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生活感の薄い家-1

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 ワタくんの家は、静かな住宅街の一角にあった。
 大きめの一軒家、庭付き。
 ワタくんの仕草から、お金持ちの家の子っぽいなとは、思っていたけど、合っていたらしい。

 ワタくんは私の前を歩きながら、ポケットから鍵を取り出す。
 いつものことのように鍵を開けて、私に手招きをした。
 雑草が生茂る庭を通り過ぎて、玄関に近づく。

 扉から見える玄関には、靴が一つもない。
 丁寧な暮らし方をしてるのかもしれない、それでも、違和感がある。
 人がまるで、暮らしていないみたいな。

 家の中に入れば、透き通ったハッカのような香りがする。
 つい、すんすんと鼻を動かしていたみたいでワタくんは眉毛を顰めた。

「変な匂いする……?」
「あぁ、ううん、いい匂いだなって」
「いい匂い……?」

 すんすんと私みたいに鼻を動かして、ワタくんは確かめ始める。
 そして、首を傾げて、私をじいっと見つめた。
 変だと思われてるのがわかって、恥ずかしくなってくる。
 窮屈な靴を脱いで、家に上がらせてもらう。

 どこにも電気はついていなく、ひんやりとした空気が漂っていた。

「ご家族、本当にいないんだ」
「父さんは出張、母さんは単身赴任中」
「あ、仕事忙しいんだね、ごめんごめん」
「とりあえずお風呂溜めてくるよ」

 ワタくんは、家族のことに触れられたくないのか、サラッとだけ答えて、扉を一つ開けて入っていってしまった。
 私はどこで待っていればいいかもわからず、ただ、玄関で立ち尽くす。
 勝手に扉を開けるのも……変だし……

 玄関には、靴箱の上にスペースがあるのに置物や写真などは一切ない。
 見渡す限り余計な装飾がなく、生活感がどこにも感じられなかった。

 すぐにワタくんは出てきて「ごめん」と呟いて、今出てきた部屋の向かいの扉を開ける。
 パチンと電気を付けてくれたので、中の全貌が目に入った。

「ここがリビング」

 四人がけのダイニングテーブルに、シンプルなソファとテレビ。
 キッチンは、扉もなく繋がっているようだった。
 ワタくんがキッチンに入っていくから、後ろをついていく。

「お腹空いてる?」
「ちょっとだけ」

 他人の家に入ったことが、小学生以来だ。
 どう動いていいのかも、このカバンをどこに置くかもわからず、ただひよこみたいにワタくんの後ろを着いて回る。

「カバンとか置いていいのに」
「どこに?」
「え?」
「あ、いやごめん」

 部屋の隅っこの方に、ちょんと置けば、ワタくんは肩を震わせている。
 睨むように見つめれば「ごめんごめん」と軽く謝られた。

「友だちの家とか行ったことないんだね」
「友だちは、ワタくんとサイトウさんしかいないからね」

 ツンっと答えれば、ワタくんはシンクで水を出して手を洗い始めた。

「手伝う」
「いいよ、待ってて、テレビ見る?」
「ワタくんが作ってるの見る」
「えー、わかった。野菜だけ洗って」

 タオルで手を拭きながら、私の方を振り返る。
 ワタくんに大きく頷いて、私もシンクで手を洗ってから野菜を洗い始めた。

 キッチンにも何ひとつ、物は置かれていなくて、まるでホテルみたいだ。
 手を洗い終えて、サイトウさんがくれた野菜たちを取り出す。
 下処理をしながら、ワタくんに話しかければ、ワタくんは鍋やフライパンを用意しながら手際よく料理を作っていく。

「ワタくんはずっと、一人なの?」
「まぁ、両親は忙しいから、居ることの方が少ないよ」

 寂しくないの? と聞きそうになって、口を噤んだ。
 それを聞くのはマナー違反な気がしたから。
 きゅうりをワタくんが出してくれた塩で、板摺りする。

「ワタくんは……」
「今日はみーちゃんが質問ばっかりだ」

 ワタくんは、はははっと笑いながら鍋をかき混ぜる。
 ふつふつと湧いたお湯の中に、採れたての枝豆を入れた。
 枝豆があっと言う間に、濃い緑色に変わっていく。

「みーちゃんは、家に帰ったら、死にたくなる?」

 枝豆をザルに上げながら、ワタくんはこちらをみないで聞く。
 私は、ワタくんの質問に答えたくなかった。
 なるといえば、きっとワタくんを傷つけてしまう。
 ワタくんは、私に生きててほしいから優しくしてくれて、友だちだと言ってくれてるんだから。
 わかってても、ちくんっと胸が痛んだ。

「答えたくないならいいよ」
「来世に期待したくなることないの?」

 ワタくんの質問には答えずに問い掛ければ、ワタくんは目を丸くしてやっと私の方を見つめた。

「来世なんて無いから」
「あるよ」
「来世より今世の方が信じられるだろ」

 吐き捨てるようにワタくんが言葉にして、卵焼きを焼き始めた。
 ジュっという音を立てながら、フライパンに油を広げていく。

「今世は希望がないから」
「それは、みーちゃん次第なんじゃないの?」
「なにそれ」
「助けてっていえば、助けてくれる人はたくさんいるよ」

 いないよ。
 誰も私のことを見ていないんだもん。
 いないよ、助けてくれる人なんて。
 ワタくんが助けてもらえるのは、愛があるからだよ。
 私には、ワタくんしかいない。

 ワタくんは、手際よく、くるっくるっと卵を巻いていく。
 私は包丁とまな板を借りてきゅうりを千切りにしていった。

「僕だって助けるし」
「ワタくんだけだよ、私には。だから、来世に期待するの。あとで生まれ変わって、会いにきてくれた犬の話読ませてあげる」
「みーちゃんは本当に信じてるんだ」

 ワタくんが驚いたように笑って、出来上がった卵焼きをお皿に盛り付ける。
 信じてなきゃ、やってられない。
 だって、どこもかしこも地獄だ。
 ある意味、地獄の方がマシかもしれないと思えるくらいに。

「ワタくんは、死にたくなることないの?」

 ずっと気になってた言葉を、きゅうりを見つめながら声に出す。
 きゅうりの青々しい匂いと卵焼きの匂いが混ざって、鼻に突き刺さった。
 ワタくんが黙り込むから、顔を上げる。

 目が合ったワタくんは、泣き出しそうな潤んだ瞳で「死にたくないよ」と小さく答えた。
 体が弱いと言っていたから、そういう危機もあったのかもしれない。
 無神経な自分を、恨んだ。
 殴り飛ばしたいくらいに。

 謝ってしまえば、それを認めてしまうことになるから「ごめん」は口に出せない。
 ワタくんは気にしていないような顔で、冷凍庫から出したご飯をチンし出す。

「きゅうり、千切りしたよ」
「じゃあナムルにしよう!」

 ワタくんが提案しながら調味料を渡してくれるから、それを受け取る。
 自分なりの味付けにしていけば、ワタくんはボウルの中を覗き込んで嬉しそうに微笑んだ。
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