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第一章 城郭都市マナスル
二十二夜 記憶と記録
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『闇癡』――。
ベッドで半身を起こしたぼくの前に、30センチほどの見慣れない文様が浮かび淡く発光する。
識者ならば梵字の「マン」に酷似していたと指摘しただろう。
スーリヤ様が鎖で繋がれていた、豪華な装丁の本を差し出す。頷いて受け取り、文様に差し入れた。
――…瞬間。
雷に打たれ驚愕に息が詰まった……かと思うと、体育の授業でプールあがりに、まどろんでいる充実感が襲う。
前頭葉から熱い光が流れ、脳を満たしていく。
恍惚と酔っているぼくから本を受け取り、スーリヤ様が適当にページをめくる。
眉を寄せなんだか必要以上に、真剣な顔で一部を読んだ。
「んっと……マナスル城の謁見の間に、使用するため――~?」
問題だとしても途中である、周囲の者には意味も理解できなかっただろう。
ぼくは当然のように答えた。
「サーガラより北西にあるターダ山から大理石を切りだした。ナディ川を使用し、バージ船を用いて短時間で搬入――…」
知っているはずのないマナスルの歴史を、思い出したのだ。
ベッドの周りに集まった因果伯から、歓声と祝福が湧く。
M属性「闇癡」
意識した記録や映像などを瞬時に「闇」――「己の脳」に焼きつけできる。
言語、種族、時代などに関係なく、記憶として再生、構築が可能。
忘却できないため、実際の体験なのか疑似記憶なのか判断がつかなくなる……。
「ぼくは本を読むのが好きでした、もしかしたら……無意識に『力』を使用していたのではないでしょうか?」
「そうでなければ、説明のつかない記憶力のよさです」
イーシャ卿が錫杖を手に頷く。
「それにしてもマナスル卿、ご自分で筆記された本ですのに……」
「ううっ……めったに読み返さないし、なんだか年々見にくくなってる気がする」
「もし文字が読めても、そんなぶ厚い本の内容を覚えとく自信ねえぞ」
ウールドが眉を寄せ、半ば以上呆れて頭をかく。
バジリスクは以前、幻想生物事典を読んだ時の記憶。
学校の成績がよかったのも、試験はそのほとんどが記憶力頼みだからだ。単語、年代、方程式――覚えてさえいればクリアーできるのだから。
世にいう直観像記憶に優れた者たちも、同じ感覚だったのかもしれない。
「以前『闇癡』を得意とする学者がいましたが、記録は『事実』ではないのです。間違いや――~…思いこみ、だってあります」
スーリヤ様は豪華な装丁の本を膝に、軽くなでながら言葉を紡ぐ。
あらためてぼくの目を見て、先生が生徒を諭すほどに優しく語った。
「それらを理解しておかないと、自滅への道を辿ってしまいます。記憶するだけに溺れず、常に並列思考を心がけていきましょうね」
「――はい!」
マナスル城の居館には、ぼくの部屋が割り当てられている。
公衆浴場としてしまった屋敷ではなく、ほとんどこちらに住んでいた。兵士などの夜勤は広い一室に雑魚寝なので、かなりの優遇措置だろう。
曲がりなりにも貴族のぼくに、気を使っていただいてるのかもしれない。
右足骨折、数々の捻挫や打撲に擦過傷、早期完治を願いながら――スーリヤ様の言葉を、胸に刻んでいた。
「まあいずれと思っちゃいたが、早くも『カルマ』が啓くとはな。酷い目にあった甲斐があるってもんだ、いやめでたい!」
ウールドが拍手をし、歯を見せて笑う。
死にかけた者に「めでたい」はないだろう、との非難の目は見えないみたいだ。
「これでアユムも因果伯だな!」
「えっそうなんですか?」
「『カルマ』を啓いた者は、種族性別関係なく因果伯の爵位を拝命します。例外はあるけどね――かく言う私も勅許状を受けて、領主をやってるでしょ?」
ああそうか、召喚の間にいた巨漢フードも近衛隊長だそうだ。
「なのでアユムの場合は、どうなるかなあ……」
「なんだこいつ、因果伯になれねえような、ヤバイことやらかしたんか?」
スーリヤ様が言葉に詰まり、ウールドがなんだかとても残念そうに眉を下げる。
「アユム卿の『ヴィーラ殿下のローブまくり事件』は、誤解だったと聞いたが?」
「あ――~あれかっ!」
バクティ卿のフォローに、ウールドは手を打ち笑う。
勘弁してください、ぼくは罵倒や張り手は受けたいけど変態ではありません。
「その件をおいといても、アユムは『アリエナイ』からねえ……」
スーリヤ様は頬に手を当てまだうなっていた、他になにか変なことしたかなあ。
「まあM属性だもんなあ、記憶力がいいせいか妙な奴が多い。奇天烈さにも磨きがかかろうってもん――っだ!?」
笑うウールドの言葉を遮り、鈍器が岩を穿つ音が部屋に響いた。
イーシャ卿の錫杖がウールドの鳩尾を貫いたのだ。完全に油断してたのだろう、あのウールドが壁に手をつきうめいている。
「アユム卿にどれほど助けられたと思っているのですか、礼節をわきまえなさい。同じ因果伯として、お詫びいたします」
「アハハ、いえ全く気にしてないですから」
深々と頭を下げられては、なんだかこちらが申し訳ない。
小さくガッツポーズをしていたスーリヤ様が、苦笑しながら答える。
「M属性はそれだけで、侮られてるところがあるからねえ」
「申し訳ございませんマナスル卿、正直私も……そう考えておりました」
しかし――とイーシャ卿は顔を上げ胸を張った。
「アユム卿が実行された『蒸留水』『酵母パン』『側溝』そして『公衆浴場』……どれをとっても、知識なくしては生まれておりませぬ」
一つ一つ、指折り数えて確認する。
「そして此度のバジリスクも、討てたかどうか怪しい」
その言葉に被害の拡大を想像したのだろう、皆押し黙った。
イーシャ卿が、バクティ卿とうずくまるウールドに微笑む。
「私どもはM属性に対して、認識をあらためるべきですね」
――貴族内では実子がM属性だと判明すると、「カルマ」を啓くに関わらず放逐したり、密かに隠蔽する風習があった。
それほど資質において、M属性は冷遇されているのだ。
王族には特に顕著で、継承順位が上位であろうとM属性の「噂」が立つだけで、嘲笑のネタにされるほどである。
ゆえに「属性婚」が行われ、M属性の者は血によって排除対象とされてしまう。
いつかアカーシャが「役立たず属性」と拗ねていた所以であった。だがそれは、識字率が低いせいではないだろうか?
「カルマ」を啓いても、そもそも文字が書けず読む本も少ないのだ。
本は人類の「歴史」そのものである。
スーリヤ様は言葉を濁したけど、確かに記録を鵜呑みにするのは危険。思いこみや客観に似せた主観、意図した隠蔽に歴史が歪む場合もあるだろう。
それでも知識を外部に記録できる文字の恩恵は、誰もが享受しているのだ。
衣食住の管理と、危機の脱し方、社会のあり方や文化、口伝だけではとても伝えきれない物語――先人の知恵と体験。
文字に起こせば悠久の年月が経とうと、一字一句違わず知ることができる。
誰かが閃き伝えてくれたお蔭で、パンが焼け側溝が掘れお風呂に入れた。人々の知恵と経験と試行錯誤が、その積み重ねこそが現在なのだ。
「思えばウーツ鋼やローマン・コンクリートなど……口惜しくも記録が残されず、ロストテクノロジーとなった技術や発明がどれほどあったか……っ」
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」
19世紀の宰相、オットー・フォン・ビスマルク。
「ウーツ……コン? またこいつは、ワケワカンネェことを……ゲホッ」
うめきから立ち直ったウールドが突っこみを入れる。
「イーシャ卿、あなたは素晴らしい方です。光はなくともその慧眼は100年先を見通せるでしょう、イーシャ卿こそが賞賛に値するのです!」
ぼくはM属性を――知識を軽視するのが常識の世界で、重要性に独自に到達したイーシャ卿にこそ感動していた。
想いと熱と感謝を乗せ、手を伸ばし錫杖を持った右手に添える。
「歴史が経ち進む瞬間」に居合わせた興奮を、伝えたかったのだ。
「アユ……っ」
イーシャ卿は驚いた仕草のあと、おずおずとぼくの手に左手を固く重ねた。
「わっ私は名を――『ラヴィ』と申します! 同じ殿下を称える家臣です、今後はそのようにお呼びくださいませっ!」
少し眉根を上げ突き放す言い方と、重ねて離さない手の相反が面白い。
「分かりました、ラヴィ!」
「んだァお前そんな名だったのか、結構長えつき合いだけど初めて聞いたぞ」
ウールドがまぜっ返し、バクティ卿が空気を読めと諭す。イーシャ卿――ラヴィがなにやら言い返している。
本当に仲が良いのだなと笑っていたそばを、赤毛が横切った。
「む――~…」
反対がわに座っていたアカーシャが歩み寄る。ふて腐れてるのか頬がふくらみ、ラヴィに重ねた手を剥して間に座ってしまう。
ぼくが同じようにアカーシャの手に両手を添えると、やっと笑ってくれた。
嬉しそうにしてるアカーシャの向こうから、「ほらみた、どうすんの?」などと懐疑的な気配を、スーリヤ様とラヴィから向けられる。
――押さえる住民を振り切り、城からぼくを追ってきたアカーシャは見たのだ。
魔獣の咆哮とぼくが倒れる姿を、今度は現実として。
そして建物の崩壊が起きるなか、ぼくを側溝に入れ貴族の服をかけてかぶさる。
瓦礫で側溝のお湯が止まっており、深さもあって直撃も避けれた。ぼくはそれで助かったのだけど……。
癒しを受けている時に見た、ボロボロのアカーシャの姿は忘れられない。
背に瓦礫が降り積もり、全身が押しつぶされる。半ば埋まったぼくを掘り出し、地上へと引っ張り上げた。
あれほどに苦労した石畳みを素手で、暗闇のなかで掘り広げたのだ。
この、小さな手で――。
「本来なら……ぼくはあの時、死んでいた」
バジリスクのブレスか、瓦礫により絶命していた。
「無欲」による予知を本人や近しい人に話すと、因果が乱れる。多くの場合もっと悪い方へ傾き、世界はバランスを保つ。
皮肉にも未来が改悪された結果、ぼくは助かったのだ。
乱れ歪んだ因果が、アカーシャを斬り裂くことで……。
「アカーシャの行動を察せず、話させたのはこのぼくだっ! アカーシャが因果を受けねばならぬ道理がどこにある!!」
この世の理と諭されようと、憤りが胸に溜まり汗が落ち息が荒くなった。
それなのにアカーシャは誰も責めたりしない。
いつものように「にへら~」としか形容できない笑みを見せるのだ。その笑顔に日常へ戻った安堵が重なったのだろう。
あるいは死の恐怖が、意識と体に残っていたのかもしれない。
「気がついてあげられなくて、ごめんね……アカーシャ」
ぼくはアカーシャに感謝し抱きしめる、子供の暖かさと鼓動が心地よかった。
そして最大限の友情と、アカーシャが視た辛い未来を少しでも浄化できればと、おでこに「祝福のキス」をしたのだ。
「アっユムは……天然、だなあ」
うつむいて照れるアカーシャが、妹みたいでかわいかった。
それを見ていたスーリヤ様とラヴィに、なぜかめちゃくちゃ怒られる。
「ぼくは祝福の気持ちをこめて……あっはい、ごめんなさい」
反論すら許されない雰囲気に圧倒された。
「女は何歳でも女! 1日100回繰り返しなさい!」
そんなの分かってるよ、ねえアカーシャ?
☆
――魔獣討伐の功労者に関して。
領地をパレードし祝賀会を行い、永劫に湛えるべきとの意見が相次いだ。しかし因果伯は立場的に目立つのを避けたい。
暗黙の了解が交わされ、なし崩しに立ち消えとなる。
「俺らは別にいいが、アユムの名を伏せるのは……処遇としちゃどうなんだ?」
「私もそう思うのよ。魔獣の特長と生態を分析し、はぐれた子供を救出しそのうえ――事態の収束と、被害の拡大を防いだ最大の立役者。
本来なら祝賀会どころか、新王都で戦功叙勲式が開かれても不思議じゃない。
陛下より救国の英雄と称えられ、勲章を叙勲され叙爵し領地を拝領。思うままの褒美が授与されてしかるべき戦果。
でもそうすると、アユムの遡上に興味を持つ者が出てきかねないのも事実」
アユムの召喚は、上だけが知る国家の極秘事項。
あえて真偽の不確かな噂を流し、混乱を誘発させるヴィーラ殿下の情報戦。
「……アユム卿を取りこもうと、派閥争いや宮廷闘争に巻きこまれかねませんな」
「ウチの大臣連中も――『アラヤシキの少年』は半信半疑にしても、殿下のご威光でどうにか黙認してるとこだし……」
「話を大きくせずアユムの存在は闇のなか……ですがなんだか、悔しいですわね」
「だけどどうやらアユムも、それでいいみたいなのよねえ」
『彼の宰相は申しました、自国の平和と安全は己の剣によることを意識すべきと。
ぼくはあの時、2人から離れるのが残念でならなかったのです。女の子を探しに行くことで、少しでもお役に立とうと……。
己の剣がどれほど貧相か考えもせず、ただ私情に身を任せてしまった』
褒めていただく事ではありませんから――。
少年が愁傷に頭を下げるので、誰もそれ以上の推奨はできなかった。
「地位も褒美も求めない……そういやあアユムの望みって、いったいなんだ?」
「それは無論、ヴィーラ殿下への忠誠であろう!」
「あれほどに見識のある方ですし、世俗的ではないと思いますけど」
「まあアユムは、アリエナイ子だし……せめて私たちだけでも、彼がなした偉業を覚えておきましょう」
領主の微笑に、口の端を上げ、整然と敬礼し、大きく頷いてそれぞれ肯定した。
市民には領主より祝いの酒が振舞われ、税の軽減が布告される。誰もが体験した恐怖を語り、無事であったことを祝い、感謝と幸運に連日沸く。
「倒しちまったんだ! 家を巻いて潰す、あの巨大な蛇をだぞ!」
「何か吐き出したと思ったら燃えあがってさあ、恐ろしいねえ……」
「さすがは英雄が討たれただけある、呪いがかかって疫病が流行ったりもしねえ」
「マナスルに英雄が現れ、炎を吐くでっかい魔獣を討伐した――」
功労者の発表をしなかったせいか、いつの間にか広まった噂。王国中に流布され尾ひれがつき、いずれ物語として残るのかもしれない。
関係者はむしろ、楽し気になり行きを静観していたのだ。
しかし領主も因果伯も、情報戦の大本……噂を発展させ、より洗練された手段を講じる者の存在を、失念していた。
ベッドで半身を起こしたぼくの前に、30センチほどの見慣れない文様が浮かび淡く発光する。
識者ならば梵字の「マン」に酷似していたと指摘しただろう。
スーリヤ様が鎖で繋がれていた、豪華な装丁の本を差し出す。頷いて受け取り、文様に差し入れた。
――…瞬間。
雷に打たれ驚愕に息が詰まった……かと思うと、体育の授業でプールあがりに、まどろんでいる充実感が襲う。
前頭葉から熱い光が流れ、脳を満たしていく。
恍惚と酔っているぼくから本を受け取り、スーリヤ様が適当にページをめくる。
眉を寄せなんだか必要以上に、真剣な顔で一部を読んだ。
「んっと……マナスル城の謁見の間に、使用するため――~?」
問題だとしても途中である、周囲の者には意味も理解できなかっただろう。
ぼくは当然のように答えた。
「サーガラより北西にあるターダ山から大理石を切りだした。ナディ川を使用し、バージ船を用いて短時間で搬入――…」
知っているはずのないマナスルの歴史を、思い出したのだ。
ベッドの周りに集まった因果伯から、歓声と祝福が湧く。
M属性「闇癡」
意識した記録や映像などを瞬時に「闇」――「己の脳」に焼きつけできる。
言語、種族、時代などに関係なく、記憶として再生、構築が可能。
忘却できないため、実際の体験なのか疑似記憶なのか判断がつかなくなる……。
「ぼくは本を読むのが好きでした、もしかしたら……無意識に『力』を使用していたのではないでしょうか?」
「そうでなければ、説明のつかない記憶力のよさです」
イーシャ卿が錫杖を手に頷く。
「それにしてもマナスル卿、ご自分で筆記された本ですのに……」
「ううっ……めったに読み返さないし、なんだか年々見にくくなってる気がする」
「もし文字が読めても、そんなぶ厚い本の内容を覚えとく自信ねえぞ」
ウールドが眉を寄せ、半ば以上呆れて頭をかく。
バジリスクは以前、幻想生物事典を読んだ時の記憶。
学校の成績がよかったのも、試験はそのほとんどが記憶力頼みだからだ。単語、年代、方程式――覚えてさえいればクリアーできるのだから。
世にいう直観像記憶に優れた者たちも、同じ感覚だったのかもしれない。
「以前『闇癡』を得意とする学者がいましたが、記録は『事実』ではないのです。間違いや――~…思いこみ、だってあります」
スーリヤ様は豪華な装丁の本を膝に、軽くなでながら言葉を紡ぐ。
あらためてぼくの目を見て、先生が生徒を諭すほどに優しく語った。
「それらを理解しておかないと、自滅への道を辿ってしまいます。記憶するだけに溺れず、常に並列思考を心がけていきましょうね」
「――はい!」
マナスル城の居館には、ぼくの部屋が割り当てられている。
公衆浴場としてしまった屋敷ではなく、ほとんどこちらに住んでいた。兵士などの夜勤は広い一室に雑魚寝なので、かなりの優遇措置だろう。
曲がりなりにも貴族のぼくに、気を使っていただいてるのかもしれない。
右足骨折、数々の捻挫や打撲に擦過傷、早期完治を願いながら――スーリヤ様の言葉を、胸に刻んでいた。
「まあいずれと思っちゃいたが、早くも『カルマ』が啓くとはな。酷い目にあった甲斐があるってもんだ、いやめでたい!」
ウールドが拍手をし、歯を見せて笑う。
死にかけた者に「めでたい」はないだろう、との非難の目は見えないみたいだ。
「これでアユムも因果伯だな!」
「えっそうなんですか?」
「『カルマ』を啓いた者は、種族性別関係なく因果伯の爵位を拝命します。例外はあるけどね――かく言う私も勅許状を受けて、領主をやってるでしょ?」
ああそうか、召喚の間にいた巨漢フードも近衛隊長だそうだ。
「なのでアユムの場合は、どうなるかなあ……」
「なんだこいつ、因果伯になれねえような、ヤバイことやらかしたんか?」
スーリヤ様が言葉に詰まり、ウールドがなんだかとても残念そうに眉を下げる。
「アユム卿の『ヴィーラ殿下のローブまくり事件』は、誤解だったと聞いたが?」
「あ――~あれかっ!」
バクティ卿のフォローに、ウールドは手を打ち笑う。
勘弁してください、ぼくは罵倒や張り手は受けたいけど変態ではありません。
「その件をおいといても、アユムは『アリエナイ』からねえ……」
スーリヤ様は頬に手を当てまだうなっていた、他になにか変なことしたかなあ。
「まあM属性だもんなあ、記憶力がいいせいか妙な奴が多い。奇天烈さにも磨きがかかろうってもん――っだ!?」
笑うウールドの言葉を遮り、鈍器が岩を穿つ音が部屋に響いた。
イーシャ卿の錫杖がウールドの鳩尾を貫いたのだ。完全に油断してたのだろう、あのウールドが壁に手をつきうめいている。
「アユム卿にどれほど助けられたと思っているのですか、礼節をわきまえなさい。同じ因果伯として、お詫びいたします」
「アハハ、いえ全く気にしてないですから」
深々と頭を下げられては、なんだかこちらが申し訳ない。
小さくガッツポーズをしていたスーリヤ様が、苦笑しながら答える。
「M属性はそれだけで、侮られてるところがあるからねえ」
「申し訳ございませんマナスル卿、正直私も……そう考えておりました」
しかし――とイーシャ卿は顔を上げ胸を張った。
「アユム卿が実行された『蒸留水』『酵母パン』『側溝』そして『公衆浴場』……どれをとっても、知識なくしては生まれておりませぬ」
一つ一つ、指折り数えて確認する。
「そして此度のバジリスクも、討てたかどうか怪しい」
その言葉に被害の拡大を想像したのだろう、皆押し黙った。
イーシャ卿が、バクティ卿とうずくまるウールドに微笑む。
「私どもはM属性に対して、認識をあらためるべきですね」
――貴族内では実子がM属性だと判明すると、「カルマ」を啓くに関わらず放逐したり、密かに隠蔽する風習があった。
それほど資質において、M属性は冷遇されているのだ。
王族には特に顕著で、継承順位が上位であろうとM属性の「噂」が立つだけで、嘲笑のネタにされるほどである。
ゆえに「属性婚」が行われ、M属性の者は血によって排除対象とされてしまう。
いつかアカーシャが「役立たず属性」と拗ねていた所以であった。だがそれは、識字率が低いせいではないだろうか?
「カルマ」を啓いても、そもそも文字が書けず読む本も少ないのだ。
本は人類の「歴史」そのものである。
スーリヤ様は言葉を濁したけど、確かに記録を鵜呑みにするのは危険。思いこみや客観に似せた主観、意図した隠蔽に歴史が歪む場合もあるだろう。
それでも知識を外部に記録できる文字の恩恵は、誰もが享受しているのだ。
衣食住の管理と、危機の脱し方、社会のあり方や文化、口伝だけではとても伝えきれない物語――先人の知恵と体験。
文字に起こせば悠久の年月が経とうと、一字一句違わず知ることができる。
誰かが閃き伝えてくれたお蔭で、パンが焼け側溝が掘れお風呂に入れた。人々の知恵と経験と試行錯誤が、その積み重ねこそが現在なのだ。
「思えばウーツ鋼やローマン・コンクリートなど……口惜しくも記録が残されず、ロストテクノロジーとなった技術や発明がどれほどあったか……っ」
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」
19世紀の宰相、オットー・フォン・ビスマルク。
「ウーツ……コン? またこいつは、ワケワカンネェことを……ゲホッ」
うめきから立ち直ったウールドが突っこみを入れる。
「イーシャ卿、あなたは素晴らしい方です。光はなくともその慧眼は100年先を見通せるでしょう、イーシャ卿こそが賞賛に値するのです!」
ぼくはM属性を――知識を軽視するのが常識の世界で、重要性に独自に到達したイーシャ卿にこそ感動していた。
想いと熱と感謝を乗せ、手を伸ばし錫杖を持った右手に添える。
「歴史が経ち進む瞬間」に居合わせた興奮を、伝えたかったのだ。
「アユ……っ」
イーシャ卿は驚いた仕草のあと、おずおずとぼくの手に左手を固く重ねた。
「わっ私は名を――『ラヴィ』と申します! 同じ殿下を称える家臣です、今後はそのようにお呼びくださいませっ!」
少し眉根を上げ突き放す言い方と、重ねて離さない手の相反が面白い。
「分かりました、ラヴィ!」
「んだァお前そんな名だったのか、結構長えつき合いだけど初めて聞いたぞ」
ウールドがまぜっ返し、バクティ卿が空気を読めと諭す。イーシャ卿――ラヴィがなにやら言い返している。
本当に仲が良いのだなと笑っていたそばを、赤毛が横切った。
「む――~…」
反対がわに座っていたアカーシャが歩み寄る。ふて腐れてるのか頬がふくらみ、ラヴィに重ねた手を剥して間に座ってしまう。
ぼくが同じようにアカーシャの手に両手を添えると、やっと笑ってくれた。
嬉しそうにしてるアカーシャの向こうから、「ほらみた、どうすんの?」などと懐疑的な気配を、スーリヤ様とラヴィから向けられる。
――押さえる住民を振り切り、城からぼくを追ってきたアカーシャは見たのだ。
魔獣の咆哮とぼくが倒れる姿を、今度は現実として。
そして建物の崩壊が起きるなか、ぼくを側溝に入れ貴族の服をかけてかぶさる。
瓦礫で側溝のお湯が止まっており、深さもあって直撃も避けれた。ぼくはそれで助かったのだけど……。
癒しを受けている時に見た、ボロボロのアカーシャの姿は忘れられない。
背に瓦礫が降り積もり、全身が押しつぶされる。半ば埋まったぼくを掘り出し、地上へと引っ張り上げた。
あれほどに苦労した石畳みを素手で、暗闇のなかで掘り広げたのだ。
この、小さな手で――。
「本来なら……ぼくはあの時、死んでいた」
バジリスクのブレスか、瓦礫により絶命していた。
「無欲」による予知を本人や近しい人に話すと、因果が乱れる。多くの場合もっと悪い方へ傾き、世界はバランスを保つ。
皮肉にも未来が改悪された結果、ぼくは助かったのだ。
乱れ歪んだ因果が、アカーシャを斬り裂くことで……。
「アカーシャの行動を察せず、話させたのはこのぼくだっ! アカーシャが因果を受けねばならぬ道理がどこにある!!」
この世の理と諭されようと、憤りが胸に溜まり汗が落ち息が荒くなった。
それなのにアカーシャは誰も責めたりしない。
いつものように「にへら~」としか形容できない笑みを見せるのだ。その笑顔に日常へ戻った安堵が重なったのだろう。
あるいは死の恐怖が、意識と体に残っていたのかもしれない。
「気がついてあげられなくて、ごめんね……アカーシャ」
ぼくはアカーシャに感謝し抱きしめる、子供の暖かさと鼓動が心地よかった。
そして最大限の友情と、アカーシャが視た辛い未来を少しでも浄化できればと、おでこに「祝福のキス」をしたのだ。
「アっユムは……天然、だなあ」
うつむいて照れるアカーシャが、妹みたいでかわいかった。
それを見ていたスーリヤ様とラヴィに、なぜかめちゃくちゃ怒られる。
「ぼくは祝福の気持ちをこめて……あっはい、ごめんなさい」
反論すら許されない雰囲気に圧倒された。
「女は何歳でも女! 1日100回繰り返しなさい!」
そんなの分かってるよ、ねえアカーシャ?
☆
――魔獣討伐の功労者に関して。
領地をパレードし祝賀会を行い、永劫に湛えるべきとの意見が相次いだ。しかし因果伯は立場的に目立つのを避けたい。
暗黙の了解が交わされ、なし崩しに立ち消えとなる。
「俺らは別にいいが、アユムの名を伏せるのは……処遇としちゃどうなんだ?」
「私もそう思うのよ。魔獣の特長と生態を分析し、はぐれた子供を救出しそのうえ――事態の収束と、被害の拡大を防いだ最大の立役者。
本来なら祝賀会どころか、新王都で戦功叙勲式が開かれても不思議じゃない。
陛下より救国の英雄と称えられ、勲章を叙勲され叙爵し領地を拝領。思うままの褒美が授与されてしかるべき戦果。
でもそうすると、アユムの遡上に興味を持つ者が出てきかねないのも事実」
アユムの召喚は、上だけが知る国家の極秘事項。
あえて真偽の不確かな噂を流し、混乱を誘発させるヴィーラ殿下の情報戦。
「……アユム卿を取りこもうと、派閥争いや宮廷闘争に巻きこまれかねませんな」
「ウチの大臣連中も――『アラヤシキの少年』は半信半疑にしても、殿下のご威光でどうにか黙認してるとこだし……」
「話を大きくせずアユムの存在は闇のなか……ですがなんだか、悔しいですわね」
「だけどどうやらアユムも、それでいいみたいなのよねえ」
『彼の宰相は申しました、自国の平和と安全は己の剣によることを意識すべきと。
ぼくはあの時、2人から離れるのが残念でならなかったのです。女の子を探しに行くことで、少しでもお役に立とうと……。
己の剣がどれほど貧相か考えもせず、ただ私情に身を任せてしまった』
褒めていただく事ではありませんから――。
少年が愁傷に頭を下げるので、誰もそれ以上の推奨はできなかった。
「地位も褒美も求めない……そういやあアユムの望みって、いったいなんだ?」
「それは無論、ヴィーラ殿下への忠誠であろう!」
「あれほどに見識のある方ですし、世俗的ではないと思いますけど」
「まあアユムは、アリエナイ子だし……せめて私たちだけでも、彼がなした偉業を覚えておきましょう」
領主の微笑に、口の端を上げ、整然と敬礼し、大きく頷いてそれぞれ肯定した。
市民には領主より祝いの酒が振舞われ、税の軽減が布告される。誰もが体験した恐怖を語り、無事であったことを祝い、感謝と幸運に連日沸く。
「倒しちまったんだ! 家を巻いて潰す、あの巨大な蛇をだぞ!」
「何か吐き出したと思ったら燃えあがってさあ、恐ろしいねえ……」
「さすがは英雄が討たれただけある、呪いがかかって疫病が流行ったりもしねえ」
「マナスルに英雄が現れ、炎を吐くでっかい魔獣を討伐した――」
功労者の発表をしなかったせいか、いつの間にか広まった噂。王国中に流布され尾ひれがつき、いずれ物語として残るのかもしれない。
関係者はむしろ、楽し気になり行きを静観していたのだ。
しかし領主も因果伯も、情報戦の大本……噂を発展させ、より洗練された手段を講じる者の存在を、失念していた。
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異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。
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やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活!
右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり!
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聖女のはじめてのおつかい~ちょっとくらいなら国が滅んだりしないよね?~
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聖女メリルは7つ。加護の権化である聖女は、ほんとうは国を離れてはいけない。
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現在、第三章フェレスト王国エルフ編

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これは、馬鹿だけど憎み切れない神様ティーンクトゥスの為に剣と魔法、そして魔獣たちの息づくアーテル王国でチートが過ぎる男子高校生・水無月真尋が無自覚チートの親友・鈴木一路と共に神様の為と言いながら好き勝手に生きていく物語。
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※教会、神父、などが出てきますが実在するものとは一切関係ありません。
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