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第一章 城郭都市マナスル
十八夜 魔獣
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叫び声が段々と大きく響いてきた。
東にいた市民が中心部にいたぼくらの方へ逃げてくるのだ。状況を判断した人、呆然自失から目覚めた人が悲鳴をあげ逃げ惑う。
まだ理解できない人が「それ」を確かめるため、むしろ東へ行こうとする。
「逃げなくては!」「どこへ?」「なにがあった!?」
「それ」は悠々と首をくゆらせており、それだけでパニックが発生していた。
周囲を小さい光が……おそらくは矢が幾重にも飛んでいる。だが外皮で弾かれ、効いているとは到底言いがたい。
そして思い出したように、外側城壁をソロリと跨ぎ入ってきた。
尻尾の先が、全身が入りきるまでいったい何秒かかったのか。「それ」が通ったあとの外側城壁が、大きく抉れ崩れていく。
「…――ん、だァ! ありゃ、蛇かあっ!?」
ウールドの声が、呟きから叫び声に変わっていく。
姿が見えなくなったおかげで、むしろ息がつけて声が出せたのだ。イーシャ卿も振り返った姿のまま固まっている。
アカーシャが手袋越しに、ぼくの手の平を強く握った。
「無欲」で視たのは――あれ、なのか。
「霊山モルディブにいると聞いた魔獣、本当にいたんだ……」
あまりにも現実離れした光景に、当たり前の感想が思い浮かぶ。
城に戻るべきか!? それしかないだろう!
建物の隙間からウロコが見え隠れし、反射する光が幻想的だ。
市民を放って? お前になにができる!?
思考が疑問と停止を繰り返し、身体の石化が解けぬまま――。
『我はヴィーラ殿下の名代である! 皆の者心して聴け!』
突然耳ではなく、脳に声が響く……痛いくらいの強制介入。
『ヴィーラ殿下のお言葉である! 全霊をもって恭順せよ!』
「――っテレパシー!? これが、『風舌』か!」
スーリヤ様に聞いてはいたけど、思考の隙間に無理矢理別の意思をねじこまれ、抗えずに脳がかきむしられる感覚。
「むしろ……なにも考えない方が、楽だ……っ!」
そして「ヴィーラ殿下」は、領民にとって絶対的支配力を持つ名称。誰も逆らう者はいないだろう。
先ほどまでパニックになっていた市民も、「声」を聴こうと立ち止まっている。
『脅威は東の職人住居区から発生し、北西のウッティ門へと続いている!
北の市民は野外施設へ、南西の市民は城へ避難。道を開いてただ通してやれ! 兵士も同様だ、攻撃せずともいい!
市民の安全と避難だけを最優先とせよ!』
端的な情報伝達と、分かりやすい行動指示。
『繰り返す! これはヴィーラ殿下の下知であるっ!!』
「――っ切れ、た?」
ぼくは肩で息をしており、アカーシャが心配そうに覗いてくる。
因果伯の3人は慣れているのか、少し眉根を寄せただけだった。
周囲の市民も肩で息をしながら、誰に対してか一つ頷く。けして焦らず騒がず、急いで城に向かってゆく。
「風舌」を知らぬ市民にとっては未知の「声」、しかし――。
「ヴィーラ殿下のお言葉に従おう!」
「そうだ我らには、殿下がついておられる!」
幾度か叫ばれ、同調し呼応する声もあがる。
こういった時、絶対的な存在がいると本当にありがたい。市民のパニックは急速に沈静化していった。
「残ったのはジャーラフだったのか……っ相変わらず、頭に響くなァ」
側頭部を軽く叩きながら、ウールドがぼやく。
「因果伯の1人だね……ジャーラフ、伯爵?」
だけどなんて大胆な方だろう。
確かに矢を弾く魔獣の前に兵を集めても、盾になるかどうかも怪しい。それでも街中を素通りさせるなんて。
この方には確実に、何かが視えているんだ。
「いや単なるジャーラフ、名か爵位号かは聞いたことねえな――…っ!?」
今度は3人にだけきたのか、アカーシャもイーシャ卿も息を止めている。
「広範囲にそして、任意に選んでも届けれるのか……やはり便利そうだ」
「――しっ、分かった!」
ウールドは一つ深呼吸をし、汗を振り払う。
「アユム、俺らはあの蛇の親玉を止めにいく! お前はアカーシャと城に戻れ」
そういって貴族の服をぼくに放り投げる。
「あっ……あの巨大な魔獣を、2人で相手取るんですか? 城壁の兵士がどれほど攻撃しても、手傷を負ったとは思えませんでしたよ!?」
「なに今までのに比べりゃちっとばかし大きいだけだ、すぐあの色男も合流する。心配すんな、曲がりなりにも俺らは『因果伯』だしな」
特殊な「力」、「カルマ」を啓くことができる方たち。魔獣討伐も俸給のうちだ――わざとだろう、ウールドがおどけてみせた。
そしてアカーシャの頭をなでる。
「アカーシャは、視えてたんだな? こいつは確かに、ねーちゃんとトリの坊主がいなけりゃどうしようもなかったわ。上手くやった、偉かったぞ!」
アカーシャが無言でウールドを見上げている。
マナスルに残る因果伯を選ぶ際、トラブルがあったと言っていた。
つまり、「もう一つ」……。
「んでねーちゃん、どんな感じだ?」
「魔獣の『カルマ』は感じます、建物の影でよく……どのような姿でしょうか?」
意識を集中してるのだろう……イーシャ卿が錫杖を真っ直ぐに構え、先端の輪になった部分をおでこ近くにかざしている。
「でっかい蛇だ」
「――それは言外から分かります! あなたに訊いたのが間違いでしたわ!」
「どんな姿……外見が分かればいいんですか?」
武器とはいえウールドは短剣だし、イーシャ卿は錫杖しか持っていない。
ジャーラフ……さんが大胆なのは、因果伯への信頼があるからだろう。ぼくでも何か役に立てないか。
ぼくにできるのは、思考。
「アユム卿! 我らに関わる権利はないと申したでしょう!」
「このねーちゃんの『力』は、相手を知れば知るほど効――っくそが!」
「それ」が黒に近い緑の煙を吐き、発火して巨大な火炎放射器と化す。
次いで建物数軒が爆発炎上する振動が響いた。周囲の市民はすでに避難して……いや煙を吸ったのか、人が倒れてる!?
炎に焼かれた他にも離れた路地でブタが折り重なり、距離のあった鳥が落ちた。
蛇の吐く煙は単なる引火性ガスじゃない――毒の息!!
「あんの蛇公ぉ! ふざけやがって!!」
「行きましょう! 餓狼、乗せて――…」
「――あの魔獣はバジリスクです! 俗に『蛇の王』と呼ばれます!」
ウールドとイーシャ卿の意識がぼくに集まる。
「周囲の地形と建物の幅から判断して、体長約75メートル! 胴体部分の直径はドアと比べて1.8メートル、比重0.8として推定体重150トン以上!!」
側溝のマップ製作時を思い出せ、記憶を掘れ。
「頭部に王冠に似た突起、大きさ以外は蛇と酷似しています。矢が外皮に弾かれ、火花のような発光を確認。黒に近い緑のブレスを吐き、爆発した経緯から引火性の危険があります。毒性もあるのか近くに昏倒している人達がおり、生死は不明!」
考えろ、考えろ、考えろ――。
「東の外側城壁から侵入し、市民や兵士に目もくれず北西のウッティ門へ移動中。一連の行動から無秩序ではなく目的を持っていると推測ができ、突如方向が変わる可能性もあります! ――ここから分かるのは以上です!」
有無を言わせず早口でまくしたて、息を整える。
「ぼくはなにも訊いていません、単に独り言を呟いただけです!」
「うむ、俺もでっけえ独り言は聞こえなかったな」
ウールドが耳をほじりトボケながら乗ってくれる、ありがとう。
事前に情報が必要な「力」なら、おそらくスーリヤ様が探究部屋で見せてくれたO属性だろう。だけどこれ以上、詮索してはならない。
イーシャ卿は虚をつかれたのか、ポカンと似つかわしくない表情をしていた。
「えっええ、そうですわね! ええですが大変――大変助かりました、アユム卿」
「ではぼくらは城で待機します、ご武運を!」
ぼくができる最善は、戦いが待つ2人に気を使わせないこと。
アカーシャの手を引きニコリと笑い、足の震えをごまかしながら走り出す。
「悔しいけど、ここにいては足手まとい……っ」
☆
「だからあたしは言ったんだ、新王都へ引っ越すべきだって!」
「おっお前いまさら、そんな……」
「俺は見たんだ! 城壁を乗り越えてくる、でっかい魔獣だったぞ!」
「そんなの相手に城に立てこもったぐらいで、無事でいられるのか?」
城の周囲は避難する市民が詰めかけていた。
しかし不安や嘆き声はあるがパニックにはならず、整然と進み騒ぎは少ない。
「脅威はこちらに向いていない! 皆落ちついて入城しろ――!!」
兵士も誘導だけを考えているようで、他に意識を向けないですむ分楽だろう。
「ジャーラフさんのおかげだね」
アカーシャに笑いかけてると、子供の泣き声がした。他でもしていたんだけど、聞き覚えのある声だったので意識が向く。
行列から少し離れ集まっているのは、側溝を手伝ってくれた通りの皆さん。
「どうしたんですか? 早く避難しないと――」
「――いない? あの手伝ってくれてた、女の子だよね?」
「小人のくつ屋さん」がお気に入りで、何度もせがまれて話した。
いつも手を繋いでたお兄ちゃんが、ぐしゃぐしゃの顔で泣いている。
「一緒に、逃げてたら……誰か、にぶつかって……はぐれちゃったんだ」
「今この子たちの親を探してるんです、もしかしたら一緒にいるかもって」
側溝通りに住むおばさんが補足してくれた。
人混みではぐれ、運よく両親と出会う……確率からいってもそれは……。
アカーシャがぼくの袖を力いっぱい握っている。不安と、危惧と――あきらめ?
手を重ねて頷く、ありがとう。
「あの辺りは浴場の調査で何度も周ってます。皆さんより詳しい自信ありますし、ぼくが見てきましょう!」
やっと皆の、お兄ちゃんの表情に日が射した。
アカーシャを頼みますと、貴族の服も一緒に渡す。強張った表情で見上げる赤毛の幼女に、佩刀した剣を叩く。
二番煎じだろうと、少しでも明るくなるよう笑いかける。
「アカーシャ、ほらね。ぼくは曲がりなりにも『騎士』なんだよ、行かなきゃ!」
「ダメ――――っ!!」
この騒ぎのなか、周囲の人も振り返るほどの絶叫が響く。
叫んだことに気がついたアカーシャが、口を押え真っ青な顔で後ずさった。
「ごめんね……アカーシャ」
ぼくは公衆浴場「アラヤシキ」の方に向かって走り出す。
「――っ!」
アカーシャがどうしようもなくなって、ただ言葉に詰まる。
ごめんねアカーシャ、上手くかわしてあげられなくて……話させてしまった。
そうだアカーシャは視たんだ、「魔獣の出現」と――そして「もう一つ」
二つ視ていたんだ。
なぜもっと早く気づけなかったのか。一つ目はヴィーラ殿下が上手く流してる、軽口の形で因果伯にもそうと悟られないよう。
改悪されないように。
そして昼食会で二つ目を視た。
話せない未来――つまりこれから起きる「もう一つ」は、悲劇……。
そうして異世界に来ておそらく初めて、ぼくは独りになった。
「アラヤシキ」から側溝通りに出る。
貴族区を出て、農民区へ。女の子の――迷子の行動範囲、見知った場所へ向かい兄を探すのではないか。
「だったら、よく遊んでいた場所!」
農民区の通りは細かい路地と空き家が多い。
全てを周る猶予はない、大声は極力避ける。バジリスクが目的を持っているのだとしても、動きが読める訳ではない。
では、どうする!?
ぼくは一つ深呼吸して、気持ちを無理矢理落ちつかせた。
「――小人さんは仕事に取り掛かりました。チクチクトントン……」
手伝ってくれていた側溝通り、歩きながらお話をした場所。
「……小さな指で、チクチクトントン。素敵な靴ができました――」
2度目の暗唱中、背後で小さいが確実な物音。
振り返る、右手、あの空き家。
駆け寄って扉を開く、闇に目が慣れるまでがもどかしい。思う間もなく部屋の隅に小さい光が浮かぶ――女の子が、立ってこっちを見ていた。
「ぅわあああああ――――んっっ!!」
走ってくる、手を広げて迎える。しがみつく……その痛いまでの力と温かさに、命の鼓動を感じた。
遠くで地響きがして、大泣きしていた女の子がビクリと震える。
「大丈夫だからね、お兄ちゃんのとこへ帰ろうね」
頷く女の子を優しく抱っこして、軽く背をたたきながら通りに戻った。
大丈夫まだいない、あの巨体だ近くにいたら絶対に音が……。
「――っ!?」
影に――覆われる。
風切り音が重なるのを聞くや、横っ飛びに避けた。
奇跡か、あるいは予感であったかもしれない。交錯した「死」は、コンマ数秒前立っていた足元に降ってきた。
瓦が重なり落ちて、建物の屋根だったのに気がつき目を疑う。
避けたはずが崩れた木材で叩かれ、地面に転がり石壁にぶつかる。背をしたたかに打ち息が詰まった。
他にも飛んできたのか、あちらこちらから地面に「振動」が伝わる。
女の子がいた空き家が、瓦礫を受け無残にも倒壊していた。埃と木材、石が舞い周囲を埋め尽くす。
喉が詰まり咳きこむ、快く咳きこんでいたいけどそうも言ってられない。
気配を感じ、うめくように顔だけそちらに向ける。
バジリスクが、鎌首をもたげていた。
東にいた市民が中心部にいたぼくらの方へ逃げてくるのだ。状況を判断した人、呆然自失から目覚めた人が悲鳴をあげ逃げ惑う。
まだ理解できない人が「それ」を確かめるため、むしろ東へ行こうとする。
「逃げなくては!」「どこへ?」「なにがあった!?」
「それ」は悠々と首をくゆらせており、それだけでパニックが発生していた。
周囲を小さい光が……おそらくは矢が幾重にも飛んでいる。だが外皮で弾かれ、効いているとは到底言いがたい。
そして思い出したように、外側城壁をソロリと跨ぎ入ってきた。
尻尾の先が、全身が入りきるまでいったい何秒かかったのか。「それ」が通ったあとの外側城壁が、大きく抉れ崩れていく。
「…――ん、だァ! ありゃ、蛇かあっ!?」
ウールドの声が、呟きから叫び声に変わっていく。
姿が見えなくなったおかげで、むしろ息がつけて声が出せたのだ。イーシャ卿も振り返った姿のまま固まっている。
アカーシャが手袋越しに、ぼくの手の平を強く握った。
「無欲」で視たのは――あれ、なのか。
「霊山モルディブにいると聞いた魔獣、本当にいたんだ……」
あまりにも現実離れした光景に、当たり前の感想が思い浮かぶ。
城に戻るべきか!? それしかないだろう!
建物の隙間からウロコが見え隠れし、反射する光が幻想的だ。
市民を放って? お前になにができる!?
思考が疑問と停止を繰り返し、身体の石化が解けぬまま――。
『我はヴィーラ殿下の名代である! 皆の者心して聴け!』
突然耳ではなく、脳に声が響く……痛いくらいの強制介入。
『ヴィーラ殿下のお言葉である! 全霊をもって恭順せよ!』
「――っテレパシー!? これが、『風舌』か!」
スーリヤ様に聞いてはいたけど、思考の隙間に無理矢理別の意思をねじこまれ、抗えずに脳がかきむしられる感覚。
「むしろ……なにも考えない方が、楽だ……っ!」
そして「ヴィーラ殿下」は、領民にとって絶対的支配力を持つ名称。誰も逆らう者はいないだろう。
先ほどまでパニックになっていた市民も、「声」を聴こうと立ち止まっている。
『脅威は東の職人住居区から発生し、北西のウッティ門へと続いている!
北の市民は野外施設へ、南西の市民は城へ避難。道を開いてただ通してやれ! 兵士も同様だ、攻撃せずともいい!
市民の安全と避難だけを最優先とせよ!』
端的な情報伝達と、分かりやすい行動指示。
『繰り返す! これはヴィーラ殿下の下知であるっ!!』
「――っ切れ、た?」
ぼくは肩で息をしており、アカーシャが心配そうに覗いてくる。
因果伯の3人は慣れているのか、少し眉根を寄せただけだった。
周囲の市民も肩で息をしながら、誰に対してか一つ頷く。けして焦らず騒がず、急いで城に向かってゆく。
「風舌」を知らぬ市民にとっては未知の「声」、しかし――。
「ヴィーラ殿下のお言葉に従おう!」
「そうだ我らには、殿下がついておられる!」
幾度か叫ばれ、同調し呼応する声もあがる。
こういった時、絶対的な存在がいると本当にありがたい。市民のパニックは急速に沈静化していった。
「残ったのはジャーラフだったのか……っ相変わらず、頭に響くなァ」
側頭部を軽く叩きながら、ウールドがぼやく。
「因果伯の1人だね……ジャーラフ、伯爵?」
だけどなんて大胆な方だろう。
確かに矢を弾く魔獣の前に兵を集めても、盾になるかどうかも怪しい。それでも街中を素通りさせるなんて。
この方には確実に、何かが視えているんだ。
「いや単なるジャーラフ、名か爵位号かは聞いたことねえな――…っ!?」
今度は3人にだけきたのか、アカーシャもイーシャ卿も息を止めている。
「広範囲にそして、任意に選んでも届けれるのか……やはり便利そうだ」
「――しっ、分かった!」
ウールドは一つ深呼吸をし、汗を振り払う。
「アユム、俺らはあの蛇の親玉を止めにいく! お前はアカーシャと城に戻れ」
そういって貴族の服をぼくに放り投げる。
「あっ……あの巨大な魔獣を、2人で相手取るんですか? 城壁の兵士がどれほど攻撃しても、手傷を負ったとは思えませんでしたよ!?」
「なに今までのに比べりゃちっとばかし大きいだけだ、すぐあの色男も合流する。心配すんな、曲がりなりにも俺らは『因果伯』だしな」
特殊な「力」、「カルマ」を啓くことができる方たち。魔獣討伐も俸給のうちだ――わざとだろう、ウールドがおどけてみせた。
そしてアカーシャの頭をなでる。
「アカーシャは、視えてたんだな? こいつは確かに、ねーちゃんとトリの坊主がいなけりゃどうしようもなかったわ。上手くやった、偉かったぞ!」
アカーシャが無言でウールドを見上げている。
マナスルに残る因果伯を選ぶ際、トラブルがあったと言っていた。
つまり、「もう一つ」……。
「んでねーちゃん、どんな感じだ?」
「魔獣の『カルマ』は感じます、建物の影でよく……どのような姿でしょうか?」
意識を集中してるのだろう……イーシャ卿が錫杖を真っ直ぐに構え、先端の輪になった部分をおでこ近くにかざしている。
「でっかい蛇だ」
「――それは言外から分かります! あなたに訊いたのが間違いでしたわ!」
「どんな姿……外見が分かればいいんですか?」
武器とはいえウールドは短剣だし、イーシャ卿は錫杖しか持っていない。
ジャーラフ……さんが大胆なのは、因果伯への信頼があるからだろう。ぼくでも何か役に立てないか。
ぼくにできるのは、思考。
「アユム卿! 我らに関わる権利はないと申したでしょう!」
「このねーちゃんの『力』は、相手を知れば知るほど効――っくそが!」
「それ」が黒に近い緑の煙を吐き、発火して巨大な火炎放射器と化す。
次いで建物数軒が爆発炎上する振動が響いた。周囲の市民はすでに避難して……いや煙を吸ったのか、人が倒れてる!?
炎に焼かれた他にも離れた路地でブタが折り重なり、距離のあった鳥が落ちた。
蛇の吐く煙は単なる引火性ガスじゃない――毒の息!!
「あんの蛇公ぉ! ふざけやがって!!」
「行きましょう! 餓狼、乗せて――…」
「――あの魔獣はバジリスクです! 俗に『蛇の王』と呼ばれます!」
ウールドとイーシャ卿の意識がぼくに集まる。
「周囲の地形と建物の幅から判断して、体長約75メートル! 胴体部分の直径はドアと比べて1.8メートル、比重0.8として推定体重150トン以上!!」
側溝のマップ製作時を思い出せ、記憶を掘れ。
「頭部に王冠に似た突起、大きさ以外は蛇と酷似しています。矢が外皮に弾かれ、火花のような発光を確認。黒に近い緑のブレスを吐き、爆発した経緯から引火性の危険があります。毒性もあるのか近くに昏倒している人達がおり、生死は不明!」
考えろ、考えろ、考えろ――。
「東の外側城壁から侵入し、市民や兵士に目もくれず北西のウッティ門へ移動中。一連の行動から無秩序ではなく目的を持っていると推測ができ、突如方向が変わる可能性もあります! ――ここから分かるのは以上です!」
有無を言わせず早口でまくしたて、息を整える。
「ぼくはなにも訊いていません、単に独り言を呟いただけです!」
「うむ、俺もでっけえ独り言は聞こえなかったな」
ウールドが耳をほじりトボケながら乗ってくれる、ありがとう。
事前に情報が必要な「力」なら、おそらくスーリヤ様が探究部屋で見せてくれたO属性だろう。だけどこれ以上、詮索してはならない。
イーシャ卿は虚をつかれたのか、ポカンと似つかわしくない表情をしていた。
「えっええ、そうですわね! ええですが大変――大変助かりました、アユム卿」
「ではぼくらは城で待機します、ご武運を!」
ぼくができる最善は、戦いが待つ2人に気を使わせないこと。
アカーシャの手を引きニコリと笑い、足の震えをごまかしながら走り出す。
「悔しいけど、ここにいては足手まとい……っ」
☆
「だからあたしは言ったんだ、新王都へ引っ越すべきだって!」
「おっお前いまさら、そんな……」
「俺は見たんだ! 城壁を乗り越えてくる、でっかい魔獣だったぞ!」
「そんなの相手に城に立てこもったぐらいで、無事でいられるのか?」
城の周囲は避難する市民が詰めかけていた。
しかし不安や嘆き声はあるがパニックにはならず、整然と進み騒ぎは少ない。
「脅威はこちらに向いていない! 皆落ちついて入城しろ――!!」
兵士も誘導だけを考えているようで、他に意識を向けないですむ分楽だろう。
「ジャーラフさんのおかげだね」
アカーシャに笑いかけてると、子供の泣き声がした。他でもしていたんだけど、聞き覚えのある声だったので意識が向く。
行列から少し離れ集まっているのは、側溝を手伝ってくれた通りの皆さん。
「どうしたんですか? 早く避難しないと――」
「――いない? あの手伝ってくれてた、女の子だよね?」
「小人のくつ屋さん」がお気に入りで、何度もせがまれて話した。
いつも手を繋いでたお兄ちゃんが、ぐしゃぐしゃの顔で泣いている。
「一緒に、逃げてたら……誰か、にぶつかって……はぐれちゃったんだ」
「今この子たちの親を探してるんです、もしかしたら一緒にいるかもって」
側溝通りに住むおばさんが補足してくれた。
人混みではぐれ、運よく両親と出会う……確率からいってもそれは……。
アカーシャがぼくの袖を力いっぱい握っている。不安と、危惧と――あきらめ?
手を重ねて頷く、ありがとう。
「あの辺りは浴場の調査で何度も周ってます。皆さんより詳しい自信ありますし、ぼくが見てきましょう!」
やっと皆の、お兄ちゃんの表情に日が射した。
アカーシャを頼みますと、貴族の服も一緒に渡す。強張った表情で見上げる赤毛の幼女に、佩刀した剣を叩く。
二番煎じだろうと、少しでも明るくなるよう笑いかける。
「アカーシャ、ほらね。ぼくは曲がりなりにも『騎士』なんだよ、行かなきゃ!」
「ダメ――――っ!!」
この騒ぎのなか、周囲の人も振り返るほどの絶叫が響く。
叫んだことに気がついたアカーシャが、口を押え真っ青な顔で後ずさった。
「ごめんね……アカーシャ」
ぼくは公衆浴場「アラヤシキ」の方に向かって走り出す。
「――っ!」
アカーシャがどうしようもなくなって、ただ言葉に詰まる。
ごめんねアカーシャ、上手くかわしてあげられなくて……話させてしまった。
そうだアカーシャは視たんだ、「魔獣の出現」と――そして「もう一つ」
二つ視ていたんだ。
なぜもっと早く気づけなかったのか。一つ目はヴィーラ殿下が上手く流してる、軽口の形で因果伯にもそうと悟られないよう。
改悪されないように。
そして昼食会で二つ目を視た。
話せない未来――つまりこれから起きる「もう一つ」は、悲劇……。
そうして異世界に来ておそらく初めて、ぼくは独りになった。
「アラヤシキ」から側溝通りに出る。
貴族区を出て、農民区へ。女の子の――迷子の行動範囲、見知った場所へ向かい兄を探すのではないか。
「だったら、よく遊んでいた場所!」
農民区の通りは細かい路地と空き家が多い。
全てを周る猶予はない、大声は極力避ける。バジリスクが目的を持っているのだとしても、動きが読める訳ではない。
では、どうする!?
ぼくは一つ深呼吸して、気持ちを無理矢理落ちつかせた。
「――小人さんは仕事に取り掛かりました。チクチクトントン……」
手伝ってくれていた側溝通り、歩きながらお話をした場所。
「……小さな指で、チクチクトントン。素敵な靴ができました――」
2度目の暗唱中、背後で小さいが確実な物音。
振り返る、右手、あの空き家。
駆け寄って扉を開く、闇に目が慣れるまでがもどかしい。思う間もなく部屋の隅に小さい光が浮かぶ――女の子が、立ってこっちを見ていた。
「ぅわあああああ――――んっっ!!」
走ってくる、手を広げて迎える。しがみつく……その痛いまでの力と温かさに、命の鼓動を感じた。
遠くで地響きがして、大泣きしていた女の子がビクリと震える。
「大丈夫だからね、お兄ちゃんのとこへ帰ろうね」
頷く女の子を優しく抱っこして、軽く背をたたきながら通りに戻った。
大丈夫まだいない、あの巨体だ近くにいたら絶対に音が……。
「――っ!?」
影に――覆われる。
風切り音が重なるのを聞くや、横っ飛びに避けた。
奇跡か、あるいは予感であったかもしれない。交錯した「死」は、コンマ数秒前立っていた足元に降ってきた。
瓦が重なり落ちて、建物の屋根だったのに気がつき目を疑う。
避けたはずが崩れた木材で叩かれ、地面に転がり石壁にぶつかる。背をしたたかに打ち息が詰まった。
他にも飛んできたのか、あちらこちらから地面に「振動」が伝わる。
女の子がいた空き家が、瓦礫を受け無残にも倒壊していた。埃と木材、石が舞い周囲を埋め尽くす。
喉が詰まり咳きこむ、快く咳きこんでいたいけどそうも言ってられない。
気配を感じ、うめくように顔だけそちらに向ける。
バジリスクが、鎌首をもたげていた。
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さいとう みさき
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