M属性 ~嗚呼、あなたに踏まれたい~

高谷正弘

文字の大きさ
上 下
102 / 171
第三章 新王都アムリタ

九十九夜 狼口を逃れて竜穴に入る

しおりを挟む
「お前たち「イザングランの尻尾」どもは、何人飼われてる?」
「なんだそれは!? 調子に乗るなよ小娘――ぐっ!」
 突っ込みは誘拐犯一味へつけたあだ名か、人数を訊かれた件か。私は御者をする男の太ももに剣の柄を叩きつけた。
 誘拐は例え未遂でも足の切断刑、知ってか知らずか男は急激に青ざめる。
「……9人――ほっ本当だ! 俺をふくめて9人しか見たことがねえっ!!」
 再び足に振り落そうと、上げていた剣を降ろす。
 誇張して脅しをかけてる気配はない、ならば伏兵を想定すれば10数人。
「どのみち1人で殴り込むには、いささか無謀かなあ」
 町民はさして珍しくない、木炭の藁束を積んだ荷馬車を二度見する。通り過ぎるまで口を開けて見守り、顔を見合わせフラリと後を追った。
 御者の男は顔半分を血で濡れた布で覆い、足をチェーンで縛られている。
 隣に座る行商人風の美少女は、抜き身の剣を男に突きつけていたのだ。
 ゆっくりと、見せつけるようにゆっくりと、馬車は橋を渡り水車小屋へ向かう。
 さらった獲物は――ユーパは拘束して荷馬車に押し込め、水車小屋に運び監禁する手筈だと聞き出した。
 それだけでバックに領主が控えてるのが、ハッタリではないと確定する。
 水車小屋は領主独占の施設。脱穀や製粉に染料の加工まで、水車動力は最先端の「工作機械」なのだ。
 生活必需品に携わる重要な役割を担っており、領主の館近くに建てられるほど。
 粉ひき職人は領主に直接雇われ、様々な特権を有すことができた。
 町民は頭を下げて使用を乞うしかない。権力を笠に着て利用料を着服したりと、傍若無人な振る舞いをした話をよく耳にする。
「まさしく「領主の手先」……ね。さて素直な私が、ルナールになれるかなあ」


「狐物語」
 悪巧みに長けた狐ルナールを中心に、狼イザングランとの深い確執、ライオンのノーブル王による裁判。
 擬人化した動物が人間さながらに生活し、愚かにも騙し傷つけ合う……封建社会の宗教や政治などの矛盾を揶揄し、笑い飛ばした風刺作品である。
 民話として口承し、写本により記され……12世紀後期に複数の書き手により、編修された約30編の物語。
 ファブリオと違い登場人物が動物で、より寓話感が増さっている。
 主人公の名「ルナール」が、「狐」を意味するほど広く世に親しまれた。


「――ではウダカとの間にある村から、我らを監視していたのか!」
 早朝の忙しさが収まり、影のかかる路地にだけ別種の闇が広がっていた。
 親方は男の袖を無造作に破り、斬られた頬に巻きつけながら質問する。別にお礼ではないだろうけど、男はふて腐れた口調で大人しく答えた。
「ああ、この町はウダカや新王都絡みの過客が多い。経由する村で獲物を物色し、先回りして宿を突き止めるのが俺の仕事だ」
「単身なのか複数なのか、荷の種類や商売上のつき合いを前以って聞き出せれば、以後の動きも予想しやすかったでしょうね」
 そんなことだけは頭が回るんだ――皮肉を込めた呟きを、男は顔を伏せ流した。
 お世話になった村を思い出す。さすがにこんな「有事」は想定してないだろう、犯罪者に利用されてるなんて不快でしかない。
 炉を囲み談笑してた行商人の中にこの男はいなかったか。藁を貰いに出た時に、妙な気配を感じなかったか……。
「へっ街道や村落道で通りかかるのを待って追いはぎするより、よほど確実な稼ぎになるのさ。おい大人しく話してるんだ、その物騒な小娘を近づけるな!」
 傷が痛むのか男はうつむいて呻く。あるいは状況の打開と打算に、頭をフル回転させているのだろう。
 この場で真偽を問うても確証は得られない、しかし以後の交渉には役立つ。
 開き直った物言いに少しばかり頬が引くつくけど、今は流してあげる。
「身包み剥ぐか奴隷商に売り飛ばす、金持ちや貴族ならさらって身代金を要求する。俺は獲物を見張る下っ端だ、本当にこれ以上は知らねえ!」
 小さい子供が3人いるんだ、頼むよ見逃してくれ――目に涙さえ光らせ、なにやらグダグダと悲惨な身の上話を披露し始めた。
「脅迫が通じないと情けに訴える、小悪党が取る常套手段ね」
「うっ……」
 記憶を探るもまだ分からない点があり、無傷な頬に剣を突きつけ迫る。
「お前はお嬢様の親・・・・・と吠えた。さして儲けてなさそうな行商人――卸売り商人を、なぜ貴族であると看破したのか!」
「はあっ!?」
 ……あれ?
 疑問というより呆れた表情の男に、若干だが覇気が緩む。
「小娘ってめえのどこが商人だ! どっからどう見ても平民の生活を見物にきた、世間知らずの貴族様だろうがっ!」
 当たり前とばかりに断定され、己の姿を見直す。親方のボロい貫頭衣に比べて、お父様に頼み設えた布地は簡素だが上質。
 冒険を夢見て大切にしまっておいたので、擦り切れも色褪せもなく新品同様。
 私にとっては当たり前だったから、問われるまで気がつかなかった。
「ええっ? ひと目で貴族だって、分かったの!?」
 すれ違う人や宿のおばさん、個人に関心を持たない者なら気にしないだろう。
 だけど会話を交わしたり、少しでも興味が沸けば気がついて当然。
 思えばユーパは私を「姉様」と呼んでいたし、いくら偽名でも――いやそもそも平民が、貴族の名や爵位号を知ってる方が稀。
 さらには堂々と佩刀しており……これだけそろえば、バレない方がおかしい。
「そういえばプレマは様付けだったし、木炭職人もお嬢様って呼んでた……」

 冒険譚に憧れ、世界の名物を食べ盗賊を懲らしめ、想像の中で幾度も旅をした。
「現実」の皆にとって、より「違和感」のある存在は……むしろ私の方。

「親方ぁ! なんでバレるよって教えて……えっ親方も気づいてなかったの?」
 軋む風車みたいに親方を見れば、呆然とした顔に若干だが照れも滲んでいた。
 もしかしたら親方も、いい身分の出身なのかな?
 なんだか逆切れっぽいし、これ以上は怒鳴れない。凄く恥ずかしくなったけど、着替えはないし脱ぐ訳にもいかない。
「ああ……思い返しても村で子供らに、商店やウダカ城の話をしちゃってた。自ら平民とは違うと、宣言していたんだわ」
 つまりウダカの内側都市部を知っており、城に招かれる上流貴族だと。
「えっ小娘……お嬢様は、城に上がれるほどの爵位なんですかい?」
 さっき思いっきり、伯爵令嬢だって叫んだでしょうが。
 けど貴族とは分かっても、話を盗み聞きして爵位まで知ってた訳じゃないんだ。
 ――だったら村で感じた妙な気配は、やっぱり親方? この男を追った俊敏さがあれば、路地に潜むのも可能だったろう。
 思いついた疑惑に親方を見る、心を読んだのかふいに視線をそらした。
 答えを得たも同然、親方は密かに私を護衛していたのだ。
「はぁ黙ってたのはムカつくけど……お父様に色々言いふくめられたんでしょ? 悪い虫がつかないようにとか、行商人の厳しい現実を見せ諦めさせてくれとか」
「……なんのことでしょう」
「確信が持てたし今更だからもういいわ、だけど護衛失敗でお払い箱でしょうね」
 親方は私の断定に観念したのか、苦笑を浮かべた。
 私には分からない立場もあるんだろう、宿の焦った大声に免じて許してあげる。
 あれこそが親方の、本心だったと思うから。
「あっそうだ! それじゃあ私と、新たに契約しない?」
 影が降りる路地に光が射したのか、突然の申告に親方が目を細め見上げた。
「仕事は弟ユーパの奪還! 報酬はそうね……世界に名を轟かせる私の冒険譚に、登場させてあげるわ! 親方――じゃない、名前はなんていうの?」
 すでに商談をまとめたとばかりに、決定事項として宣言する。
 その時私はなぜか理解していたのだ、親方は絶対断らないと。陰湿で胡散臭く、無口だけど素敵な声で、ひょろ過ぎるけど以外に強い。
 ストレートの銀髪が揺れ、決意をこめた瞳で少しだけ微笑んだ。
「契約などしなくともそのつもりでした……ソーマと申します、ビハーラ嬢」
「共通の目的を持った、これもパーティよ! 短い間だけどよろしくソーマ!!」

 それが後に長いつき合いになるなど、その時の私には知る由もない。


 ☆


 人目を引いた馬車が石畳の道をそれ、川に沿った水車小屋につく。
 草の生えない空き地を選び、手前で止めさせた。十分に宣伝効果があったのか、川の対岸には何事かと野次馬かんきゃくが集まっている。
 使用料のかかる橋を渡る者はいなかったが、巻き込まないで済むし丁度いい。
 見れば石畳の最奥、さらに進んだ先には領主の館が建っていた。地位を誇示した大きな館は他者の目が届きやすく、ここからでも見通せる。
「会合や面談などで町民の出入りも激しい。少なくとも日中は「商売」に使用した荷馬車の出入りを、避けたいでしょうね」
 水車小屋の内部を探れる者はおらず、一時的な監禁場ならうってつけだろう。
「ついたぞ……ぎゃっ!」
 御者台から蹴り降ろされた男が声を上げ、悲鳴が危機を伝え周囲に響く。
 水車小屋の内部で、人の気配が強くなった。私は重荷となる鞘を馬車に置くと、抜き身の剣を持ったまま降りてひと呼吸。
「――イザングランの尻尾ども! 人の言葉が分かるのならば、出てこいっ!!」
 集まった町民に聞こえるよう、さらに多くを集めるよう大声を張り上げる。
 気分は野外劇場、満を持して主役の登場であった。
 水車小屋の扉が音を立てて開き、屈強な端役おとこどもが舞台袖から現れる。
「ふ~ん7人・・ね」
 丸腰だが信じる者はいないだろう、脇やベルトの後ろが不自然に膨らむ。
 小屋の隙間から見ていたのか、仲間がとらえられているのに表面上焦りはない。
「これはこれはお嬢様、身分ある方が訪れる場所ではありませんよ。なにやら誤解があるみたいですが――」
「冗長な場面転換につき合う気はない、今すぐ弟を開放しろ!!」
 足をチェーンで縛られ、情けなくもヘタリ込んだ男の首に剣を当て軽く引く。
 さすがは兄様から貰った剣、それだけで鮮血があふれた。
「たっ助けてくれ! この小娘無茶苦茶やりやがる、本当に斬りやがった!!」
 男は息も荒く泣き叫び、その拍子に顔を覆った布が落ちる。取れかけた耳と未だ血が流れる頬の傷、これは縫わないとダメだろうなあ。
 尻尾どもはたたらを踏んでたじろぎ、その目は私に対し怯えにまみれ――。
「なんだかとっても失礼ね、自分らの行いを鑑みたらどう?」

「――ちっ!」
 一瞬で漂った不穏な空気は、掻き消えることなく剣呑な空気へと変わる。
 尻尾の1人が対岸の町民たちに気がつき舌打ちし、馬車を背にした私とヘタレを半包囲すべく広がり始めた。
 なにが・・・起こっても、見えないように――。
『嬢ちゃん黙ってた方が身のためだぜ、状況分かってんのか? こっからひと声でもかけりゃあ、弟と気がつかねえツラにしてやるぞ!』
『オイまずは剣をよこしな、なぶり殺されたくはねえだろうが……ああ?』
『商人の真似事がしたかったんだよな、よし商談に入ろう! 悪い取引じゃない、お嬢様や貴族からすれば端金だ』
 脅し、威嚇し、妥協を装ったセリフが上滑りし、私は深く息を吐く。
「仕入れで分ったわ、交渉は主導権の取り合い。騒がれるとまずいから「黙れ」、抵抗されると面倒だから「武器を放せ」、惑わせたいから「悪い話じゃない」……言うことを聞けば日常に戻れると希望を持たせ、有利に進める話術」
 けれど結局は、さらに状況を悪くしてるだけ――。
 なにを言い出したのかと、尻尾どもは不審がって眉を寄せる。
「剣を向ける者を、信じるか――――っ!!」
「うおっ!?」
 銀の波が弧を描き、後一歩で組み伏せれる距離から飛び上がって尻尾を巻いた。
「こっこのアマ……っ」
「私が従ったら人質が2人に増えるのよ、弟だけ殺される方がまだマシ・・・・だわっ! 人質を開放した証拠をしめすとか、交換条件じゃなきゃ意味がない!!」
 剣と共に睨みつけ、瞳で尻尾どもの意志も叩き斬る。
 この私を悲劇に泣き崩れる、ただの美少女だと思うなよ――。
「ちっ分かった分かったこっちのガキは町中に離す、それでいいだろ。こっからは水車小屋なかで交渉を詰めようじゃねえか」
「なにも分かっていないようね。あなたたちが誘拐したのは、伯爵家・・・の嫡男よ!」
 具体的な爵位が出て、そこまでは知らなかった尻尾どもがざわつく。
 侯爵に続く爵位であり、中都市を所領し他の貴族を庇護下に納める伯爵の位。
「町」程度の領主が、どれほど後ろ盾となり得るのか。尻尾どもは捨てられた子犬ほどに狼狽え、不安気に顔を見合わせる。
「しかしなにより――こんな輩にまんまとさらわれた、ユーパこそが悪い!!」
「なっ……ええ?」
 私の宣言は、周囲の町民をも巻き込んで爆発した。
 観客どもよ、この主役に注目なさい!
「ユーパは伯爵家の嫡男! 立場も義務も忘れ、商人の真似をするとは何事か! 恥を知りなさい恥を!!」
「じょ、嬢ちゃんも同じ服を――」
「だけど安心なさい、誘拐犯相手に立派に戦ったとお父様にはご報告してあげる。私は無惨に殺された弟を前に復讐を誓い、見事討ち取ってウダカへ凱旋する!」
「殺しちゃいない! 俺らはなにも知ら――」
「後はこの件・・・を聴かれた者の処遇をどうするか……誘拐犯のいる小さな町ぐらい、伯爵の名で磨り潰すなんて訳ないわ!」
 対岸の町民までふくめ、下目遣いでねめまわす。
 あんたが勝手に話し出したのでは……理不尽だと訴える、心の叫びが響いた。
「嫡男の不在と貴族に相応しき矜持! ここまでお膳立てすれば、無理矢理にでも女系継承の規定を認めさせ――伯爵家を牛耳るのも容易いでしょう!!」
 私の貴重な踏み台けいけんとなりなさい――水車の音を掻き消す、高笑いが木霊する。
「こいつならやり兼ねないのでは」
 失礼な視線に声を荒げる前に、水車小屋の二階にある戸板が吹き飛んだ。
「っ今度は、なんだあ!?」


「――領主が主犯だと想定するなら、確かに衛兵はあてになりません」
 ソーマの呟きに肯定の瞳を返す。
 町で雇う兵士は領主と直接雇用契約を結ぶ、私兵と呼ぶべき集団。
 実情をどこまで知らされているか分からないけど、敵の根城にノコノコ出かけて訴えるなんて不毛もいいとこ。
 通常犯罪行為は領主が裁判を行う、最悪交渉にすらならず闇に葬られるだろう。
「だから住民の前で直接訴え、この犯罪行為を白日の下に晒す必要があるわ」
 どちらに非があり誰が正しいのか、説明せずとも理解できるように。
「私が伯爵令嬢だと名乗り誘拐犯の拠点に殴り込む。ソーマは騒ぎに乗じ、密かにユーパを奪還して欲しい!」
「いけませんビハーラ嬢、この件・・・にこれ以上巻き込めません! そのような危険な役は私が勤めます!」
「商人に荒事なんて無理だ――とは、言わないんだ」
 上げ足を取って笑うと、少しだけ怯んだ顔を見せるのが可愛い。
 この件・・・ね……外見から判断できない膂力、どこからか取り出した鉄のチェーン。
 なにやら彼は、他にも秘密を持っているようだ。
「……貴女あなたをこの場に拘束してでも、私1人で救助に向かうのが得策です」
「残念ながら悪手よ、この男の他に誘拐犯一味が潜んでないとは言い切れない」
「……っ!」
 チェーンを片手にソーマが周囲に気配を飛ばす、頬に一筋汗が落ちた。
「でっですが……」
「まず危険な状況にあるユーパの確保、パーティの合流が第一! それには路地裏を走り回れる脚力と、影に潜めるソーマが適任よ!」
 この私に黒子は似合わないでしょ――髪をかき上げようとしたのに、帽子バレットに詰め込んでいて手がスカる。
「それに矢面に立つのは、私でなければならない」
 美少女が屈強な男たちに絡まれ、しかし昂然と胸を張り正しさを主張する。
 捕まえた男は「今まで感づいた奴等もいた」と脅迫に利用した。だったら同様の誘拐事件がこの町で、周辺の農村でも起きていると見るべきだ。
 か弱き乙女が御旗となって鼓舞するからこそ、立ち上がる被害者もいるはず。
「それは後の裁判で、重要な証拠をもたらす証言となる!」
「……ビハーラ嬢」
「私だって後先考えないで飛び出してる訳じゃないわ。伯爵家ともなれば、世間に向けて貴族の名誉を誇示する義務があるのを知ってる」
 どうやらソーマも知ってるみたいだけどね――顔を近づけて追及したんだけど、無言と能面で流された。
「……どうか無茶をせず、ご自愛を約束してください」
「そうか傷だらけの美少女の方が、吟遊詩人のネタ的に萌え――冗談だってば! だけど私ね、今日のために剣を習ってきたんだと思う。それにケガの一つくらい、冒険者の勲章だってむしろ誇れるんだけどな」

「なぜだか私、子供の頃から傷の治りが早いの!」


「うわあああああ――――っっ!!」
 男が絶叫と共に二階から落下し、地面で跳ねた振動が土埃を生む。
 ユーパの監視に1人残ってたのだろう、突如の展開に尻尾どもは唖然とする。
「ヘタレをふくめてこれで9名、どうやら嘘は言ってなかったようね」
 てっきり伏兵が潜んでると思ってたのに肩透かしだ。ヘタレは司法取引目当てで仲間を売っておきながら、媚びを売って私を見上げた。
 誘拐犯の肩を持つ気はさらさらないけど、眉をひそめたくはなる。
「ご無事か、ビハーラ嬢っ!!」
「見ての通りよ、ホーイホ――ッ!」
 二階の窓から、ユーパを抱えたソーマが顔を覗かせた。
 軽く手を振り無事を伝えると、心底安堵した表情を作る。比べユーパは先ほどの問答が聞こえたのか、信じられないと私を凝視していた。
「……いっとくけどルナールの悪巧み、時間稼ぎのお芝居だからね?」
 ソーマが自分に注意を向けさせるため、派手に窓から飛び降りる。抱きかかえたユーパの重さを感じさせない身のこなしに、思わず口笛を一つ。
 しかしそんなことをせずとも、切り札を奪われた尻尾どもは我を忘れ殺到する。
「てめえガキを返しやがれっ!」
「調子に乗ってんじゃねぞコラ!!」
 腰裏から胸元からナイフを取り出し、ユーパを取り返そうと雄叫びを上げた。
 内2人が私を代わりの人質にと思ったのか、振り返って無造作に詰め寄る。
「オイ嬢ちゃん、大人しく……」
「ぎゃっ!」
 私は馬車を背に後方を防御し、ヘタレを思いっきり蹴り飛ばし1人を遮った。
「これで1対1! やあああ――っ!!」
「おい絶対に逃すな! 小娘の爵位が本当なら、下手すりゃ騎士団が出てくる!」
「くそっ……楽な商売って話だったのに!」
 尻尾の武器はナイフ、リーチは剣の私が完全に上。だが筋力の差か一撃が重く、さらに手数もあって思うように剣が振るえない。
 数合切り結んだが、衣服を裂き剣の腹で打ち、決定打を遠く感じる。
 尻尾も人質にと思っていて強攻はしない。だけど命を奪えるナイフが鈍く光り、肌をかすめるたび精神が吸い取られた。
 鉄を弾き火花が散り、擦りつける耳に響く異音。
 両者息が上がり睨み合いが増え、ついにヘタレの時間稼ぎが終了。
「痛え痛え――っ! おい早く、早く鎖をといてくれ――~っ!!」
「ちっこの……うるせえ! 邪魔だどけ!!」
「ぎゃっ!」
 固く結ばれたチェーンはそう簡単にとけない、後回しと諦めて放りだされる。
「はぁはぁ……っこれで、1対2……っ!!」
 先にこちらだけでも、片づけておきたかった。
 突き込んだ際2人目に袖を取られ、どうしてだか無理矢理引き剥がせる。帽子バレットにナイフを受け、詰め込んでいた長い髪が舞う。
 尻尾たちに困惑の表情が強く浮かぶ、なぜこんな小娘が捕らえられないのかと。
「この……手加減してやってりゃ、いい気になりやがって!」
「死にてえのか小娘っ!!」
「やってみろっ! あんたらにはおよびもつかない兄様に、鍛えて貰ったのよ!」
 剣を握る感覚はすでに消え、己の呼吸音しか聞こえない。
 練習とは違う実戦の緊張感に疲労が早い。霞む意識の中で、ラクシュミー兄様が剣の手ほどきをしてくれる。
『ビハーラは俺より筋がいい、続ければひとかどの剣士になれるだろう』
 褒められたのが嬉しくって、この時がずっと続けばいいのにと願った。
 幾度か体感したのだ、この……体から溢れる万能感。心が魂が燃えて炎を放ち、光となって外へ外へと湧き上がる。
「――なって、見せるっ!!」
 体の内・・・から、淡い光がうっすら立ち上っていた。
「ちっ……もういい、殺れっ! 何もなかった・・・・・・ことにしろ――っ!!」
 3人目が駆け寄り、苛立った銀に光るナイフが私の胸に吸い込まれる――。

「ビハーラ嬢――『――…』っ!!」
「ぎゃっ!」
「ぐっ……!?」
 怒号に掻き消されてソーマの声はよく聞こえなかったが、突如私の足元へ大きな壁が3枚降って尻尾3人を弾き飛ばす。
 それは鉄製の「スクトゥム」――重装歩兵を代表する、長方形の巨大な盾。
 地面に突き立った鉄の盾が、私と尻尾を隔てたのだ。
「はぁはっ……なに、っこれ……?」
 どこからこんなものを――理解がともなわず一瞬呆然とするが、荒い息が身体の疲労を思い出し膝が揺れる。
 剣を杖に座るのを拒む、今気を抜いたら立ち上がれそうになかった。
 耳だけは嫌でも周囲の音を拾い、気がつけば争う声は呻き声に変わっている。
「――っ!?」
 盾に誰かの手がかかり隙間を開けた。
 反射的に身構え――そこに現れたのは、見慣れた旅のパーティメンバー。
「遅くなり、申し訳ございません」
「ビハーラ姉様、ごめんなさい――っ!!」
 ユーパが抱きついてくる、ああもう危ないなあ。
 ソーマは尻尾から奪ったナイフで、立ち回っていたようだ。
 ユーパにはかすり傷すらついていない。もし保護する対象がいなければ、もっと早くに制圧していたのだろう。
 以外に強いとは思ったけど、想像以上に凄まじい護衛だった。
「……悔しいけどこの章は、ソーマに持っていかれたわね」
 剣を馬車に置き、代わりに弟を杖代わりにする。
 二つの鼓動が重なる、暖かい杖。
「ビハーラ嬢には、とても及びません」

「誘拐犯9名、これで全員捕らえれたのかな……主犯・・は別にしてね」
 チェーンを巻きつけそこいらに転がってるだろうヘタレに、いじわるな笑み。
「うう……っクソ! 若造と思って油断した!」
「俺らの後ろに誰がいるか聞いて、腰抜かすなよ! 思い知らせてやる!」
「遠吠えなら裁判で為さい! 多くの証言者も、期待してることでしょう!」
 川の対岸で立ち回りは終わったのかと、安堵する町民。そして橋を渡り、石畳の道から遠巻きに見ていた町民。
「……ちっ!」
 ここまで目立つ活劇を繰り広げてしまったのだ。周囲から疑惑の目で凝視され、悪態が沈んでいく。
 視線を巡らすと倒れ呻いてる尻尾どもの間に、異質な輝きを見つける。
 手の平サイズのトゲ付き鉄球……幾人かはこれを踏み、足を押さえていた。
「突如出現した盾に鉄球、どれも妙な光沢を放ってる。これって一体――」
「姉様っ!」
 馬車の影から男が1人飛び出す。
 顔を半分布で覆っている、なんとかチェーンをとき隙を窺っていたヘタレだ。
「てめえら俺にこんなことして、タダで済むと思うな――っ!!」
 状況が分かっているのかいないのか、捨て台詞を吐きながら逃げだした。
 手にはいつの間にかナイフが握られており、狙いは遠巻きに見ていた町民!?
「なっなにをしてるの!? 早く、早く逃げなさいっ!!」
 しかしナイフを振り回し迫る暴漢に、誰も反応せず立ち尽くしている。
 ここから見ても目を見開き怯えているのに、それでも動かない。
「なぜ……っソーマ! あいつを捕まえて!!」
「――しっしかし!」
 ソーマは私を振り返り、周囲にも注意を向ける。尻尾どもは気絶している訳ではないのだ、完全に拘束するまで油断はならない。
 2人の側を離れる訳にはいかない、ソーマの瞳が訴えていた。
「そっそれは分かるけど、放っといたら関係もない住民に被害がでる!」
『っ……邪土じゃどう』!
 ソーマがナイフを投げ捨て、足元に手をつき「力」をこめた言葉を放つ。地面に30センチほどの見慣れない文様が浮かび、淡く発光する。
 文様からチェーンが生まれて走り、ヘタレに追いつくと巻きつき駆け上った。
「ぎゃあっ! ちっちくしょう――~っ!!」
 町民まで後数メートル、再びチェーンにとらえられもんどりうって倒れる。
 今なら分かる、路地でも同じ現象が起きたのだ。地面から出現したチェーンは、やはり妙な光沢を放っていた。
 ヘタレがまたもやなにか懇願している、しかし私の意識は元親方から離れない。
「ジャ……ジャドウ? ソーマ……あなた、いったい」

「これはこれは、その不思議な御業は因果伯殿とお見受けします」
 先ほどは微動だにしなかった町民が割れ、完全武装の兵士10数人が進み出る。
 真ん中には厳格な髭を蓄えた老人が騎馬していた。物言いや風格から一見して、この町の領主だと匂わせる。
 この老人を守るため盾となった? いや老人が、使用人を盾にしたのか!
 しかしそれより、発せられた名称に驚きが隠せない。
「インガハクって、あの因果伯? ソーマ……あなたが?」
 いくつもの冒険譚に登場し、危機に際し颯爽と現れ、領民を助けるヒーロー。
 その力は一騎当千であり、国家の要と称される存在。私の疑問にソーマはただ、表情を隠し返答を避けた。
 私の戸惑いを他所にいつから準備していたのか、兵たちは予定調和よろしく次々と尻尾どもを捕縛していく。
 約束が違う、裏切ったな、俺らは言われた通り――そんな呪詛もどこ吹く風。
「なっ仲間を、売ったのか!?」
 倒れていたヘタレはどの口で吠えれるのか、髭領主は視線も合わせず黙殺する。
 平然と切り捨てたのだ……そんな現場を直接私たちに、そして町民に見られても一切気にしていない。
 分かっている・・・・・・のだ、自分の地位は万全だと、領主の身は揺るがないと。
 平民にどう思われようと、どのような主張があろうと物の数ではない。それらを証明するみたいに、町民は領主の姿を認めると視線を落とし表情が消える。
 裁判で証言を求める計画が、破綻したのを感じていた……。

「先ほどのご令嬢の演説、真実まことに結構。貴族家の嫡男が平民の真似事など、決して許されざる不名誉! 御父上に顔向けできぬ汚名となりましょう」
 髭領主が下馬し、嘆きの表情と共にわざとらしく盗み見た。
 ユーパが汚れた貫頭衣を見返し、雷に打たれて泣きそうな顔になる。私は繋いだ手を熱く握りしめ、顔を上げろと諭す。
「なにご心配なさらなくとも、この件・・・を口外する者は何処にもおりません」
 幸いですなあ――老人とは思えない健脚で私にすり寄り、釘を刺す。
 駆け引きをしている訳ではない、自分の主張が正しいのだと傲慢な髭が訴える。
「しばし拙宅で過ごされるといい、貴族の嗜みをお教えいたしますよ。いや配偶者に先立たれましてな、ご令嬢ほど見目麗しい方なら後添いに迎えたいほどです」
「……大変ありがたいお話ですが、私は件の通り伯爵家・・・を手中に収めたいので」
 ピクリと……髭が跳ねる。ウダカの晩餐会で末席にいたこの老人を思い出した、たしか子爵だったはず。
 ことさら身分を笠に着る性格、明確に「家名が下」だと宣言してやったのだ。

「イザングランの尻尾を操る狼……ノーブル王と呼ぶには、貫録不足ですわね」
「ではローカァ伯爵令嬢はルナールですかな? いやこれはお遊びが過ぎました」
 やはり私の爵位号を知っている、それでいて頭を押さえようとしていたのだ。
 ノーブル王はたてがみと覇気を持つ、ラクシュミー兄様こそが相応しい。
「あまり悪巧みが過ぎますと御母上の出自が疑われましょう……やはり血筋かと」
 耳元に口を近づけ、呟くように発せられた揶揄。
 目の前が真っ赤になった。弟だけならまだしも、お母様――ひいては兄様まで、侮辱すると言うのか!
 まだなにか吠えているが、怒りが体を震わせ思考が白熱している。剣を手にしていれば、一刀のもとにそのシワだらけの首を刎ねてやるのに!!
 ソーマが剣を置いた馬車の間にたたずみ、小さく首を振ると鞘に納めた。
「感情に任せた行動は悪手、それは分かるけど……分かりたくないっ!」
 私の激高は収まらず大地にも伝わり……いやこれ本当に、揺れてない?
「なっ……なんだ!?」
「きゃあ――っ!」
 振動はさらに大きくなり、町民の中には座り込む女性も現れ――。
 石垣を組んだ立派な市壁が、一部盛大に吹き飛んだ。
「なっなっなんだ、なにが起こった!? 盗賊の襲撃か? 他国の侵略か??」
 厳格な領主に初めて驚愕の表情が浮かび、髭で隠れていた口を最大限に開ける。
 ざまあみろと大笑いする間もなく、次いで領主の館が吹き飛ぶ。黒い穴が空き、赤い魔獣が現れ咆哮が町中に轟く。

 それが後に魔獣暴走スタンピードと呼ばれる事案とは、その時の私には知る由もない。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

婚約破棄からの断罪カウンター

F.conoe
ファンタジー
冤罪押しつけられたから、それなら、と実現してあげた悪役令嬢。 理論ではなく力押しのカウンター攻撃 効果は抜群か…? (すでに違う婚約破棄ものも投稿していますが、はじめてなんとか書き上げた婚約破棄ものです)

冤罪をかけられた上に婚約破棄されたので、こんな国出て行ってやります

真理亜
恋愛
「そうですか。では出て行きます」 婚約者である王太子のイーサンから謝罪を要求され、従わないなら国外追放だと脅された公爵令嬢のアイリスは、平然とこう言い放った。  そもそもが冤罪を着せられた上、婚約破棄までされた相手に敬意を表す必要など無いし、そんな王太子が治める国に未練などなかったからだ。  脅しが空振りに終わったイーサンは狼狽えるが、最早後の祭りだった。なんと娘可愛さに公爵自身もまた爵位を返上して国を出ると言い出したのだ。  王国のTOPに位置する公爵家が無くなるなどあってはならないことだ。イーサンは慌てて引き止めるがもう遅かった。

悪意のパーティー《完結》

アーエル
ファンタジー
私が目を覚ましたのは王城で行われたパーティーで毒を盛られてから1年になろうかという時期でした。 ある意味でダークな内容です ‪☆他社でも公開

三歳で婚約破棄された貧乏伯爵家の三男坊そのショックで現世の記憶が蘇る

マメシバ
ファンタジー
貧乏伯爵家の三男坊のアラン令息 三歳で婚約破棄され そのショックで前世の記憶が蘇る 前世でも貧乏だったのなんの問題なし なによりも魔法の世界 ワクワクが止まらない三歳児の 波瀾万丈

【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる

三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。 こんなはずじゃなかった! 異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。 珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に! やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活! 右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり! アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。

無能なので辞めさせていただきます!

サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。 マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。 えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって? 残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、 無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって? はいはいわかりました。 辞めますよ。 退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。 自分無能なんで、なんにもわかりませんから。 カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。

異世界召喚でクラスの勇者達よりも強い俺は無能として追放処刑されたので自由に旅をします

Dakurai
ファンタジー
クラスで授業していた不動無限は突如と教室が光に包み込まれ気がつくと異世界に召喚されてしまった。神による儀式でとある神によってのスキルを得たがスキルが強すぎてスキル無しと勘違いされ更にはクラスメイトと王女による思惑で追放処刑に会ってしまうしかし最強スキルと聖獣のカワウソによって難を逃れと思ったらクラスの女子中野蒼花がついてきた。 相棒のカワウソとクラスの中野蒼花そして異世界の仲間と共にこの世界を自由に旅をします。 現在、第三章フェレスト王国エルフ編

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

処理中です...