M属性 ~嗚呼、あなたに踏まれたい~

高谷正弘

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第五章 プールヴァ帝国

百五十九夜 ロマンス劇

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「フラーテル様……フラーテル様? あなたはフラーテル様なの!?」
「ルーシー様待ってください! 話があるんです、部屋には戻らないで!」
 修道院の二階と中庭で、娘と貴族の情話が幕開けした。
 現代人が見れば貴族家の裏庭に面するバルコニー。若者が赤裸々な情熱を語る、有名すぎる恋愛劇を思い起こすだろう。
『ロミオとジュリエットか……っ』
 喉まで出かかった突っ込みを、オルロックは腹筋を締め呑み込んだ。
 それ以上に貴族とはどこかで会った気がして、止めるのも忘れ観客となる。
「フラーテル様、フラーテル様なのね。あんまりだわ、こんな所まで押しかけて。(私の生家を)聞いていたのね」
「違うっ! ルーシー様にひと目会いたくて……月に誘われてここまで来たんだ。あなたへの想いがあふれて、気がついたらここに来ていた――!」
月の女神セレーネーが願いを、聞いてくださったんだわ!」
「月……」
 まだ高すぎる太陽を見上げ、少年がガマンできずに呟く。
「あなたに会えたから、もう死んだって悔いはない――~!」
「そんなのは絶対に嫌よ!」
「えっとロミ……フラーテル~? オタクルーちんをふったんじゃないの~♥」
「大丈夫、生きる希望が湧い――なんだ君は失敬だな、子供の出る幕ではないぞ」
 空気を読まないトゥバーが、観客に成りきれずルーシーの横で突っ込む。
 修道女たちも我に返り、何事かと顔を見合わせていた。
「だってルーちんの書簡に、返事もしないんでしょ~? 4年も付き合っててさ~ちょっと白状なんじゃな~い♥」
「……っルーシー!?」
「ちょっ……トゥバー、トゥバー! それは黙っててっ!」
 ルーシーもやっと正気に戻り、焦ってトゥバーのマントを引く。
 中庭で母のヴァレリーが、疑問と哀傷で胸を押さえていたのだ。
「それは誤解だ――っ! 美しい音楽に誘われて優しく口づけを交わした時から、フラーテルはもうルーシー様のものだ――!!」
「わ――っフラーテル様も待って、一旦落ち着いてください! ああでもそこまで降りられない、やっぱり今日は帰って!」 
 ルーシーが真っ赤になって止めようとするが、フラーテルの熱い炎は消えない。
 壁に張り付き、どうにか二階へ上ろうと爪を立てる。
「好きで好きで君を探し回ったんだ! 名前も知らずにキスをしたんだ、お願いだ僕を信じてくれ――!!」
「あんな恥ずかしい言葉を聞かれて、うまくつけ込まれて、私をもてあそぶために来たんじゃないでしょうね」
 まだ少しこじらせてるルーシーが、ジト目でフラーテルを睨む。
 母や従者のいる前で露骨に痴情を叫ばれ、顔を隠すように窓の下へ沈んでいく。
「もうひと思いに殺して……」
「死ぬ時は僕も一緒だ、天国にだって一緒について行こう――~!」

 ――劇の男優と見紛う貴族、フラーテルは30歳前の壮年。
 人懐っこい瞳を輝かせ、ストレートの銀髪が風になびく。装飾が目立つ防寒用のマントから、黒のプールポワンが覗いている。細身の剣を佩刀しており、身分ある立場なのは物腰でも判断できた。
 人前に立てば堂々たる姿勢と通る声で、領民の注目を一身に集めるだろう。
 貴族の風体が色濃く、饒舌を体現させていた。


「突然押しかけた上にお騒がせし、申し訳ありませんでした。ルーシー様のご母堂にお目にかかれ、大変嬉しく思います」
「……、……?」
「ええそうです、ここから南東にある大きい街――小都市を治めております。まだ若輩の身ゆえ、東奔西走しておるところです」
 やっと落ちついたフラーテルが、テーブルを囲んで涼やかに挨拶をする。
 聞き取りがたい母の声に眉もひそめず、たたずまいに品があった。
 本来は女子修道院に男性は立ち入れない、禁域とされている。だが窮地を救ったオルロックたちの例もあり、貴族を無下にもできない。
 離れの部屋に机を運び、関係者たちの紹介が行なわれていた。
 護衛の兵3名と荷馬車の御者は柵の外で待たされている。ペールが気を利かせてエールを運び、雑談に花を咲かせていた。
「先日も庇護下に納める町が、盗賊に襲われたと報告を受けたのです。その青年は『魔女が10年前の仕返しに帰って来た』などと興奮し、常軌を逸している様子」
 手に負えず衛兵に任せておったのですが、どうも嘘偽りではないとのこと。
 詳しく聞けばルーシー様の生家がある町ではないですか。すぐに軍隊を派遣し、僕も飛んで来たのです。
「教会でルーシー様が修道院へ向かわれたと聞き、こうして尋ねてこれました!」
「まあそうだったのですね」
『ポーテスっ! あのボケが――~…どんくさいくせに手を煩わせよって!』
 町から避難していた幼なじみの顔が思い浮かぶ。そういえば大きい街の領主に、兵隊を頼むと言っていた。
 ルーシーは内心の毒づきをひた隠し、表面上はどうにか笑顔を保つ。
「んん……ミノール子爵家を継承なさったとのこと、お喜び申し上げます」
「ええ、ありがとうございます。その節はルーシー様に……ルーシー様には色々、気遣いをおかけしました」
 声に詰まったのか、フラーテルはゴブレットに手を伸ばし喉をうるおす。
 3人の歓談を邪魔することなく、オルロックが杯を運んでいた。フラーテルにはゴブレットにワインを、2人にはコップにハーブティー。
 少年の存在に気がつかないほど、フラーテルはルーシーを見つめている。
「ルーシー様、僕の気持ちは……あの時からいかほども変わってはおりません! この場にご母堂が居られるのも、きっと月の女神セレーネーのお導き……っ」
「フラーテル様……」
「もし……もしまだ間に合うのでしたら! ルーシー様――…」
「因果伯とかかわる機会ってそうはないよね~? なれそめってどうなの~♥」
 テーブルの一角を占めたトゥバーが、ゴブレットを手ににやける。
 ワインのシミとパイのカスが散り、そこだけ居酒屋の清掃作業バッシング前だった。
「あのルーシー様……先ほどからこの娘は、一体何なんですか?」

「――っ因果伯様であられましたか! こっこれは大変失礼をいたしましたっ!」
「うむ~よきにはからえ~♥」
「おいトゥ……トゥバーさん深刻な話なんです、少し遠慮してもらえませんか」
「ニヒヒ――~いい歳したオバさんがかしこまり~♥ んで~どこまでイッたの~聞いてやるから言ってみ~ん? ん~?」
 平身低頭して許しを乞うフラーテルに、トゥバーは歯を鳴らしていびる。
 子爵と伯爵の差以上に、因果伯の「力」を知っていれば無理もない。煽り続けるトゥバーの態度に、ルーシーは笑顔でひくつく。
「さあトンちゃんこちらをどうぞ、本日お勧めの甘い菓子デセールです。そう次回はもっと趣向を凝らした品を、ご用意しましょうね」
「いや~んロックさますてき~♡ 女房酔わせてどうするつもり~♡」
 見かねたオルロックが場を正す。トゥバーに洋梨のコンポートとワインを注ぎ、テキパキとテーブル上を整えていった。
 飲んで食べている間は大人しくしているだろう。
「この娘は気になさらないでください、因果伯は変わった者が多いのです」
「いっいやさすがはルーシー様の従者、みごとな御手前で」
 ルーシーは洋梨のコンポートを二度見はしたが、どうにか平静をよそおう。
 少年の手際に夢見がちなフラーテルすら賞賛する。食器の音と微妙な間が開き、一つ咳払いすると再びルーシーへ向き直った。
「確かにルーシー様とは、不幸なすれ違いがござった……」
 ゴブレットに視線を落とし、揺れるワインに過去を映す。
 組んだ両手の平が、込めた力に奮えて応じる。
「ですがっ月にかけて誓おう、僕はけっしていい加減な気持ちではござらんと! むしろご母堂にも聞いていただきたい、2人の命を懸けたなれそめを――~っ!」
「――フラーテル様はご存じでしょう、私も因果伯・・・なのです」
 突然の主張にフラーテルの時が止まる。
 その言は何を指しているのか、口を開け閉めし思考が声にならない。
「そっれは……分かっては……」
「どうぞ領地の安定と安寧をつかさどる、立派な領主におなりください」
 ルーシーの微笑に、母もコンポートをほおばったトゥバーも注視した。
 情緒など与り知らぬ風が部屋を通り過ぎ、静寂の匂いを落としていく。

「ズキンの姉御、そろそろ……」
「ああそうねフラーテル様、オルロックが町へ帰ります。少し遅くなりましたし、御一緒に向かわれてはいかがでしょうか」
 町までは半日の距離があり、太陽はすでに真上を過ぎている。盗賊騒ぎがあったばかりで夜間の移動は危険だろう。
 礼をとったオルロックがささやくように伝えた。
 ルーシーは一つ頷き、口を拭ってフラーテルに退席を勧める。
「ぼっ僕は! 僕はルーシー様とご一緒に――~…」
「いくら貴族といえども、男性を女子修道院にお泊めする事はできません。どうか私を困らせないでくださいませ」
 凛とした瞳で見つめられ、フラーテルは折れるしかなかった。
「……」
「はいお母様、これでいいんです」
 気遣わしげな母の瞳に、娘はにこりと笑い返す。
 聞き耳を立てていた修道女が慌てて廊下から離れた。一同は無言のまま修道院の中庭を通り、門を開くとだらけていた護衛が飛び上る。
「フラーテル様、私を探し会いに来てくれただけで、ルーシーは幸せでした」
 片足を内側に引き優雅に挨拶カーテシーを交わす。
 通常お辞儀はしないのだが、表情を見せないようにルーシーは顔を伏していた。
「まあ子爵じゃね~ドルミート様もせめて、伯爵位にしたいって言ってたし~♥」
「うっ! ……ぐぐぅ」
 酔って千鳥足となったトゥバーが大笑いする。支えていたオルロックが修道女に宿泊をお願いし、了承されていた。
 平民なら貴族で十分と思うだろう、望む地位に上限はないのか。
 修道院から離れていく騎馬と馬車の一行。フラーテルが名残惜しく振り返ると、母がルーシーを抱きしめていた。


 ☆


「我が家は伯爵家の分家筋にあたる。その伝手で中都市の城代をしていたおりに、ルーシー様にお会いしたのだ」
 その年の春先に起こった野戦は無事勝利し、街は沸き立っていた。
 僕にも気の緩みがあったのは否めない……まだ涼しかったこともあって、敵方の亡骸なきがらを数日放置してしまったのだ。
 生きている兵の治療が先決だった、部隊の再編が必要だったのだ。
「そして司祭の説教もミサも行われなかった戦場の亡骸を、悪魔が奪った……っ」
「――っ食屍鬼グール
 聞くともなく聞いていたオルロックが、緊張して注視する。
 フラーテルが視線を合わせて目を伏せた。当時を思い出したのだろう、深く息を吐くと白い虚空を睨んだ。
「あれはまさしく、地獄の光景だった」
 主人の遺体を捜していた従者から、報告を受けた時にはもう全てが遅かった。
 グールとなっても戦争は続いているのか、中都市まで行軍する。
 火矢によって浄化を試みる間もなく、都市部へと雪崩れ込まれていた。剣で斬り槍で突こうと、痛みを感じないグールはただ生者を襲う。
 少しでも接触した兵や市民は体の自由が奪われ、喰い殺されてグールとなる。
 加速度的に増えていくグールに対抗の術がなく、籠城するしかない。しかし戦のあとで食料の蓄えも底をついており、ジリ貧なのは誰の目にも明らか。
 教義によって自殺はできない、いずれは己がグールとなってしまう恐怖。
「このまま座して死を待つのか、それは自殺と同じではないのか……っ」
「――皆、生きよう! 騎士として……っ人として戦い、命をまっとうしよう!」
 せめて剣を取って戦うのが最後の矜持だった。軍馬に身をあずけ都市部を駆け、近くの街へ報告に行くべきと宣言する。
 祈りにも似た訴えに、皆の膝が最後の力を取り戻す。
 城から見える範囲全てを埋め尽くすグールの突破。おそらくはほとんどが死に、天にも昇れずグールとなるだろう。
「ひと塊となって市門を目指す! 各々おのおの方、友に命をあずけよ――!」
「誰か1人でもいい、生き残ってこの事態を報せてくれ……っ!」
 骨と皮になった生者ぼくたちは、一縷の望みにかけたのだ。
 城門前に集まり開門の角笛を遠く感じていると、物見の叫びが重なる。
「グっグールが同士討ちをしてる……っ互いに、喰らいあっています!!」
 市門に現れたたった独りの娘、漆黒のマントをはおった娘が状況を一変させた。
 口内を輝かせる娘が命じると、グールは横にいたグールに喰らいつく。グールは通常共食いをしない、操られたグールが一方的に襲っていたのだ。
『誰の膝下で狼藉をはたらくか! 悪魔よ退け、お前自身が毒を飲めっ!』
 波紋となって街へ広がる黒い呪詛うた。市門前から起こった同士討ちは、波を打って都市部へと広がっていく。
 数刻後……血と肉片だけになった都市部にたたずむ、赤黒く染まった娘。
 生き残った者は手を組んで神に祈っていた。しかし僕にはその娘こそが、幸福をもたらす救いに思えた。
 噂の因果伯様などとは思わなかった、僕はその娘・・・ひざまずいていたのだ。
「僕はその時初めて、黒い翼の天使が居るのを知った……っ」
 それより一度たりとも、この胸から飛び立たれたことはない――。

「ルーシー様の胸にはすでに、御心の決まった方が住んでおられるのだろうか」
 フラーテルはルーシーの生家がある町に、しばし滞在を決める。
 ルーシーに会いたい、しかしお迎えにうかがいまた拒絶されたら……その想像で胸が痛み二の足を踏んでいた。
 勢いオルロックに付いて回り、愚痴に近い訴えを繰り返す。
「やはりあの因果伯トゥバー様がおっしゃるように、子爵家では不足なのだろうか。事情は分からないがもっと地位があれば、ご母堂を呼んで共に暮らすことも……」
「ああ僕はなんと愚かなんだろう、書簡に返信できなかったのが悔やまれる……」
「修道院に居られるのだ、悪い虫がつかないだけ良いか。だがそれとて盗賊の襲撃があったばかり、せめて護衛を向かわせて……」
「――ところでオルロック、先日から何をしておるのだ?」
 クワを振り上げた姿勢で尋ねられ、オルロックはひと掘りしてから答えた。
「町の通り沿いに溝を掘っているのです、『側溝』と申します。路上に捨てられた汚物を流す設備です」
 バールで石畳を剥し、鍬に持ち替えて頭よりひと回り大きい穴を掘る。いちいち持ち直すのは面倒ですねと苦笑した。
 しかし季節にたがわず少年の額に汗が浮き、充実した光が落ちている。
「ミノール卿に口添えいただき、こちらの領主に許可は取っております。その節はありがとうございました」
「そういえば何やら、申しておったなあ。ソッコウ……あっああアレ・・か、うむうむいつにも増して帝都の設備はすばらしいな」
 帝都に訪れたことはなく、意図も今一理解できない。だが田舎者と呼ばれるのは矜持が許さず、納得気に頷いた。
 後ろに控えた護衛の3名は、顔を見合わせ首を振っている。
「ゴホンそれは分かっておったが、なぜルーシー様の従者が整備しておるのだ? ここの農民にでも指示して、やらせればよかろうに」
「いえこれは私が自発的に……あれ、なぜでしょうね。なぜか率先してやらねばと思ってしまったのです」
 少年は本当に分からないようで、振るっていた鍬を見つめて立ち尽くす。
 しばし首を傾げていたが、まあいいやとまた掘りはじめた。
「先ほど子爵の地位では不足とおっしゃいましたね」
 思いつくままに話した愚痴。
 剥された石畳を眺めていたフラーテルが、返答に無気力で振り向く。
「ですがズキンの姉御が爵位に固執するなど、私はついぞ聞いた事がありません。そこはお気になさらなくてもよいでしょう」
「そっそうか! おおそうか……っうむ、うむ」
 気休めなのは重々承知しているだろう、少年が汗を拭いて目を細める。
 しかしその助言だけでフラーテルの気持ちは軽くなり、少年と笑いあう。

「そういえば修道院でもズキン~と呼んでおったな、因果伯に通じる二つ名か? 僕もそのように呼んだ方が、ルーシー様は喜ばれるのだろうか」
「それはなりません」
 フラーテルの軽口が、言葉尻を噛む勢いで否定された。
「ズキンの姉御とお呼びしてよいのは、私ども従者だけです。領地を治める子爵様ともあろう御方が、自重なさいますよう」
 従者の立場でありながら、貴族に遠慮することなく主張する。
 場合によっては投獄すらあり得る背信行為。しかし少年は気後れすることなく、長年仕える執事の頑固さで押し通す。
「うっうむ、そうだな」
「私とて一度も踏んではいただけないのですから」
「うむうむ……ん?」
 フラーテルはどうにも、オルロックがつかみきれなかった。
 自分の半分ほどの年齢、佩刀はしておらず貴族にも見えない。ルーシー様も従者とおっしゃっていたし平民なのだろう。
 だがとてもそうは見えず、威圧感には風格すらまとっていないか。
 そして今件のソッコウに、暖房と称して持ってきた鉄製の箱。帝都の風習と話してはいるが、どうにも奇妙さがぬぐえない。
 悟られまいと居を正しつつ、少年の異様な気配に臆していた。
「ん"ん"ところで次に修道院へ向かうのは――…」
「ところでミノール卿つかぬことをうかがいますが、兄弟はおありでしょうか」
 フラーテルが葛藤している間、少年も己の心に疑問を持っていた。
 クワを杖に一点を見つめ質問する。
「ん……なんだ、兄弟?」
「ええどうも私は、ミノール卿に既視感がございまして」
 少年が向けた瞳は真摯で軽口とは思えない。
 虚を突かれたフラーテルだったが、手を顎に子爵家を想う。
「ふむっ姉妹は多いと聞いたな、嫁ぎ先までは分らんが。ああ僕は正室の子でね、やっと誕生した男子だったのだ」
 親の顔より家庭教師の顔を覚えているほど、別宅で独り暮らしていた。
 物心つく前から嫡男として武芸を習い、所領経営や貴族の嗜みなど厳しい教育を受けて育った。
 幼くて覚えてないが、我が家も貴族家によくある継承権で揺れてはいたそうだ。
 兄弟で血で血を洗う勢力争い……そういった意味では嫡男が僕だけというのも、争いが生まれず存外良かったやもしれん。
「姉妹の何人かは侍女として城に勤めてるそうだ、どこかで見たのかもしれんな」
 血だけは同じ、顔も会わせたことのない姉妹――。
「継承すべきは家か血か……当主になって改めて、父上の苦労も分かりはしたが」
 風が吹いて寒さに体を押さえる。
 吐いた息が白く世界をおおい、それが安堵かため息か曖昧にしていた。
「嫡男がミノール卿だけなのに、継承権で揺れていたのですか?」
「ん……ああ確かに、うんそうだ病で亡くなった兄上がいたな。もう20年ほども前なので忘れておった、まあ若いオルロックが会っているはずもないが」
「……そうですか、立ち入ったことをお聞きし失礼しました」
 少年の謝罪を、フラーテルはどこか遠くで聞く。
「そうだあの頃から、父上は常に独善的だった……」
 鉄製の妙な箱に心地良い暖かさが伝わる。持ち運び式の薪ストーブに炎が爆ぜ、赤々と燃え上がっていた。
「おいオルロック! 勝負しろ――っ!!」

「これはアニー嬢、今日も元気ですね」
「黙れっ! 毎度のらりくらりと避けよって、貴様は家庭をかえりみない仕事中毒の亭主か! 今日こそはケリをつけるぞっ!!」
 全ての空気を吹き飛ばし、指を突き付けたアニーが大股で歩いて来る。
 修道服トゥニカは着ているが、その気配に誰も修道女とは思わないだろう。
「オルロック殿は、今日も精が出ますなあ」
 ガタイの良い修道士がクワを肩に、少女の背後から現れた。
 こちらも修道服が板についてはいないが、人の良さそうな口上は年の甲か。
「はぁ……ズキンの姉御も、貴女ほど積極的でいらしたらよいのですけど」
「なに?」
「アニー嬢今の私の仕事はこれなんです、邪魔をされては路頭に迷いかねません」
「ぬ……っ仕事と勝負、どっちが大切だ!」
 なんだか重い彼女みたいな発言。
 それは仕事です――言うと同時に蹴りが跳ねてきそうで、少年は呑み込んだ。
「はっはっはっオルロックよ、挑まれて逃げては騎士の名折れ。そちはいいとしてルーシー様に傷がつきかねんぞ」
「かんべんしてくださいミノール卿、私は騎士ではありませんし……」
 楽しそうに笑うフラーテルに、少年が肩を落とす。
 少女は貴族の存在にやっと気づいたが、互いに素性を分かってはいなかった。
「ん――~ではこうしましょう、こちら・・・がこの周囲の側溝のルートです。どちらがより多く掘れるか競い合うのです、これならお互いの要望がかなうかと」
 少年が蝋板《ろうばん》を数枚取り出すと、やけに細かく記された図を指さす。
 初めて見る精巧な町の地図に、少女とて首を巡らし驚きを隠せなかった。
「これ……は、まさかこの町? ここがソコであっちが……うわぁ凄い」
 城に飾られた絵は何枚も観たことがあるけど、そのどれとも違う。
 これはまさしく、鳥の視点からの絵。
 あの家は道なりに建ってるようで、若干だけど斜めになってる。それもちゃんと再現されてるし、今通ってきた教会までの道が目に浮かぶ。
 M属性の『闇癡あんち』使いでも、真上から描こう・・・・・・・なんて思わないだろう。
 何故こんなことを――この少年は物凄い天才か、とんでもない変態か……っ。
「なにか失礼なことを、想ってません……?」
「いえとても、素晴らしいかと……っそうじゃない! なんで私が町を耕すんだ、それは貴様の仕事だと言ったじゃないか!」
「まあ慣れている私の方が有利ですけど、お止めになりますか?」
 いつの間にか町の子供たちが集まっていた。
 言い争う少年と少女を、吟遊詩人の話聞かせに見立て楽しんでいる。
「いよっ――し受けて立ってやる! 吠え面をかくなよオルロック――っ!!」
「「わああああ――――~っ!!!」」
 2人の周囲から手を叩き囃し立てる、子供たちの声援が沸いた。
 大股で歩く少女に、お姉ちゃんがんばれ~などと無責任な応援を送る。
「オブリ、鍬を貸せっ!」
「ヘイヘイ」
「あとで木枠をはめるのです、幅と深さを基準値に合わせてください」
「やり方は見てた、分かってる! ではここから同時に開始だ――スタート!」
 町の一角で、突如お祭り騒ぎが勃発した。


 ☆


「騙したな貴様――っ!!」
「騙したとは人聞きの悪い、白熱の勝負だったではありませんか」
 再び言い争う少年と少女を、大人も混じった観客が盛り上げる。
 ものすごい勢いで溝を掘り続けた少女への、賞賛と驚愕も混じってはいたが。
「同じルートを掘ったのでは、どちらがより進めたか判断できん! これでは勝負にならんではないか!」
 アニーが真っ黒な顔でクワを振り回す。
 持ち慣れぬ農具に奮闘したのが見て取れ、オルロックは目を細めた。
「両方勝者に違いはありません。おおまだ日が高い、まさかこんなに早くノルマが達成できるとは思いませんでした」
 町の規模とはいえ、先の長さを想像したらため息が隠せない。
 主人ルーシーが帝都へ帰ると告げればそれまでなのだ。放棄しなければならない予感が、杞憂に終わって笑顔が弾ける。
「いや本当にありがとうございました、前倒しで調整できるので助かります」
「ふざけるなっ! こんなことで雌雄を決せれるか、戦えっ私と戦え――っ!!」
「なあオルロック殿、ちっといいかい」
「はい?」
 気の納まらない少女の騒ぎをよそに、オブリが声をかけてきた。
 笑顔の下に監視の目が光っているのを、少年は気がついている。
「ウチのお嬢が修道院から帰ってこっち、珍しく考え込んでたんだ。何か知ってるなら教えちゃくれないか」
「さあ? 知っていたとしても、告げ口をする気はありませんけど」
 眉を下げつつ探りを入れた質問が、気負わない軽口で返された。
 一瞬2人の視線が帯電しかけたが、周りの喧騒が戻ってくる。遠くで馬の世話をしていたペールだけが、ふいに胸の痛みを訴えていた。
「ふんそうかい? ……ならまあいい、今後ともよろしく頼まあ。できればお嬢が納得できる勝負にしてもらえると、なおありがたい」
「……確か『この礼は必ずさせる』――なんて言ってましたよね」
「うへぇ~その件は貸しにしといてくんなあ」
 そそくさと身を隠すオブリの背に、少年は大きくため息をつく。
「まあ護衛をしていただいたので、蒸し返す気はありませんけどね。それにしても剣での勝負はご遠慮したいし、せめてスポーツで発散するとかですかねえ」
 ん~そっかスポーツか。確かこの時期に……クリスマスや復活祭などに行った、スポーツがあったはず――。
 見上げた空はどんよりと暗く、冬の到来を告げていた。
 ウインタースポーツといっても、特別な道具や場所など用意できない。となると時代の変遷にそったスポーツは限られる。
「――あっそうだ『ラ・シュール』だ」
 何やら考えていた少年が手をひとつ打つと、おもむろに一同を見回す。
 咳払いすら挟み堂々たる声で宣言した。
「分かりました、ではフット――~…サッカー・・・・で、勝負しましょう!」
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