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第三章 新王都アムリタ

九十一夜 サプライズ

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 チラリ、と視線を向ける。
 カレシーが調理机の上に座し、小さな袋を大事そうに抱え込んでいた。その目が「任せておけ」と頼もしく輝き、頷いて目を細める。
 何度も中を検め、思わず数を数え、目に焼きつけた種もみを思い出す。
 ぼくにとってまぼろしの米、千350粒。

 ――4月を待って苗床作り。
 塩水選をし、毎日水を取り替えて発芽を祈ろう。「いい苗が育てば稲作は成功」と言われるほど重要なんだ。
 発芽した種もみが丈夫に育ちますように……。
 肝心の土づくり、春起こし用のたい肥も用意しなきゃ。忙しくなるぞぉ!
 5月になったら田植えの準備。代かきで田んぼを平らにし、土を軟らかくする。
 さあ、お待ちかねの田植え開始。
 育ちのいい苗を選んで、密集させないように気をつけて。その後も除草や病気や害虫駆除、大切な稲を守ろう。
 9月末……約4ヵ月後、黄金色の海が広がったら稲刈りだ。
 脱穀して――籾摺して――精米して白米へ。10月半ばには、待望のご飯が目の前にあるんだぁ!!
 いやアユムくん、喜んでいるところすまないが待ってくれ。
 まずは来季へ向け全てを種もみにすべきでは?
 確か種もみ1~2粒が、茶碗1杯分のご飯になるはず。小さな袋にあれだけしかないんだ、なにをおいても増やすべきだろう。
 リスク管理しておかないと、一生の悔いになってしまうぞ。
 しかしですねえアユムくん、今からさらに1年以上も後の話なんですよ。だからせめて茶碗1杯分、いや2……3杯のご褒美は許して貰わないと。
 だが主命はどうする? 悠長に米作りに精を出す余裕などあるのかね?
 うっ……そっそれは、ではこうするのはどうでしょう。だがねえ、いやいやこればっかりは、しかし今後が、それでもですね――。
「なにか対策を考えないと、いけないなあ」

 チラリ、と視線を向ける。
 すでに半年もお目にかかっていないご飯に喉が鳴った。希望の影は絶望、来年のことを言うと鬼が笑う、捕らぬ狸の皮算用。
 まずは足元を照らし、確実に歩を進める所から――。
「あっそうだ! 害虫被害防止に陶器の壺を用意しなきゃ!」
 ほ――ら見ろ言わんこっちゃない、危ない危ないと胸を撫でおろす。こうなると直射日光さえ遮れば、常温保存で済むのは大変ありがたい。
 脳内メモに最重要要項として記録し、赤ペンで花柄の二重丸にする。
 なによりいつまでも、カレシーの見張りに頼りっぱなしでは申し訳ない。
「シーちゃんちゃんと寝てる? 無理しなくっていいからね――?」
「シ――~!」
 ローカァ伯爵家の製パン室。厨房スタッフがぼくとカレシーを、遠巻きにしてるのも気にならない。
 ブツブツと自問自答し、カレシーと話し、鼻歌まじりの笑い声をあげた。


 ヴィーラ殿下と戦闘訓練をした翌日、ローカァ伯爵家に馬車が連なったそうだ。
 ひとえに殿下に目通り願うためである。
 殿下が巡回なされた報は、必然ウダカより離れた領地であるほど届くのが遅い。
 本日未明にやっと通達され、聞き直して驚く領主の姿は想像にかたくない。
「もしかしたら……万一があれば、拝謁がかなうかもしれない!」
 殿下に覚えめでたくあろうと、取りも直さず駆けつけたのだ。
 おそらくは明日、詰め掛ける貴族はさらに増えるに違いない。
 20畳ほどもあるのに「小さい客間」だったローカァ伯爵家の屋敷は貴族で溢れ「大きい客間」には、殿下の滞在費にと献上品が山と積まれた。
 家令が贈答品の目録作りに部屋の案内に、家扶と駆け回る羽目になる。
 しかし殿下は騒ぎを見越し、早々にシャンティ卿の屋敷へ向かわれてしまう。
 シャンティ卿は因果伯であるのもふくめ、貴族間でほぼタブー扱い。
「以前どんな「教育」をほどこしたのか、聞くのが怖いなあ」
 ガッカリと肩を落とす貴族らに、ローカァ伯爵は丁寧に面会し話を聞いていた。
「それで代わり、ではございませんが……殿下の婿候補の方も滞在されておられるとの話は、真実なのでしょうか?」
 貴族は視線を落としながら、意味深に探る声音を落とす。
 少しでも所領の安定と発展に繋がるべく食い下がる。
「ああラクシュですね、ラクシュも殿下に付き添っておられます! お忍びなので接見は難しいと思いますよ、ええ婿候補のラクシュをよろしく!」
 などとその場にぼくがいたら、色々ぶち壊す発言をしていたかもしれない。
 そう強調しておかないと、どうにも嫌な予感がしていたので……。
 ローカァ伯爵は沈黙は金とばかり、にこやかに流されたそうだ。間断ない貴族の訪問に、落ちつきなさいと家人を諭す余裕まで持っていた。
 さすがは由緒ある旧家と言わずにおれない。

 内側都市部の宿は、領主に連れ立った嫡男や護衛が貸し切り埋め尽くす。
 民家が臨時の宿となり、貴族につき従った側近や使用人が街に金を落とした。
 殿下を一目拝見したいと近隣から人が集まり、外側まで定期市のごとく混雑し、商人の馬車がウダカに向い群れをなす大盛況。
 ウマー伯爵は経済の興隆に、小躍りしているのではなかろうか。
「お忍びで来られたと聞いて苦笑していたけど、そんな騒ぎになるのか……」
 王太女の来訪は、領民にとってそれほどに重大な関心事なのだ。
 殿下の態度はせっかく来られた貴族方に申し訳ないと思っていた。しかし全てに対応していては、身動きが取れなくなっただろう。
「かといって下手に一部だけを優遇すれば、密約の疑惑が確執を招きかねないか」
 サンガ伯爵とウマー伯爵の溝は、ウダカ城の厨房スタッフからも深く思えた。
 国内で多大な影響力を持つ大貴族間の、内戦へと悪化しかねないのだ。
「立場で街が活性化する尊さと、立場あるがゆえに求められる思慮深さだなあ」
 社会階級とは縁のなかった生活を、懐かしく思い出す。
 どこか他人事なのは、後に知った話だからだ。その時ぼくは、ローカァ伯爵家の厨房にこもり汗を落としていた。
 ヴィーラ殿下の滞在期間は、早ければ明日の朝までとのこと。
 ジャーラフの姉であるジャーレーさんにだけ、お忍びでの出立を伝えたそうだ。
 おそらく近衛隊長のステューパ卿が、2日遅れで駆けつけてくる見通し。
「我のいない合間に羽を伸ばせばいいのに、頑固で融通が利かない。裏の読めない好々爺の孫が、何故あの性格になったのやら」
 血統とは、その程度なのかもしれないな――苦笑する横顔に少しだけ戸惑う。
 裏の読めない好々爺……ハスター伯爵の評価は、ぼくも同意である。
「だけどステューパ卿はどうだろう?」
 無理をしても片意地を張ってもいない、ごく自然に望んだ姿ではないのか。
 殿下のおそばに控え佇むことこそが、ステューパ卿の使命に思えた。

「なんにしろ賽は投げられた、ならばこの2日の間にやるべきことをやるまで!」
 そういった訳でぼくは、早朝から「イチジクとクルミのパウンドケーキ」の製作に取り掛かっていたのだ。
 シャンティ卿の屋敷にはヴィーラ殿下とラクシュ、因果伯たちふくめて7名。
 ローカァ伯爵夫人も向かわれ、子供たちにも分けるとして1ダースは欲しい。
甘い菓子デセールである、正午――昼食のメインディッシュ後には間に合わせたいな」
 ドライイチジクを角切りにし、本来は風味づけにラム酒を振りかけたいけど……歴史に記載されるのは16世紀、ならばワインで代用するしかない。
「ラム酒は無理でも、せめてアルコール度数の高いブランデーが欲しかったなあ。肉料理にも使うし、蒸留器をどうにかできれば……」
 アマゾネスでの「ロマネコンティ騒動」を思い出し、頬が震えた。
 ワインを蒸留し、コニャック――ブランデーが飲まれるのは、15世紀である。
「まっ無い物ねだりをしても仕方がない!」
 バターをクリーム状にし、砂糖を数回に分けて混ぜて卵黄と小麦粉も投入。
 用意したメレンゲをヘラで切るようにさっくりと加え、イチジクとクルミを入れこちらも代用のテリーヌ型で約40分焼く。
 欧州においてパイとテリーヌは、保存食としてよく作られた料理である。
 焼いている間にシロップも作っておく。
 水と砂糖を煮詰め、イチジクに振りかけたのと同じワインを足す。焼き上がったパウンドケーキにハケで叩くように塗り重ねる。
 粗熱を取り、型から取り出して完成。

「おお――――~…」
 人々を魅了する、甘く香ばしい香りが厨房に漂う。
 窯の状態や温度の管理は厨房スタッフに頼る他ない。皆さん気になってたのか、カレシーを避けながらも製パン室を覗いていた。
「本来なら一晩は寝かせた方が美味しいのだけど……味見をお願いできますか?」
 お礼もふくめ厨房スタッフに声をかけたら、殺到する大騒ぎとなる。
「これなら、いけそうだ」
 パウンドケーキの成功に気をよくした。
 他の調理場では普段通り昼食の準備を行っている。城に匹敵するローカァ伯爵家の厨房だからこそ、パン専用の窯をお借りできたのだ。
 シャンティ卿はあまり料理をする方ではなく、昨日見学させて貰った厨房は……一日二日の掃除でなんとかなる惨状ではなかった。
 自給自足しているので食材は豊富。
 パンは数日ごと店から届けて貰う。以前住み込みしてたクラトゥら年上の子が、習い覚えた料理を作っているそうだ。
 農家であれば女性であっても畑に向かう。
 実際に料理は大人未満の、12~16歳の子供の仕事でもある。14歳のぼくが厨房にいて調理すること自体は、さして不思議と思われていない。
「料理と言っても味にこだわらなければ、後は焼くだけ煮込むだけだからなあ」
 子供たちが作った料理だから、シャンティ卿も喜んで食べてるのだろうけど……栄養の面で甚だ問題だ、どうにか対策を取れないか。
 まだ見習いなんだろう10歳ほどの徒弟が製パン室の隅にいた。パウンドケーキを取り合う厨房スタッフに、羨ましそうな視線を送っている。
「……後の料理人のために、もう少し試食用を焼こうかな」


 異世界こちらには、大きく分けて3つの教育機関があった。
 1つは教会教育。
 一般的な読み書きの教育ではなく、聖職者になるための学校である。
 スーリヤ様も教育と問えば、真っ先に思い当たっていた。
 1つは騎士道教育。
 個々に擁する騎士を修練場へ招集し、当初から部隊行動が根付いた育成をする。
 史実にはなく魔獣の存在ゆえに培われた体制だろう。ヴィーラ王国においては、サーガラの騎士学校がこれに相当した。
 そして1つが、職人教育である。
 職種ごとに組合が組織され、職業団体ギルドを結成。専門知識や技術を修めた者を、「親方」として任命するなどの制度を遂行した。
 マナスルの鍛冶屋ギルドでは、ホーマ親方らがそれにあたる。
 相互扶助の理念があり、徒弟を取り共同生活を行い、幼い頃から専門職人として育てあげさせたのだ。
 生活に必要な料理に下働きにと指導し、実質的な人格形成の役割まで担った。
 しかしこれら教育機関は、貴族の次男や商人、平民が対象である。
 王侯貴族や裕福な商人の嫡男は別で、縁故の騎士や聖職者らを家庭教師に招き、講義を聴くのが通例となっていた。
 恵まれた貴族の子とて、望んだ仕事につけない点は同じと言えよう。
 ぼくは職業の選択が自由だった世界に、遠く思いを馳せる。


「アユム親方っ! 冷水はこちらでいいでしょうか!?」
「ありがとうございます、料理長もパウンドケーキを試食してみてください」
 どこからか話を聞きつけ、ウダカ城の料理長が早朝から手伝いに来てくれた。
 農家から生乳を買いつけ、熱水で湯煎と攪拌を行い、砂糖と小麦粉をふるって、乙女の水道から冷水を搬入してくれる。
 説明も求めず文句も言わず、ただ黙々と取り組み手順を目に焼きつけていた。
「今まで同様の修行を行ってきたのだろう。レシピのため文字を習った件といい、態度だけで人となりが伝わってくるなあ」
 正直とても助かっているけど、職人ギルドに認められた訳ではなく親方加盟金を支払ってもないのに……「親方」と呼ばれてもいいのだろうか。
「いち弟子として当然であります! 是非バラダと呼び捨ててください!」
 ぼくより頭一つ背が高く、料理は体力とばかりに筋骨隆々の迫力で迫る。
 まあちょっとばかし、真剣過ぎて怖い気がしないでもないけど。
「この甘みはドライイチジクですね、クルミの歯ごたえが絶妙な満足感を与えてくれますなあ……しかも、この鼻に抜ける爽やかなアルコール!」
 小さく舌にのせ深く吟味する、どれほどの情報が脳を駆け巡っているのか。
「ウダカ城でも思いましたが、親方の料理はまず香りが素晴らしい!!」
 ――料理の味は香りが決める、これはけっして誇張ではない。
 鼻をつまむと飲み物の判断がつかない実験は有名で、嗅覚への刺激は食欲中枢と直結し味覚を左右するのだ。
 欧州のスパイスは多用し過ぎだと思うけど、味の重要な要素を担っている。
 ぼくは唖然としてしまい、何度も頷く料理長を黙って見ていた。知識はなくとも培った経験が、未来に手を伸ばす姿を――。
「では料理長……いえ、バラダ! 同様のパウンドケーキ12台の調理を、お任せしてもいいでしょうか?」
 バラダを見上げ、ニコリと笑う。
「レシピはありません。口伝のみとなりますので、舌と腕で覚えてください!」
「は、はは――っ!!」
 突然の宣告に汗を落とし、倍する年齢の弟子が歓喜に頭を下げた。
 好奇心は無知を恐れない。
 ぼくこそが感動で胸を打っていた……これが、プロの職人なのだ。

「待ってくださいアユム卿! そちらの方は料理長料とおっしゃいましたね、我らの厨房で同業者に勝手をされては困ります!!」
「俺はアユム親方の一番弟子だ! 親方に師事するのは当然だ!!」
 ついに一番弟子になってしまった、これさえなければなあ。
 ローカァ伯爵家のパン職人がパウンドケーキを手に叫ぶ。バラダは一切動じず、視線だけで威嚇する。
 己の分野において妥協はしない、共にプロとしての矜持が火花を散らす。
 この時代パンの製作部隊「パン係」は、賄いの中で最上位の扱いを受けていた。
 例え肉の山をご馳走と称えても、主食とはそれほどに重要なのだ。
「今のぼくには、その巨大さがしみじみと分かる」
「なにをっこの、どうしてもと強情を張るのなら……」
 パン職人が頭のタオルを取り、剣呑な目つきで一歩踏み出した。
「ニクトーと申します、私も弟子にお加えくださいっ! アユム親方!!」
「お願いです親方! 昨夜作っていたプラムのコンポートを、是非学びたい!」
「お前ら待て! まずはプラムジャムの製法を、もっと詳しくお聞きせねば!」
「大麦パンのホットサンドをもう一度! 他にもまだ活用法がありますか!?」
「噂のラズベリーパイとは、いったいどんな菓子なのでしょうか――」
 ええ――~…と!? いやちょっと待って――と声も発せず人の波が襲う。
 バラダが盾となるがとても押し止めれる状況ではない。横目でカレシーが身動きする気配を感じた、ヤバイっ!
「シ――~…?」
「わっ分かりました! しかし今は無理です、殿下への催しがありますので~!」
 騒ぎがピタリと止まる、ぼくがヴィーラ殿下の家臣であるのを思い出したのだ。
 いずれは、この地を去るのだと。
 顔を見合わせ、心底うな垂れるのを見ると心が痛い。
 カレシーが騒動ではないのかと、ぼくの主食となる種もみの袋を抱え直す。

「ああではこうしましょう。この場で指導しますので、皆さんもパウンドケーキを作って貰えませんか?」
 カレシーの様子に安堵し、折衷案を持ちかける。
 テリーヌ型はあるしパウンドケーキは常温保存が利く。調理の手順は見せてる、教授するもなにも後は理解に繋がるまで焼くしかない。
 ぼくにとってもパウンドケーキは、まだ「試作」なのだ。
「殿下への拝謁に多くの貴族が訪ねて来られるでしょう。無下にお帰り願うより、パウンドケーキなら手土産になりますから」
 なにより家臣として、主君の評判が下がらぬよう勤めなければ――そんな軽口は希望に満ちた厨房スタッフの、大喝采で打ち消された。
「ありがとうございます、アユム親方っ!!」
 パン職人――ニクトーが号令し、全員がそろって頭を下げる。
 まあ余ってもシャンティ卿の屋敷で子供に分ければいい。と軽く思ってたけど、後に予想外の騒動に発展してしまう……。
 盛り上がる厨房に、ぼくは一つ手を打つ。
「では石鹸で手を洗い衣服を交換してください、大切なのは――」
「「何より安全です!」」
 バラダが真面目な声でハモる。自分が兄弟子とばかりに、ぼくがプレゼントしたエプロン姿で胸を張った。
 彼の衣服に汚れはない、髪を整え爪も切り、石鹸で隅々まで洗っている。
 ぼくの忠告を守っているのだ、この姿勢が彼をして料理長にしたのだろう。
「はっはい! 失礼いたしましたっ!」
「おい身だしなみを整えろ! 替えの服がある者は着替えて――…」
 厨房スタッフは貴族に雇用された名誉市民である。着の身着のままではないが、清潔と呼べるほどでもない。
 慌てて身を整えるニクトーをバラダが鼻で笑い、またも火花が散っていた。
「うんまあ……ライバルがいた方が、より向上心が持てるかも」

 パウンドケーキは18世紀の初頭に誕生する。
 ウエディングケーキ用に焼かれたそうで、一般的には三段重ね。下は列席者用、真ん中は当日に来れなかった方用、上は生まれてくる子供用。
 大きくしっとりと身の詰まったパウンドケーキは、重ねやすかったのだ。

 張り切り張り合う厨房を背に、ぼくは次の工程――「本番」に望む。
 卵白に砂糖を加えハンドミキサーで攪拌かくはんし、泡立てたメレンゲを用意。
 卵黄に砂糖を加え同じく攪拌し、小麦粉を振りヘラで切り混ぜる。バターと牛乳を溶かし、全てを手早く馴染ませた。
 パウンドケーキで分かったけど、この時生地でメレンゲを押し潰してしまうと、十分に膨らんでくれない。
 鍛冶職人に製作して貰った、ホールケーキ型に入れ約40分焼く。まだ底の深いホール用の型はなく、パイ型では代用できなかった。
 窯の様子を見ながら、すでに使い慣れた遠心分離機で生クリーム作り。
 生乳を40度前後の湯煎で温め、乳脂肪を分離しやすくする。残る予定の脱脂乳はスキムミルク用として大切に保存。
 クリームは足が速い……安全を考え、必要な分だけを自転車操業で作っていた。
 我がことながら大量生産に適した方法ではない。
 乙女の水道の冷水を使用し、生クリームを泡立てホイップクリームへ。
 焼けてひっくり返しておいた、スポンジケーキを上下に切り分ける。クリームを塗り皮をむいたスライスイチジクを並べ、スポンジを重ねていく。
 全体をクリームでナッペし、イチジクの果肉とラズベリーをトッピング。
「あははっまるでノルブリンカ円形闘技場の、ミニチュアですね――っ!」
 白いホイップクリーム、赤いラズベリーが映えるデコレーションケーキの完成。
 突如笑ったぼくに、空気を読んだ愛想笑いが突き刺さった。
 うん……ここでアマゾネスを知っているのは、カレシーだけだったね。
「シ――~!」

 メレンゲはベーキングパウダーがない時代の、生地をより膨らませる調理法。
 少なくとも14世紀頃には、卵白を利用したお菓子があったとされている。
 パンに近いお菓子、ドーナツやワッフルはレーズン酵母で十分代用できたけど、スポンジケーキはそうはいかない。
 メレンゲにより、現代に近い高さのあるスポンジを焼くことができたのだ。
 特に欧州では上白糖ではなく、グラニュー糖が一般的だったのも助かった。
 お菓子作りには雑味の少ない、グラニュー糖が適している――。


 ☆


「ヴィーラ殿下――っ! 15歳のお誕生日、おめでとうございます!!」
 バースデーソングに続けて、ぼくの歓声がシャンティ卿の屋敷で木霊する。
 昼食後に談笑していたのか、ホールに集まった皆が一斉に注視した。
 掲げたデコレーションケーキから甘い香りが漂い、気にはなるけど意味が分からず口を開け停止する。
「……その、アユム卿? 「誕生日」とは一体なんの符丁だろうか?」
「殿下がお生まれになった8月14日を祝う催し、ハッピーバースデーです!」
 ラクシュが若干額を押さえ問うてくる。
 当然みたいに答えるが情報は増えておらず、戸惑った顔を見合わせざわついた。
「アユム卿のお国の風習ですカ? 本当に記念日がお好きなのですねエ」
 ルタが気を利かせ、片手に持っていたキャンドルを受け取ってくれる。
 ケーキと一緒に、ヴィーラ殿下の前に並べた。
「まあ確かに……神の生誕祭があるのですから、殿下の誕生をお祝いするになんら疑問はございませんね」
「当然ですっ! 殿下のご威光が神に劣るはずございません!!」
 シャンティ卿が思い立った顔で呟き、ビハーラ嬢が立ち上がって称えた。
 焦点が合っていなかった皆に、やっと理解できたと表情が表れる。あちらこちらから相槌と無理矢理な笑いが落ちた。
 どうもまだ、腑に落ちてはいないようだ。

 誕生日にケーキを食べるのは、古代ギリシャで始まったとされている。
 月の女神アルテミスの誕生を祝い、月を模した丸いハニーケーキを焼く。蝋燭ろうそくを月の光に見立て、立ち上る煙が天に願いを届けるとされていた。
 神の生誕を祝う儀式だったのだ。
 個人の誕生日はドイツのキンダーフェストが有名で、行われたのは15世紀。
 誕生日に悪霊がやって来るとされ、ケーキに1日中蝋燭を灯して祈りを捧げた。
「誕生日にはケーキ」――と世界に広まるのは、18世紀である。
 ぼくは故事にならい、当初はハニーケーキにすべきかと迷った。
「だけど誕生日といえば、やっぱイチゴのショートケーキだよねえ!」
 しかしイチゴの収穫時期は11月~3月である。品種によりバラつきはあるが、8月にはどうしたって手に入らない。
 イチゴを召喚してしまえと幾度も悪霊が囁き、苦悩し悶えたが取りやめた。
「お酒や米と違い、この時期確実にあってはならない・・・・・・・・と分かる野菜だしなあ……」
 むしろ誰も知らない物の方が召喚に耐えるとは、皮肉な話である。
 そこでせめてもの見立てとして、赤いイチジクとラズベリーを飾り立てたのだ。

「では皆さん! 一緒に「ハッピーバースデーヴィーラ殿下」とご唱和ください、次いで殿下はこちらの蝋燭ろうそくを吹き消してください!」
 ささっどうぞとヴィーラ殿下に起立を求める、思えばずいぶんと不敬な家臣。
 しかし殿下は無言のまま、ケーキと蝋燭を前にする。
 ローカァ伯爵にお借りしたキャンドルに、蝋燭が立ち炎が灯っていた。こちらも残念ながら、ケーキの上に刺せる小さな蝋燭は手に入らなかったのだ。
 蜜蝋製の蝋燭は茶褐色で形も悪く、とても15本も並べたくないので1本のみ。
 妥協に見ぬ振りを重ねた結果だが、誕生日は形ではなく真心。特別な日をお祝いしたい方がいる、嗚呼……なんて素晴らしいのだろう。
「……お前が8月中に新王都へ行きたかった理由は、これ・・なのか?」
「はいっその通りです! 間に合ってようございました!」
 盛り上がるぼくを他所に、なんだかとても珍しい……殿下の困惑しきった表情。
 ケーキに興味津々なヨーギ以外、なぜか誰もが口を紡ぎうな垂れていた。
 不思議に思っていると、殿下が一つ息を吐きぼくに向き直る。

「お前は本当に――…っ本当に、奇天烈な奴だっ!」
 皆の唱和の後、ヴィーラ殿下はなんとも言えない表情で……炎を吹き消した。
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