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第三章 新王都アムリタ

九十六夜 ビハーラ嬢

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「ウマー伯爵先日貿易輸送船で、不祥事があったのをご承知ですか?」
「おお耳が早い、組合から報告を受けました。確か流血をともなう傷害事件です、海法を軽視する許されざる犯罪ですな!」
「……どんな事情があれ罪は罪です、責任を取るのは当然ですね」
「まったくです! 船主の商人は金貨66枚の賠償金ではと、憤っていました」
 アラヤシキ計算で約800万円。
 船の持ち主からすれば、全てを失ったかもしれない蒼白となる事案。領主であるウマー伯爵も、所領での重要犯罪に眉をひそめていた。
 行為に対しての正式な裁きだけど、心情が心を重くさせる。
「――しかしですなあ。なぜか被害者が判決の取り下げを強硬に主張したそうで、示談が成立したはずです。亜人の犯罪者が世に放たれるのはいかがかと……あれ、どっちが亜人だったかな?」
 首を捻るウマー伯爵を横に、安堵のため息が出た。
「示談に、なりましたか」
 賭け事好きの船長と真面目な船員長、いずれまたそう呼べる日がくるだろう。
 波を切る風の音に、商船での騒動を思い出し目を細めた。

「一方捕縛された海賊が、自首しておきながら急に暴れ出す騒ぎもありましてな。奴等の精神は訳が分かりません、いやはや領主も大変ですよ」



 ぼくも学園の振興を眺めていた訳ではない。ウダカの「アラヤシキ化」に備え、側溝と公衆浴場の準備に街を「視て」周る。
 幸い外側で絡まれた経緯は、ヴィーラ殿下との戦闘訓練後に不問となった。
「ボクが監視してるとはいえ、気をつけて行動しろよ」
「大丈夫だよ、今度は速攻で逃げるから!」
「お前の心配じゃない、相手は魔獣じゃなく人だってのを理解しとけ!」
 むしろやり過ぎるなと注意を受けたのは、なんだか心外だったけど……。
「じゃあ私が護衛としてついてくっ! 盗賊相手なら「力」の練習台にしたって、どこからも文句は出ないだろうし最適じゃない!!」
 ビハーラ嬢が妙に嬉しそうに爆弾提案をする。
 誘拐は例え未遂でも金貨330枚の賠償金――アラヤシキ計算で約4千万円。
 または男性は足の切断、女性は鼻を切断される。因果伯の練習台にされるのと、どっちがマシだろうか。
「いやいや絶対ダメです! どちらも不幸しか生みません!!」
 なんとか説得し、追い払うだけと合意を得る。
 しかし誰にとっての幸いか、目当てのワーウルフは気配すらなかった。
 ウダカの暗部と称される外側周辺まで引っ張り回さ……足を延ばしたが、ついに姿を現さずビハーラ嬢は不機嫌となる。
「わざわざ貴族っぽい格好してるのに、なんで誰も襲ってこないの!?」
「啓いてなくとも『カルマ』は気配として感じれます、それで近寄ってこなかったのかもしれません」
 襲われるのを待つのもいかがかと思いますけど――地団駄を踏んで憤る乙女に、ぼくの突っ込みは聞こえていない。
 最初はカレシーが遠ざけてるのかなと思っていた。
 けどジャーラフから、ソーマ卿が影のごとく先行し障害を排除してたと聴き……「風舌ふうぜつ」とは別種の脳のしびれを覚える。
「あの……むしろ大変でしょうし、御一緒に周って貰えますか?」
「……なんのことでしょう」
 うっう――~…ん。

 どうにか「ウダカ城郭内の正確な地図」が完成し、ウマー伯爵に謁見を求める。
 側溝の許可を得るため、有識者会議への参加をお願いしたのだ。
「乙女の水道への参拝、パレードの仕掛けにウダカケーキ等――新参の少年騎士がでかいツラして、ウダカを改革するのが気に入らない」
 宮中伯や法官、儀典長に徴税官と司教から、批判的な視線が突き刺さる。
 領主であるウマー伯爵の忠告も意に介さない失笑に、興奮し頬の高揚を感じた。
「え? お前が……あっいや君が殿下と戦闘訓練をした、家臣なのですか!?」
「はい、僭越ながらお相手いたしました。その節は大変お騒がせいたしまして」
「「ぅええええ――――~…っっ!?」」
 領地の危機を思わせる内側城門の混乱は、つい先日の話。
 城の中庭は瓦が吹き飛び魔獣が荒れ狂った惨状で、家畜は未だ震えてるそうだ。
「もっもちろん私は知っておりました! 貴殿は晩餐会にも来ておられましたな、皆には礼儀を持って接するべしと強く進言いたしますぞ!!」
「全く私以外は失礼にもほどがある、アユム卿の寛大な心に感謝すべきです!」
 そういえばこの少年は、殿下の婿候補との噂も――。
「「は……っははははは……は……」」
 なぜかあちらこちらで喧騒が始まり、次いで乾いた笑いが木霊する。
 殿下のお蔭で経済的には活性化しているそうだけど……領地内ではまた、色々な問題や駆け引きがあるのだろうな。
「えっと……お詫びという訳ではありませんが、このインフラ整備はウダカ市民の生活基盤を支える、大切な福祉となります」
 どうか検討していただけたなら幸いです――件が所領の発展に直結するせいか、皆さん妙に静かに聴いてくれた。
 全員うつ向いて咳払いすらしないのは、少しばかり気になったけど……。
 見ればウマー伯爵も笑顔に汗を落としておられる。もしかしたら事前に根回しや話の擦り合わせが、行われていたのかもしれない。
 感謝を込めて笑顔を向けたら、さらに大量の汗が流れた。
「まだ日差しが強く、暑い陽気ですからねえ」

 側溝の設置工事はすんなりと受け入れて貰え、内側都市部から順次開始する。
 聞けば新王都でも、側溝はおおむね順調に整備されているそうだ。
「さすがは新王都だ、街全体が光って見えたよ!」
 珍しさに行商人が噂を広めており、工事にかかる労働者の理解も早かった。
 なんのために行い、どんな効果が見込めるか。それを知るのと知らないのでは、細かな不備への対応が段違いである。
「マナスルから新王都へ、必要性を伝えてくれたハスター伯爵に感謝だなあ」
 しかし公衆浴場に関して、内側都市部への設置はやはり難しかった。
 ローカァ伯爵家の庭で打ち抜き井戸を掘ってみたが、手ごたえが全くない。
 元々乙女の水道みたいに岩盤の隙間から湧き水が出る場合は、水が沁み込まない地層である場合が多いのだ。
「よほど運が良ければ地下水に当たるかもしれないけど、井戸は難しいか」
 そこで最初の予定通り、外側都市部に流れる川を利用。
 1軒は川のそばで、なるべく多くの領民を招ける大きな設備へ。
 1軒は川から手押しポンプを伸ばし、なるべく内側城門に近い場所へ。
 そして個人的な1軒――ハミングバード学園へ。
 学園は川から離れているけど海岸線のそばである。地理的に水位が浅く、飲用は無理でも水は出やすい。
 こちらは打ち抜き井戸に期待が持てた。

 側溝の工事を行い、マナスルから薪ボイラーを取り寄せ、公衆浴場を建てる。
 下水処理設備を設置し、公衆トイレの告知――街のアラヤシキ化。
「この事業も4回目……我ながら、やり取りが上手くなったなあ」


 ☆


「他者に繰り返し話すことで、自分の理解力も深まりました。工事の必要性や理由をとどこおりなく説明できたんです」
「それは――それはちょっと、分かる気もする」
 ビハーラ嬢が珍しく落ち込んでいた。
 シャンティ卿の屋敷の一室に机を並べ、数字と文字を描くタペストリーの黒板、子供の数だけ蝋板を作って教室とする。
 各職人を教師に迎える前に、まずは読み書きだけでもと先行したのだ。
 学園のシンボルとして、子供たちにおそろいの制服も発注。
「シャンティ卿に習い黒を中心とした服装は、まるで魔法学園ですね」
 連想に独りで笑うも、教室にずらりと集った制服は中学校を思い出す。なんだか感慨深い気持ちになった。
「まずは数字から覚えて行こう――!」
「「は――いっ!!」」
 子供たちとヨーギが大声で叫ぶ。
 ヨーギも正式には読み書きを習っておらず、仲良くなった子たちと机を並べる。
 笑い声が混じった大騒ぎから、授業が始まった。
 しかし只でさえ子供はひと所にじっとしているのが難しい……興味を持っている内はいいが、数字の重要性など分かる筈もない。
 周囲の子にちょっかいをかけたりボーッとしたり、集中力が続かないのだ。
 ビハーラ嬢はなんとか教えようと、何度も書いたり色々な話をして回った。
 皆が慕うシャンティ卿に様子を見て貰うが、年上の子は背をただすが小さな子は駆け寄ってしまいやはり騒ぎになる。
 肝心の授業でも、まず蝋板に線を引く細い金属棒が持てない・・・・
 フォークもスプーンもなく、ナイフも危険なので年長のみ。大型の農具以外で、手に持ってなにかをすることがない。
 どうにか格好がついても、数字の3を逆に書き9の丸を反対に書いてしまう。
 世には「数」の認識があり社会がなり立つ。なにも知らない子供に、その前段階を理解させる行程。
 社会通念を教えるに等しい難しさに、頭を抱えるのも当然と言えよう。
「これは思った以上に、前途多難かも」
 思えば向こうの世界アラヤシキにおいて、数字や文字は至る所で目にした。
 時計やカレンダーに電話番号、持ち物には名前を書き製品には使い方のシール。
 子供向けのメニューや商品名に値段、街には看板や住所の表記まである。日常は情報で溢れ、無意識に数字や文字を認識していた。
「生活の中で‬すでに、学ぶ状況となっていたんだ」
 識字率が低い時代、数字や文字を初めて目にする子には曲がった線でしかない。
 見本を見せても、「違う」とすら分からない……。

 ――ローマ数字が主流だった欧州で、アラビア数字が頭角を表すのは13世紀。
 技術革新に反発があるのは十分実感している。インドで生まれたアラビア数字も異教徒の弾圧を受け、使用者に終身刑が告発された記録すらあった。
 以降ローマ数字と覇権をせめぎ合い、完全に普及するのは17世紀である。
 ぼくはひと目で分かる便利さから、アラビア数字を推奨していた。
 計算もアバカス……板などに縦溝を掘ったそろばん状の器具を使用しているが、アラビア数字を用いた筆算に比べると著しく精度が落ちる。
 ビハーラ嬢はローマ数字を学んでいた。数学の下地はあるが、アラビア数字への脳内変換が上手くいっていないのだ。
 今まさに乙女の脳内で、数世紀にわたる対立が発生している。
 言葉が上滑りしていく子供、上手く説明ができない自分。心底疲れたのだろう、机に突っ伏し深く息を吐く。

「まずはそれぞれの名前を書いて、見せ合うのはどうでしょう」
 出席番号――自分を表す数字など、興味を持って貰えれば覚えるのも早い。
「コグ船で遊んだ神経衰弱も、低年齢から始めれますね。絵合わせで記号を学べ、記憶力や集中力も身につけれます」
「アユムは難しいことを簡単に言うからなあ、これでも一生懸命勉強したのよ? 読めることは読めるの、だけど正しく書けてる自信がない」
 どこの時代も、子供の悩みは一緒だなあ。
「先ほど工事の話をしましたが、最も学べるのは他者に教えている時と言います。ビハーラ嬢は今まさに、子供たちに教わっているんですよ」
「私が、教わってる?」
 なにか思いついたのか、顔を上げた乙女の瞳に閃きが灯る。
 蝋板を取り出しぼくにとっては見慣れた数字、アラビア数字を書き出す。何度も子供たちの間違いを指摘し、繰り返し正解を書いて見せた。
 トランプの製作時と違い見本はない、しかし速さと正確さに驚くほどの上達度。
「うっ……わあ!」
「見事ですね」
 10桁を書き終え満足そうにうなずき、蝋板を抱きしめる。
 学習し脳に入力した知識は、ノートにまとめるなど出力によって定着を果たす。
 他者に教えるのも、出力するに他ならない。
「説明するには理解してなければならず、理解するには深く知る必要があります。教える過程で、曖昧になっている部分に気がつくんです」
 指南がより深い理解に繋がる、それは得がたき体験だろう。
「私も大人しく座ってられない子だったって、今思えば本当に大変だったんだろうなあ……お母様、尊敬いたします!」
 ローカァ伯爵家に向かい、真摯な感謝。
「ビハーラ嬢もいずれ母となる日がきましょう、我が子のため予行演習と思うのはいかがでしょうか?」
「殿下の御婚礼がお済になってから、とは思ってるけど……婿殿としては早くも、愛妾のお誘いに精を出されるおつもりですか?」
「ええっ!? いえいえ、どちらもそのつもりはありません!」
「あらそこまでの否定は、逆に失礼じゃない!?」
 勘弁してください――力なく頭を下げたら、若干赤くなるもいじわるげに笑う。
「いずれ母となり、我が子へ……か」

「は――い皆の前に、キュウリは何本あるかな――?」
「い~ち、に~い……2本――っ!!」
 机の上には、ヨーギに畑から運んで貰ったキュウリが置かれていた。
「みんなが一生懸命育てたキュウリを、アユム兄ちゃんが美味しいサンドイッチにしてくれたよね――これが「2本」です!」
「おいしかった――!」
 キュウリのサンドイッチは、後に貴族の社交場でステータスのメニューとなる。
 蝋板にキュウリの絵と2を描くと、子供たちもはしゃぎながら描きだした。
 ビハーラ嬢は硬貨での支払いを経験している年上の子と、まだ幼い年下の子らで組を別け別種の授業に変える。
 体験として数字が理解できる年上の子には、実際の硬貨で足し算と引き算。
 年下の子には身近な物を与え、数を理解する所から始めた。学校教育における、クラス編成を行ったのだ。
「これはね私たちが、お母様に習った時のやり方なの」
「まさに「初心忘るべからず」ですね。子供たちの見識が深まれば、いずれ年上の子が教師役になれるでしょう」
 そうして相互に循環が行えれば、学園内での理解力は格段に進む。
「ショシ……またなにか、難しいことをいう」
 ジト目で睨まれ、手を上げて謝罪――ビハーラ嬢は因果伯である。国の要であり万一が起こり得る立場、いつまで教師でいれるか分からない。
 教育方法を確立し、拙いながらも教師役を育てなければならないのだ。
「数字と文字の認識が整えば、次は小学校1年生の教科書だな。年上の子用にも、早く準備しておかなきゃ」
 ぼくも時間をみつけては、知育玩具を試作している。アバカスを横置きビーズで製作するなど、筆算前に「数」を認識できないか。
 曲に合わせ歌い、数字のパズルや指差し問題、遊びの中で学ぶ方法。
「羊皮紙は寄贈金があり、教材とするのに問題はないと思ってたけど……」
 幾度かゲームをして、羊皮紙のカードはかなり弱くなっていた。ヨーギを見ても子供が丁寧に扱うとは思えず、強度の面で向いていないと判明。
 羊皮紙は絵本や教科書など、結局は書物限定とすべきだろう。
 プラスチックはもちろんなく、紙は高級品どころか都市部では目にすらしない。
 15世紀に活版印刷が発明されるまで、紙の需要は限りなく低い。筆記が必要な王侯貴族専用といえるだろう。
「学園の教材には安全性と頑丈さがなにより大切。木板で代用するしかないけど、もうトランプじゃなくてかるた・・・になるなあ」
「かるた」は元々トランプなどのカードを指した呼び名であり、異世界こちらに似つかわしくない名称に思わず苦笑する。
 これらの間違えや失敗も、今後の学園展開に大切なデータとなるだろう。
「学び試作し、改善し繰り返す……何事も試行錯誤はぼくも同じか」
「わ――たしはまっかなリンゴです――~」
 他国の因果伯であるヨーギは、蝋板にキュウリの他リンゴまで描きだした。
 微笑ましさと、頼もしさと……いいのかなとあとビハーラ嬢が腕を組む。
「一緒に学んだ弟も、ああやって落書きしてたっけ」
「えっ弟さんがおられるんですか?」
「まあね……おっちゃんと書けてるねえ! じゃあそこにもう一本足したら――」
 少なくともローカァ伯爵家で、弟さんは一度として見かけていない。
「嫡男の不在……なんだか、聞きにくい話題だなあ」


 子供たちが寝静まった深夜、ぼくがお借りしている部屋に明かりが灯る。
 漂う鬼火ウィル・オ・ウィスプの下、ビハーラ嬢が細く息を吐き集中していた。
邪土じゃどう』!
 前方に30センチほどの見慣れない文様が浮かび、淡く発光する。
 識者ならば梵字の「カーン」に酷似していたと指摘しただろう。
 手にした土の塊を差し入れると、影に包まれ塊の形を保ったまま崩れて消えた。
 鉄の塊が虚空より出現し、鈍い音を響かせ床に落ちる。拾い上げて角度を変え、慎重に確かめる……ウールドやノルブリンカを思わせる光沢。
 おそらくは『カルマ』による超高純度――100%の鉄だろう。
 現代でも製造が難しく、その価値は計り知れない物質である。
「これも……見事という他ありませんね」
「でもどっちも変化なしかあ。そりゃそうよね、結局盗賊退治はしてないんだし」
 残念がるビハーラ嬢の頬に、一筋光が流れた。

「――不文律とは分かってるけど……『カルマ』について教えて欲しいっ!」
 数日前に突如告白され、ぼくはかなり動揺した。
 ビハーラ嬢が崇拝し憧れている存在――ヴィーラ殿下。『カルマ』を啓き殿下に拝謁した際、「炎の鞭」の美しさと覇気に感銘を受ける。
「この方こそ自分が志す未来、遥か先に霞む尊き御方っ!」
 しかしマナスル伯爵に啓いた際の状況を話すと、「邪土じゃどう」に適しているのではと査定を受ける。
 諦めきれず幾度となく袖を引いて願い、どうにか「炎生えんじょう」を教授してもらう。
「スーリヤ様って、結構押しに弱いからなあ……」
「アユムだってM属性なのに、S属性の肉体強化っぽいことをしたでしょ!?」
 ぼくのはまた、複雑なんですけどね。
 ジャーラフにだけ話した秘密……いずれ明らかにする時が、来るのだろうか。
「無茶な話じゃないのよ、シャンティ卿はS属性だと思われてたんだって。それが適正はO属性で、それから学び直したんだそうよ」
「ああそれで、肉体強化が使えるんですね!」
 謎が一つとけた。
 人知を凌駕する『カルマ』――全ては、それこそ想像できない・・・・・・
「マナスル卿の受け売りだけど、三属性と言っても結局は得手不得手なんだって。一旦『カルマ』を啓ければ、おおよそ全ての属性を返還できるって話だし」
「はい得手不得手、つまり苦手というだけで無理って訳じゃありませんね」
「でしょう!? アユムが話してた、向いてないと分かってても自分で選べる……選択の自由、私凄く希望が持てたんだ!!」
 いつの日か殿下と同じ、立派な「炎生えんじょう」使いになってみせる――。


「アユムといれば盗賊に襲われて、独自の術が習得できると思ったんだけどなあ」
 人を疫病神みたいに言わないでください……。
「「炎生えんじょう」は炎を生み、炎をある程度従わせれる――ぼくもそう聴いていますよ、ビハーラ嬢は十分な「力」をお持ちだと思います」
「こんなんじゃなくって、もっとこう「武器」って感じがいいのっ! 鞭みたいにしならせたり、騎馬鞭にまとわせたり!!」
 それではヴィーラ殿下一択ですね。
 感情に発露されたのか、鬼火が一層激しく燃えて部屋を飛び回った。
 ビハーラ嬢は「力」を使い、戦ったことがないそうだ。
 ブリハスパティ卿に「偸金ちゅうきん」して貰ったこともなく、そういえば丸腰である。
 伯爵令嬢として貴族内外の確執はあるだろう。だけど因果伯を拝命した彼女に、ちょっかいかける方はそういまい。
 気安くて忘れがちになるけど、彼女も門を啓いた得がたき1人なのだ。
「これも子供たちに数字を教えた経験が、活かせるかもしれません。ビハーラ嬢が初めて啓いた際の状況に、打開策はないでしょうか?」
「例のショシンってやつね……う~ん」
 処女作には作家のすべてが詰まっているという。大した確信もない助言だけど、ビハーラ嬢は手を顎に記憶を探っていた。
 ぼくは鈍く輝く鉄の塊を抱き、部屋を煌々と照らす炎の塊りを見上げる。
「たぶん「力」も強いとの予感はあったけど……これほどとはね」
 S属性の二面性。
 心を断つ「利剣」――「炎生えんじょう」は攻撃に適し「邪土じゃどう」は防御に適す。
 ウールドみたいにメイン以外を使う者もいるけど、「力」は極端に落ちた。
 ビハーラ嬢は「鬼火」を操ったまま、ごく普通に鉄を返還なさったのだ。
「自身が両方を高いレベルで両立させているのを、理解しておられない……」
 プリンスは「炎生えんじょう」を甲冑に見立て、ダーナ卿は「邪土じゃどう」を刃先に研ぎ澄まし、ノルブリンカは砲弾として放つ。
 二面性すら超える認識。所持者に適した「独自の術」こそが本当の「力」だと、思い込んでいるのだ。
 心を強靭にする「羂索」――肉体強化の光が、体から溢れ虹を放っている。
『カルマ』の大きさだけで言えば、すでにヴィーラ殿下をも凌駕されてるのでは。
 思わずも心で呻った。
「この方の扉が完全開放されたらどうなるのか、末恐ろしいなあ」

 返還した薪の使用限度がきたのか、鬼火が小さくなる。
 机に広げてあった、裁断し仮縫いした布地が長い影を落としていた。
「あっあの妙な服、結構できたんだ……でもこれ子供用にしても小さすぎない?」
「これは「ぬいぐるみ」と申します、動物を象ったお人形ですね」
「ヌイグール……これが、お人形?」
 ビハーラ嬢が布地を手に首を傾げ、次いで目が見開かれた。
「えあっ動物!? そうだ魔獣は、カレシーはどこっ!?」
 飛び下がってぼくに張りつき、部屋を机の下をキョロキョロと見渡す。
「シーちゃんなら夜の散歩か狩りですね、ここが安全だと理解したのでしょう」
 お腹を叩いて見せ、大丈夫ですよと笑う。
 ウダカ城での経緯から、学園で育てている豚や蜂は大切なんだと教えてみた。
 すると害虫は変わらず寄りつかないのに、家畜の騒ぎは起きなくなる。おそらくあえて、覇気を消しているのだろう……。
 マナスルを出立する際、顔合わせでおじさんの馬が突如暴れだす事態があった。
 ぼくのお腹に巻きついた「魔獣」――カレシーの気配を察したのだ。
 その時は意味が分からず、お世話になる者ですと撫でお願いすると、馬はピタリと大人しくなる。
「今にして思えば……ぼくが接して声をかけたので、カレシーは「馬」を安全だと認識し覇気を収めたんじゃないか」
 どこまで賢くなるのか、こちらも頼もしいやら末恐ろしいやら。
ぼくの国・・・・にはこんなぬぐるみがお店にいっぱい、小さいのから人の大きさのまでズラリと並んで売ってたんですよ」
 お金が足りなくて買えず、型紙を覚えて手作りした誕生日のプレゼント。
「そんなお店があるんだ、見てみたいなあ!」

「私ね……本当にやりたいのは商人、物を売って領地を旅する行商人なんだ」
 カレシーの不在に安堵し、息を吐いたビハーラ嬢がポツリと呟く。
 薄暗い部屋は人の心を開けやすくするのか、乙女は架空を見上げながら話した。
「兄様みたいに色んな国を見て周りたい、だから今数字とか文字を習えるのは凄い嬉しいんだ……あっ盗賊を懲らしめるのに、「力」も必要だけどね!」
 いつかきっと――そういえば、殿下と共に世直しの旅に出たいとか言っていた。
 人には到底成し得ない「力」を得た代償。
 火薬による武器が出始めた時代。個人でこれほどの威力を秘めた存在ちからを持てば、畏怖の対象に他ならない。
 夢見る乙女が想像する未来、そして因果伯の身ではかなえられぬ未来。
 返答に窮して口ごもり、ただじっと乙女を見つめる。内心の発露に照れたのか、ビハーラ嬢が仮縫いしたぬいぐるみで顔を隠す。
「気にしないで、私も立場は分かってる。だけど諦めるには早すぎるもの」
「はい、そうですね!」
「ね――~っ!」
 目が合ってなんだか照れてしまい、2人で吹きだす。
 部屋に妙な空気が流れた。
「ゴホン……だっ第一ねえソーマは絶対許してくれないだろうし、相談しただけでお説教されるのが目に見えてるでしょ?」

「――許さないだろうな」
「「わあっ!?」」
 2人の真横に、突如ジャーラフが現れた。
「ちょっ……ジャーラフっ! 心臓に悪いからそういう現れ方は止してって!」
 ぼくは胸に手を当て天井を見上げ、ビハーラ嬢は座り込んで膝を抱えた。
 本気で驚いたようだ。
「むっ……お前が脳が痺れるなんていうから、直接来てやったんだろ」
 ジャーラフなりの気遣いだったのか、不服をそうに唇を尖らせる。
 庭に面した窓の戸板を少し開け、来てみろと目で指す。巨大な西洋菩提樹の根元に影があり、こちらに気がついたのか隠れた。
「あれって、まさか……」
「ソーマ卿だ、ビハーラ――黙って出てきただろ? ずっと跡をつけられてたぞ」
「ええっ!?」
 ビハーラ嬢が立ち上がって窓に食い入るが、すでに影は隠れた後。しかし彼ならやりそうだと思ったのか、深いため息を落とす。
 20世紀なら純愛路線だけど、21世紀ならストーカー案件だなあ。
「箱入りにも度が過ぎるのでは……いやそれほどに、大切なのでしょうけど」
「大切なのは確かだろうけど、意味が違うのよ」

「ソーマのはね、ローカァ伯爵家への贖罪なの」
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