M属性 ~嗚呼、あなたに踏まれたい~

高谷正弘

文字の大きさ
上 下
148 / 171
第五章 プールヴァ帝国

百四十四夜 レジスタンス

しおりを挟む
白鳥の羽衣ヴァルキュリャ』っ!
 皇太子の馬のそばに、漆黒のマントをはおった老人がふいに現れた。
 マントが大きくはためくと、今まさにステッキを振り下ろした少女に絡みつき、鉄の輝きを発し始める。
「おお、コンコルディア翁!」
「ご無沙汰しております、ユースティティア様」
 皇太子が興奮して叫ぶ。
 腰を曲げた白頭の老人、村長と呼ばれた老人が目を細めて礼を取った。
「皇太子殿下ともあろう御方が、因果伯の近習を1人も率いぬとは……っいささか不用心が過ぎますなあ、嘆かわしいですぞ」
「はっはっはっ翁の小言もまた久しい!」
 老人がわざとらしく眉を下げるのを見て、若者が胸を躍らせて笑う。
 皇族に対して無礼な言動は、そのまま立場を越えた繋がりを思わせた。

「なっなにをしている、皇太子殿下を御守りしろ!!」
「無礼者め! 殿下に挑みかかるとはっ!」
「何者だろうと許されざる大罪、この場で突き殺せ――っ!!」
 気圧された馬をなだめるため、一瞬目を離した隙の事変。
 皇太子を警護していた近衛兵に緊張が駆け巡る。その怒号には不手際の叱責を、和らげようとする心情もふくまれてはいた。
 だが皮肉にも突き込まれた槍は、鉄のマントで防がれている。
 上半身を固定された少女がネックスプリングで跳ね起きた。四方から攻撃を受けよろけもしないのが、異様ではあったが。
「……っニコルじい! 貴様――~っ!!」
「落ちつかれよアニムム殿下・・! 皇女の・・・皇族の・・・所業ではござらんぞ!」
 少女が覇気のこもった瞳で、憎々しげに睨みつける。
 老人は単語を区切って応じた。それには少女の立場を周知させ、この場を収める意図が多分にこめられていただろう。
「取り囲め、決して逃がすな――っ!」
「他にも敗残兵が潜んでいるやもしれん、監視を強化せよ!!」
「「おおおおおお――――~っ!!」」
 しかし激昂した騎兵の耳には届いていない。
 渦中に騎兵も駆けつけ、槍がクロスボウが少女を屠らんと殺気を高まらせる。
「待てっ……お主ら止めんか、その方は――…」
 老人が止める間もあらば、巻き起こった騒動の中心で気配が爆発した。
 抑止のため告げられた内容は、少女の怒気をさらに高めるに相応しかったのだ。
「……っ此度の謀殺が皇太子の、皇族の所業だとでもいうつもりかっ!!」
 少女を囲んでしまった・・・・・・・騎兵の輪で、赤い稲妻が奔る。
 槍を砕きクロスボウを弾き、甲冑ごと騎士を吹き飛ばす。赤き光がペンタグラムを浮かばせ、破壊音が遅れて響いた。
「謀……殺?」
「兄様の無念を、私が見間違えるものかっ!!」
 老人の困惑した問いに、少女が皇太子を睨みつけて答える。
 敗戦し撤退でもない限り、最高指揮官が矢面に立つことはない。マントに散った血が誰のものか、推して知るべしといえよう。
「まさか殿下が、そのようなことを……っ」

「控えいっ!」
 無秩序に崩れる騎兵が、遠巻きにしていた従士がビクリと震えて停止する。
 老人の場を収める叫びに比べれば静かな叱責。しかし誰もがなぜか・・・無視できず、声の発信源である気配を追う。
 そこには皇太子が、紺碧に飛ぶ気高き鷲が覇気の翼を羽ばたかせていた。
「……っ!」
「はは――っ!!」
 居合わせた全ての兵に、一瞬で秩序が回復する。
 視線で指揮官を窺い視線で指令を下し、頷き合い隊伍を整えていく。一斉に剣を抜き槍を構える姿は、一匹の魔獣にすら感じられた。
 それは複数の王国を統治する、帝国を表した混合獣キメラ
 金色の鷲の上半身に、鋭い鈎爪と雄々しき翼。白いライオンの下半身に、王者の風格を漂わせる伝説上の生物――グリフォン。
「邪魔だっ! 引っ込んでろ――っ!!」
 発ち上がった巨大な魔獣に臆せもせず、少女が地を蹴って疾走する。
 だが兵の動きは混乱していた時とはまるで違う。盾の迷路が行く手を遮り、矢が八方から襲い、槍ぶすまが津波となって穿つ。
 その爪で嘴で翼で、獲物を切り裂かんと連動して襲い掛かった。
 鉄のマントが赤く染まり視界が黒く狭まる。冥府の顎が無情にも開いていく……それこそが少女の、望みだったように。
「うあああああ――っ!!」
 血の道標を作り軍勢の迷宮を突破し、ついに少女が魔獣の喉元へ食らいつく。
 脚から噴き出る血に祈り、最後の力をこめた。
 皇太子がなんの躊躇もせず剣の切っ先を向け、魔獣グリフォンの瞳が輝く。
「ガン兄様の……っ! 兄様のっ仇――――っっ!!!」
「――っ双方、剣をひけ!」
 それは苦言か願望か、老人が2人の皇族の間に身を晒す。
 だが少女は止まらず跳躍し、赤い光が渦を巻いて皇太子に迫った。その瞬間体にからまった鉄のマントが緩む。
 自由を得てむしろバランスを崩し、馬首を蹴ってあらぬ方向へ飛んでいく。
「っこの、クソジジィ――――~…」
 凱旋中に突如巻き起こった活劇は、暴漢者の退場と同時に幕を閉じる。
 罵倒が木霊し遠く消えていき、近衛兵が息を吐く。だが皇太子の姿を見止め気を引き締め直し、追跡の命令が幾度も飛ぶ。
「S属性……か」
 兵が血を流してうずくまり、乱れ飛んだ矢と破壊された盾。とても1人の少女が殴り込んだとは思えない戦場跡。
 蹴られた軍馬ともをさすりながら、皇太子が眉をひそめていた。


「……なんだこのガキ、逃げてきたのか?」
「あいつら騎士団だろ、貴族様も奴隷狩りには余念がねえってか」
 窓を打ち壊して飛び込んだ少女に、略奪中の兵が声を上げて笑う。
 兵士の戦争はすでに終わっている。あとはどれだけ金目の物を持ち帰れるのか、ケガをしたウサを晴らせるかに意識が移っていた。
 今からもう一度戦えと命令されても、二の足を踏んだだろう。
「おっでもいい服着てるじゃねえか、貴族の子息かなんかか?」
 家具とワラに埋もれた少女に伸ばされた手が、無造作に払いのけられる。
 それだけで兵の肘が逆に折れ曲がった。血だらけになり息も上がってはいたが、少女はまだ意識を失っていない。
「ぎゃああああ――っ!!」
「あん? なに騒いで……おいっどうしたんだそれ!」
「てめえっ! 俺らとやるってのか!?」
 3人の兵は何が起こったのか分からず、少女を取り囲んで剣を向ける。
 だが見慣れぬ淡い光に気づき顔を見合わす。暗い室内で幽鬼のごとく立ち上り、その異様さを見せつけたのだ。
「っ様の……タキ! 殺すっ……こロ……っス」
 聞こえた呟きは気配以上に、険呑な様相ではあったが。
「おっおいおい落ちつけ、俺らは敵じゃねえ。ほれここの家族も元気なもんだ!」
「腕が……っ! ちくしょうっこのガキ……っ!」
「黙ってろボケ! なっなあ盗ったらずらかる、他に比べりゃ優しいもんだろ?」
 両指に輝く指輪や背負った荷に血が飛んでいた。部屋の隅で震えている住民が、どの口でと突っ込みたかったろう。
 兵はごまかしつつも剣を下げれずにいる。
 まだ十分戦利品をいただいてない、ここで尻尾を巻くのは惜しすぎた。少女から発する危機を察しながら、逃げ出す機会を失ってしまう。
 なにより目の前にいるのは子供で、さらに虫の息に見える。
 肉体強化により保っていた体も、疲労を重ね傷を負い血を流し……すでに限界を越えているのは誰の目にも明らか。
「ガン……兄ちゃん……」
 代えがたい想いだけが、少女の精神を繋ぎ止めていた。

「……ゴクッ」
 兵が目配せして息を呑み、ジリジリと間合いを詰めていく。
 一斉にかかろうと頷き合い剣を握る手に力がこもる。呼吸を合わせカウントし、お前ら裏切って逃げるんじゃねえぞと釘を刺し合う。
『じゃあいくぞ? いいな!? ……いっ……せ――~…の――~…』
「せ――ぇっ! ……え?」
 今まさに突き込もうと足の踵を上げた瞬間、足元に何かが転がった。
 それは木製のサイコロ、二重丸を描いた一の目を上に止まる。あまりにも意外なモノの出現に思わず目で追った。
「――ごっ」
 意識が止まった兵の後頭部へ衝撃が走る。
 声を挙げれずおそらく訳も分からず、両脇の兵が崩れ落ちた。腕を押さえた1人が何事かと振り返って棍棒の一撃を喰らう。
 3人の兵を倒した影が2つ、扉の前で逆光にかげる。
「落ちついてくれ、俺らは敵じゃねえ……多分な。こいつらもそう言ってたんで、我ながら説得力ねえとは思うが」
 1人が入ってきてこいつら・・・・に棍棒を投げ捨て、手を上げて敵意がないのを表す。
 屈んでサイコロを拾うと、血だらけの少女に向かい苦笑した。もう1人は入らず扉の外で周囲を窺っている。
「俺らも奴らに突っ込んで、せめて一矢報いようとしてた。先にやられちまったが見事な暴れっぷりだったぜ、なあ嬢ちゃん!」
 ありがとうよ――その感謝には、憂いがこもっていだろう。
「こんな状況じゃもてなすのは難しいが、さしあたってひと息つける場所はある。その傷の治療もしなきゃな、どうだい俺らと一緒に来ないか?」
「……観客を気取ってイたノナラ、舞台に上がルな」
 引っ込んでいろ――少女の気配が完全な拒否をしめす。
 視線も合わせず扉に向かい歩き出した。しかし額から流れる鮮血が胸元を染め、引きずる脚が身体の限界を如実に表している。
 再び騎士団グリフォンに相まみえれば、今度こそ引き裂かれるだろう。
「あたたたっ……痛えとこ突かれっちまったなあ。俺らがあの騎士団の列を見て、二の足を踏んだのは確かだ。嬢ちゃんの力を当てにしてるのもな、だが――…」
「オブリ……っ騎兵だ」
 外に立つ男が緊張を持って伝える、喧騒の中で馬の蹄と誰何の声が響いていた。
 暴漢者を追ってきた騎兵と従士だったが、略奪の兵に阻まれ打ち壊しが散見し、中々現場が特定できず苛立っている。
 戦利品の品定めを邪魔され、兵の金切り声が混乱に拍車をかけていた。
「おう――だが俺らも、嬢ちゃんの役に立てるはずだ! 仲間の仇を討つために、手を組んでくれねえか!?」
 これは賭けだ――オブリがサイコロを握りしめ、額に首筋に汗を落とす。
 皇族の騎士団に抗したからといって、平民の味方って訳じゃねえ。この嬢ちゃんの尋常でない「力」は、北門で見た因果伯と同じ。
 扱いを間違えれば諸刃の剣になり得る。
 当然だろう俺らの存在は、嬢ちゃんにとって取るに足らない――。

「ああ、そうか……」
 少女が血の線を引きながら、オブリの横を通り過ぎた。
 すでに体を覆う淡い光も途絶えている。それでも真っ直ぐを見据えたその瞳に、強い意志だけが輝いていた。
「……すまねえ間違ってた、俺らの事情はこのさい関係ねえ。どうだ嬢ちゃんの、従者にしちゃくれねえか?」
「オブリっ!」
 従士が血の跡を追い、窓を破壊された家屋に目をつける。
 捜索の騎兵が呼ばれて辺りが騒然としてきた。馬の蹄が近づき、甲冑の金属音が慌ただしく殺到してくる。
「戦いの手助けをさせてくれ! それが俺らにできる、唯一の抵抗レジスタンスなんだ!」
 あのマスク三人組もこの嬢ちゃんも、俺らにとっちゃ魔獣や天気と同じだ。
 襲われりゃあ逃げるか諦める、日照りが続きゃ不満を吐く。そうするしかねえ、俺らにゃどうしようできもねえ存在だ。
 だけど高い壁を作り溜池をこしらえて、抵抗するこたあできる。
「くっ……剣を他者に預ける、血の復讐か……」
 少女の視線が初めてオブリに向けられ、呟きには若干の揶揄が込められていた。
 それに気がつきながらも、オブリは振り返って破顔する。
「そうさ俺らは騎士じゃねえ、名誉を守る意義もねえ! 地べたを這いずり不様と揶揄されようと、それで本懐を遂げれりゃあ本望だ――カーニス!」
「プァンッ!」
 外に立つカーニスと呼ばれた男が短く角笛を吹く。
 呼応して太い弦を爪弾く音がする。どこからともなく飛来した矢が狙いを違わず騎兵の馬に当たり、一面がパニックとなった。
 暴漢者を捕らえようと集まる従士と、戦利品を抱え暴れ馬から逃げ惑う兵。
「仲間の仇が討てたなら、さっさと辺境へ逃げるさ! 畑を耕し山で狩りをして、収穫を祝って皆で騒ごうぜ! は――っはっはっはっ!!」
 オブリが快活に笑う。
 この緊迫した状況にありながら明るく未来を語る。少女にとってその笑い声は、どこか兄と重なって聞こえた。
 そしてそれだけで、十分だった――。
「よぉ――し誰も動くな、観念しろ――っ!!」
 家屋へ雪崩れ込んだ騎兵は、倒れた兵だけを目にする。
 叩き起こし問い詰めても、一向に要領を得ない。血の跡はすでに途切れており、追跡の困難さに歯ぎしりが響く。
「路地を駆けた不審者はいないか!」
「誰も通っておりません! 窓から出た者もっ!」
「――ちっ!」
 見慣れない街はそれだけで、迷路の様相を見せつける。すでに建物の影は暗く、敵と味方の判別もつきにくい。
 3名の兵は八つ当たりの視線を向けられ、部屋の隅で震えていた。

「まったく最近の若い娘はジジイジジイと……誰もが老いるのじゃぞ」
 コンコルディアが漆黒のマントをはたきながら、老人らしい愚痴をこぼす。
 一時騒然となっていた騎士団も規律を回復している。
 暴漢者を取り逃がした謝罪と、何者かによる妨害工作。さらなる追跡を行えとの命令が続けざまに発せられていた。
 皇女の捕縛も誅殺も聞こえず、複雑な安堵がその瞳を歪めてはいたが……。


 ☆


「壮健たるを、喜ぶべきか……」
 プールヴァ帝国――帝都。
 皇宮にある謁見の間は、規模質共にヴィーラ王国のそれを遥かに凌駕していた。
 厚い扉が重厚な音楽を奏で、彫刻された石柱が垣根を成し、吹き抜けの天井には輝くばかりのシャンデリアが燈る。
 最奥には階段状に高くなったダイスがあり、巨大な玉座が備えてあった。
「あるいは、憂うべきか……」
 皇帝ナートゥラム5世が肘をつき呟く。座していながらも下目遣いになるのは、高さ以上に地位の差を明確に表している。
「父上――皇帝陛下、ただいま帰りました!」
 皇帝の嘆きが聞こえぬ距離でもないのに、皇太子はことさら整然と礼をとった。
 20数年の年齢差がありながら、酷似した容姿は誰が見ても父子である。
 背後に控える近衛兵に個々の意思は感じられない。居並ぶ姿は主の命令を待ち、駆け出す寸前の獣にすら見えた。
 どちら・・・を主と見ているかは、諸説あるだろうが。
「自死、病死、事故……そして此度は謀反か」
 父親はため息すら隠さず、息子の成した悲劇を数え上げる。
 皇位継承者が実の兄の手によって黄泉へ渡っていく。現実と受け止め切れない、親の情がそうさせたのかもしれない。
「ユースティティアよ……其方の報告を受ける度、余は近しい眷族を失うていく。死神を皇子に望んだことはないのだがのう」
「陛下どうぞ御喜びください」
 皇帝の落とした影に、皇子が光を照らす。
「朗報でございます! これで反乱の芽は、ほとんどが摘めました!」
 あろうはずもない、無邪気な破顔がそこにあった。
 父親は多分にふくんだ中傷と揶揄が、さらなる狂気で返されて言葉を失う。
ほとんど・・・・……が?」
 ではまだ、続くというのか。
 ――兄弟殺しの正当化。
 皇族による反乱を未然に防ぐため、彼の帝国には兄弟殺しの制度があった。
 兄の即位を祝う19人の弟を処刑し、生後間もない乳児すら処分する。権力争いがもたらす内戦と混乱は、国力の衰退へと繋がる以上はやむを得ない。
 そう思わねばやっていられなかっただろう。
 どんな理由を後付けしようと、神に許される行為とは到底思えないのだから。
 帝国の秩序を維持するため兄弟の処刑は許される――そんな規定が後に法令し、兄弟殺しの題目を掲げねばならないほど。
 だが結局は、皇族の血を絶やすに等しい暴挙ではないのか。
 皇帝はひくつく額を隠し、臓腑を抉る苦痛に汗を落として息を吐く。
「……うむ立太子よ、大儀であった!」
「はは――っ!!」
 皇太子が右手を左胸に礼を取ると、近衛兵もそろって呼応する。

 紺碧を飛ぶ、孤高の鷲――。


「勇断か、無慈悲か……余の子ながら残酷な」
 のうコンコルディア卿――独り言のような皇帝の呟きに合わせて、石柱の影から漆黒のマントをはおった老人が現れた。
 皇帝に軽く会釈し、数歩の距離まで歩み寄る。
 衛兵すら下がらせた静かな謁見の間に、そこだけ光が灯って見えた。
「ほとんどが摘めましたか、ならば残ったノドゥスもか。あれは利口だったのう、皇位継承順位に疑問を投げかけていたが、小国の王配に鞍替えしたようじゃし」
「皇太子殿下の手でも、ヴィーラ王国はいささか遠いですからなあ。兄君の暴挙を見越して相応の利を、選んだのかもしれません」
「ふむ……」
 皇帝の肩にかかる髪が立派な髭が、幾分しおれて見える。
 整えるように伸ばしていた手がふと止まり、虚空を見上げて思い出す。
「のうニコル……余は彼奴あやつが恐ろしい、どこで育て方を間違えたか」
 ようやく望めた逸材を大切に育てようと、あらゆる家庭教師を呼んだ。
 幼き頃より皇帝となるべく育て、背を見せて飛び方を教えた。ひな鳥はいつしか雄々しく羽ばたき、世界をその眼下に見下ろす。
「決して降り立つこともなく……か」
「さてエルギス様そう心配なさらずとも、傍から見ればよく似た父子かと」
 深いシワを刻んだ2人が、互いの半生をその瞼に映す。
 皇帝を愛称ニックネームで呼べる者も、今では1人だけとなっていた。
「なにしろエルギス様ときたら、近衛の目を盗むのに尽力される。幾度御止めしても野駆けに忍び出て、あたら幾日もお帰りならない」
「おっお主だって、ついて来ておったではないか!」
「お目付け役として当然です、そのお蔭で盗賊から逃げおおせたではないですか」
 年長者の余裕か、板についたお説教に皇帝が眉をよせる。

「盗賊で思い出した、この頃よく昔の夢を見てのう。剣を持って暴れていたのに、起きたら体の重さに驚くんじゃ」
 曲がったことが何より嫌いで、不正に立ち向かっていたフィーニス。
 潔癖症でやたら身を整えるのにうるさかったコローナト。
 誰にも丁寧に接する癖に、食べ物にはやたら手が早かったオプス。
「皇族など関係ない、友ならば本気で接しろ――と説いたら本当に殴ったニコル」
「エルギス様の思し召しですからな、遠慮なくいかせて貰いました」
「いやあのパンチには、確かな恨みがこもっておった! そうだまた思い出した、お主はあの時も余を確認しながらクロスボウを射た!!」
「っですからあれは、エルギス様の背後に迫った賊に……ええい何度も誤解だと、説明したでしょう」
「余はごまかされんぞ! 皇帝弑逆の大罪じゃ、衛兵よ捕縛せよっ!!」
「それとも私に恨まれるような、自覚があるのですか? なるほど私が幾度教師に鞭打たれたか、お教えしろとおっしゃる」
「うっ……ぐ」
 やぶヘビだったかと、皇帝が子供のように口を尖らせた。
 ――獅子の前で犬をぶつ。
 中世の欧州で王の権力は、神から授かった神聖不可侵なものとされている。
 王子も類にもれず保護されており、悪さをすると親友の「打たれ役ウィピング・ボーイ」が代わって鞭打ちなどの罰を受けた。
 親友の痛む姿をして、過ちを繰り返さないよう反省を促したのだ。
 だがウィピング・ボーイの存在は証拠に乏しい。13世紀の民話集に逸話として確認されるが、架空の存在とされる論など諸説ある。
「ええい久しく顔を出したかと思えば、まったく口の減らんジジイじゃ!」
「それはお互い様、というものです」
 2人が顔を見合わせ、どちらともなく苦笑した。
「記憶に残る友だけ、歳をとらぬままか。コンコルディア卿よ……お主を裁くのは皇帝である余の役目だ、先にいくことは許さんぞ」
「……皇帝陛下の御命令とあらば、何をおいても御守りせねばなりますまいな」
「ふっ勅命である、心して順守せよ」
「御意」

『のうニコル……余は彼奴あやつが恐ろしい』
 非難をこめて実息を呼ぶ、おそらくは内心の吐露だったのだろう。
 謁見の間を後にしたコンコルディアが、嬰児を抱く姿で両腕を見つめていた。
 何が視えているのか、微笑みと哀傷が年老いた瞳に同居する。
「儂は御生まれになったばかりのガウデーレ様を、この手に抱いたこともある」
 暖かく柔らかく、全てを委ねなければ生きられない存在。
 己の血塗られた半生と、今後も塗り重ねられる半生。この方の成長を願うなら、如何ほどの苦労かと思うたもんじゃ。
 それは帝国の繁栄と、同じ願いだったはず……。
『兄上が俺の心意を疑うなら、今後は家臣となって――だけど俺に、政務の補佐は似合わないしなあ。そうだ全財産を教会に寄付して、聖職者になろうかな!』
 最後にお会いした折に、ガウデーレ様はそのように苦笑された。
 相談役であろうと皇族の理をくつがえすことなどできない。だが軽口にも思える言葉は、精一杯の悲鳴ではなかったか。
『アニーは止めたんだけど一緒にくるって、手のかかる妹となら楽しくやれるさ』
『……っ此度の謀殺が皇太子の、皇族の所業だとでもいうつもりかっ!!』
 くすぐったそうに笑う兄と、鬼の形相で叫ぶ妹。
 どこで歯車が狂ったのか、あまりにも惨い兄弟殺しの連鎖。
「継承権を持つ皇子の存在は、常に波乱をもたらすのは事実とはいえ……」
 謀殺――そう思われるほど、急ぎ手を下す必要があったのか?
 急いだ、あるいは……焦っておられるのか? そうじゃ冬が迫ったこの時期に、何故挙兵する必要があったのか。
 ディスケ領は物資の輸送で活気はあったが、それとて他領頼み。
 皇族が領主となり、覚えめでたくあろうと貴族が集っていた。すべてこれからの領地でありさして旨味もなく、焦って陥落させても益はない。
 なによりエルギス様は、すでにユースティティア様を立太子に立てられている。
 皇帝の跡継ぎとして、正式に定められたのじゃ。
「焦るまでもないはずじゃが……いやもし歯車が、狂っていないのだとしたら? 兄弟殺しが皇族の理に何をもたらす?」
 ふと帝都の郊外から、聞き慣れぬ爆発音がして耳を澄ます。
 倒木する音が重なり、老人が因果伯の顔を取り戻す。漆黒のマントがはためき、早足と同時に気配を断っていった。
 屋根にとまり老人を見ていたズキンガラスが、困惑して首を傾げる。


「『あとす』~このコなら、市門だってらくしょ~♥」
 妙な光沢を放つ鉄の筒から硝煙が立ち上る。漆黒のマントをひるがえす少女が、重さも感じさせず砲を構えていた。
 犬を模した恥の仮面越しで、頬が真っ赤に染まり長い舌からヨダレを垂らす。
「ボウヤも喰らってみる~? 苦しまずにイっちゃえ~♥」
 ニヒヒ――息も荒く笑い挑発するさまは、とても因果伯とは思えない。
「……カノン砲か、見事ですトゥバー様」
 だが対面する少年は間近を通った砲弾に驚きもせず、その軌跡を瞳に浮かべる。
 大木の幹が鉄製の砲弾に大きく抉られ倒壊していく。確かに当たれば甲冑などに関係なく、人馬もろともひとたまりもない。
「この時代にあって不正チートと批判されても、反論のできない火薬兵器ですね」
 この、時代――?
 少年が自身の呟きに疑問を持ち、眉をひそめる。
「もっと見たいのぉ~? いいよ~まだまだコ・レ・カ・ラ♥」
 トゥバーのマスクが淡い光を発し、「力」が開放されていく。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

転生した体のスペックがチート

モカ・ナト
ファンタジー
とある高校生が不注意でトラックに轢かれ死んでしまう。 目覚めたら自称神様がいてどうやら異世界に転生させてくれるらしい このサイトでは10話まで投稿しています。 続きは小説投稿サイト「小説家になろう」で連載していますので、是非見に来てください!

一家処刑?!まっぴらごめんですわ!!~悪役令嬢(予定)の娘といじわる(予定)な継母と馬鹿(現在進行形)な夫

むぎてん
ファンタジー
夫が隠し子のチェルシーを引き取った日。「お花畑のチェルシー」という前世で読んだ小説の中に転生していると気付いた妻マーサ。 この物語、主人公のチェルシーは悪役令嬢だ。 最後は華麗な「ざまあ」の末に一家全員の処刑で幕を閉じるバッドエンド‥‥‥なんて、まっぴら御免ですわ!絶対に阻止して幸せになって見せましょう!! 悪役令嬢(予定)の娘と、意地悪(予定)な継母と、馬鹿(現在進行形)な夫。3人の登場人物がそれぞれの愛の形、家族の形を確認し幸せになるお話です。

無能なので辞めさせていただきます!

サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。 マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。 えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって? 残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、 無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって? はいはいわかりました。 辞めますよ。 退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。 自分無能なんで、なんにもわかりませんから。 カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。

【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる

三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。 こんなはずじゃなかった! 異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。 珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に! やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活! 右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり! アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。

冷遇妻に家を売り払われていた男の裁判

七辻ゆゆ
ファンタジー
婚姻後すぐに妻を放置した男が二年ぶりに帰ると、家はなくなっていた。 「では開廷いたします」 家には10億の価値があったと主張し、妻に離縁と損害賠償を求める男。妻の口からは二年の事実が語られていく。

鍵の王~才能を奪うスキルを持って生まれた僕は才能を与える王族の王子だったので、裏から国を支配しようと思います~

真心糸
ファンタジー
【あらすじ】  ジュナリュシア・キーブレスは、キーブレス王国の第十七王子として生を受けた。  キーブレス王国は、スキル至上主義を掲げており、高ランクのスキルを持つ者が権力を持ち、低ランクの者はゴミのように虐げられる国だった。そして、ジュナの一族であるキーブレス王家は、魔法などのスキルを他人に授与することができる特殊能力者の一族で、ジュナも同様の能力が発現することが期待された。  しかし、スキル鑑定式の日、ジュナが鑑定士に言い渡された能力は《スキル無し》。これと同じ日に第五王女ピアーチェスに言い渡された能力は《Eランクのギフトキー》。  つまり、スキル至上主義のキーブレス王国では、死刑宣告にも等しい鑑定結果であった。他の王子たちは、Cランク以上のギフトキーを所持していることもあり、ジュナとピアーチェスはひどい差別を受けることになる。  お互いに近い境遇ということもあり、身を寄せ合うようになる2人。すぐに仲良くなった2人だったが、ある日、別の兄弟から命を狙われる事件が起き、窮地に立たされたジュナは、隠された能力《他人からスキルを奪う能力》が覚醒する。  この事件をきっかけに、ジュナは考えを改めた。この国で自分と姉が生きていくには、クズな王族たちからスキルを奪って裏から国を支配するしかない、と。  これは、スキル至上主義の王国で、自分たちが生き延びるために闇組織を結成し、裏から王国を支配していく物語。 【他サイトでの掲載状況】 本作は、カクヨム様、小説家になろう様、ノベルアップ+様でも掲載しています。

嫌われ聖女さんはとうとう怒る〜今更大切にするなんて言われても、もう知らない〜

𝓝𝓞𝓐
ファンタジー
13歳の時に聖女として認定されてから、身を粉にして人々のために頑張り続けたセレスティアさん。どんな人が相手だろうと、死にかけながらも癒し続けた。 だが、その結果は悲惨の一言に尽きた。 「もっと早く癒せよ! このグズが!」 「お前がもっと早く治療しないせいで、後遺症が残った! 死んで詫びろ!」 「お前が呪いを防いでいれば! 私はこんなに醜くならなかったのに! お前も呪われろ!」 また、日々大人も気絶するほどの魔力回復ポーションを飲み続けながら、国中に魔物を弱らせる結界を張っていたのだが……、 「もっと出力を上げんか! 貴様のせいで我が国の騎士が傷付いたではないか! とっとと癒せ! このウスノロが!」 「チッ。あの能無しのせいで……」 頑張っても頑張っても誰にも感謝されず、それどころか罵られるばかり。 もう我慢ならない! 聖女さんは、とうとう怒った。

処理中です...