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第六話 ちょっとした、炎上騒動

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 物産館を二人で見て回る動画は、そこそこの閲覧数が付いた。
 観光したい人や、カップルチャンネルを見たい人、いろんな層に合致したのだと思う。
 そこそこと言っても、百を超えたくらいだ。

 歌ってみた動画を上げていた時とは、桁が違う。
 それなのに、穏やかで、反応が楽しみで仕方ない。
 歌っていた時は、気にしたことがなかったことに気づいた。

 夜の海は、相変わらず、落ち着いて静かだ。
 波が押し寄せて、岩にぶつかり跳ねる。
 防波堤の上から、海と空が交わってるのを見つめた。

 ちゃぷん。
 ザブーン。

 音に耳を澄ませていれば、俺の胸中は正反対に焦燥が募る。
 あぐらをかいた足が、ブルブルと震えていた。
 
 問題になっていたのは、物産館の後に撮影した一万円チャレンジの動画。

 お土産屋さんの中で、お互い五千円ずつ買い込み、撮影中に食べ切る。
 予定だった。

 二人してお腹に溜まるものを買ってしまったため、食べきれずに残した。
 もちろん、捨てることはしなかったし、持ち帰って各々食べたり、会うたびに消費はしている。
 今だって、防波堤に座り込んで俺はあたりめをガジガジと噛み締めていた。

 マリンと待ち合わせの時間までは、あと数分ある。
 それでも、早く来てくれと祈ってしまう。

 最初に気づいたのは、異常な再生数だった。
 百回を超えるか超えないかだった、再生数が千回を示していた。
 初めは、お土産って意外に需要があるんだなぁと見ていた。

 全てが間違いではなく、お土産に需要もあったんだけど。

『食べきれていないじゃん』
『もしかして、捨ててる?』

 そんなコメントが書き込まれているのを、見つけた。
 瞬間、背中から血の気が引いて、凍りつく。
 マリンに速攻でメッセージを送れば、『見た。SNSにも書かれてるみたーい』とふざけたように返事が来る。

 マリンはあっけらかんと普通のことの様に答えていたけど、俺は気が気じゃなかった。
 歌をあげていた時の記憶が蘇り、胃の奥がぐうっと締め付けられる。
 情けない声と共に、胃液だけを吐き出した。

 背中をトンっと叩かれて、振り返ればヒレを手に持ったマリン。
 そして、俺の手に押し付ける。

「ソウくんは、気にしすぎなんだって」
「いや、だって」
「とりあえず、いいから、これつけて。はい、足あげて」

 あぐらを無理矢理、崩されて足にスポンとヒレを付けられる。
 立ち上がることも、座り直すこともできずに、足を動かせばビタンビタンのヒレが音を鳴らした。

「よし、海にはいろ」
「は?」
「いいから!」

 俺の両脇に手を突っ込んで、引きずる様に階段に近づいていく。
 投げ入れられる! と構えれば、マリンはそのまま俺を置いて海に入った。

「ほら、早くしてよ」

 階段を一段一段、お尻で降りれば海にヒレがつく。
 足を微かに動かせば、ひんやりとした海の雫が頬に飛びかかった。

 待ちきれなくなったマリンが、俺の手をおもいきり引く。

 バシャン。

 大きな音を立てて、海に引き摺り込まれる。
 顔からダイブしたせいで、鼻に塩水が入った。
 
 慌てて顔を、水面から出して呼吸をする。
 浮遊力で浮き輪するが、足を塞がれてるせいで動けない。

 マリンは、器用に泳いでいたことを思い出して、尊敬の念を込めて見つめる。
 教えを乞うてるように勘違いされたらしく、俺の両手を掴んでレクチャーし始めた。

「太ももから足先までくっついてるイメージで、下半身でウェーブするの、わかる? バタ足じゃなくて、うねる感じ」

 抽象的な説明を聞きながら、足を動かしてみる。
 両足でバタバタと海を揺らすだけだった。

「人魚って、こう、何魚みたいに全身うねらせて泳ぐでしょ!」

 マリンの説明に、魚の泳ぎ方を思い出す。
 一旦全身の力を抜いて、浮く。
 そこから横にして、全身で渦を足の方に押すように体をうねらせた。

「お、うまいじゃん」

 マリンは他人事のように俺の横で、スクロールしながら泳ぐ。
 一度コツを掴めば、すんなりと進めるようになった。
 むしろ普通に泳ぐより、優雅に見える気さえする。

「落ち着いた?」

 マリンの声に、パッと顔をあげる。
 マリンが手で、星を掬ってる最中だった。
 あまりの美しさに、息が止まる。
 本当に、人魚がいたら、マリンみたいな姿をしてる気がする。

 炎上のことが、すっかり頭から離れて、呼吸が浅く普通に戻っていた。

「プチ炎上はしちゃったから、しょうがないよねぇ」
「それで、いいのかよ」
「良くも悪くもないけど、どうにもならないでしょ」

 マリンは手の中の星を慈しむように見つめて、唇を緩める。
 炎上のことなど、一ミリも気にしていないようだった。

 俺はこんなに焦ってるのに、という気持ちも湧いた。
 でも、焦ったところで、どうにもならないのは確かだ。

「だから、明日、謝罪動画撮ろうか」
「それで収まる、か?」

 謝罪動画という言葉に、胸がぞわりとする。
 俺たちが悪いわけじゃないのに。
 だって、無駄にしたわけでもない。
 俺たちは映像内で食べきれなかっただけで、何一つ捨ててないんだ。

「悪かったことは素直に謝ろう」

 マリンの言葉に、首を横に振る。
 俺たちに悪かった点は、あったか?
 そう言いたかった。

「勘違いさせたのは、すみませんでしたって。ちゃんと食べてます。証拠はこれだけど、見た人たちが新しく買ったものがどうかはわからないから、素直に勘違いさせ誠に関して謝罪しますって伝えようかなって」

 マリンなりに、しっかりと考えていたらしい。
 俺はただ焦って、どうしようどうしようと海を見ていただけの間に。
 マリンの大人な対応に、ため息が出た。

「どうして、そんな割り切れるんだよ」

 俺は、割り切れなかった。
 悪くないのに、勝手に勘違いしたネットストーカーに燃やされて、腹が立った。
 俺の大事な居場所を奪いやがってと、怒鳴りつけたかった。

 でも、それをしたところで、炎上した事実は変わらない。
 それに、離れていった人たちは帰ってこないだろう。
 だから、諦めて、耐えて、耐えきれなくなって、逃げ出した。

「えー、だって、多くの人に見てもらうのは、一人に見てもらうためだもん」

 マリンがザプンっと海に、潜り込む。
 マリンが探しに来た好きな人。
 その存在の大きさに、心臓がぎゅうっと締め付けられた。

 その人に見てもらうためなら、事実と異なる謝罪も厭わない。
 そこまで、その人に想いを寄せる理由を知りたかった。

 夏とは言え、ずっと海に浸かっていれば体がふやけて冷えてくる。
 ブルっと上半身を震わせれば、潜っていたマリンは浮き上がってきて俺の手を取った。

「寒くなってきたね、上がろっ!」

 マリンの唇も、うっすら紫色になってきてる気がする。
 外が暗いせいで、よくは見えていない。
 階段まで泳いで辿り着き、腹這いで海から出る。
 濡れた体に、風が吹きつけて、ますます寒く感じた。

 マリンに渡されたタオルで体を拭き取れば、幾分かマシになった。
 足のヒレを取り去って、階段を登っていく。
 防波堤の端で足を投げ出して座る。

 マリンも隣に座り込んで、ブランケットを羽織った。
 そして、寒そうにしてる俺に気づいて、半分貸してくれる。

「マリンは、どうしてその人を好きになったんだ?」

 答えを知りたい気持ちと、知りたくない気持ちが胸の中で揺れ動く。
 マリンの好きな人の話なんて、聞きたくない。
 それでも、そこまでの想いを寄せられる理由は知りたかった。

「えー、おもしろくないよ」
「面白いも、面白くないも、関係なく知りたい」

 素直に口にすれば、マリンは「うーん」と小さく唸る。
 そして、星空を見上げて、ポツポツと語り出した。

「声がコンプレックスって、言ったでしょう?」
「言ってたな」

 俺は鈴の鳴るような可愛い声だと、思っていたけど。
 でも、ボイスチェンジャーでわざわざ編集してるくらいのコンプレックスなことも、知ってる。

「学校で、いじめられてたんだよね、私」
「えっ」

 明るくてニコニコと笑うマリンからは想像がつかない言葉に、つい驚いてしまった。
 マリンは俺の方を向いて、あははっと乾いた声で笑う。
 痛々しい瞳には、傷ついた感情が浮かんでいた。

「ぶりっこしてる、とか、男好き、とか、言われて嫌われてたんだよね、クラスメイトたちに」

 声だけじゃなく、マリンの人を惹きつける魅力もある気がした。
 でも、それを言うのは、今は意味がない。
 だから、黙ったまま、相槌をうつ。

「そんな時に男のフリをして、ネットで活動を始めたんだよね。女として見られることが嫌になって」

 しゅんっと眉毛を下げたマリンが、手をぐーぱーぐーぱー握りしめる。
 思い出したくない記憶かもしれない。
 それでも、マリンの話が聞きかった。
 
「それは……」
「女だから、男に媚び売ってるとか。男好きだから、声作ってるとか、色々言われるの、しんどくてさ。女じゃなくなりたいって思っちゃったの。でもまぁ、好きな人は男だし、女の自分も好きなんだけど。人間になりたかったんだ、本当は」

 人間になりたかった。
 少しだけ、気持ちがわかる。
 男だから、ファンの女の子を弄んだと思われたし、これだから男は、とも何度も言われた。

 人間として見てくれればいいのに、そう願っていた。
 好きな人は……その当時は居なかったし、恋としてファンの子を見てることはなかった。
 そういう煩わしさもあったから、わざと歌以外ほとんど何もしていなかった。
 それでも、周りの勝手な想像で炎上してしまったけど。

「で、その人は私に何も言うでもなく寄り添ってくれたんだよね。辛いことをポロッとこぼしちゃったの。そしたら、大丈夫?って一言優しく聞いてくれた」

 大丈夫? の一言に、救われることもある。
 俺自身が、その事を身をもって体験してた。
 だから、マリンの気持ちが痛いほどわかる。
 そして、大丈夫? に詳しく答えたくない気持ちも。

 マリンは、パッと顔を上げて、星空を見上げる。
 まるで、愛しいものを見つめるような優しい表情になっていた。
 
「そのあとは、私が話さなければ深く聞かないで、普通の雑談みたいなやりとりを続けてくれたの」
「無理に聞き出さず、マリン自身の気持ちを尊重してくれたってことか」

 俺だったら、できるだろうか。
 俺も、星空を見上げる。
 チラチラと星が瞬きをして、存在をアピールしていた。

 何も言えないと思って、ただ、普通に接することもあったかもしれない。
 
「そう。深追いもしないで、ただ普通の態度で居てくれた」

 嬉しそうにはにかみながら、思い返しながらマリンはゆっくりと口にする。
 指折り数えるように。

「歌とか、イラストとか。その時の私の気持ちを楽にしてくれるようなのを、ちょっとずつSNSに投稿してくれて」

 ふぅっと息を細く吐き出して、膝に頬を乗せた。
 そして、遠くの方にその人を思い浮かべながら、優しい声色で呟く。

「気遣ってくれてるのが、わかったんだよね」

 遠回しな気遣いに、救われたってことか。
 直接、救いの手を差し伸べるだけが、優しさじゃない。
 
 相手も、マリンも、お互いのことが唯一無二の存在だったんだと思う。
 想像してみて、悔しくて唇を噛み締める。
 入り込む隙間、一ミリもねーじゃん。

「その人が楽しそうに嬉しそうにしてるだけで、私も元気をもらえたんだ。だから、落ち込んでるその人には、元気な私の姿を届けたいんだよね。名前で気づいてくれないかなぁって淡い期待を込めて」

 マリンという名前は、そう珍しくもない気がする。
 見かけることは多々あったし。
 
「マリン……?」
「本名じゃないの、マリンって」

 マリンの告白に、ちょっとだけびっくりした。
 あまりにも名前が馴染んでいるから、本名だと思い込んでいた。

「そうだったんだ」
「まぁ、マリンって名前もたくさんいるから、気づいてくれるかは賭けだけどね」

 にししといつもの、笑顔を見せるマリンに、胸が掴まれた。
 呼吸がうまくできず、ヒューっと喉が微かに鳴る。
 恋か、どうかは、答えられないけど、俺の中でマリンはもう特別な人になっていた。

 ふと、一番最初に会った時の話を思い出す。
 
「その人は、鶴岡の人なの?」
「気持ち悪い、ことを言うけど、引かない?」
「引かねーよ」

 引かないと言ったのに、マリンは言いづらそうに口をもごもごさせる。
 黙ってマリンの言葉を待てば、膝を抱えてうずくまり始めた。

「……の!」
「な、なに?」

 掠れた声で、語尾しか聞き取れない。
 聞き返せば、マリンは目だけこちらに向けて、じいっと俺を見上げる。

「投稿してた写真に映ってたの」
「鶴岡のものが?」
「由良海岸」

 あー、っと頷きたくなる。
 俺も学校が半休の時に、行ったことがあるな。
 赤い橋が特徴的だから、一目見れば確かにわかってしまう。

「でも、旅行とかだったかもしれねーじゃん」
「それはない! 学校が半休だからって書いてたから」

 鶴岡の男子学生、あるあるなのかもしれない。
 まぁ、暇を持て余したらここら辺の人間は、海に行こうぜってなるから。
 それだけで、相手が誰かを探るのは難しい。

「気持ち悪いでしょ。まるでストーカーみたい。心配して勝手に地元にまで来て……」

 恥ずかしそうにどんどん、声は小さくなっていく。
 そして、顔を膝に完全に埋めて、マリンは黙り込んでしまった。

「俺だったら、嬉しいよ!」

 心の底から、本当にそう思う。
 そこまで一途に、マリンから思われることが羨ましい。
 一方的な押し付けじゃなく、思いから会いに来てくれることが。
 俺だったら、多分、嬉しい。
 それに、ストーカーというのは……もっと、ジメジメと、心を締め付けてくるものだ。

 一方的に勘違いを起こして、炎上させるようなことをした俺のストーカーと。
 自分自身をストーカーみたいだ、と恥ずかしがるマリンを比べてしまう。
 マリンは押し付けたくないけど、心配でここまで会いに来た。
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