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地獄はいつでも、迫り来る-5
しおりを挟む「お父さんに、連絡しよう。お母さんにも伝えておいてねって入れればいいよ。そしたら、電源を切ろう」
「でも」
「ミアちゃんは気づいてないかもしれないけど、ひどい顔してるよ」
スマホを持っていない方の手で、自分の顔を触る。
いつもの自分の顔と何一つ変わらない。
「僕も、サイトウさんも、みーちゃんの味方だよ」
「そんな泣き出しそうな顔してる女の子、放っておけないだろ。それでも、心配だからダメと言われるんだったら、俺が大人として、話すから。スマホ貸して」
手を差し伸べる二人の背中は、光って見える。
今日はあの家に帰らなくてもいい、そう思うと波立っていた心が少しずつ落ち着いてきた。
二人の優しさに、覚悟を決める。
「わかった。お父さんに送る」
母からの着信を取らないまま、メッセージアプリを開く。
父とのやりとりをした履歴は、一つもない。
当たり前だ、一回もメッセージを送ったことも、送られたこともないんだから。
その事実も、また胸を痛める。
お姉ちゃんやお母さんとは、何通もやりとりしてるんだろうな。
何時に帰るよ。
何か買って行こうか。
私は、やっぱり、お父さんにとっても家族じゃないんだ。
わかっていたのに、空白のメッセージ欄が、痛みを突きつけてきた。
メッセージの作成画面を開いて、人差し指で一文字ずつ打ち込む。
『今日は友だちの家に泊まります。お母さんにも伝えておいてください。』
覗き込んでいたワタくんが、スマホを奪い取って『心配しなくてもきちんと帰ります』と、付け加えた。
「勝手なことばっかり」
「こう書いておけば、一日くらい何も言われないよ大丈夫」
「ワタくんのバカ」
「みーちゃんのためなんだけど!」
怒ったような言い方なのに、声は笑っている。
先ほどの陰りは、光の加減だったのかなくなって、優しい表情に戻っていた。
「夜ごはん何食べたい?」
「えーどうしよう」
夜ごはんを考えていれば、ワタくんの家にお邪魔する約束になっていることを思い出す。
急におでこが熱くなる。
友だちとはいえ、男の人の家は、初めてだった。
「みーちゃんが食べたいものにしよう」
「お、ついでだ、二人ともきゅうりと長ネギ意外に、枝豆とトマトも持っていけ」
サイトウさんは思い出したように畑に戻り、ハサミでパチンパチンと切り始める。
ワタくんも顔を見合わせて、ふふっと笑ってから私たちも畑の近くまで歩く。
母の電話とクラスメイトのメッセージで、しょぼくれていた心はいつのまにか浮かんでいた。
今日だけは、忘れて楽しもう。
死ねば、逃げられるんだから。
パチン、パチンと、響く音と共に、真っ赤な艶々としたトマトが袋に入れられていく。
「枝豆はミアちゃんが収穫してみるか?」
サイトウさんは、私にハサミを差し出す。
受け取れば、切るところを教えてくれた。
枝豆は、大量に葉っぱにぶら下がっているし、食べたことあるやつよりも毛? がボーボーだ。
触れば少し、チクチクとする。
「チクチクする!」
「知らなかっただろ、茹でる前に塩揉みすればとれるからな」
「サイトウさんって意外に料理できる人?」
「意外ってなんだ、意外って」
憎まれ口をついつい叩いてしまうけど、サイトウさんは嫌そうな声じゃない。
むしろ、弾んでるような、じゃれあってるような声だった。
それに、唇が弧を描いている。
それが嬉しくて、私はまた甘えてしまう。
「俺のどこが料理出来なさそうなんだよ」
「スーツで畑耕してるし……?」
「仕事終わりに、着替えるのがめんどくさいんだよ」
「ワタくんも、思うよね?」
私たちのやりとりを後ろで見てたワタくんは、手を口に当てて体を震わせている。
何事かと思えば、大きな声で身を捩り出した。
「二人して仲良しじゃん」
「どこが?」
「ミアちゃんと俺は、仲良しだろ!」
「いつから?」
「連絡先知ってんだから、友だちだろうが」
そんなことで友だちと呼べるならば、さぞ友だちが多いんだろう。
羨ましい気持ちがないわけではないけど、サイトウさんの大きな声で否定する姿がおかしくて涙が出そうになる。
「えー、知らなかったー」
怒られるかな、と少しだけ不安になったけど、ついつい口は滑ってふざけてしまう。
それでも、サイトウさんなら怒ったようにふざけ返してくれると思っていたから。
「わざと言ってんだろ、ミア!」
サイトウさんから、初めて呼び捨てで呼ばれた。
今までは、遠慮がちに「ミアちゃん」と言っていたのに。
いつもはワタくんを呼ぶ時の豪快な声とは違う、気を遣ったしおらしい声で私の名前を呼ぶ。
でも、今のは本当に親しい人とのふざけあいみたいだった。
些細な声の違いに嬉しくなって、私は、バカみたいに泣き出してしまう。
あまりの嬉しさに、まだ、生きていることを実感してしまった。
ずっとこの二人とだけ、話せたら良いのに。
そしたら、きっと、私の人生は明るく美しい物になる。
「な、そんなにイヤだったのか」
「違う」
「じゃあ、なんで泣いてんだ、俺が泣かしたみたいだろ」
「サイトウさんのせいです」
「サイトウさん、みーちゃん泣かせちゃってー」
ワタくんは、私の心がわかるのか、慌てるサイトウさんの背中をトントンと叩いてから、くすくす横でふざけている。
サイトウさんが、家族だったらよかった。
そしたら、私はきっと、こんなに悲しい気持ちを抱えて生きてくることはなかった。
名前を呼ばれるだけが、こんなに嬉しかったなんて知らなかった。
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