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終わりにしようとした春の日-3
しおりを挟む太陽みたいな顔で微笑んで、私を見つめる。
あまりにも優しい眼差しに、胸がドキッと高鳴った。
さっきの恐怖からのドキドキが、まだ残っているのかもしれない。
渉くんがベンチに座って、どうぞと手のひらで隣を示す。
大人しく座れば、ブランケットを膝に掛けてくれる。
「春とはいえ、長時間外にいたら寒いから」
「渉くんこそ、優しい人なんだね」
「そう? でも優しい人でありたいとは思ってるよ」
当たり前のことのようにつぶやいて、パソコンを閉じる。
そして、私の方に少しだけ膝をむけて「それで?」と口にした。
自分で、話すと決めて着いてきたはずなのに、言葉がうまく浮かばない。
死ぬことに決めた理由は、簡単に思いつくのに、いざ話そうとするとためらいが生まれた。
「パソコン、何してたの?」
誤魔化すために選んだのは、目に入ったパソコンだった。
渉くんは、パソコンを軽く持ち上げて、悩んだように小さいため息を漏らす。
「うーん、ミアさんの死ぬ理由を聞いたら話すよ」
どうやら私が死ぬ理由を先に説明しなければいけないらしい。
もう会うこともない他人だしいっか、と思った数分前の私はどこに消えたのか。
言いづらい、言いたくない。
嘘でも、本当でもない言葉を、憎らしいほど青い空を見上げながら口にする。
「生まれ変わりたいの。犬とか猫に」
心の底から願ってる本心。
でも、死ぬ理由ではない。
ぎゅっと、握りしめた指先が白く染まっていく。
渉くんは、納得していないようで続きを待つようにじいっと私を見つめている。
急に恥ずかしくなって、ぶわりと身体中に熱が回った。
「愛されてないの、私」
「親から?」
「親からも、周りの人からも。誰も私を見てくれないなら死んで生まれ変わってやろうと思って!」
「愛されたい、ってこと?」
答えてしまえば、口は勝手に動く。
言わなくても良いことまで、スラスラと。
誰にも言えなかった。
私を見て欲しい。
愛して欲しい。
それを言うのはマナー違反だと思っていたし、ダメなことだと思っていたから。
それなのに、何を言っても「それで」と続きを促すように、渉くんが私の言葉を待ってくれるから。
それに、もう二度と会うことのない他人だと思えば、ずっと秘めていた言葉を口にできた。
「愛されたい。生きてて良いよって、私のこと認めて欲しい」
人前で泣くという恥ずべき行為を、してしまったのは完全に気が緩んでいたとしか思えない。
抑えようとしても、涙はぽろり、ぽろりとこぼれ落ちていく。
「じゃあ、俺が愛をあげるよ」
「嘘。私のために用意された愛はこの世に無いの。だから、来世に期待してるんだよ」
「来世なんてないよ」
「何それ、あるよ」
「人からの愛は信じられないくせに、来世は信じられるの?」
バカにしたように言葉が出てしまって、渉くんの顔を慌てて窺う。
私が一番嫌だったくせに、他人には平気でやってしまう。
自己嫌悪が胸の奥で募って、吐き気がした。
こんなところで、血のつながりを実感などしたくなかったのに。
「大丈夫、ちょっと動揺してるんだよ」
「渉さんは、どうしてそんなに優しくするの」
「うーん、僕がやってたこと、聞く?」
私が死ぬ理由を聞いてからと、はぐらかしたくせに、渉くんは恥ずかしそうに私の目を見つめた。
「誰かを救える人でありたいんだ、かっこつけてるみたいだけど」
「救える……って、だから、私が死のうとしてたのを止めたの?」
「エゴなのはわかってるよ。でも、目の前で死にそうな命には、手を伸ばしたい」
渉くんは真剣そうな顔で恥ずかしそうに肩をすくめる。
そして、パソコンを開いて私の方に画面を見せた。
画面上は、びっしりと文字が埋め尽くされている。
第一章から始まる文章は、全てを読み切らなくてもわかる。
「小説を書いてるの?」
「そう。昔から僕は体が弱くて、楽しめるものが小説とか、漫画とかだったんだ」
「読ませて!」
つい口から出たのは、そんな言葉だった。
楽しそう、ワクワクする。
久しぶりの感情に、死にたい気持ちとの高低差がジェットコースターみたいにぐわんぐわんと動いていた。
「それは、ちょっと、恥ずかしいな」
ぱたんっと目の前でパソコンを閉じて、渉くんはケースの中にしまい込んでしまう。
こんな真っ昼間から、私服で小説を書いてる男の子。
見た目的には、同い年くらいに見えるのに。
渉くんは大切そうにパソコンを胸に抱いたまま、顔をあげた。
「いつか、書き終わったら見せるよ」
「それまで死ぬなってこと? 約束して生き延びさせようみたいなずるい魂胆?」
いつもは取り繕ってる仮面が、ぱりんっと割れていく。
渉くんはそんな私の嫌味な言葉にも、とても冷静に返す。
あぁ、こうやって、素直に話せるって、楽なんだな。
実感したのに、クラスメイトや家族にできるところは、想像がつかない。
「ううん。素で話してた。そっか、死のうとしてたんだもんね、うーん」
「素で忘れてたってこと?」
たった数分前に死ぬ理由を話したばかりなのに、すっとぼけたような答え。
つい、くすくすと笑ってしまう。
渉くんと話してると毒が抜かれていく感覚がする。
ちらりと目の端には、青々と茂った草が目に入った。
この先、どんな蕾を付けるんだろうか。
想像も付かないけど、きっと美しい光景に違いない。
咲き乱れる花の想像をしてしまって、空に目を逸らす。
想像だけでも私には、あまりにも眩しかった。
先ほどまでは、苛立たしいほど透き通っていた空が、薄い紫色を混ぜている。
落ち着いた空の色に、流れていくクリーム色の雲。
おいしそうだな、と考えたら、少しだけお腹が空く気がした。
隣で笑っていた渉くんに、目を戻す。
渉くんのことが、少しだけ気になった。
昔から体が弱いとは言っていたけど、こんなところで小説を書いてる理由。
学校には行ってないのか。
いくつなのか。
でも素直に聞くには、まだ死にたい気持ちが大きすぎる。
まじまじと見つめてしまっていた私に気づいて、渉くんが「ん?」と声に出した。
「渉くんはどうしてここで小説書いてるのかなぁって」
「気になる? まぁ気になるから聞いたのか」
「そうだね、教えてくれたり、する?」
「いいよ」
パソコンをイスの上に置いてから、渉くんは空を透き通った目で見上げた。
まっすぐに見つめる目が、青空と同じくらい眩くて、まばたきを繰り返す。
「学校には通ってないんだけど。それでも、家に篭ってても誰もいないし」
「一人暮らしなの?」
「違うけど、まぁ父さんも母さんも忙しいんだ。僕の体のためにいっぱい稼ぐーって」
愛されてるんだな、と思った。
羨ましいというよりも、素直にそう思った。
渉くんがぐーぱーと手を握ったり、広げたりを繰り返す。
私の方に手を差し伸べる。
握り返した手は、やけに細い。
春の日差しが温かいとはいえ、長時間いると冷えてしまうのだろう。
渉くんの右手は、やけにひんやりとしていた。
「で、見ての通り元気に運動できるような体でもないし、散歩が趣味なんだけど」
「それでここを見つけたってこと?」
「そうそう。ある人がフラフラっと歩いていくのに着いて行ったら、見つけてね」
うんうんと大きく頷いて、私の握った手を離した。
そして、水を一口飲み込んでから、わざとらしく「んん」と喉を震わせる。
「で、小説書くのに、なんてぴったりな場所だろうって」
フェンスの向こうを見渡してみても、青空を見上げてみても、私にはわからない感覚だった。
温かいわけでも、電源タップがあるわけでもない。
私の疑問を感じ取ったのか、渉くんは少しだけ笑う。
「キレイな空に近づけて、人の営みが目に入るだろ」
「それは、確かにそうかも」
どこにいるよりも、空に近い場所な気はする。
フェンス越しに下を覗き込んだ時も、行き交う人々が目に入った。
それに、二人きりで話しているのに……
ざわざわとした話し声が、内容まではわからないものの、微かに耳に聞こえる。
一人じゃない。
そんなことを、思ってしまう場所だった。
「ここの良さが分かるなんて、ミアさんも通だねぇ」
「って、小説を書いてる理由は言ってないよね」
「どうしてここで書いてるの? ってことじゃなかったんだ」
ふはっと吹き出して、身を捩る。
わざと、わかってるくせに、濁してた。
そう気づいて、私を引き止める渉くんの優しさが目に染みる。
「いつか、教えるよ」
「小説を書いてる理由?」
「本当の、ね」
ふざけたような物言いなのに、どこか嬉しい。
私もふふっと笑って返せば、驚いた顔をされる。
「まだ、死にたい?」
ぽつりと問われた言葉に、黙って考えてみる。
帰るのは、やっぱり嫌。
学校に行くのも、やっぱり嫌。
どちらも、辛いことには変わりない。
「学校も家も極力いなければいいんじゃない?」
「へ?」
「僕は、大体ここにいるからさ。時々来てよ」
そんな誘いに、心が揺れ動く。
死ぬつもりだったはずなのに。
それでも、断るという選択肢が出てこない。
渉くんにまた会ってみたい。
でも、帰りたくない。
私は、死にたい。
「約束しよう?」
「また、会いに来るって?」
「ダメかな?」
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