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第十二話 諦めきれない想い

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 楽しそうに、父はふふっと口元を緩めた。
 息子のそんな話が、とも思ったけど、そもそもこんな時間、今までなかったから。
 じっと父さんを見つめれば、コーヒーをごくんっと飲み干すところだった。

「なんだ?」
「もし、もしだよ」
「おう」
「いつも連絡してた子が、隠してたことを知って、連絡できなくなったらどうする?」

 自分のことを隠して話してるというのに、心がむず痒い。
 マリンからの連絡がないだけで、焦るくらい俺は、マリンとの時間を楽しんでいた。
 むしろ、この夏休み中、マリンのことしか考えていなかったかも。

「そうだなぁ……その隠してたことにもよるんじゃないか?」

 誤魔化して答えるのには、限界だ。
 父さんなら、打ち明けてもいい。
 笑われないだろうし。
 湊音のことを知ってて、黙って見ててくれたくらいだし。

 ぎゅうっと握りしめた手のひらが、白く染まるのを見つめる。
 顔をバッと上げれば、優しい目が俺を見つめていた。

「俺さ、湊音の炎上で消した、だろ」
「そうだな」
「で、ある女の子と出会って。その子は、誰かに私は元気だよって伝えることで、元気になってほしいって言ってたんだ」

 そこまで、言葉にして、ふと勘違いしそうになった。
 俺だった……?
 まさか、そんな、だって、俺にはマリンの記憶がない。
 でも、由良海岸の写真の話も、落ち込んでいた時期も合致する。

 まさか、まさか。
 何度も否定して、期待が胸の奥から迫り上がってくる。
 マリンは俺を元気づけたくて、ここまで来た?
 
 一人でぼうっと考えていれば、父さんは続きを促した。

「その人に会いに、鶴岡に来たらしいんだ。で、その子の提案で、一緒に動画を撮ってたんだ、その夏休み中」
「だから、楽しそうだったのか」

 父さんが見てもわかるくらい、俺は浮かれていたらしい。
 それもそうか。
 マリンに会うのが、楽しくて仕方なかった。
 湊音をやめて、この世の全てがつまらなく感じていた中で、唯一の希望だったから。

「そう、楽しかったんだ。それが、俺が湊音だって伝えたら、連絡が取れなくなった」

 マリンからの連絡がなくなるだけで、こんなに不安な気持ちになる。
 いつしか、マリンと会って話すのが、それくらい楽しみでしょうがなくなっていたんだ。
 
「お前が湊音だったのが、ショックだったのか?」
「かもしれない。そして、その後に自分のことを知らないか? って聞かれた」

 そこまでわかってるのに、答えが出ない。
 マリンという名前は、俺の記憶にないから。
 俺が弄んだと言われてるうちの一人だったんだろうか。
 いや、マリンはそんな勘違いを起こして、ストーカー紛いのことをするような……
 俺はマリンのことを知らない。
 好きだから、勝手なフィルターで見てる可能性もある。

 息をぐっと飲み込めば、視界がぼやけた。

「関わってたんじゃないのか、その湊音の時に」
「記憶にないんだよ。女の子とやりとりした記憶もないし……」

 炎上する前から徹底していたのは、女の子とのやりとりをあまりしないことだった。
 最初の頃は、リプライにお礼を送ったりもしたけど。
 ネットストーカーの子からのDMが、増えるからやめた。

 それに、コメントをくれる人。
 リプライをくれる人。
 何回も送ってくれる人は、ほとんど覚えている。
 コメントをくれていなかったりしたら、わからないけど。
 マリンの口ぶり的に、そんなわけはないだろう。

「詳しい人いないのか、そのお前の視聴者に」

 一人だけ、ぼんやりと浮かぶ。
 でも、頼れる相手ではない。
 力なく首を横に振れば、父さんはすうっと息を吸い込んで言いづらそうに小声を出した。

「その炎上や、湊音の発言で傷ついた可能性もあるんだよな?」

 俺は、絶対に誰かを特別扱いしたことはない。
 それでも、あぁいう炎上が起きた以上、真実かどうかは、他の人にはわからないだろう。
 マリンも、自分が湊音の特別だと思っていて、覚えていてくれないということに幻滅したのか。

 ……可能性はゼロではない。

「まずは、その炎上を解決するのも必要かもな」

 マリンとのカップルチャンネルが、プチ炎上した時を思い出す。
 俺は悪いことをしたとは、思っていない。
 それでも、気づいていないだけで、傷つけてきた人がいるのかもしれない。

「そうだね」

 父さんの言葉に頷けば、父さんはぐっと手を伸ばして俺の頭をわしゃわしゃと撫でた。

「いつだって、父さんは味方だ。たとえ、また炎上しても、父さんだけは絶対味方だからな」

 こくんっと、大きく頷く。
 一人で立ち向かうのは、怖い。
 だから、たとえネットに疎い父さんでも、味方だと言ってくれるのは、心強い。

 ズボンのポケットでスマホが、通知を鳴らす。
 マリンからの返信か、と思って慌てて、取り出した。
 焦りすぎたせいで、スマホがするする滑ったけど。

 画面に目を映せば、ミツルの文字だった。
 ミツル……
 マリンにも会ってるし、カップルチャンネルも知ってる。

 メッセージには『更新ないけど、どうした?』と、書かれていた。
 返事を打ち込もうとした瞬間、もう一通届く。

『マリンちゃん、駅で見かけたけど帰るの?』
『いますぐ、引き止めてくれ!』

 それだけ、送ってスマホをポケットに押し込む。
 父さんの顔を見つめて、両手を大袈裟に合わせた。

「駅まで送って」
「急だな」
「その子が駅にいるらしくて、今行かないともう会えない気がするんだ!」

 父さんは、力強く立ち上がって、車の鍵を取り出した。
 そして、俺の方を一度見てから、目を細める。

「急ぐぞ」
「ありがと」

 店を出れば、潮風が背中を押す。
 急いで父さんの車に乗り込んで、シートベルトを閉めた。
 父さんはすぐに、車を発進させる。

 ミツルからの返信を、スマホを握りしめて待つ。
 待てども待てども、返事は来ないが。
 風で揺れる木々の間を通り抜けて、波が岩にぶつかる海に願いを掛ける。

 人魚姫みたいな結末は、ごめんだ。
 泡になって消えたまま、もう二度と会えないだなんて。

 海に溶けていく太陽を眺めながら、マリンの笑った顔ばかり頭に浮かんだ。

 駅に着くまで、やけに長く掛かった気がする。
 三十分も掛かっていないはずなのに、永遠のように長く感じられた。

「父さん、ありがとう!」
「待ってるか?」
「大丈夫、バスで帰る!」

 父さんに手を振って、走り出す。
 駅の中にいるかどうかも、わからないのに。
 駅構内は、観光客がまばらに歩いている。
 広くないはずなのに、見渡してもミツルもマリンも見当たらない。

 スマホでミツルに電話を掛ければ、すぐに出た。

「ごめん、見失った」

 はぁはぁっと息切れしてるミツルの声に、今の今まで探してくれていたことを察する。
 もしくは、追いかけていたか。

「どこらへんにいた?」
「電車は乗ってないと思う。駅の構内で見つけたんだけど、外に出て行ったから」
「とりあえず、俺も駅着いたから、合流しないか?」

 提案すれば、ミツルはいつものカラオケ店の近くにいるらしい。
 撮影に使用していたカラオケ店。
 中で、一人で撮影してる……?

 少しでも可能性があるなら、諦めたくなかった。
 すぐに駆け出して、カラオケ店の前に向かう。
 やけに強い風に、髪の毛を乱されながら進んだ。

 ミツルの姿を見つけて、駆け寄れば、ミツルは膝に手を当てて息を整えていた。

「ごめん、見かけた時に声掛けてれば」
「いや、ミツルは何も知らないのに、追いかけてくれて助かったよ」

 事情説明もそこそこに、カラオケ店に入る。
 冷房の効いた店内は、ひんやりとしていて心地よい。

「学生二名で、空いてる部屋ならどこでもいいです!」

 適当な注文をして、通された部屋に入る。
 ミツルは、説明も聞かず、ただ俺の後を着いてきてくれた。

「ちょっと探してくる」
「はぁ? 探してくるって、覗くのかよ」
「それしかないだろ!」
「それは、通報されるぞ、ソウ」

 わかってる。
 わかってるけど、マリンを探すにはもうそれしかない。
 ここのカラオケに居るかどうかも、賭けでしかないけど。

 ふと、覗き込んで店員に声を掛けられていた変質者を思い出した。
 さすがに、警戒されてるかもしれない。

「とりあえずドリンクバー行ってくる」

 部屋を出て、人が入ってる部屋を確認する。
 近いところでは、三部屋。
 ドリンクバーまで移動して、見回せば二部屋。

 何を入れるか迷ってる小芝居をしながら、目だけをキョロキョロと動かす。
 どこの部屋も出てくる気配は、ない。
 入れた水を一度捨てて、もう一度、どれにしようか指を何往復もさせる。

 一部屋、ガチャっと空いた音がして、振り返れば、女子高生二人組が俺を見ていた。
 バッチリと合ってしまった目を逸らせば、ヒソヒソ声が聞こえる。
 完全に、俺が変質者だと思われているだろ、これ。

 ジンジャエールを注いで、逃げるように部屋に戻る。

「ミツル、ごめん付き合わせて」
「覗きはできないもんなぁ」

 ミツルにジンジャエールを手渡せば、ごくごくっと一気に飲み干した。
 そして、コップを頭の上に掲げて、立ち上がる。

「じゃ、次は俺が取りに行ってくる」
 
 感謝しながら、俺も自分のジュースをゴクゴクと飲み干す。
 ミツルが帰ってきたら、次は俺が取りに行こう。
 そう考えた瞬間、スマホがポケットの中で震えた。

 取り出して画面を見れば、ずっと、見たかった名前。

『ごめんね、帰ることにした。今まで付き合ってくれて、ありがと』

 その言葉だけ、だった。
 慌てて電話をかけても、やっぱりトゥルルルルという音だけで、返事はない。
 メッセージを送っても既読も、付かない。

 扉が開く音がして顔を上げれば、ミツルが戻ってきた。

「女子高生からクレームがって、店員さんに声掛けられちゃっ……どうしたの?」
「マリン、帰ったって」

 スマホを、ミツルに渡す。
 もう何も考えられなかった。
 頭が真っ白で、何を口にしていいかもわからない。

「ケンカでもしたのか? 追いかけてくれって言うのも」
「ケンカなら、よかったな」

 ケンカならごめんって、謝って、俺はマリンと仲直りをした。
 夏休みの期間しか、一緒にいれないことがわかってるから。
 ケンカですらなく、マリンは俺に何も言わずに消えようとしてる。

「詳しく教えろよ」

 うまく回らない頭で、今までのことを説明する。
 俺が『湊音』という歌い手をしていたこと、『炎上』のこと、そして、マリンに「わからない?」と聞かれたこと。
 全てを一から口にすれば、俺のバカさ加減に腹が立ってきた。

 ミツルは静かに、頷きながら俺の話を聞いた後、俺のスマホを振りながら問いかけてきた。

「その湊音のアカウントは復活できないのか?」

 SNSのアカウントは、三十日間は消えないはず。
 ミツルの手からスマホを奪い取るように、引っ張った。
 アカウントにログインしてみれば、すんなりと表示が戻ってくる。

「マリンって名前を探そうぜ」

 ミツルの提案で、気が遠くなるほど投稿をスクロールした。
 それでも、リプライには、マリンという名前はいない。
 誹謗中傷の文字を見るのが怖くて後回しにした、DMを開けば一番上に居るはずの海夢も消えていた。
 俺が辞めた後に、海夢も消してしまったのか。
 少し残念に思いながら、DMを遡る。

 想像していたよりも、暴言やストーカーの文字は頭に入ってこない。
 マリンの形跡を探す方が、俺にとっては大事だった。

 一番下までスクロールし終わって、肩を落とす。
 ミツルは、俺の肩を慰めるようにトントンと叩いた。

「マリンを他に知ってそうな人はいないのか?」

 父さんと同じ質問に、ネットストーカーが思い浮かんだ。
 マリンが落ち込んでいた原因のコメントを、必死に思い出す。
 また、って書いてなかったか……?

 スマホで動画コメントを開けば、『また、マリンかよ。鬱陶しい』という一文を見つける。

「マリンのこと、知ってる……」
「その、ソウが、炎上する原因になった子?」

 ミツルは言いづらそうに口にしてから、スマホを覗き込む。
 そのコメントを指でなぞりながら、読んでいく。
 
「また、マリンかよ、って書いてる」

 ネットストーカーは、マリンのことを知ってる。
 俺の記憶にはない。
 でも、この人の記憶には、ある。
 
 あるとして、どうする?
 DMを送ったところで、普通には、答えてくれないだろう。

「連絡してみるか? ソウは怖いかもしれないけど」

 ミツルの提案に、喉が締め付けられる。
 怖い。
 怖いけど……
 俺は、まだ、マリンとの縁を諦めたくない。

 マリンが電車に乗り込むイメージが、浮かんで、呼吸が乱れた。
 このまま、二度と会えなくなって、たまるか。
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