる。盗賊などが好んで使う、決して上品とはされていない魔術。まさかそれを使われるとは思っていなかったのか、ローレンツの行動が一瞬遅れる。
セシリアは勝ちを確信した。アルティースト家の厩舎に、姉のエクィトスが繋がれている。それに乗れさえしてしまえばこちらのものだ。あれはシレンシアでも屈指の足の速さを誇るし、そこまでの最短経路はもちろん頭に入っている。
だが。
「……っ!?」
煙を抜けた直後、両脇から腕を掴まれた。当然ローレンツは一人ではなかった。前後左右全て、図書館を取り囲むように部下の兵士が待機していた。
「お嬢様があんな魔術を使うとは驚いたな。だが俺だってそこまで甘くない。禁書庫破り相手に一人で駆け付けるなんてしねーのよ」
風魔術で煙を吹き飛ばし、ローレンツがゆっくりと歩いてくる。打つ手なし、とは正にこのことだ。
魔術を使う素振りを見せようものなら、即座に両手両足の骨を折られて拘束される。ローレンツにはそれができる。
「んじゃ、今度こそ大人しく着いてきてもらうぜ。もう抵抗とか勘弁な。俺まだ飯食ってねえんだ、丁度これからってときに――」
轟音と共に衝撃。図書館の壁まで吹き飛ばされたセシリアは、両脇の兵がいなくなっていることに気付いた。
どうやら音の原因の魔術はローレンツを中心に起動されたらしい。兵士は全員気絶済み、ローレンツも少しふらついている。
動くなら今しかないのは明白だった。セシリアは壁に打ち付けた腰に���治癒すると、即座に立ち上がる。……と、目の前には意外な姿があった。
「――お嬢様、お逃げください」
「――ありがとう、クロード。ここは頼みましたわ」
「ナールの欠伸程度の時間は稼いでみせましょう。どうかご無事で」
クロードの言葉に頷き、セシリアは走り始める。
「やれやれ、存外厄介なお嬢ちゃんだ。――お前らはすぐにエクィトスで追え、魔力追跡が得意な奴が先導しろ。俺はこいつを牢屋に……いや……」
ローレンツは動けそうな部下の兵士に指示を出し、構えるクロードに向き直って数瞬考える。
「……殺していく。腹も減ってイラついてんだ。抵抗されれば殺しもやむなし、抵抗されなきゃ事故として処理、完璧だな」
「それは困りました。セシリア様のためにも、そう簡単には死ねませんので」
「おういいじゃねえか、その方がやり甲斐がある」
*
「目標確認! 拘束に入る!」
「後続の班は左から回れ! 我々が追い込む!」
「――繋檻!」
セシリアの姉――エリッツ・ララ・アルティーストのエクィトスは確かに���迅い。だはそれはエクィトスの扱いに長けたエリッツ自身が乗った場合の話であり、エクィトスを操ることに関して初心者に毛が生えた程度のセシリアでは、その速度を活かしきることができなかった。
対して相手はプロ中のプロ、魔力を辿って短時間で捕捉され、既にすぐ後ろまで詰められている。数では圧倒的に不利のため、追い付かれたら終わりだ。一般兵士ごときに捕まるわけにはいかない。あの場に残り、ローレンツを相手取ったクロードのためにも。
「――氷壁!」
「無駄だ――炎弾! 突破しろ!」
セシリアは後方に氷の壁を広げ時間を稼ごうとするが、エクィトスに跨りながらの魔術は安定しない。不慣れに加えて振り返りつつのことなら尚更だ。地図によればあと少しで迷宮のはずだが、その少しの距離が遠く、なかなか縮まらない。
反対に兵士のエクィトスとの縮まる一方だ。あと10メルト、9メルト、8メルト――
「さてさて、どうやら困っているようではないか?」
「――誰、ですの!?」
「この私に名を訊くか――顔も見ぬままに。やはり中々に見所がある」
頭のすぐ後ろからの声。だがセシリアには、最早振り返るだけの余裕もない。
「私とて本意ではない。元は己が欲のため魔族を皆殺しにせんとする者と契約する予定であったが、問題が起きたのだ」
返事をしないセシリアに、声は尚も語りかける。
「しかしそのような者は簡単に見つかるわけでもない。故に、貴様で妥協してやろうと言っているのだ。意思も無視して同族の友人を蘇らせようとする。十分ではないか?」
「先程から一体何なんですの? 仰っている意味が分かりませんし、貴方とお話している余裕もありませんわ――」
「――私の手にかかれば、後ろの愚民共を蹴散らすことなど訳ないということだ。断る理由などあるはずもないな。さあ、契約すると言え。今は略式で構わん」
契約という言葉を口にする人外に碌な者はいない。それは大抵魔物か、堕ちた精霊のような存在だ。
シレンシアでは常識としてそう教えられており、セシリアも例外ではなかった。だが、少しの会話によって精神汚染を許したセシリアに、それを意識することなどできるはずもない。
「ええ契約しますわ、ですが私の邪魔はなさらないで。私はイヴェルを救いに行かねばなりませんの」
「ならばついでに探してやるとしよう。行くぞ、下僕」
セシリアはそこでようやく気付く。自分の乗るエクィトス以外の蹄音が、いつの間にか消えていたことに。
急いでエクィトスを止め振り返った先には、嫌な笑みを浮かべた男が一人立っていた。
0
お気に入りに追加
76
あなたにおすすめの小説
【完結】王女様の暇つぶしに私を巻き込まないでください
むとうみつき
ファンタジー
暇を持て余した王女殿下が、自らの婚約者候補達にゲームの提案。
「勉強しか興味のない、あのガリ勉女を恋に落としなさい!」
それって私のことだよね?!
そんな王女様の話しをうっかり聞いてしまっていた、ガリ勉女シェリル。
でもシェリルには必死で勉強する理由があって…。
長編です。
よろしくお願いします。
カクヨムにも投稿しています。
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
聖なる幼女のお仕事、それは…
咲狛洋々
ファンタジー
とある聖皇国の聖女が、第二皇子と姿を消した。国王と皇太子達が国中を探したが見つからないまま、五年の歳月が過ぎた。魔人が現れ村を襲ったという報告を受けた王宮は、聖騎士団を差し向けるが、すでにその村は魔人に襲われ廃墟と化していた。
村の状況を調べていた聖騎士達はそこである亡骸を見つける事となる。それこそが皇子と聖女であった。長年探していた2人を連れ戻す事は叶わなかったが、そこである者を見つける。
それは皇子と聖女、二人の子供であった。聖女の力を受け継ぎ、高い魔力を持つその子供は、二人を襲った魔人の魔力に当てられ半魔になりかけている。聖魔力の高い師団長アルバートと副団長のハリィは2人で内密に魔力浄化をする事に。しかし、救出したその子の中には別の世界の人間の魂が宿りその肉体を生かしていた。
この世界とは全く異なる考え方に、常識に振り回される聖騎士達。そして次第に広がる魔神の脅威に国は脅かされて行く。
転生したら脳筋魔法使い男爵の子供だった。見渡す限り荒野の領地でスローライフを目指します。
克全
ファンタジー
「第3回次世代ファンタジーカップ」参加作。面白いと感じましたらお気に入り登録と感想をくださると作者の励みになります!
辺境も辺境、水一滴手に入れるのも大変なマクネイア男爵家生まれた待望の男子には、誰にも言えない秘密があった。それは前世の記憶がある事だった。姉四人に続いてようやく生まれた嫡男フェルディナンドは、この世界の常識だった『魔法の才能は遺伝しない』を覆す存在だった。だが、五〇年戦争で大活躍したマクネイア男爵インマヌエルは、敵対していた旧教徒から怨敵扱いされ、味方だった新教徒達からも畏れられ、炎竜が砂漠にしてしまったと言う伝説がある地に押し込められたいた。そんな父親達を救うべく、前世の知識と魔法を駆使するのだった。
異世界転移しましたが、面倒事に巻き込まれそうな予感しかしないので早めに逃げ出す事にします。
sou
ファンタジー
蕪木高等学校3年1組の生徒40名は突如眩い光に包まれた。
目が覚めた彼らは異世界転移し見知らぬ国、リスランダ王国へと転移していたのだ。
「勇者たちよ…この国を救ってくれ…えっ!一人いなくなった?どこに?」
これは、面倒事を予感した主人公がいち早く逃げ出し、平穏な暮らしを目指す物語。
なろう、カクヨムにも同作を投稿しています。
地獄の手違いで殺されてしまったが、閻魔大王が愛猫と一緒にネット環境付きで異世界転生させてくれました。
克全
ファンタジー
「第3回次世代ファンタジーカップ」参加作、面白いと感じましたらお気に入り登録と感想をくださると作者の励みになります!
高橋翔は地獄の官吏のミスで寿命でもないのに殺されてしまった。だが流石に地獄の十王達だった。配下の失敗にいち早く気付き、本来なら地獄の泰広王(不動明王)だけが初七日に審理する場に、十王全員が勢揃いして善後策を協議する事になった。だが、流石の十王達でも、配下の失敗に気がつくのに六日掛かっていた、高橋翔の身体は既に焼かれて灰となっていた。高橋翔は閻魔大王たちを相手に交渉した。現世で残されていた寿命を異世界で全うさせてくれる事。どのような異世界であろうと、異世界間ネットスーパーを利用して元の生活水準を保証してくれる事。死ぬまでに得ていた貯金と家屋敷、死亡保険金を保証して異世界で使えるようにする事。更には異世界に行く前に地獄で鍛錬させてもらう事まで要求し、権利を勝ち取った。そのお陰で異世界では楽々に生きる事ができた。
外れジョブ「レンガ職人」を授かって追放されたので、魔の森でスローライフを送ります 〜丈夫な外壁を作ったら勝手に動物が住み着いて困ってます〜
フーツラ
ファンタジー
15歳の誕生日に行われる洗礼の儀。神の祝福と共に人はジョブを授かる。王国随一の武門として知られるクライン侯爵家の長男として生まれた俺は周囲から期待されていた。【剣聖】や【勇者】のような最上位ジョブを授かるに違いない。そう思われていた。
しかし、俺が授かったジョブは【レンガ職人】という聞いたことないもないものだった。
「この恥晒しめ! 二度とクライン家を名乗るではない!!」
父親の逆鱗に触れ、俺は侯爵領を追放される。そして失意の中向かったのは、冒険者と開拓民が集まる辺境の街とその近くにある【魔の森】だった。
俺は【レンガ作成】と【レンガ固定】のスキルを駆使してクラフト中心のスローライフを魔の森で送ることになる。
転生ヒロインは不倫が嫌いなので地道な道を選らぶ
karon
ファンタジー
デビュタントドレスを見た瞬間アメリアはかつて好きだった乙女ゲーム「薔薇の言の葉」の世界に転生したことを悟った。
しかし、攻略対象に張り付いた自分より身分の高い悪役令嬢と戦う危険性を考え、攻略対象完全無視でモブとくっつくことを決心、しかし、アメリアの思惑は思わぬ方向に横滑りし。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる