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第四章 霊山モルディブ
百十四夜 魔獣暴走ノ9
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周囲を観察するように、獣耳がピクピクと動く。
森の影からためらいがちに、二足歩行の影が忍び寄ってくる。川淵に咲く白き花を発見し、確かめるために数秒停止。
『やっぱり……あの凄い光の貴族だよ、お姉ちゃん』
『そうね、でも途切れかけてる……危険はなさそうだけど』
黒猫と白猫が心で意思を伝えあう。
念のため小石を投げてみるが、動きなし。長い枝でつつくも、反応がない……。
2、3度ペチペチと叩く……反応なし。
『うん……どうやら、大丈夫みたいね』
数日前に感じた異様な気配が、弱りつつも視界内に流れてきた。
怖いもの見たさか興味か、緊張で汗を落としつつも確認せざるを得ない。
近づいて匂いを嗅ぎそっと手で触れてみる。体は雪みたいに冷たく、たぶんもう長くはないだろう。
『先日助けていただいた方も貴族だった……この近くで、戦でも起きるのかな』
大きな石に半ば引っかかった少女の服は、所々が裂け肌が露出していた。
見慣れぬ白い衣服――それだけで別世界の住人、貴族だと分かる。
『盗賊に襲われたんじゃ……あっ血だ!』
川に浸っている下半身から、糸のように血が流れ消えていく。
『追手があるかも……只人には関わらない方がいいよ、行こうお姉ちゃん!』
安全が確認できればそれでいいと、黒猫が川から出て尻尾の水を弾き飛ばす。
白猫も後ろ髪を引かれつつ、川から出ようとして気がつく。
『いえ待って! 服はボロボロなのに、ケガはそれだけ!?』
白い衣服に勝るとも劣らぬ白い肌は、未だ陶器の輝きを放っていた。
森の中で、狼の遠吠えが木霊する――。
☆
「フッ……フッ……」
数頭の狼が鼻を引くつかせ、周囲を警戒し歩いていた。
確かになにかある――それがなにか分からず、苛立ってすら見える。
獣道に簡素だが藁のテントが建っていたのだ。視覚はたいしてよくない狼だが、あきらかにそれを視認はしていた。
しかし「気にならなず」横を通り過ぎ、森の影へと消えていく……。
『――行ったよお姉ちゃん、ごまかせたみたい』
『この娘が弱っててよかった、気配を薄めれたようね』
『なんだか見れば見るほど、ボクたちとは違うね』
『そりゃそうよ、貴族なんだから』
『う――~ん、そうじゃなくって……』
スーリヤ? 止めてくれ、それは苦手なんだ……。
闇に落ちた少女が、意識の外で不快な脳のしびれを感じ眉をしかめる。
弱いながらも思考が直接流れ込んでくる――「風舌」に見まごう感覚。
『本当に見事な白い肌……赤みがさして呼吸が安定してきたし、助かるかも』
スーリヤは肌の若さを羨むが、其方こそ羨望の眼差しを受けているのだぞ。
闇の中でかつてを連想し、懐かしい探究部屋が思い浮かぶ。本を手に咎めたが、お酒好きの家庭教師は上機嫌に踊って止めない。
領主になろうとまったく変わらない、困ったものだ。
苦笑が意識を覚醒させ、少女は身体の重さを思い出す。
『肌もそうだけど、こんなキレイな髪見たことない……貴族って皆こうなのかな』
「お母様の……形見でな」
少女は目を開ける体力もなく、かすれた呟きが耳に遠い。
「お姉ちゃん、こいつ起きてるっ!」
黒猫が藁を跳ね飛ばし対応する。
狭い藁のテントの中で木炭を焚き、藁にくるまれ肌で暖め合っていた。
隙間風か恐怖か、黒猫が身震いし素肌が総毛立つ。
「気がつかれました? あっ袋から革袋取って――まだ御体が冷とうございます、ワインを飲んでもう少しお休みください」
「ちょ……お姉ちゃん!? これは、大切なっ!!」
白猫が少女の上半身を抱き起こし目で諭すので、黒猫は口を尖らせ指示を聞く。
「……亜人か」
ワインを口にふくみ、少女の瞳が少し力を取り戻す。頭髪に覗く獣耳、只人にはありえない様相に気がついたのだ。
姉妹は心で防御姿勢を取ったが、続いたのはあまりにも意外な言葉だった。
「この地方に亜人は珍しいそうだが、これも因果か……助けていただき礼を言う」
少女が微かに顎を引き会釈する。
只人が――それも貴族が、亜人に礼を陳べ頭を下げたのだ。姉妹にとってそれは信じられない光景だったろう。
「そうだ礼をしろ! このワインだって、お姉ちゃんの大切な薬なんだからな!」
「これ失礼でしょう、止めなさい!」
2人とも幼いが外見的に年齢差は感じられず、少女は苦笑と独り言をこぼす。
双子か、妙に縁があるな……。
「大切な薬……姉君はどこか、ケガをされているのか?」
白猫に視線を向ける。目に隈があり頬は若干こけ、体調の不順が見えた。
場合によっては死地を彷徨った少女より、病人に思えただろう。
「只人が――お前らがお姉ちゃんの、尻尾を斬ったんだ! いつもいつもボクらを目の敵にして、お前らが全部悪いんだっ!!」
「この方のせいではないでしょう、いい加減になさいっ!!」
「だって……お姉ちゃん!?」
なんだってそんなに――少女に対し妙に尽くす姉の姿に、妹は混乱する。
「妹の暴言をお許しください、命の危機にある者を救うのは当然です。このワインもいただいた品ですし、お気になさらず」
白猫の半ばから断ち切られた尻尾には、赤黒くにじむ包帯が巻かれていた。
「只人に斬られた……か」
呟きに合わせ少女の体の内から、淡い光がうっすら立ち上っていく。
全身が淡い光に包まれ、優美な石像に思えた白い肌に生物の活力が溢れだす。
病による冷たい汗ではなく暖かな玉の汗が、黄金色の髪に光のオーブを生んだ。
「「わぁ……あっ」」
姉妹にとり理解不能な光ではあったが、恐怖は感じず魅入ってしまう。
光の化身となった少女が白猫の背に手を伸ばす。意識を集中させると、尻尾にも大きく淡い光が放ち始める。
「え……あっ痛みが……消えて――…」
「按手――あと幾度か手当てすれば傷口も塞がろう、手遅れでなければいいが」
今はこれが精一杯――まったく、不便なものだ。
どうにか体の自由だけは取り戻し、舌打ちに近い独り言を呟く。
「あ……ありがとう、ありがとうございます!」
「貴族って、妙なことができるんだなあ」
少女の苛立ちに気がつかないほど、姉妹は感動と困惑に揺れていた。
「改めて救っていただいた礼を、私はプラーナ……プラーナ・アミターユ」
「中都市って、村よりもっと沢山の只人がいるとこだろ? 入ったことはないけど場所は知ってる――こっちだ」
「頼むそうゆっくりも、しておれぬ身でな」
「貴族のことなんかさっぱり分かんないけど、プラーナも色々大変なんだな」
ふふっまったくだ――藁のテントを出て、奇妙なパーティが森を進む。
簡素な農民服の亜人2人に、ボロボロの服を部分的に縛り着続ける少女。
「ここは狼の縄張りなんだ、離れずついてこいよ!」
獣道とも呼べぬ木々の間を黒猫が道案内を務め、白猫が少女に肩を貸す。
「もう少しお休みにならなくて、大丈夫ですか? 貴女様はその……月のさわりでございましょう。お召し替えもできず、申し訳ありません」
「なに衣服にそこまで頓着はない。これはお気に入りでな、気に病まずともよい」
「プラーナは運がいい、ツキノサワリには優しくしろって教わった。じゃなきゃ、只人なんか助けるもんか!」
ふらつく少女か、治りきらない姉に対してか……黒猫は邪魔になる小枝を掃い、できる限り歩きやすい場所を選択して通る。
率先して先頭に立った黒猫の疲労は、推して知るべしだろう。
強い言葉は己を守る強がりか、不器用でちょっとずれた優しさ。
「それで助けて貰えたのか……確かに運がよかったな、ある意味皮肉ではあるが」
意味が分からず振り返る黒猫に、笑みが返った。少女は黒猫とのやり取りを少しばかり楽しんでいる。
貴族の駆け引きを必要としない、感情にまかせたストレートな胸の発露。
歳相応の顔がそこにはあったが、普段を知らない姉妹は気がつかなかった。
「私どもはにはまだ訪れていませんが、辛いと聞きましたし……」
「ボクはそんなのなくていいや。商売にならないって、みんなも愚痴ってた」
「大人になる大切なお話なんですよ、まったくこの娘は」
姉妹のやり取りに少女の頬が緩む。
しかし全身を支配する倦怠感は隠せず、再び冷たい脂汗が落ち息が苦しい。
「そればかりではないな、何個所かは骨折もしている。内臓は無事なようだが……崖から身を投じてこの程度で済んだと、喜ぶべきか」
着水から意識が途切れるまで、全身に『カルマ』を満たし肉体強化をほどこす。
そうでなければおそらくは、すでに天の住人だったろう。
一歩踏み出すたび激痛が走る。全身に流れるよう巡らす維持的強化を行わねば、立つことすらままならない。
少女の脚を支えるのは、生命をかけるほどの意思。
「これも因果の巡り合わせなら、私の命にはまだ成すべきことがあるはず……っ」
重力に屈っする膝を打ち、炎に輝く瞳に訴えた。
「抗ってやると、決めたのだ……っ!」
それは、誰に対しての微笑か――…。
「…――プラーナ?」
黒猫の盗み見る視線に気がつき、天をあおいで息を吐く。
「ああそうだ……2人の恩義に報いるに、報酬を払わねばメンツの問題となろう。なにか欲しい物はあるか?」
「えっ欲しい物って、なんでもいいの!?」
「うむっ只人の貴族相手だ、遠慮せずにふっかけてみよ」
意識を変えるためか、少女が軽口を叩いた。
少年を思わせる黒猫の表情が、目を見張るほど輝く。
「やった――! お姉ちゃん木炭を買って貰おう、あの変な石よりパンがいい! おい売りたての軟らかいのだぞ!? 真っ黒のはダメだからな――っ!」
「ほう、売りたてがいいのか」
「そうだよ、プラーナはなんにも知らないんだな――! あっでも先に、磨ぎ石と交換した方がいいかな? ねえねえお姉ちゃん!」
「森に窯を……いっいえそんな、私も手当てして貰いずいぶんと楽になりました。お礼をしなければならないのは、むしろ私どもですし」
「くれるって言ってんだから貰おうよ、ボクはねえ――~…」
う――~んチーズもいいなあ、あれもこれも欲しい――黒猫が弾みながら歩き、要望を鼻歌にのせ歌う。
少女と白猫が視線を交わし、笑いと申し訳なさが入り乱れる。
「あ……っ」
しばし続いた黒猫の楽しい悩みがピタリと止まり、真上に立て震わせていた尻尾が体に巻きついていく。
突如停止したミュージカルに、後ろについていた2人が黒猫を望んだ。
「――ボクは、ボクの名が欲しい」
背を向け表情の見えない黒猫の輪郭が、森の影に微かに滲む。
それは意思が弾け、身体をも越えた訴えではなかったか。
「其方の名を? それは一体……」
「私どもに親はいません、名は……つけて貰えませんでした」
白猫が妹の思わぬ主張に戸惑い、言い淀んで答えた。
「プラーナは貴族にゃんだろ、誰に名を貰ったの!? ボクにもつけてよっ!」
そこの亜人、お前ら亜人が、邪魔だ亜人、亜人のくせに――。
「ボクは二番目じゃにゃい、ボクは亜人じゃにゃい! ボクは只唯一のボクだ――只人と、なにが違うって言うんだっ!!」
振り向いて肩で息をする黒猫の瞳が揺れる。
懇願にも似た訴えを、少女は真正面から受け止めた。
「分かった、考えておく」
「約束だぞっ!!」
少女が黒猫を引き寄せ、後頭部を撫でる。
炎の瞳と青い瞳が交差し、高鳴る鼓動が互いの存在を認め合う。
「ああ約束だ、きっと相応しい名を献上しよう」
「――っ!」
黒猫は染まった頬を隠すように、無言で道を切り開き始めた。
「私たちは2人きりでしたので、名を呼ぶ必要が……ありませんでした」
白猫がうつむきがちに呟く。
そういえばいつ頃からか、私を「お姉ちゃん」と呼ぶようになっていた。それは妹の、不器用な訴えではなかったか――。
妹の心情を理解できておらず、姉は自責の念に苛まれる。
「妙なお願いをしてしまい申し訳ございません。ご無理は為さらないでください、我が妹ながらどうにも感情的で……」
「なに妹君のような者は側近にもいる、もっとも向こうは狼だが」
「おっ……狼を側近に!? それは、それは大層危険ではありませんか!?」
まったくだな――少女が声を上げて笑い、白猫の戸惑いは増すばかりだった。
「それに、名付け親に選ばれるなど光栄だ――っと、重かったか」
「いえいえ、バランスがとりにくいだけです……転ばなくてよかった」
肩を貸していた白猫の方がつまずき、苦笑して背に振り向く。
半ばから断ち切られた尻尾が、存在を表して揺れる。
「姉君はいかがいたす? 権限の及ぶ限り便宜を図るつもりだが、本当に命の危機にあったから助けてくれたのだろうか」
「もっ勿論でございます、えっと義によって助太刀いたした……次第でして」
「ほう、義によってな……」
少女が意地の悪い物言いでほくそ笑む。
それは白猫にとって、悪戯を発見された子供の心境であったろう。手の平に汗が滲み、肩の震えが真実を伝えてしまう。
直感が告げていたのだ、この方に偽りは通じないと。
「いえ……いいえっ打算で、ございます……っ!」
終わった――。
『貴族を助けたのは損得ゆえか、これだから亜人は始末におけない!』
少女が怒り狂い、罵倒し去っていく姿が見えた。白猫は己のあさはかさを呪い、強く閉じた瞳に後悔を滲ませる。
だが汗を落とす白猫をねめつける、少女の頬が震えていた。
「ぷはぁ! あはははは――――~っっ!!」
余りにも素直すぎる告白に、ついに大笑いを始める。
なんと正直な姉妹であったか――。
「打算か、それはまいったなあ――あははははっ!!」
「ええっ!? あっあの……プラーナ様?」
「おいプラーナなにを、おい止めろ狼が――」
姉妹の困惑と制止を振り切り、少女の楽し気な笑い声はしばし森に響いた――。
☆
「今頃あの辺境騎士は、大慌てしているでしょうね」
なんと言ったか、名を忘れてしまいましたが……とぼけた口調に笑いが起きる。
セルルス騎士団が北方の盆地へと、隊列を組み行軍していた。先頭に主力となる騎兵120が闊歩し、続いて従士400が追従する。
切り開いたとはいえ狭い村落道に、500強の軍隊による長蛇が出現していた。
「ホッホッホッ……大型の魔獣が現れたと噂を流してはと提言された時は、さすがの私も意味を把握しにくかったがのう」
指揮官であるスヴァティシュターナ卿が、インペリアル髭を整えほくそ笑む。
「あくまで噂、わたしどもには僅かの非もございません。噂に踊らされ浮足立ち、臆病にも農民を連れ中都市に逃げ込んでいるやもしれませんが……」
「それをこそ望んでおるのだろう? お主も悪よのう」
「聡明な主君のお仕込みでして」
2人は喉で笑い合い、次第に大笑いへと変化。
提言した騎士が後ろを盗み見ると、他の騎士は引きつった笑みを浮かべている。
その姿に目を細め、一歩リードと優位を誇った。
『――なるほど山中で完全な包囲は難しい、これには一理ございますね』
森林に囲まれた北東の村で、周囲の状況を調べた騎士が髪をつまみながら呟く。
『士気の上がらぬ農民兵が魔獣を前に雪崩を打つ。追いすがる魔獣を引き連れて、村へ逃げ戻るやもしれません』
此度の作戦には穴があると、誰はばかることなく提言したのだ。
主君に反するバクター卿の肩を持たれ、配下の騎士に質疑の空気が流れる。
『いやっそうなっても対処できるよう、辺境騎士どもを守備に残すのであろう? 軍議の後で新たに定め、すでに伝えたではないか!』
『そうですね農民兵には、是非逃げ戻って欲しいものです』
『はあ!?』
意味が分からず、場は混迷を深めた。
『辺境騎士どもの耳に入るよう、噂を流すのです――「大型の魔獣が現れた」と』
本来なら守備を固めてるはずのカティーナ騎士団が、噂に惑わされ勝手な行動をとっていたらどうなりましょう?
例えば村を放棄し、中都市へ農民を移動させるといった……。
魔獣はさらなる血を求め、逃げる農民に追いすがるやもしれません。皆さんなら覚えがあるでしょう、戦場で死神が好むのは包囲の圧死と敗走中の追撃。
『無防備な背に攻撃を受けては、どんな軍隊であれど壊滅は必至です』
『……避難する農民に翻弄され、戦うことも被害を止めることもできずに瓦解か』
配下の騎士が顔を見合わせ、起こる状況を反芻する。
提言した騎士が我が意を得たりと、指で髪を流す。
『敵に背を向け逃げだす、辺境騎士に相応しき役割を演じて貰いましょう――』
「騎士の戒律にある「敵を前にして退くことなかれ」じゃのう、果たして彼の者は騎士であるかどうか」
スヴァティシュターナ卿が満足げに頷き、インペリアル髭に輝きが増す。
「そして辺境騎士どもがどうあれ、農民の犠牲により魔獣の脅威が知らされます」
やはり魔獣を放っておくことはできずと、殿下の命を受けて一旦は整備を止めた村落道を再度切り開き、会戦の場へ進軍したと報告する――。
「スヴァティシュターナ卿の壮大な用兵術が、ハレて脚光を浴びるのです!!」
「オッホ――ン! 見事じゃ、ガハナ卿!」
総長が名を呼び優しく肩を叩く、提言したガハナ卿にとっては約束された栄達。
「事の顛末を伝え是非を問えば、いかな殿下でも頷かざるを得ないでしょうな」
「残念ながら幼い少女であられる殿下には、社会の仕組みが理解できないのです」
他の配下の騎士が我先にと相槌を打つ。
ガハナ卿にだけ、出世の道を歩ませる訳にはいかなかった。
「これも側近の言を受け入れてくださる、スヴァティシュターナ卿あってこそ! まこと我らは総長に恵まれておりますなあ!」
狭い村落道は軍馬が2騎並べればいい方である。
配下の騎士は総長の覚えをよくしようと、後背に馬を進め互いに威嚇しあう。
笑顔の下では、壮絶な駆け引きと火花が散っていたのだ。
「ホッホッホッ……侯爵ともなれば広大な領地の端々まで目が行き届かぬ。重責を担える、功績を上げた側近に分け与えなくてはのう」
「はっ……はは――――っ!!!」
彼らにとって戦はすでに終わり、意識は派閥争いへと移行していた。
「聴け――装備を確かめろ、これより部隊編成を行う! 歩兵隊は森へ分け入り、ゴブリンの集落近くに配置される!」
北方の盆地が近くなり、小休止中の従士隊に向けガハナ卿が陣形を伝令する。
自分はすでに首席――席の取り合いなど必要ないと、胸を張って誇示していた。
「身を粉にして働くがいい! キミたちの力を得れば百人力だっ!!」
ゴブリンに礼を言うよ、わたしに華を持たせてくれて――。
従騎士と小姓を引き連れ、言葉とは裏腹に農民兵を視野にも入れず闊歩する。
「よ――し開戦するぞ、野犬を追っ払うだけだ!」
「教わった通り、腹に力を入れて盾を打ち鳴らせ――!」
村落道のあちらこちらで、兵士も発破をかけ鼓舞しあう。
「俺は以前町の自警団に入ってて、狼と戦ったことがあるんだ」
「そっそれでどうだった!? 誰かケガしたり、しっ死んだりとか……っ」
「てんで大したことねえよ! 棒を振り回してたら逃げてった。魔獣っていっても子供の背丈なんだろ、狼より楽に決まってら!」
「そっそうか……っそうだな! よ――しっやってやる!」
行軍中バラバラになっていた農民兵が、部隊単位で呼び合い移動していく。
槍の切っ先を見定め、盾の感触を確認する。弓兵が荷馬車から矢を受けに並び、弦の張り具合を弾いてうかがう――。
戦闘が始まる前の、覚悟が決まる前の混沌とした最中にそれは起こった。
「おっ……いやがった、狼だ」
行軍の中央に位置する兵士が、ざわつく農民兵をよそに発見する。森の影となる奥まった場所に、ポツンと狼の頭が覗いていたのだ。
いつの間に接近していたのか、投槍の距離で周囲を窺っていた。
「工兵がつきまとわれてるって、愚痴ってたな。よっし見てろ、開戦の景気づけに――~…あれ?」
兵士が槍を構え狙いを定めると、ふいに闇に消える。
視線を流すと少し離れた場所に移動していた。
「素早いな……っと、また消えやがった!」
「遊ばれてんなあ、ほっとけよ槍がもったいねえ」
近くの兵士が半笑いで振り返ると、反対の森にも狼の頭が覗いている。
「ははっおいこっちにもいるぞ、本当に囲まれてたりしてな」
槍を構えたままの兵士に、袖を引いて注意を促す。
微動だにしない姿を不審に思い、盗み見た顔が蒼白に震えていて驚く。
「おい、どうし……」
疑問は、誘導された視線により答えを得た。
狼の首が数頭に増え、闇の中に頭だけ浮き上がっていたのだ。
ちょうど、子供の背丈ほどに――。
「ギャギャ――――ッッ!!!」
遠吠えとは思えぬ叫びが、狼の首から発せられる。
「ギャガァ――ッ!!」
「ギャガァ――ッ!!」
叫びは連鎖的に呼応し軍隊を包み込むと、人の頭ほどの石が空を覆った。
「なっなん……ぎゃっ!!」
「しゅ……襲撃!? 逃げるな、盾をかざせっ!」
「なにが、なっ――ぎゃあ!!」
「互いに背後を守れ! 誰か、伝令をっ!!」
投石と呼ぶには余りにも大きな石が、道の左右から降り注ぐ。
狭い村落道に500強の軍隊が縦に長く連なり、伝令用に片側も開けている。
部隊としての厚みはなきに等しい。姿も隠せず防御もままならず、軍隊の中央は一撃で壊滅状態となった。
「なに事だ騒がしい、農民兵が怖気出したか!?」
「只今伝令を放ちました、一体なにが起こったのやら……」
騎兵隊の後方にまで騒ぎと振動が届いてはいる。
しかし森の影になり、歩兵隊まで視界を確保できていない。
「……なんだ、奴らは」
それはある意味、予想通りではあったのか。
士気の低い農民兵はその場で戦おうとせず、雪崩を打って逃げ出したのだ。
制止を叫ぶ兵士を越え、重い槍と盾を放り出し、前の仲間を引き倒して走る。
そのため情報を聞きに行った伝令よりも早く、騎兵の列にまで到達していた。
「突然襲ってきて……こっこんなの聞いてねえっ!!」
「助けてくれ、死にたくねえ――っ!!」
「襲撃を受けたのか!? ええい、落ちついて説明せよ!」
「襲撃だ! 全員、騎乗――っ!!」
角笛が鳴り、騎士は状況が飲み込めないまま軍馬の下へ走る。
「騎乗だ! なにをしている、早くせよ!」
「槍を持てっ! 遅い、槍だ槍――っ!」
従騎士をせかし馬に乗るのを手伝わせ、小姓が武器を持ち走り回った。
「恥知らずにも奇襲だと!? 一体どうなっておるのだ、紋章官は検めたのか!」
「おのれ騎士の心得を理解せぬ輩……がっ?」
鉢型兜を手にした騎士が、叫びつつも目撃する。
森の影から、子供の背丈ほどの群れが殺到してくるのを。
狼や何か分からぬ毛皮をまとった者、簡素ながら鎧を身に着けた者。欠けた斧を構えて赤黒く染まった棍棒を掲げる。
醜く歪んだ顔、異様に長い手の指、風に乗る獣の匂い――。
「まっ魔獣だ――殺された、皆魔獣に殺された――っ!!」
農民兵が蒼白となり叫ぶ。
「そっそんなことはありえん! 騎士の我らが騎乗すらしておらぬ、まして開戦は北方の盆地であろう!?」
「っ――奴らは、魔獣ですよっ!?」
騎士を視界に納めたゴブリンが、錆びた剣を振りかぶった。
「ギャガァ――――ッッ!!!」
森の影からためらいがちに、二足歩行の影が忍び寄ってくる。川淵に咲く白き花を発見し、確かめるために数秒停止。
『やっぱり……あの凄い光の貴族だよ、お姉ちゃん』
『そうね、でも途切れかけてる……危険はなさそうだけど』
黒猫と白猫が心で意思を伝えあう。
念のため小石を投げてみるが、動きなし。長い枝でつつくも、反応がない……。
2、3度ペチペチと叩く……反応なし。
『うん……どうやら、大丈夫みたいね』
数日前に感じた異様な気配が、弱りつつも視界内に流れてきた。
怖いもの見たさか興味か、緊張で汗を落としつつも確認せざるを得ない。
近づいて匂いを嗅ぎそっと手で触れてみる。体は雪みたいに冷たく、たぶんもう長くはないだろう。
『先日助けていただいた方も貴族だった……この近くで、戦でも起きるのかな』
大きな石に半ば引っかかった少女の服は、所々が裂け肌が露出していた。
見慣れぬ白い衣服――それだけで別世界の住人、貴族だと分かる。
『盗賊に襲われたんじゃ……あっ血だ!』
川に浸っている下半身から、糸のように血が流れ消えていく。
『追手があるかも……只人には関わらない方がいいよ、行こうお姉ちゃん!』
安全が確認できればそれでいいと、黒猫が川から出て尻尾の水を弾き飛ばす。
白猫も後ろ髪を引かれつつ、川から出ようとして気がつく。
『いえ待って! 服はボロボロなのに、ケガはそれだけ!?』
白い衣服に勝るとも劣らぬ白い肌は、未だ陶器の輝きを放っていた。
森の中で、狼の遠吠えが木霊する――。
☆
「フッ……フッ……」
数頭の狼が鼻を引くつかせ、周囲を警戒し歩いていた。
確かになにかある――それがなにか分からず、苛立ってすら見える。
獣道に簡素だが藁のテントが建っていたのだ。視覚はたいしてよくない狼だが、あきらかにそれを視認はしていた。
しかし「気にならなず」横を通り過ぎ、森の影へと消えていく……。
『――行ったよお姉ちゃん、ごまかせたみたい』
『この娘が弱っててよかった、気配を薄めれたようね』
『なんだか見れば見るほど、ボクたちとは違うね』
『そりゃそうよ、貴族なんだから』
『う――~ん、そうじゃなくって……』
スーリヤ? 止めてくれ、それは苦手なんだ……。
闇に落ちた少女が、意識の外で不快な脳のしびれを感じ眉をしかめる。
弱いながらも思考が直接流れ込んでくる――「風舌」に見まごう感覚。
『本当に見事な白い肌……赤みがさして呼吸が安定してきたし、助かるかも』
スーリヤは肌の若さを羨むが、其方こそ羨望の眼差しを受けているのだぞ。
闇の中でかつてを連想し、懐かしい探究部屋が思い浮かぶ。本を手に咎めたが、お酒好きの家庭教師は上機嫌に踊って止めない。
領主になろうとまったく変わらない、困ったものだ。
苦笑が意識を覚醒させ、少女は身体の重さを思い出す。
『肌もそうだけど、こんなキレイな髪見たことない……貴族って皆こうなのかな』
「お母様の……形見でな」
少女は目を開ける体力もなく、かすれた呟きが耳に遠い。
「お姉ちゃん、こいつ起きてるっ!」
黒猫が藁を跳ね飛ばし対応する。
狭い藁のテントの中で木炭を焚き、藁にくるまれ肌で暖め合っていた。
隙間風か恐怖か、黒猫が身震いし素肌が総毛立つ。
「気がつかれました? あっ袋から革袋取って――まだ御体が冷とうございます、ワインを飲んでもう少しお休みください」
「ちょ……お姉ちゃん!? これは、大切なっ!!」
白猫が少女の上半身を抱き起こし目で諭すので、黒猫は口を尖らせ指示を聞く。
「……亜人か」
ワインを口にふくみ、少女の瞳が少し力を取り戻す。頭髪に覗く獣耳、只人にはありえない様相に気がついたのだ。
姉妹は心で防御姿勢を取ったが、続いたのはあまりにも意外な言葉だった。
「この地方に亜人は珍しいそうだが、これも因果か……助けていただき礼を言う」
少女が微かに顎を引き会釈する。
只人が――それも貴族が、亜人に礼を陳べ頭を下げたのだ。姉妹にとってそれは信じられない光景だったろう。
「そうだ礼をしろ! このワインだって、お姉ちゃんの大切な薬なんだからな!」
「これ失礼でしょう、止めなさい!」
2人とも幼いが外見的に年齢差は感じられず、少女は苦笑と独り言をこぼす。
双子か、妙に縁があるな……。
「大切な薬……姉君はどこか、ケガをされているのか?」
白猫に視線を向ける。目に隈があり頬は若干こけ、体調の不順が見えた。
場合によっては死地を彷徨った少女より、病人に思えただろう。
「只人が――お前らがお姉ちゃんの、尻尾を斬ったんだ! いつもいつもボクらを目の敵にして、お前らが全部悪いんだっ!!」
「この方のせいではないでしょう、いい加減になさいっ!!」
「だって……お姉ちゃん!?」
なんだってそんなに――少女に対し妙に尽くす姉の姿に、妹は混乱する。
「妹の暴言をお許しください、命の危機にある者を救うのは当然です。このワインもいただいた品ですし、お気になさらず」
白猫の半ばから断ち切られた尻尾には、赤黒くにじむ包帯が巻かれていた。
「只人に斬られた……か」
呟きに合わせ少女の体の内から、淡い光がうっすら立ち上っていく。
全身が淡い光に包まれ、優美な石像に思えた白い肌に生物の活力が溢れだす。
病による冷たい汗ではなく暖かな玉の汗が、黄金色の髪に光のオーブを生んだ。
「「わぁ……あっ」」
姉妹にとり理解不能な光ではあったが、恐怖は感じず魅入ってしまう。
光の化身となった少女が白猫の背に手を伸ばす。意識を集中させると、尻尾にも大きく淡い光が放ち始める。
「え……あっ痛みが……消えて――…」
「按手――あと幾度か手当てすれば傷口も塞がろう、手遅れでなければいいが」
今はこれが精一杯――まったく、不便なものだ。
どうにか体の自由だけは取り戻し、舌打ちに近い独り言を呟く。
「あ……ありがとう、ありがとうございます!」
「貴族って、妙なことができるんだなあ」
少女の苛立ちに気がつかないほど、姉妹は感動と困惑に揺れていた。
「改めて救っていただいた礼を、私はプラーナ……プラーナ・アミターユ」
「中都市って、村よりもっと沢山の只人がいるとこだろ? 入ったことはないけど場所は知ってる――こっちだ」
「頼むそうゆっくりも、しておれぬ身でな」
「貴族のことなんかさっぱり分かんないけど、プラーナも色々大変なんだな」
ふふっまったくだ――藁のテントを出て、奇妙なパーティが森を進む。
簡素な農民服の亜人2人に、ボロボロの服を部分的に縛り着続ける少女。
「ここは狼の縄張りなんだ、離れずついてこいよ!」
獣道とも呼べぬ木々の間を黒猫が道案内を務め、白猫が少女に肩を貸す。
「もう少しお休みにならなくて、大丈夫ですか? 貴女様はその……月のさわりでございましょう。お召し替えもできず、申し訳ありません」
「なに衣服にそこまで頓着はない。これはお気に入りでな、気に病まずともよい」
「プラーナは運がいい、ツキノサワリには優しくしろって教わった。じゃなきゃ、只人なんか助けるもんか!」
ふらつく少女か、治りきらない姉に対してか……黒猫は邪魔になる小枝を掃い、できる限り歩きやすい場所を選択して通る。
率先して先頭に立った黒猫の疲労は、推して知るべしだろう。
強い言葉は己を守る強がりか、不器用でちょっとずれた優しさ。
「それで助けて貰えたのか……確かに運がよかったな、ある意味皮肉ではあるが」
意味が分からず振り返る黒猫に、笑みが返った。少女は黒猫とのやり取りを少しばかり楽しんでいる。
貴族の駆け引きを必要としない、感情にまかせたストレートな胸の発露。
歳相応の顔がそこにはあったが、普段を知らない姉妹は気がつかなかった。
「私どもはにはまだ訪れていませんが、辛いと聞きましたし……」
「ボクはそんなのなくていいや。商売にならないって、みんなも愚痴ってた」
「大人になる大切なお話なんですよ、まったくこの娘は」
姉妹のやり取りに少女の頬が緩む。
しかし全身を支配する倦怠感は隠せず、再び冷たい脂汗が落ち息が苦しい。
「そればかりではないな、何個所かは骨折もしている。内臓は無事なようだが……崖から身を投じてこの程度で済んだと、喜ぶべきか」
着水から意識が途切れるまで、全身に『カルマ』を満たし肉体強化をほどこす。
そうでなければおそらくは、すでに天の住人だったろう。
一歩踏み出すたび激痛が走る。全身に流れるよう巡らす維持的強化を行わねば、立つことすらままならない。
少女の脚を支えるのは、生命をかけるほどの意思。
「これも因果の巡り合わせなら、私の命にはまだ成すべきことがあるはず……っ」
重力に屈っする膝を打ち、炎に輝く瞳に訴えた。
「抗ってやると、決めたのだ……っ!」
それは、誰に対しての微笑か――…。
「…――プラーナ?」
黒猫の盗み見る視線に気がつき、天をあおいで息を吐く。
「ああそうだ……2人の恩義に報いるに、報酬を払わねばメンツの問題となろう。なにか欲しい物はあるか?」
「えっ欲しい物って、なんでもいいの!?」
「うむっ只人の貴族相手だ、遠慮せずにふっかけてみよ」
意識を変えるためか、少女が軽口を叩いた。
少年を思わせる黒猫の表情が、目を見張るほど輝く。
「やった――! お姉ちゃん木炭を買って貰おう、あの変な石よりパンがいい! おい売りたての軟らかいのだぞ!? 真っ黒のはダメだからな――っ!」
「ほう、売りたてがいいのか」
「そうだよ、プラーナはなんにも知らないんだな――! あっでも先に、磨ぎ石と交換した方がいいかな? ねえねえお姉ちゃん!」
「森に窯を……いっいえそんな、私も手当てして貰いずいぶんと楽になりました。お礼をしなければならないのは、むしろ私どもですし」
「くれるって言ってんだから貰おうよ、ボクはねえ――~…」
う――~んチーズもいいなあ、あれもこれも欲しい――黒猫が弾みながら歩き、要望を鼻歌にのせ歌う。
少女と白猫が視線を交わし、笑いと申し訳なさが入り乱れる。
「あ……っ」
しばし続いた黒猫の楽しい悩みがピタリと止まり、真上に立て震わせていた尻尾が体に巻きついていく。
突如停止したミュージカルに、後ろについていた2人が黒猫を望んだ。
「――ボクは、ボクの名が欲しい」
背を向け表情の見えない黒猫の輪郭が、森の影に微かに滲む。
それは意思が弾け、身体をも越えた訴えではなかったか。
「其方の名を? それは一体……」
「私どもに親はいません、名は……つけて貰えませんでした」
白猫が妹の思わぬ主張に戸惑い、言い淀んで答えた。
「プラーナは貴族にゃんだろ、誰に名を貰ったの!? ボクにもつけてよっ!」
そこの亜人、お前ら亜人が、邪魔だ亜人、亜人のくせに――。
「ボクは二番目じゃにゃい、ボクは亜人じゃにゃい! ボクは只唯一のボクだ――只人と、なにが違うって言うんだっ!!」
振り向いて肩で息をする黒猫の瞳が揺れる。
懇願にも似た訴えを、少女は真正面から受け止めた。
「分かった、考えておく」
「約束だぞっ!!」
少女が黒猫を引き寄せ、後頭部を撫でる。
炎の瞳と青い瞳が交差し、高鳴る鼓動が互いの存在を認め合う。
「ああ約束だ、きっと相応しい名を献上しよう」
「――っ!」
黒猫は染まった頬を隠すように、無言で道を切り開き始めた。
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白猫がうつむきがちに呟く。
そういえばいつ頃からか、私を「お姉ちゃん」と呼ぶようになっていた。それは妹の、不器用な訴えではなかったか――。
妹の心情を理解できておらず、姉は自責の念に苛まれる。
「妙なお願いをしてしまい申し訳ございません。ご無理は為さらないでください、我が妹ながらどうにも感情的で……」
「なに妹君のような者は側近にもいる、もっとも向こうは狼だが」
「おっ……狼を側近に!? それは、それは大層危険ではありませんか!?」
まったくだな――少女が声を上げて笑い、白猫の戸惑いは増すばかりだった。
「それに、名付け親に選ばれるなど光栄だ――っと、重かったか」
「いえいえ、バランスがとりにくいだけです……転ばなくてよかった」
肩を貸していた白猫の方がつまずき、苦笑して背に振り向く。
半ばから断ち切られた尻尾が、存在を表して揺れる。
「姉君はいかがいたす? 権限の及ぶ限り便宜を図るつもりだが、本当に命の危機にあったから助けてくれたのだろうか」
「もっ勿論でございます、えっと義によって助太刀いたした……次第でして」
「ほう、義によってな……」
少女が意地の悪い物言いでほくそ笑む。
それは白猫にとって、悪戯を発見された子供の心境であったろう。手の平に汗が滲み、肩の震えが真実を伝えてしまう。
直感が告げていたのだ、この方に偽りは通じないと。
「いえ……いいえっ打算で、ございます……っ!」
終わった――。
『貴族を助けたのは損得ゆえか、これだから亜人は始末におけない!』
少女が怒り狂い、罵倒し去っていく姿が見えた。白猫は己のあさはかさを呪い、強く閉じた瞳に後悔を滲ませる。
だが汗を落とす白猫をねめつける、少女の頬が震えていた。
「ぷはぁ! あはははは――――~っっ!!」
余りにも素直すぎる告白に、ついに大笑いを始める。
なんと正直な姉妹であったか――。
「打算か、それはまいったなあ――あははははっ!!」
「ええっ!? あっあの……プラーナ様?」
「おいプラーナなにを、おい止めろ狼が――」
姉妹の困惑と制止を振り切り、少女の楽し気な笑い声はしばし森に響いた――。
☆
「今頃あの辺境騎士は、大慌てしているでしょうね」
なんと言ったか、名を忘れてしまいましたが……とぼけた口調に笑いが起きる。
セルルス騎士団が北方の盆地へと、隊列を組み行軍していた。先頭に主力となる騎兵120が闊歩し、続いて従士400が追従する。
切り開いたとはいえ狭い村落道に、500強の軍隊による長蛇が出現していた。
「ホッホッホッ……大型の魔獣が現れたと噂を流してはと提言された時は、さすがの私も意味を把握しにくかったがのう」
指揮官であるスヴァティシュターナ卿が、インペリアル髭を整えほくそ笑む。
「あくまで噂、わたしどもには僅かの非もございません。噂に踊らされ浮足立ち、臆病にも農民を連れ中都市に逃げ込んでいるやもしれませんが……」
「それをこそ望んでおるのだろう? お主も悪よのう」
「聡明な主君のお仕込みでして」
2人は喉で笑い合い、次第に大笑いへと変化。
提言した騎士が後ろを盗み見ると、他の騎士は引きつった笑みを浮かべている。
その姿に目を細め、一歩リードと優位を誇った。
『――なるほど山中で完全な包囲は難しい、これには一理ございますね』
森林に囲まれた北東の村で、周囲の状況を調べた騎士が髪をつまみながら呟く。
『士気の上がらぬ農民兵が魔獣を前に雪崩を打つ。追いすがる魔獣を引き連れて、村へ逃げ戻るやもしれません』
此度の作戦には穴があると、誰はばかることなく提言したのだ。
主君に反するバクター卿の肩を持たれ、配下の騎士に質疑の空気が流れる。
『いやっそうなっても対処できるよう、辺境騎士どもを守備に残すのであろう? 軍議の後で新たに定め、すでに伝えたではないか!』
『そうですね農民兵には、是非逃げ戻って欲しいものです』
『はあ!?』
意味が分からず、場は混迷を深めた。
『辺境騎士どもの耳に入るよう、噂を流すのです――「大型の魔獣が現れた」と』
本来なら守備を固めてるはずのカティーナ騎士団が、噂に惑わされ勝手な行動をとっていたらどうなりましょう?
例えば村を放棄し、中都市へ農民を移動させるといった……。
魔獣はさらなる血を求め、逃げる農民に追いすがるやもしれません。皆さんなら覚えがあるでしょう、戦場で死神が好むのは包囲の圧死と敗走中の追撃。
『無防備な背に攻撃を受けては、どんな軍隊であれど壊滅は必至です』
『……避難する農民に翻弄され、戦うことも被害を止めることもできずに瓦解か』
配下の騎士が顔を見合わせ、起こる状況を反芻する。
提言した騎士が我が意を得たりと、指で髪を流す。
『敵に背を向け逃げだす、辺境騎士に相応しき役割を演じて貰いましょう――』
「騎士の戒律にある「敵を前にして退くことなかれ」じゃのう、果たして彼の者は騎士であるかどうか」
スヴァティシュターナ卿が満足げに頷き、インペリアル髭に輝きが増す。
「そして辺境騎士どもがどうあれ、農民の犠牲により魔獣の脅威が知らされます」
やはり魔獣を放っておくことはできずと、殿下の命を受けて一旦は整備を止めた村落道を再度切り開き、会戦の場へ進軍したと報告する――。
「スヴァティシュターナ卿の壮大な用兵術が、ハレて脚光を浴びるのです!!」
「オッホ――ン! 見事じゃ、ガハナ卿!」
総長が名を呼び優しく肩を叩く、提言したガハナ卿にとっては約束された栄達。
「事の顛末を伝え是非を問えば、いかな殿下でも頷かざるを得ないでしょうな」
「残念ながら幼い少女であられる殿下には、社会の仕組みが理解できないのです」
他の配下の騎士が我先にと相槌を打つ。
ガハナ卿にだけ、出世の道を歩ませる訳にはいかなかった。
「これも側近の言を受け入れてくださる、スヴァティシュターナ卿あってこそ! まこと我らは総長に恵まれておりますなあ!」
狭い村落道は軍馬が2騎並べればいい方である。
配下の騎士は総長の覚えをよくしようと、後背に馬を進め互いに威嚇しあう。
笑顔の下では、壮絶な駆け引きと火花が散っていたのだ。
「ホッホッホッ……侯爵ともなれば広大な領地の端々まで目が行き届かぬ。重責を担える、功績を上げた側近に分け与えなくてはのう」
「はっ……はは――――っ!!!」
彼らにとって戦はすでに終わり、意識は派閥争いへと移行していた。
「聴け――装備を確かめろ、これより部隊編成を行う! 歩兵隊は森へ分け入り、ゴブリンの集落近くに配置される!」
北方の盆地が近くなり、小休止中の従士隊に向けガハナ卿が陣形を伝令する。
自分はすでに首席――席の取り合いなど必要ないと、胸を張って誇示していた。
「身を粉にして働くがいい! キミたちの力を得れば百人力だっ!!」
ゴブリンに礼を言うよ、わたしに華を持たせてくれて――。
従騎士と小姓を引き連れ、言葉とは裏腹に農民兵を視野にも入れず闊歩する。
「よ――し開戦するぞ、野犬を追っ払うだけだ!」
「教わった通り、腹に力を入れて盾を打ち鳴らせ――!」
村落道のあちらこちらで、兵士も発破をかけ鼓舞しあう。
「俺は以前町の自警団に入ってて、狼と戦ったことがあるんだ」
「そっそれでどうだった!? 誰かケガしたり、しっ死んだりとか……っ」
「てんで大したことねえよ! 棒を振り回してたら逃げてった。魔獣っていっても子供の背丈なんだろ、狼より楽に決まってら!」
「そっそうか……っそうだな! よ――しっやってやる!」
行軍中バラバラになっていた農民兵が、部隊単位で呼び合い移動していく。
槍の切っ先を見定め、盾の感触を確認する。弓兵が荷馬車から矢を受けに並び、弦の張り具合を弾いてうかがう――。
戦闘が始まる前の、覚悟が決まる前の混沌とした最中にそれは起こった。
「おっ……いやがった、狼だ」
行軍の中央に位置する兵士が、ざわつく農民兵をよそに発見する。森の影となる奥まった場所に、ポツンと狼の頭が覗いていたのだ。
いつの間に接近していたのか、投槍の距離で周囲を窺っていた。
「工兵がつきまとわれてるって、愚痴ってたな。よっし見てろ、開戦の景気づけに――~…あれ?」
兵士が槍を構え狙いを定めると、ふいに闇に消える。
視線を流すと少し離れた場所に移動していた。
「素早いな……っと、また消えやがった!」
「遊ばれてんなあ、ほっとけよ槍がもったいねえ」
近くの兵士が半笑いで振り返ると、反対の森にも狼の頭が覗いている。
「ははっおいこっちにもいるぞ、本当に囲まれてたりしてな」
槍を構えたままの兵士に、袖を引いて注意を促す。
微動だにしない姿を不審に思い、盗み見た顔が蒼白に震えていて驚く。
「おい、どうし……」
疑問は、誘導された視線により答えを得た。
狼の首が数頭に増え、闇の中に頭だけ浮き上がっていたのだ。
ちょうど、子供の背丈ほどに――。
「ギャギャ――――ッッ!!!」
遠吠えとは思えぬ叫びが、狼の首から発せられる。
「ギャガァ――ッ!!」
「ギャガァ――ッ!!」
叫びは連鎖的に呼応し軍隊を包み込むと、人の頭ほどの石が空を覆った。
「なっなん……ぎゃっ!!」
「しゅ……襲撃!? 逃げるな、盾をかざせっ!」
「なにが、なっ――ぎゃあ!!」
「互いに背後を守れ! 誰か、伝令をっ!!」
投石と呼ぶには余りにも大きな石が、道の左右から降り注ぐ。
狭い村落道に500強の軍隊が縦に長く連なり、伝令用に片側も開けている。
部隊としての厚みはなきに等しい。姿も隠せず防御もままならず、軍隊の中央は一撃で壊滅状態となった。
「なに事だ騒がしい、農民兵が怖気出したか!?」
「只今伝令を放ちました、一体なにが起こったのやら……」
騎兵隊の後方にまで騒ぎと振動が届いてはいる。
しかし森の影になり、歩兵隊まで視界を確保できていない。
「……なんだ、奴らは」
それはある意味、予想通りではあったのか。
士気の低い農民兵はその場で戦おうとせず、雪崩を打って逃げ出したのだ。
制止を叫ぶ兵士を越え、重い槍と盾を放り出し、前の仲間を引き倒して走る。
そのため情報を聞きに行った伝令よりも早く、騎兵の列にまで到達していた。
「突然襲ってきて……こっこんなの聞いてねえっ!!」
「助けてくれ、死にたくねえ――っ!!」
「襲撃を受けたのか!? ええい、落ちついて説明せよ!」
「襲撃だ! 全員、騎乗――っ!!」
角笛が鳴り、騎士は状況が飲み込めないまま軍馬の下へ走る。
「騎乗だ! なにをしている、早くせよ!」
「槍を持てっ! 遅い、槍だ槍――っ!」
従騎士をせかし馬に乗るのを手伝わせ、小姓が武器を持ち走り回った。
「恥知らずにも奇襲だと!? 一体どうなっておるのだ、紋章官は検めたのか!」
「おのれ騎士の心得を理解せぬ輩……がっ?」
鉢型兜を手にした騎士が、叫びつつも目撃する。
森の影から、子供の背丈ほどの群れが殺到してくるのを。
狼や何か分からぬ毛皮をまとった者、簡素ながら鎧を身に着けた者。欠けた斧を構えて赤黒く染まった棍棒を掲げる。
醜く歪んだ顔、異様に長い手の指、風に乗る獣の匂い――。
「まっ魔獣だ――殺された、皆魔獣に殺された――っ!!」
農民兵が蒼白となり叫ぶ。
「そっそんなことはありえん! 騎士の我らが騎乗すらしておらぬ、まして開戦は北方の盆地であろう!?」
「っ――奴らは、魔獣ですよっ!?」
騎士を視界に納めたゴブリンが、錆びた剣を振りかぶった。
「ギャガァ――――ッッ!!!」
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