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第一章 城郭都市マナスル
四夜 異世界
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「これは、見事ですね……」
3階分吹き抜けで円形状の天井――リヴ・ヴォールトには、絢爛と呼ぶしかないシャンデリアが燈っている。
天井を支える円柱にはレリーフがほどこされ、何体もの彫像が人々を見下ろす。
大きく取られた窓にはステンドグラスを設置し、教義の絵物語がつづられ室内に色鮮やかな光を運んでいた。
謁見の間。
奥行きが30メートはあろうか、否が応にも荘厳な空間を醸しだしている。
「左右に並んだ尖頭アーチで格子状の窓……フラスコの底辺を切り取った跡かな、ガラスに見慣れない丸い文様が入ってる」
――13世紀頃には、欧州にも透明なガラスの製法が伝わっていた。
しかし手吹きガラスの技法では、ビール瓶の底ほどの大きさしか製作できない。
また貴族にも高価で、家人が留守にする際は取り外して保管したほど。それすら普及するのは17世紀末、板ガラスに至っては18世紀である。
「衣服や建物の様式から、今は13世紀後半から14世紀半の可能性が濃厚かな」
まあどこまで酷似した世界なのかは不明だけど――自分で突っこみを入れつつ、判断材料が増え状況が見えてきた。
だが簡単にいえど、1世紀の差は100年の隔たりがある。
大正から令和であり、和服着物からタンクトプへ、人力車がタクシーと呼ばれ、草履からビーサン、井戸端会議がSNSへ移行するほどの変化。
時代は徐々に改変される、記録がなければ判断は難しい。
「まだ近世じゃない、中世の後期辺りかな。再生や復活を告げる、ルネサンス期が始まった頃かもしれない」
欧州ではこの運動により、古代ギリシアやローマ時代の文化が復興し――近世へ移行するにいたる。
「時代の転換期に立ち会えたのか、それとも……おっと、失礼しました」
「ルネッ……サーン?」
装飾がほどこされた巨大な両扉を開いた兵士が、一歩も踏み出さずに謁見の間を魅入るぼくに首を傾げていた。
視線に気がつき、呼応して踏み出す。
移動する際高い城壁とオレンジの屋根が連なる街並みが見え、ここは「城の中」だったのだと検めて確認している。
壁の外は荒涼とした田園が広がっており、冬だとしても少し寂しく感じた。
「現代人ぶる気はないけど……都市をグルリと取り囲む巨大な石の壁、それだけで異様に思えるなあ」
謁見の間を埋める光沢のある大理石の床を、一歩ずつ確かめながら歩く。
最奥には一段高くなったダイスがあり、小さな屋根まで設えた「巨大な椅子」が主のように鎮座している。
ヴィーラ殿下があの椅子にふんぞり返られるだろう予感。
周囲には色とりどりの礼服を着飾った、おそらくは上流の貴族が控えていた。
待ちわびた観客となり遠巻きな視線がぼくに集中する。奇妙な動物を覗き見て、なんの遠慮もなく値踏みするのだ。
「この少年が例の、アラヤシキから招いたとされる?」
「殿下のお言葉を疑うではないが、見目麗しいだけの少年にしか思えませんな」
「劇ではない外面など関係なかろう、これで我が国の現状にいささかでも――…」
……ぼくのお披露目は、失敗ではなかったか?
若い俳優を前に、観客の失望色の濃いざわめきが荘厳な劇場を白けさせていた。
せめて手でも振ろうかなと悩みながら、両脇に控えた兵士が「近づきすぎ!」と目で訴える距離まで進み、両膝で跪く。
巨大な椅子まであと10メートルほど――。
「もう少し間近で、ご尊顔を拝見したかったな」
礼を失した呟きはしかし、貴族の面々の驚愕で打ち消された。
「はあああ――~っ!? なんじゃあの姿は!!」
ぼくは白無地でイカ胸シャツ、白いベスト白の蝶ネクタイ、白の手袋をはめる。
黒の脚衣に適した黒の革靴がなく、代わりに黒のブーツを履いていた。
服の「上着」が、彼らにとって「異様」だったのだ。
黒のダブルだが、正面はジャケットほどの短さでベストの下部が見える。背面部をふくらはぎまで伸ばし、裾が2つに割れていた。
18世紀に騎乗の邪魔にならないようにと仕立てられ、その形が燕の尾に見えるところから名付けられた――「燕尾服」である。
跪くと上着のしっぽが床に広がって、羽ばたく翼を思わせた。
「背中の切りこみはなんだ? なんの意味があるんだ!?」
「いえアラヤシキでは……このような服を好むと、示唆されてるのでは?」
「異質感を強調するにしても、奇天烈すぎじゃろっ!!」
やや寂しくなった頭髪と、肥満で揺れるお腹を振って貴族が問う。訊かれた方も答えれる訳もなし。
5世紀の隔たりを、容易に許容できる術はない。
「狼狽が向こうの世界への誹謗になる前に、説明すべきなのかなあ。ぼくとしてはヴィーラ殿下にお仕えする、意気ごみだったんだけど……」
19世紀には公式の場でも着用される正礼装で、謁見の間にはむしろ相応しい。
人間が一番恐怖を覚えるのは、「理解不能」といった説がある。
人は基本的に排他的で、異質に感じれば不安になり攻撃してしまう。そして手に追えなければ服従し、支配されるのを望むのだ。
恐怖にかられた場合無関心は装えない、取るべき道は「抗う」か「従う」か。
「閣下のおっしゃる通りだ! これではできの悪い、大道芸人ではないか!」
「このような道化が、殿下に拝謁がかなうとはどういった料簡か!」
「そも貴族でもない者を、何故由緒ある謁見の間に通すのだ!?」
いけだかな非難と、追従して批判の声を荒げる者。謁見の間に流れたざわめきは止まらず、さらなる混迷を迎えた。
酷評のなか恰幅のいい白髪のカイゼル髭が、両手を広げ声高らかに訴えたのだ。
「この少年をお招きなさったのはヴィーラ殿下であられる! 異議ある方は殿下に不服でも、持っておられるのですかな!?」
殿下を「盾」に主張を封鎖する。正論に乏しく詭弁に近い、賛同しがたいが……これには別種の効果があった。
議論の様相を帯びた場合、反論する者がより注目を集めるのだ。
「見ればなんとも斬新な装い! 天を駆ける殿下の御心を表しているようだ、私は彼の少年をご承諾いたしますぞ!」
白髪のカイゼル髭が進み出て輪の中心となり、場が再構築されていく。
対立する者にすれば主導権を奪われたに等しい。批評はみるからに勢いを失い、自己保身にだけ意義がみいだされる。
「でっ殿下に異議などとんでもない、少々驚いただけでして……」
「そうですなよく見れば奇天、いや独創的と申しますか……」
各々の本心は、どうあれ。
「――さてこれは、異なことを申される」
戸惑う貴族を遮り、最初に声を荒げた揺れるお腹が一歩前に出て笑いかけた。
「殿下に不服を持つなど、表明する必要もございません。そう新王都計画も殿下のご推進であられますしな」
「さすがは閣下今や王国随一の都市と名高いとか。殿下の思慮深さに敬意を表し、頭が下がるばかりですな」
受けてカイゼル髭がさらに一歩前に出て、言葉とは裏腹に胸を張る。
従えたそれぞれの貴族を背に、微笑を浮かべた2人の間に閃光が走った。
「いやいや閣下と違い、小さな港町を切り盛りしとるだけです。先日も卑しい噂が流布してまして、情けないと心を痛めておるのですよ」
「いやいやご謙遜を、私の所領などただ長き歴史を紡いでおるだけ。老婆心ながらお教えしますが、火のないところに煙は立たぬとも申しますよ」
親の領地を継いだだけで老輩気取りか熊ジジイ――。
運に恵まれただけで歴戦の勇気取りか猪ジジイ――。
「老いては騏驎も駑馬に劣る、お互い気をつけませんと――はっはっはっはっ!」
「老いたる馬は道を忘れず、お互い分別は持ちませんと――はっはっはっはっ!」
周囲の貴族は2人を止められず、場は荒涼とした田園に劣らぬ騒然さをみせる。
「……これは多分、普段から対立してる方々なんだろうなあ」
ぼくのために争わないで――なんて飛び出したいけど、反論につぐ反論。すでに論争は「奇天烈な少年」にはない。
自分の意見を否定した奴がむかつく。
不愉快な感情をもっともらしい言葉で偽装してるだけ。伝わるよう吟味された、礼儀を守った揶揄合戦。
「言葉使いは違えど、やってることは小学生と変わらない……おっと」
思わず口を押さえる、意味を理解できた者がいれば憤慨しただろう独り言。
ぼくは置かれた状況が楽しくなり、かつて児童館で読んだ絵本を思い出す。
「小惑星の王子の作者が、献辞にこめていたっけ。大人はかつて子供だったことを覚えていないと」
常識が変貌を遂げる数世紀の隔たり……しかし時代が移り年齢を重ねようとも、人の本質は変わらないのだろうか。
上流貴族らの喧騒をほほえましくも眺める。
小学校なら先生が怒鳴らなければ、収集つかないだろうなあ。
たった1人を除いては――。
「――由緒ある謁見の間は、いつから子供の遊技場と化したのか」
突如真後ろに雷鳴が轟き、この場の「空気」ごと爆ぜた。閃光が貴族の色鮮やかな礼服を白と黒に転じ、時間を一時停止させる。
召喚の間に次いで2度目、ぼくは見る必要を感じなかった。
両開きの巨大な木製扉が、「なにもそこまで……」と嘆き悲し気に鳴く。
「おや見ればやけに老けたわらしばかり、驚いてつまづいてしまったぞ」
先生と呼ぶには若すぎだろう少女が、渦雷を割り謁見の間に現れる。
近衛兵だろうか、召喚の間にもいた銀に輝くプレートメイル姿の騎士が6名と、目を伏せたスーリヤ様を従えていた。
「伯爵」であり「領主」を追従させているのだ。
「おお……っしゅ醜態を晒しまして、ふっ深くお詫び申し上げます!」
「もっ申し訳ございません殿下! 私としたことが、くだらぬ騒ぎを――…」
「そう緊張いたすな、冗談だ」
ニコリともせず貴族の言い訳を遮り、ぼくに視線を向けたのか背が熱い。
「あのうスーリヤ様……殿下はすでに、怒っておられるのですが?」
このまま無防備な背に蹴りを見舞われるのでは――高鳴る期待は無念にも外れ、殿下がぼくの横を「ずかずか」と通り過ぎる。
誰になんの遠慮もせず巨大な椅子まで歩み、ドレスの裾が大胆にひるがえった。
「さあ剣を貸してやる、貴族ならばいっそ華々しく決闘で片をつけるがいい!」
控えていた騎士が無言で剣を捧げ、躊躇なく引き抜き切っ先を突きつける。
「ヴィーラ王国王太女、プラーナ・ヴィーラ・アミターユの名において許可する」
冷笑が尾を引いて瞬く。
その言葉が冗談や軽口ではないと理解しているのだ。貴族たちは雷雨に打たれ、濡れそぼった子犬のごとく頭を垂れた。
雑多な前置きは全て吹き払われたのだ。
万雷の拍手が起きないのが不思議なほどの、「主役」の登場である。
「其方らを招集したは、児戯に興じさせるためではない!!」
「はっ……はは――――っっ!!」
装飾が輝く抜き身の剣が大理石を深々と抉り、少女が大の字に胸を張った。
謁見の間に炎の王道が顕現し、黄金色の髪を煽って征く。
「王太女――王位継承順位、第1位!」
そのひと睨みだけで、命すら焼き尽くせる王国の最高位。
「やはり」と確信が確定に変わったのを実感する。やはりぼくがあおぎ見る方は、それほどの方だったのだ。
実感が歓喜を呼び、頬が上気し、丹田に熱き震えを感じた。
☆
「――今年末、10年をかけた西方中央への王都移転が完了する」
ヴィーラ殿下が巨大な椅子ににふんぞり返る。
抜き身の剣を閃かせ、心に描いた王国の中央を指す。
跪くぼくをことさら無視する放置プレイに、背筋がゾクゾクと訴えた。
「では――殿下!?」
イタズラを咎められ、頭を下げていた貴族たちが弾かれたように反応する。
大の大人がそろって、14歳の少女に期待の視線を向けていた。
「我はその功をもって即位し、女王となる」
「おお……っおお――! ついにっ!!」
面白くもなさそうに伝えられた決定事項だが、大喝采が謁見の間を揺るがす。
外部を警備している兵士は驚いたのではないだろうか。
地震と見紛うばかりの拍手と足踏みの振動。肺から発射される祝砲が、いたるところで発砲と次弾装填を繰り返した。
「今までも摂政として、政務を代行されてこられたのだっ!」
「そうだ! 騒ぐまでもないっ!」
カイゼル髭が周囲に叫び、受けた肥満で揺れるお腹と2人肩を叩きあっている。
先ほど舌戦を繰り広げていたのは、果たして誰だったか。今この場では無礼講とばかりに、抱擁と賞賛が沸き上がった。
「陛下おめでとうございます!」
早すぎる敬称に笑いが重なり、たしなめる声にすら笑顔があふれている。
貴族らにどれほどの「歴史」があったか定かではない。それでもその歓喜を目の当たりにし、ぼくも思わず拍手を送っていた。
「そして来年、両国どちらかの王族と婚礼する」
そんな歓声をものともせず、素っ気ないほどの口調でヴィーラ殿下は続ける。
王配を迎えると年頃の少女とは思えないほど淡々と語った。先ほどと違わぬ喝采に包まれるが、称えられているはずの主役は剣を弄んでいる。
「――ひっ!?」
シャンデリアの煌めきに抜き身の刃が反射し、光の剣となって貴族をとらえた。
殿下の逆鱗に触れたと勘違いした幾人かが首をすくめる。轟いていた歓声がなにかを察して、徐々に沈殿してゆく……。
殿下の淡々とした声に、遅まきながら気がついたのだ。
貴族たちは顔を見合わせ、分からないのは自分だけではないと確認し息を呑む。
「ヴィ……ヴィーラ、殿下?」
カイゼル髭が萎縮しながらも疑問を告げるが、返答はなかった。
少女は自身の顔にも光の帯を重ね、偃月を青白く浮かび上がらせている。
無表情が偶像さを際立たせ、ただ淡々と語った。
「我が国は……ヴィーラ王国は、亡国となるのだ」
3階分吹き抜けで円形状の天井――リヴ・ヴォールトには、絢爛と呼ぶしかないシャンデリアが燈っている。
天井を支える円柱にはレリーフがほどこされ、何体もの彫像が人々を見下ろす。
大きく取られた窓にはステンドグラスを設置し、教義の絵物語がつづられ室内に色鮮やかな光を運んでいた。
謁見の間。
奥行きが30メートはあろうか、否が応にも荘厳な空間を醸しだしている。
「左右に並んだ尖頭アーチで格子状の窓……フラスコの底辺を切り取った跡かな、ガラスに見慣れない丸い文様が入ってる」
――13世紀頃には、欧州にも透明なガラスの製法が伝わっていた。
しかし手吹きガラスの技法では、ビール瓶の底ほどの大きさしか製作できない。
また貴族にも高価で、家人が留守にする際は取り外して保管したほど。それすら普及するのは17世紀末、板ガラスに至っては18世紀である。
「衣服や建物の様式から、今は13世紀後半から14世紀半の可能性が濃厚かな」
まあどこまで酷似した世界なのかは不明だけど――自分で突っこみを入れつつ、判断材料が増え状況が見えてきた。
だが簡単にいえど、1世紀の差は100年の隔たりがある。
大正から令和であり、和服着物からタンクトプへ、人力車がタクシーと呼ばれ、草履からビーサン、井戸端会議がSNSへ移行するほどの変化。
時代は徐々に改変される、記録がなければ判断は難しい。
「まだ近世じゃない、中世の後期辺りかな。再生や復活を告げる、ルネサンス期が始まった頃かもしれない」
欧州ではこの運動により、古代ギリシアやローマ時代の文化が復興し――近世へ移行するにいたる。
「時代の転換期に立ち会えたのか、それとも……おっと、失礼しました」
「ルネッ……サーン?」
装飾がほどこされた巨大な両扉を開いた兵士が、一歩も踏み出さずに謁見の間を魅入るぼくに首を傾げていた。
視線に気がつき、呼応して踏み出す。
移動する際高い城壁とオレンジの屋根が連なる街並みが見え、ここは「城の中」だったのだと検めて確認している。
壁の外は荒涼とした田園が広がっており、冬だとしても少し寂しく感じた。
「現代人ぶる気はないけど……都市をグルリと取り囲む巨大な石の壁、それだけで異様に思えるなあ」
謁見の間を埋める光沢のある大理石の床を、一歩ずつ確かめながら歩く。
最奥には一段高くなったダイスがあり、小さな屋根まで設えた「巨大な椅子」が主のように鎮座している。
ヴィーラ殿下があの椅子にふんぞり返られるだろう予感。
周囲には色とりどりの礼服を着飾った、おそらくは上流の貴族が控えていた。
待ちわびた観客となり遠巻きな視線がぼくに集中する。奇妙な動物を覗き見て、なんの遠慮もなく値踏みするのだ。
「この少年が例の、アラヤシキから招いたとされる?」
「殿下のお言葉を疑うではないが、見目麗しいだけの少年にしか思えませんな」
「劇ではない外面など関係なかろう、これで我が国の現状にいささかでも――…」
……ぼくのお披露目は、失敗ではなかったか?
若い俳優を前に、観客の失望色の濃いざわめきが荘厳な劇場を白けさせていた。
せめて手でも振ろうかなと悩みながら、両脇に控えた兵士が「近づきすぎ!」と目で訴える距離まで進み、両膝で跪く。
巨大な椅子まであと10メートルほど――。
「もう少し間近で、ご尊顔を拝見したかったな」
礼を失した呟きはしかし、貴族の面々の驚愕で打ち消された。
「はあああ――~っ!? なんじゃあの姿は!!」
ぼくは白無地でイカ胸シャツ、白いベスト白の蝶ネクタイ、白の手袋をはめる。
黒の脚衣に適した黒の革靴がなく、代わりに黒のブーツを履いていた。
服の「上着」が、彼らにとって「異様」だったのだ。
黒のダブルだが、正面はジャケットほどの短さでベストの下部が見える。背面部をふくらはぎまで伸ばし、裾が2つに割れていた。
18世紀に騎乗の邪魔にならないようにと仕立てられ、その形が燕の尾に見えるところから名付けられた――「燕尾服」である。
跪くと上着のしっぽが床に広がって、羽ばたく翼を思わせた。
「背中の切りこみはなんだ? なんの意味があるんだ!?」
「いえアラヤシキでは……このような服を好むと、示唆されてるのでは?」
「異質感を強調するにしても、奇天烈すぎじゃろっ!!」
やや寂しくなった頭髪と、肥満で揺れるお腹を振って貴族が問う。訊かれた方も答えれる訳もなし。
5世紀の隔たりを、容易に許容できる術はない。
「狼狽が向こうの世界への誹謗になる前に、説明すべきなのかなあ。ぼくとしてはヴィーラ殿下にお仕えする、意気ごみだったんだけど……」
19世紀には公式の場でも着用される正礼装で、謁見の間にはむしろ相応しい。
人間が一番恐怖を覚えるのは、「理解不能」といった説がある。
人は基本的に排他的で、異質に感じれば不安になり攻撃してしまう。そして手に追えなければ服従し、支配されるのを望むのだ。
恐怖にかられた場合無関心は装えない、取るべき道は「抗う」か「従う」か。
「閣下のおっしゃる通りだ! これではできの悪い、大道芸人ではないか!」
「このような道化が、殿下に拝謁がかなうとはどういった料簡か!」
「そも貴族でもない者を、何故由緒ある謁見の間に通すのだ!?」
いけだかな非難と、追従して批判の声を荒げる者。謁見の間に流れたざわめきは止まらず、さらなる混迷を迎えた。
酷評のなか恰幅のいい白髪のカイゼル髭が、両手を広げ声高らかに訴えたのだ。
「この少年をお招きなさったのはヴィーラ殿下であられる! 異議ある方は殿下に不服でも、持っておられるのですかな!?」
殿下を「盾」に主張を封鎖する。正論に乏しく詭弁に近い、賛同しがたいが……これには別種の効果があった。
議論の様相を帯びた場合、反論する者がより注目を集めるのだ。
「見ればなんとも斬新な装い! 天を駆ける殿下の御心を表しているようだ、私は彼の少年をご承諾いたしますぞ!」
白髪のカイゼル髭が進み出て輪の中心となり、場が再構築されていく。
対立する者にすれば主導権を奪われたに等しい。批評はみるからに勢いを失い、自己保身にだけ意義がみいだされる。
「でっ殿下に異議などとんでもない、少々驚いただけでして……」
「そうですなよく見れば奇天、いや独創的と申しますか……」
各々の本心は、どうあれ。
「――さてこれは、異なことを申される」
戸惑う貴族を遮り、最初に声を荒げた揺れるお腹が一歩前に出て笑いかけた。
「殿下に不服を持つなど、表明する必要もございません。そう新王都計画も殿下のご推進であられますしな」
「さすがは閣下今や王国随一の都市と名高いとか。殿下の思慮深さに敬意を表し、頭が下がるばかりですな」
受けてカイゼル髭がさらに一歩前に出て、言葉とは裏腹に胸を張る。
従えたそれぞれの貴族を背に、微笑を浮かべた2人の間に閃光が走った。
「いやいや閣下と違い、小さな港町を切り盛りしとるだけです。先日も卑しい噂が流布してまして、情けないと心を痛めておるのですよ」
「いやいやご謙遜を、私の所領などただ長き歴史を紡いでおるだけ。老婆心ながらお教えしますが、火のないところに煙は立たぬとも申しますよ」
親の領地を継いだだけで老輩気取りか熊ジジイ――。
運に恵まれただけで歴戦の勇気取りか猪ジジイ――。
「老いては騏驎も駑馬に劣る、お互い気をつけませんと――はっはっはっはっ!」
「老いたる馬は道を忘れず、お互い分別は持ちませんと――はっはっはっはっ!」
周囲の貴族は2人を止められず、場は荒涼とした田園に劣らぬ騒然さをみせる。
「……これは多分、普段から対立してる方々なんだろうなあ」
ぼくのために争わないで――なんて飛び出したいけど、反論につぐ反論。すでに論争は「奇天烈な少年」にはない。
自分の意見を否定した奴がむかつく。
不愉快な感情をもっともらしい言葉で偽装してるだけ。伝わるよう吟味された、礼儀を守った揶揄合戦。
「言葉使いは違えど、やってることは小学生と変わらない……おっと」
思わず口を押さえる、意味を理解できた者がいれば憤慨しただろう独り言。
ぼくは置かれた状況が楽しくなり、かつて児童館で読んだ絵本を思い出す。
「小惑星の王子の作者が、献辞にこめていたっけ。大人はかつて子供だったことを覚えていないと」
常識が変貌を遂げる数世紀の隔たり……しかし時代が移り年齢を重ねようとも、人の本質は変わらないのだろうか。
上流貴族らの喧騒をほほえましくも眺める。
小学校なら先生が怒鳴らなければ、収集つかないだろうなあ。
たった1人を除いては――。
「――由緒ある謁見の間は、いつから子供の遊技場と化したのか」
突如真後ろに雷鳴が轟き、この場の「空気」ごと爆ぜた。閃光が貴族の色鮮やかな礼服を白と黒に転じ、時間を一時停止させる。
召喚の間に次いで2度目、ぼくは見る必要を感じなかった。
両開きの巨大な木製扉が、「なにもそこまで……」と嘆き悲し気に鳴く。
「おや見ればやけに老けたわらしばかり、驚いてつまづいてしまったぞ」
先生と呼ぶには若すぎだろう少女が、渦雷を割り謁見の間に現れる。
近衛兵だろうか、召喚の間にもいた銀に輝くプレートメイル姿の騎士が6名と、目を伏せたスーリヤ様を従えていた。
「伯爵」であり「領主」を追従させているのだ。
「おお……っしゅ醜態を晒しまして、ふっ深くお詫び申し上げます!」
「もっ申し訳ございません殿下! 私としたことが、くだらぬ騒ぎを――…」
「そう緊張いたすな、冗談だ」
ニコリともせず貴族の言い訳を遮り、ぼくに視線を向けたのか背が熱い。
「あのうスーリヤ様……殿下はすでに、怒っておられるのですが?」
このまま無防備な背に蹴りを見舞われるのでは――高鳴る期待は無念にも外れ、殿下がぼくの横を「ずかずか」と通り過ぎる。
誰になんの遠慮もせず巨大な椅子まで歩み、ドレスの裾が大胆にひるがえった。
「さあ剣を貸してやる、貴族ならばいっそ華々しく決闘で片をつけるがいい!」
控えていた騎士が無言で剣を捧げ、躊躇なく引き抜き切っ先を突きつける。
「ヴィーラ王国王太女、プラーナ・ヴィーラ・アミターユの名において許可する」
冷笑が尾を引いて瞬く。
その言葉が冗談や軽口ではないと理解しているのだ。貴族たちは雷雨に打たれ、濡れそぼった子犬のごとく頭を垂れた。
雑多な前置きは全て吹き払われたのだ。
万雷の拍手が起きないのが不思議なほどの、「主役」の登場である。
「其方らを招集したは、児戯に興じさせるためではない!!」
「はっ……はは――――っっ!!」
装飾が輝く抜き身の剣が大理石を深々と抉り、少女が大の字に胸を張った。
謁見の間に炎の王道が顕現し、黄金色の髪を煽って征く。
「王太女――王位継承順位、第1位!」
そのひと睨みだけで、命すら焼き尽くせる王国の最高位。
「やはり」と確信が確定に変わったのを実感する。やはりぼくがあおぎ見る方は、それほどの方だったのだ。
実感が歓喜を呼び、頬が上気し、丹田に熱き震えを感じた。
☆
「――今年末、10年をかけた西方中央への王都移転が完了する」
ヴィーラ殿下が巨大な椅子ににふんぞり返る。
抜き身の剣を閃かせ、心に描いた王国の中央を指す。
跪くぼくをことさら無視する放置プレイに、背筋がゾクゾクと訴えた。
「では――殿下!?」
イタズラを咎められ、頭を下げていた貴族たちが弾かれたように反応する。
大の大人がそろって、14歳の少女に期待の視線を向けていた。
「我はその功をもって即位し、女王となる」
「おお……っおお――! ついにっ!!」
面白くもなさそうに伝えられた決定事項だが、大喝采が謁見の間を揺るがす。
外部を警備している兵士は驚いたのではないだろうか。
地震と見紛うばかりの拍手と足踏みの振動。肺から発射される祝砲が、いたるところで発砲と次弾装填を繰り返した。
「今までも摂政として、政務を代行されてこられたのだっ!」
「そうだ! 騒ぐまでもないっ!」
カイゼル髭が周囲に叫び、受けた肥満で揺れるお腹と2人肩を叩きあっている。
先ほど舌戦を繰り広げていたのは、果たして誰だったか。今この場では無礼講とばかりに、抱擁と賞賛が沸き上がった。
「陛下おめでとうございます!」
早すぎる敬称に笑いが重なり、たしなめる声にすら笑顔があふれている。
貴族らにどれほどの「歴史」があったか定かではない。それでもその歓喜を目の当たりにし、ぼくも思わず拍手を送っていた。
「そして来年、両国どちらかの王族と婚礼する」
そんな歓声をものともせず、素っ気ないほどの口調でヴィーラ殿下は続ける。
王配を迎えると年頃の少女とは思えないほど淡々と語った。先ほどと違わぬ喝采に包まれるが、称えられているはずの主役は剣を弄んでいる。
「――ひっ!?」
シャンデリアの煌めきに抜き身の刃が反射し、光の剣となって貴族をとらえた。
殿下の逆鱗に触れたと勘違いした幾人かが首をすくめる。轟いていた歓声がなにかを察して、徐々に沈殿してゆく……。
殿下の淡々とした声に、遅まきながら気がついたのだ。
貴族たちは顔を見合わせ、分からないのは自分だけではないと確認し息を呑む。
「ヴィ……ヴィーラ、殿下?」
カイゼル髭が萎縮しながらも疑問を告げるが、返答はなかった。
少女は自身の顔にも光の帯を重ね、偃月を青白く浮かび上がらせている。
無表情が偶像さを際立たせ、ただ淡々と語った。
「我が国は……ヴィーラ王国は、亡国となるのだ」
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